2001年07月の記事


開成山の花火みながら
午後九時半。市内の暗がりで開成山の花火を短い間見物。打ち上げの夜の花火というのも悪かねえな。しかしこのころの花火は妙に色あざやかでふぜいに欠ける。そんな感じがした。

これから帰京。
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ともすれば月澄む空にあくがるるこころの涯を知るよしもなし
午後八時。まだホテル。空に月。
渡辺は郵便局に速達書留を投函に。
迷ったが書いた。

書き始めてみればたまった思いだけがあふれ出る。指に任せてキーを叩き続け、誤字だけチェックし打ち出す。筆ペンで署名して封印。

どこかで花火が乾いた音をとどろかせている。七月晦日、夏も盛りである。
渡辺が戻ったらホテルを引き払い、東京に戻る。夜の月を追いながら走ってみたくなった。


福島騒動。ひとまず柝を打つ。
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望郷の歌を書くことはない。
福島のサニー・アデ �|� 水のジ・アース �|� 森のジ・アース �|� 水のジ・アースの夕 �|� 薄暮のジ・アース �|� 儚

いま郡山の定宿。正午過ぎ。
渡辺が飯の途中であわくって持ってきてくれた数十行の新聞記事が、おれの寝ぼけ頭をぶったたいた。
時機を逸しただ。三日前の夜に、勢いのままに書くべきだった。三日間は動きを待つ、と自縛したことが、この結果になってしまった。
三晩の間、おれが会い話し闇の中で交わせたと思った人たちの胸の中には何が潜んでいたというのだろうか。彼らは何を伏せ、何をさらしたのか。
スクリーンそのものをぶった切り焔にしずめることまでシナリオに書き込ませておいて、どうやって梯子を外せたのか。
冷や水ぶっかけられた思いである。
足して二で割るなんていまどきガキでも使わねえような姑息な手を見つけて、これでひとまずと胸なで下ろしたか。
それがゆうべの奇妙な気配だったのか。

すべての資料を見直して、二年かけてやりとりしたメーリングを読み直して、このことにしぼる、四日三晩かけて考えつくしたことはただのポンチ絵だったか。

負けた歴史は情をこそはぐくむべきである。
この地にはぐくまれた情はどこに隠れているのか。あるいはそんなものは何もない。
負けるべくして負けただけ、そういう場所なのか。

熱がきゅうそくに引いていく。
この体温低下を、いまのおれは傍観することしかできない。永遠に続く引き潮の中に投げ出された、そういう思いがへどとなって奔出しそうだ。

時機を完全に逸した。
おれは文字通り、みごとなまでにドンキホーテである。渡辺にはこの暑い中、ほんとうに無意味なつきあいをさせてしまった。

くやしいよ。
この地に向けて望郷の歌を書くことは一生ねえだろう。地図の中の一つの記号にすぎない場所だ。
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犬の暮らしがよくわかる午後
いきなりの35℃。蒸し風呂の中というか水の中を浮遊しているようだ。過激案か正攻法でいくかまどろみのなかで決めかねて、むじなの森へ。昨日までの涼しさはすっかり消えて、灼熱である。
少し動くと汗が滝となる。
なんだかもうどうでもいいのじゃねえか、という気分に包まれながら、湖に突っ立っている赤錆びたポールを眺めていたら、いくぶん怒りもよみがえった。昼の光で見ると醜悪きわまる鉄のかたまりだ。
映像のなかみもともかく、装置としてどこか大きな欠陥があるとしか考えられない。鉄屑屋の裏庭の池でも眺めさせられているような不快な気分にかりたてられる。

エコレストランでコーヒーを飲みながらぼんやりとした頭を整理。すっきりしないまま湖をまわり、霧の谷から花の道に踏み入る。夜のベンチが昼の光の下でどう見えるか確かめたかった。ま、悪くはないなというところ。ただし涼しければだ。いずれにしても35℃の炎天下で歩くような場所ではなかった。からくり民話茶屋をのぞき、豆ダヌキを買った。桑田さんのやった建設館の前でストリートコンサートを西アフリカ人がやっていたので渡辺君を呼び撮ってもらう。建設館を足早にのぞき、ゃっと事務所に戻った。このまま冷たい海に沈みたい。
いくつか「むじなの森へ」にアップしたらホテルに戻り、ひとねむりして正攻法案にかかろうと思う。記念切手も手に入れたことだし。
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跪き人に詫びたることはなき
日暮れ。森の学校の入り口脇にこんもりと繁る林の下でヒグラシの鳴くのを聴いていた。ジ・アースの明かりがつき、湖の水中灯も点灯。森に夕やみがたちこめていく。
その目の隅で醜悪な白いスクリーンが今日も立ち上がっていった。空には月。気温18℃。シャツだけでは寒い森の夏。

示された方法に欠けていたのは勇気。
どこまでも当たり障りのない、八方が丸くおさまり、その実、肝の部分は何も変化なし、というある意味ではごくまっとうな解決案。
闇の中で声を潜めて語られるのは東京でおそれていた折衝案だった。

隠れ星菫派としてのおれには否も応もない。ありがとうございました。ごくろうさまでした、そんな言葉を聞くために白河越えて来たとというのか。ただ笑みを返すだけにとどめた。
人は己の欲した歩幅の川しか越えられないのだ。そのことを百も承知しながら、問いかけたことの愚をかみしめながら、決めた。
遠くまで行こうじゃねえか、と。

星月夜のむじなの森で、ヒグラシの鳴き声とカエルたちの声と木々のざわめきとやさしげな明かりがつくり出す、このむじなの森で二晩続けてさえざえとした月を眺めながら、行けるところまで行ってみようと決めた。

ホテルに戻り、水の惑星の二年続けたメーリングに卒業宣言を投函。これで一人となった。いや正確には渡辺を道連れにしたから二人か。

明日、最大の爆弾を投下する。所払いとなるか、紙吹雪で受け入れられるか二つに一つ。あの森で生起した、あの森で息づくすべての想いをひとつにまとめ、おれにできる最後のミサイルを放つ。

負けたとしても語るべき兵もない。
突破あるのみ。


   「跪き人に詫びたることはなきみどりの涯にさやぐ海あれ」
      福島泰樹《転調哀傷歌》より


     2001.7.30 am2:16 郡山ハマツホテルにて
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あるいは
現地のアテンダントからのメールだと、ここ数日エアコンを切っても「寒いですね」という挨拶がかわされることがあると。

東京も最高25℃。
盛夏の日中25℃は過ごしやすいがしかし最悪である。すべてを冷やしていく、そんな温度だ。
また暑い日に戻っても、覚めた気分は戻れるのだろうか。

これから福島へ向かう。
どこか敗軍をすすめる思いあり。

負けるために行く、そんな思いがある。
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出たとこ勝負。
ここ数日、あちこちに「委細了解しました」と言い続けて、厭きた。明日から数日間、いっさいの「委細了解」を封じる。

子細も思惑も懸念も委細もすべて遮断。
三日間、臨界点を維持し、そこで出処を決める。三日間は進退を保留。

覚有情となるかならぬか。
この身ひとつを投げ出してみる。
一天地六の賽の目は、さてどう転がってくれるのか。
出たとこ勝負の三日とする。
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娘ごころを渡世に賭けて…
rstudioで昼飯のときに相馬プロデューサーと藤純子の緋牡丹博徒シリーズのことで盛り上がった、藤純子が突出していたこと、「娘盛りを渡世に賭けて」と始まる主題歌を実はとても好んでいたこと、ジュークボックスで見つけると必ずかけていたことなど、話が尽きず。
どうにも気になってレンタル屋を2軒まわり、第四作の「二代目襲名」/小沢茂弘監督と引退記念の「関東緋桜一家」/マキノ雅弘監督の二本を見つける。シリーズはやはり山下耕作監督のものが見たかったが、ま仕方ない。匂い立つような女らしさを感じさせながらなぜか肉体を意識させなかったあの頃の藤純子を久しぶりに見た。
この人の最大の特徴はもしかしたら声の質と話し方の間なのかな、と思った。
「背中に墨をいれてはいても、心にはまだ誰にも墨をいれさせてはいません」とか、何だか夜中に見てるとボロボロ泣けた。
右の頬に片えくぼが出ることを知らなかった。やや上目遣いで啖呵を切るときに、ちらっとそのえくぼが浮かぶ。
こういう凛々しさのある美しさをこの頃は見かけない。
顔黒くして唇白いだっこちゃんもどきから尻だされて下着見せられて、青少年はどうしたら情をかきたてられるのだろうか。心配はしないが、不憫ではある。
しかし改めてみていると当時の東映にあって藤純子のこのシリーズは美的反動として存在していたのがよくわかる。
これは仁侠映画というより可憐でつややかな志へのオマージュなのだ。
ばか騒ぎの60-70年代にも、確かに花は咲いていた。その花はけっして大輪の花ではないが。

渡辺がまとめたこの一ヶ月の記録ビデオを二度見た。陽射しの強さ、雲の美しさ、夕日のみごとさなどがDVCながらよく出ていて、目をつぶった。



藤純子の映画を二本とむじな森の記録を一本。さらに93年に仕上げた「MOMO」の初号を一本を見た。そのラストは西表島の月の浜の炎の宴。三線の音と潮騒を子守歌に「わたしたちはもうひとりじゃない、ですよね」と結ばれていた。
バラス島の白さは異様なほど魅力的だった。

明日からの福島にこれで備えはできたのだと思う。これだけが備えなのだと思う。


さて、福島泰樹は「わがひとに、もしくは藤純子に」と添え書きを加えた「晩秋挽歌」でこう歌っている。

  そのひとは夕べの鐘のやるせない哀傷 風に吹かれる牡丹
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その夢のことを記しておく。
MAアップ。これで二日間で四タイトルを仕上げた。
昨日より十℃も下がった東京はもう晩夏の気配に満ちている。

夢のことを書いておきたい。
昨夜みた奇妙な夢を。

場所は教室。小学校か中学校か。時間はたぶん午後。窓からは西日。
逆光になった子供たちか机に向かっている。自分は窓側から一列目と二列目の間、教室の後ろから三番目あたりにいるらしい。自分がどういうカタチで存在しているのか記憶になく、視点だけがわかる。視点の位置は幼い子供くらいか。学習机のへりよりもやや低めのところから見上げるようにしている。
窓際のいちばん後ろに座っている子供のことがとても気になっている。教室の前から靴音。間あって女の人の半身。白いブラウス。肩までのまっすぐな髪を真ん中でわけているように感じる、教師。歳は三十代後半か。中肉中背。
窓際にそってゆっくりと後ろへと向かう。手には教科書のようなものを持っている。子供たちはしんとして机に向かっている。その教師がとても危険な存在であると感じ、一生懸命顔を確かめようとするが視点は変えられず、女教師もこちらを向かない。
とても微妙な角度で横顔である以外に何もわからない。彼女の歩くスピードがきわめてゆっくりになった。相当なハイスピードで撮影したような印象。いちばん後ろの気になっていた子供の脇を曲がろうとしたあたりで、ハイスピードのパーセンテージが極端に高まった。止まっているように動いていく。なぜか横顔のまま身体の向きが変わろうとしたところで、猛烈な恐怖におそわれた。そのいちばん後ろの席の子供に向かった不安だけではなく、自分自身にも波及してくる圧倒的な恐怖感。
その恐怖の中で必死で顔を見極めようとしたが、叶わず。恐怖に負けた。大声をあげて目覚めた。
それからぐっすりと寝込んだようだ。
このところの暑さが身体の芯まで入り込んでいたせいか、寝不足でベッドに入っても、浅い眠りを続けていたが、この悪夢のあとは久しぶりにぐっすり眠った。
そして目覚めたとき、そのイメージがくっきりと残っていた。

この夢はなんだったのか。
身体と精神の疲労が見させたありきたりのイメージなのか、福島の森で起きているある騒動を強調したイメージなのか、それもなんだかとは思うが。

なんであれ、ちりばめられたイメージは、あの森のみずうみにかけられた「ファンタジア」と称するイベントにことごとく共通している。

明日の須賀川行きは、けっこう難儀なことになりそうな予感あり。
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これも酔狂。
愚痴っていても何もはじまらんでしょう、と渡辺が電話で小言。

言われて決めるわけでもないが、渡辺の手にクルマが戻る明後日28日から三、四日須賀川に行ってみることにした。
みずうみのほとりで一日三本しか吸わないと決めているタバコの煙を風に流しているうちに、誰か声でもかけてくれるだろう。
ハマツホテルもとれたようだし、
とりあえず風にでも吹かれてくる。

ま、これも酔狂。


今夜こそ熟睡するぞ。
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バラス島に逃げるぞ
ナレーターを待たせ、クライアントを待たせ、代理店を待たせ、堂々?の一時間遅刻。
二時間で起きはしたが、身体が拒否していた。いや精神が弱っていた。朝食のコーヒーを飲みながら、もう仕事をやめたい、という思いに襲われた。吐き気がして吐こうとしたが何も出ず。遅れるむね連絡し、ぼう然として一時間すごす。ディレクターをはじめて16年。こんな底なしの気分に見舞われたことはなかった。
何をしたらいいのか。何を求めれば胸弾むのか。もう何もねえのかな、そう思ったら涙が出た。ああいう涙を何と名付ければいいのか、わからない。一昔まえなら無用の涙か。

何とかスタジオにたどりつく。わびを言ってはじめてみれば、なんということはない無理なく流れに浮かんでいる自分に気づく。そのことが午後はこたえた。寝不足続きもあってか、身体の奥が発熱したようなけだるさが離れない。

8時を過ぎて、帰ることに。
タクシーに乗り込み、げっそりしながら帰宅。檄の応えが三通。読む。一通は予想通り。これはもとより心意気の人だ。簡潔に、諾。とあった。さらに一通は、事あらば馳せ参じるとあった。これはしかし員数の外にある人。もう一通もある意味では予想通り。恐れを知らぬのも若さなら、知るのもまた若さということか。あまりにまっとうなその文面に力だけが脱けていく。

気を取り直し電話をしてみる。温度差。温度差。温度差。

屈服は致しませぬと大見えきらせたそのお膝元で、これがありのままの現実。

さらに。
闇に紛れて吐いた言葉は、いつか闇にまぎれていく。どこも誰も試みなかった祭りを志したのではなかったのか。この国ではじめての試みではなかったのか。ほころびだしたその裂け目を何とか修復したいと、そう願ったのではなかったのか。
子供はいつまで泣き続けるのか。

評定はいつまで続くのか。
須賀川はいつから小田原になったのか。
屈服は致しませぬという心意気は数百年の世迷言か。

向こう傷のひとつもないままに、はやドンキホーテにされるのか。


すべてをなかったことにしろというのか。
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風変わる。
熱が引くような涼しさ。

窓を開くと、冷風。
いきなり冬にでも戻った気分だ。
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檄、発す。
とりあえず、憂いは晴れた。そういうことに今はする。


情報を求めて現地に檄を一発。
応えが返れば時間不足は取り戻せるはず。
さて、どうでるか。

26日から27日の昼過ぎまではスタジオに雪隠詰め。この時間のゼロをマイナスだけにはしたくない。

おそくとも立秋開始、可能なかぎり速められれば傷は浅いはず。全力あげれば三日で成るはず。28日29日30日31日。
理想的には1日皮切りにできれば。
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30時間経過。まだ動きなし。
さて、肝腎の矢は波紋を投じているのか。どこかの薮にからめとられてしまったか。投じてからほぼ30時間経過。
少し気になる。

が、今夜のところは眠ることにする。
ここ一週間、まともな睡眠がとれていないしな。
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昼顔の朝の夕
広島島流しから無事にカムバックしたという人と会うために東京駅に降りた途端、ものすごい雷雨にあった。思わずカバンを取り落とし15cmはとびあがったと思う。
100m先くらいに稲妻が走り、おれはもう生きた心地がせず、道行く人に抱きつこうと若い女を物色したが、手ごろなのがいずに困った。ふと昨夜見つかった携帯を持っていることに気づく。ワラにもすがる思いでプッシュ。いや人の声があんなに救いになるとは…
しかし雷というのはまことに怖いな。
あれ以上続いたらきっと腰が抜けただろうな。

打ちあわせをすませ、帰路につくころはきれいな夕日が雨上がりの空を染めていた。

家に戻って夜霧のブルースと昼顔の朝としのび逢いを繰り返し聴く。こんな夕やみによく似合っている。
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呼応あり。
放った第二の矢がたったいま打ち返された。状況は切迫しておりタイムアウトが迫っているのがひしひしと伝わる内容だったが、まだ剣も矢も折れておらず意気盛んであろうと振り絞っているように感じた。

まったく別の方向から音信。
後始末で地方に飛ばされ涙をのんでいた人が東京に戻ったという知らせ。さらに未来博にからんで至急会いたいと。これから会ってくる。
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「近松心中物語/それは恋」の天才的演出
今朝は第三幕の身請けと第四幕後半の道行きだけを見た。いま幕開けからラストまで通して見終った。

蜷川は凄いな。平幹と亡き太地の入魂の芝居。朝倉の装置。猪俣の音楽。森進一の歌。そのどれが欠けても絶対に成立しないもの。あらためてそう思った。ビデオは1981年の暮れの舞台を撮ったもの。
ぼくが舞台を最初に帝劇で観たのが1984年の夏。一週間の間に二回観た。二回とも同じ場所でどうしようもなくなり、17年後の今朝も、たった今も同じ場所で息が苦しくなった。一切合切、歳月の影響を受けず、いまなお軽々と越えている。
あらためて感じたのは冒頭の花道を使った花魁道中、第一幕終りの出逢の演出のスタイリッシュさ。
道行きで首をしめたという記憶はあったが、相手の梅川の腰ひもだったことは完全に忘れていた。戦慄させられた。
記憶していたことの細部はともかく、これほどみごとに同じシーンでまったく同じようなリアクションをとらされると、この「近松心中物語/それは恋」で発揮された蜷川の圧倒的な天才ぶりにあらためて膝を正させられる。
こういうものを同時代で味わえることは、すごいことだなと思う。

東京が熱暴走をはじめた日の朝と夜に、13分連続して降り続ける雪の中での道行きを観られたことは実に幸いだった。
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一時間。
一時間でメールを4通出し1通受け取る。電話を3本かける。

さてどう転がっていくか。
笑いもので終わるのか、
森の夏を再生させられるのか、
これから数日間が正念場である。

静岡40℃、東京38℃。
関東はついに熱暴走がはじまった。

同じアホなら、というところか。
さて、湯にでもつかるか。
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pm4:30第三の矢を放つ。
午後4時30分。第三の矢を打ち放つ。
あとは時間との戦い。
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東京ボイラー室に5分滞在し撃沈される
タバコを買いに外に出た。東京の午後は巨大なボイラー室だ。ボイラー室の熱気の中を服を着てネクタイをし靴を履いたひとが銀行のビルを出入りしている。シュールな光景を横目に販売機に1000円札を入れる。戻ってくる。入れる。戻る。三回繰り返し、思いきりケリを入れる。また戻る。ケリを入れる。店の人間が出てくる。ライターと缶コーヒーをおまけにつけてくれたので許す。そのまま道端に座り込み、ロングピースに火をつけ、缶コーヒーを一息で飲んだ。即汗が噴きだす。身体にしみこんだユーカリの匂いもいっせいに。
目の前をいかしたミュールがよぎっても顔上げて確かめる力が出ない。缶コーヒーとタバコを店の前の道の真ん中に置き、部屋に戻った。外での滞在時間、本日は約5分。
なんだか一生外で過ごしたような気分だ。
机の明かりをバイオライトから泣く泣く蛍光スタンドにチェンジ。あれだけ嫌っていた蛍光灯の明かりがとても涼しくうれしい。

さて檄を書くぞ。
ひといきで書き上げ、さっさと投函。
大段平がうなっておるわい。
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ニライカナイ
正午の日陰37℃。東京炎上。
朝寝るときはしぼんでいたハイビスカスが開いていた。一輪だけ白い30cm足らずの陶器に挿しておいた。濃い緑が六葉と一輪の花。あわせても広げた掌ほどのかたまり。
西表島の夏を思いだそうと、買ったもの。
あの一歩日なたに出るとフリーズするような島の、沖に浮かんだサンゴの死骸の真っ白なバラス島に島中のハイビスカスを集めて赤と緑の寝床が一つ。満潮になる前に横たわり、最西端の灼熱に灼かれながら目をつぶる。千の夢をまどろむうちに潮が満ち島は海に消える。桜花の元にてという西行も捨てがたいが、こんな終わりも悪くない。いっそバラス島へと、22日の気の狂ったようなむじな森の暑さの中で短い間、夢想したが。目の前に心のバラス島もどきを置いて、飯も食べずに眺めていると、それも悪くなかったなとふと思う。

六時間で目覚めてしまった。
十時間は眠ろうと思ったが、胸のうちにおきた熱が体に起きろと告げたのだろう。
ユーカリをたっぷり入れた水をはったバスタブに20分身を沈めていた。

さて、午後は第三の矢にとりかかる。

湖におれのニライカナイを浮かべるために。
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近松心中物語を15年ぶりに入手。
蜷川幸雄の「近松心中物語/それは恋」をどうしても見たくなり、渡辺君に探してもらった。15年前に紛失して以来。
これから、急ぎあのシーンを確かめる。

第二の矢を、さっき放った。
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大暑の夜に一の矢を放った。
朝から六本木地下スタジオ篭り。

大暑の闇に、地下から第一の矢を放った。

午前1時帰宅。
シャワーを浴び、メールをチェック。
第一の矢は、打ち返されてきた。

東京と福島を一直線に結んで
立秋までの酷熱の盛夏騒動の、おれ自身の火ぶたを切った。

行けるところまで、行く。
ここからは、おれ自身の意志だけの戦いとする。

旗印はただひとつ。

覚有情。それだけでいい。
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サンゴの島には
21日夜、ゴンドラと観覧車から点灯式以来二度目の夜景を眺めた。
美しかった。この照明家は天才だと思った。
22日昼、10万人目の来場者にプレゼント贈呈。2週間で10万人。死にたくなるような暑さと湿度のなかで、である。
同日夜、ナイトファンタジアを別角度から見通す。言葉を失う。
12時過ぎに帰宅。
思ったほど混んでいず3時間で着いた。
良かったのか、悪かったのか。

あれは捨てぜりふなのか、
決意の表明なのか、
時候の挨拶ででもあるのか。

ま、あさやかな一本。
おみそれいたしました。


さて明日から、というか今日からは
ご破算の東京暮らし。
サンゴの島にはくらぶべくもない。が…
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男児 世に処すは 余地あって ただ現在に応ずるのみ
中島みゆきの「いのちの別名」を繰り返し聴く。

新月を過ぎれば満ちていく想いがまたふくらんでいく。

むかしこんな文句を読んだ。

  「男児 世に処すは 余地あって ただ現在に応ずるのみ」

これが、22日朝の心境。
二時間で起きた。
ひとつの夢も見ずに。

さていよいよおれの新世紀の夏を、はじめる。
今日から七十日。
いざ、鎌倉を白河のその先のむじなの森に据え、大段平に研ぎを入れる。
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むじなの森、復活。
むじなの母を発見 �|� 白昼のむじな �|� 主演女優来館?

「むじなの森」のホームページを復活。
上の三項目を追加。ま、余韻である。
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むじなの母親発見
ホテルで朝食をとり、会場へ。
暑い。すっごく暑い。いや熱い。

会場近くにむじなの製作者がいると渡辺が言うので暑いのをがまんしてクルマから降りる。降りたとたんに玉の汗。

庭のあちこちに金色のタヌキが数十体。
看板には佐藤左官工業所と。
引き戸のドアを開けて案内をこうと、奥さんらしい人が。奥さんだった。
わけを言って庭のタヌキを撮影させてほしい旨を伝えると快諾。
聞いてみるとジ・アース館の土壁を塗ったのはご主人らしいことが判明。
金色の豆ダヌキを売っていたので五体購入。庭先のタヌキたちを撮った。
ついでに奥さんにも登場してもらい「タヌキの母」ということに。いやがっていたがよく似合っているのがおかしかった。

会場へ。
ゲートから入ってジ・アースまで歩いただけで全身汗の滝。事務所二階にたどりつき、一息。エアコンはしかし、偉いぞ。

未来博全体の入場者が昨日で20万人を突破したとニュースで。ジ・アース館も今日、十万人を越すことになるだろう。

この暑さの中、まっことにごくろーなことではある。
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福島事件。あと二日でフィナーレ。
ナイトファンタジア初日ぶじスタート。
風が強く雷雨予報も出て中止を口にする者が多かったが、なにはともあれ第一日は問題なく過ぎた。久石さんもホッとしていた。
これで終日興行バージョンのすべてのコマが揃ったことになる。
明日、冷静にナイトシーンを見たら、明後日には帰京。そこまでやれば思い残すこともあるまい。
ジ・アースだけではなく総体としてのカタチのある「夢」を提示できることになる。

虹は、しかし夢ではない。
跡形もなくわずかの間に消え去りながら、
あざやかでぬぐい去れない強い思いを残した。
何が近く、何が遠いのか、そういうことを
ひとりひとりがあらためて問い直し、答えの一部でも手にするために、
ぼくたちはそれぞれの日常に帰っていく。

その果てに何があろうと、あるいは見いだすものが何もなく、渇いた日々が穴を開けていようと、誇ってもいい物語をここ須賀川のむじなの森に記すことができた、はず。そう信じて、白河の関を越えたい。

おれの福島事件は、いよいよフィナーレとなる。

あと二日のうちに。
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むじなの森、梅雨明けとなる
今日、朝、福島、梅雨明け宣言。

終日興行スタートに合わせるように梅雨明けとなる。昼少し前に会場近くのそば屋できゅうり素麺を食べているところに携帯が入る。
出演者の遠藤さんが家族とともに会場に入ったというので、食べるのをあきらめ会場に。ちょうど上映が終わったところで間に合った。
ご両親と妹、祖母上と5人で見えた。
超満員だったこともありとても喜んでくれた。
事務所一階のVIPルームに案内し休憩してもらう。協会の柳沼さん、電通の後藤さん、電通テックの池田さんたちと歓談。ジ・アース館前で記念撮影をして別れる。
これで一つの区切りはついた。

しかし、暑い。
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嵐の夜。
体調すこぶる悪し。
昼に起きたが変わらないので、須賀川に向かうことに決める。
午後二時前に東京を発つ。都心はひどく混んでいたが東北道に入ってから流れだした。
途中二度連絡のため休む。館岩ロケは末廣が満杯のため一週間延期に。
雲行きは悪く、何度か強い降りにあう。

むじなの森に着いたのは午後六時半。ゲートは閉まり、黒い雨雲と霧がたちこめ、時代劇のオープンセットのようである。

ジ・アース館の前で宮本総合プロデューサーとばったり。久石譲氏を紹介される。久石さんは水の惑星がとても良かった、もう一度見たいとほめられる。
プレス発表と最終プレビューの準備が慌ただしくすすむのを眺めながら、なつかしいむじなチームの何人かと顔を合わせる。
ひぐらしの合唱がひときわ高くなったところで、雨になる。本降りとなり、稲光もまじる。
照明を落とした会場をときおり稲光が浮かび上がらせる。ジ・アースと観覧車は雨と霧の中にひっそりと浮かんで、まことに美しい。
ややあって中止が決定。
ナイトファンタジアはついに最終チェックなしで明日の本番突入ということになった。
ジ・アース館も雷の影響が連日出ている。プログラムへの影響なのか、単純な事故なのか、不明のままスタッフは修復を急いだ。
日射を避けるために特設されたテントを巡って攻防も続いている。
明日からの終日オープンを控えて、むじなの森は風雲急を告げている。

いや、血が騒ぐな。
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むじなだより番外編
Subject: [the-earth:00488] むじなだより

●福島民友新聞七月十八日(水)

投書欄・窓の「うつくしま未来博を見て」の特集から抜粋

[ジ・アースの3D映像圧巻]福島市 市川 明 64歳 無職
「…私の第一のお薦めは、水の惑星ジ・アースである。
水で結ばれた宇宙と地球、そして生命の物語である。
大迫力の3D映像は四十六億年の軌跡をたどり、
3D眼鏡ごしに見る世界は格別である。
大きな魚がリアルに出現しては驚き、
また達沢の滝にあっては新緑が映え手が届くほどに迫ってくる。
CGの立体映像は、まさに圧巻で見ごたえがあり、
感動の余韻が今も続いている思いである…」


●夜間開催スタート新聞広告 各紙七月十九日(木)

民友、民報ともにカラー15段

ライトアップされたジ・アースを見つめる男女の後ろ姿。
その脇にヘッド三行。

  「未来の森は
   ロマンチックも
   育てます。」

中段には、観覧車の男女、森のホタルと男女、ゴンドラからの夜景
ナイトファンタジアを見上げる男女、寄り添う男女のフィルムコラージュ。
下段全体にナイトファンタジアのリハーサル光景。
その左にやや小さくサブキャッチ二行。

  「ドキドキするような
   夏の夜をお楽しみください。」

このカラー広告をホテルのベッド上に広げて一人眺めていると
ま、そうとう楽しめます。


   雨と霧と稲光の中のジ・アースは、なかなかの風情。
   不思議なたたずまいだった。

   かんかん照り。夕日。虹。雷。土砂降り。霧。
   ま、なんでもありのむじなの森。
   中では雪だって降っている。

   終日興行初日前夜でした。
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うれしいメール
Subject: ジ・アース人気沸騰
Date: Thu 19 Jul 2001 17:17:04 +0900

ごぶさたしています。
ジ・アース、現在人気沸騰中。
わずか10分の映像が、あれほど人間に感動を与えられるんですね。
毎回、「毎回」ですよ。会場内にこだます、驚き、叫び、笑い。
そして必ず最後にわきおこる、老若男女すべての大拍手。
いまどき、期せずして大拍手がわきおこる映画なんてないですよ。
ジ・アースの成功を確信しています。

18日の福島民友新聞には、福島市、市川さん、64歳の「声」がよせられていま
す。
魚の動きのリアルさ、達澤の滝の新緑は圧巻で見ごたえがあり、感動の余韻が今も
残っている、と結んでいます。

未来博には、福島県内のすべての小中学校の児童生徒が来ます。
その数16万1千人。
劇場映画の動員数に比べれば、取るに足りない数ですが、このすべての子供たちの脳
裏には、
鮮明な記憶として残るはずです。

そして、いつの日か言うんでしょうね。
「そういえば、小さいころ、未来博に行ったときみた映画。あれまだ覚えている
よ」って。

監督、今度、酒飲みませんか。

祝杯をあげましょう。
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すーすー。
12時を回ったところで地上に。
須賀川に行こうと思ったが毎日雷が遊びに来ていると聞いて戦意喪失。

雷と聞いただけで腰が引ける。
布団に潜って蚊帳つっていたくなるが、蚊帳はない。
避雷針があるから問題ないと言うが、わざわざ好んで避雷針建てるという気持ちがおれにはわからない。

なんだかなあ。
むじなは遠くなりにけりであるなあ。

それにしても眠い。
家に戻ってバスタブにクナイプのメンソールを入れ過ぎたせいか、妙なところがすーすーしてまいった。
たぬきのようである。


月は細るし、力も失せる。
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落雷でフィルムストップ?
六本木で編集続行中。
渡辺が現地の佐藤君と電話で話したところ落雷で最終回のフィルムが止まったらしい。
詳細はつかめないが照明、落水システムのプログラムへの影響はどうなのか、気になる。

明日中に須賀川入りするつもりだが、さすがにホテルはどこも満員のようだ。
ま、いざとなったら土湯から通うか。

明日のナイトファンタジアのリハーサルと明後日の夜間本番の状態は最低見ておきたいと考えている。

雷はいやだが。
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[the-earth:00484] 平伏してごめん
まず、井上さん
  字面だけでのとんまなリアクション謝ります。
  申しわけありませんでした。
  

  川田さん
  ご心配をおかけしました。


  西田さん
  ご配慮ありがとうございました。
  あれもこれもご指摘通りなので、アタマかくしかありません。


  佐藤さん
  出過ぎたまねをしました。
  つい600台のことが頭に浮かんだので…
  



  みなさん暑いのに暑苦しい顛末、平伏しておわびします。
  ひらにご容赦を。

  ワタクシは本日反省のため髪を切ってまいったことを報告します。
                         (2cmだけど)
  明日は反省を重ねるために地下に篭って
  終日希望のない仕事に励みますので、ごめんしてください。




           2001年7月17日夜  平伏しているましこ拝
  
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600台の大型バス襲来の一日
佐藤くんと電話で話す。
予想通りめちやくちゃ混んだらしい。
満員のところにさらに15人詰め込んだというから、構造の強度計算は大丈夫なのだろうかと少し不安になった。超満員の子供たちが少年少女ジュリアナ狂乱を続けているのかと思うと、やはり胸が熱くなる。
連日十数人の熱射病患者がジ・アースの客だけで続出だとか。
警備のむじなにでもなりてえくらいだ。

声の芯はしかしホットだった。
あれなら大丈夫。

おれのおちゃらかしも一服の清涼剤にはなってくれたようだし。
ま、言うことなし。
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泰山鳴動の穴掘り人夫
ご本人から100%冗談だというメール届く。
で、みなさまには平伏お詫びのメールを出した。泰山鳴動。ま、そんなとこだろう。
やることはやったし、出すものはすべて出したな、という感じは夜になっても続いている。
たぶんもう終わったのだろう。
しばらくは脱け殻だけど、しかたない。

きょう四谷に髪切りに行ったら横江とばったり。10年以上すれ違いばかりだったが、はじめてのこと。おかしかった。

夜になって嵐のような風が吹いている。

明日はまた六本木地下勤務。まるで穴掘り人夫のようではないか。
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もうやめようと思っていたのに…
結局、こんなことになった。なかなか憑き物は落ちそうもねえよ。

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Subject: [the-earth:00482] 喧嘩なら買います。


[佐藤君佐藤君
いやあ元気かね?
故郷で天職に出会うたあ〜よかったじゃないの。
たまには東京に遊びにおいで。
それじゃあお身体に気をつけて。
いつまでもお達者で]




  益子です。
  どんな思惑か知りませんが、
  佐藤くんはいま炎天下でご多忙のようなので
  喧嘩なら、おれが買うよ。

  須賀川に行く大義名分がなくなって
  東京のくそ暑さにむしゃむしゃしていたからちょうどいい。

  

  
  携帯携帯090-3099-8945
  オフィス5711-8925
  mashiko@m-circus.com
  身体 しばし、六本木地下スタジオ/相馬Pが詳しい
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バカ
この欄に書いたものをざっとチェック。いくつか外す。「むじなの森」「未来博」のリンクも外す。

メールBOXも全部整理しようと思ったら、こんなメールが飛び込んできた。おれが若大将と書いた佐藤くんのことが書いてある。佐藤くんは未来博会場近くの町の出身。それでこんなことを書いてきたのかどうか。
前線と東京の後方とはこれだけの温度差があるのだ。もういちど参戦しようかと鎌首がもたげかけたが、今日はとどめる。
差出人は書かぬが、おり見て潰す。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
Subject: [the-earth:00481] Re: 7/16

佐藤君佐藤君

いやあ元気かね?
故郷で天職に出会うたあ〜よかったじゃないの。
たまには東京に遊びにおいで。
それじゃあお身体に気をつけて。
いつまでもお達者で。
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憑き物、落ちる。
これでいいのかどうかわからぬが、憑き物が落ちた。4時間でふわりと目覚めたら、まずそう感じた。
シャワーを浴びてコーヒーをいれ、久しぶりにコンテンポラリーハワイアンをかける。曲はHawi'i'78introduction。小錦のような体形の男が歌っている。
窓を開け空を見る。ことしはじめて気づいた入道雲が。たぶん、このせいかなと思った。
焦燥感がきれいに消えていた。

きのうスタジオで13時間もの間、この半年と、とりわけここ三週間の記憶をたどりかえしてみた。
そのことも関係があるのだろう。

このところ寝てもさめても離れなかったいくつものイメージが想いがいっきに1000倍ズームで眺めているように遠い。

ウエブで月齢を調べると26日。三日月。
むじなの夢に取り憑かれたのが先月24日の月齢3日。三日月。
満ちていく月とともに夢は濃くなり、かけていくにつれて焦熱にかられたことになる。
むじなの森で、月夜好きのたぬきたちの退屈しのぎに躍らされた、なんだかそんなあっけない覚め方だ。

こんなんでいいのかとも思うが、
しかたあるめえ。

これにて一件落着。とする。柝!


今日は髪でも切ってこよう。
なんだかこひに破れた娘のようだが。
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六本木の地下生活二日目もアップ。
12時半過ぎにアップ。
改定ばかり4本だが、さすがにSH。
細かにつくり込んでいる部分が多く、たんたんと時間が過ぎた。画の直しが終わった時点でタイム見ながらナレーションを直そうと思ったが、結局2までだったので18日に同時進行とする。
改定たけにも関わらず山岡君が丁寧な仕事をしてくれているので、後ろでのんびり涼んでいた。
長岡君と春以来。西村君も顔を出してくれた。新作の編集と違い、ぎすぎすした感じがなくよく笑って過ごした。

帰り、池上付近でちよっとした事件あり。
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六本木で地下に潜る。
昼前から六本木の地下に潜る。外はピュアな紫外線が刺すように注いでいる。こんな日は地下が救い。
須賀川はひどいことになっているだろうな。

修正個所をぼんやりと意識しながら頭の中で整理を続けた。わかったことわからなくなったことがいくつか。ま、そういうものだろう。

数ヶ月ぶりで長岡と会う。
やっと少し回復したようだ。
こうして少しずつ戻っていけるのだろうか。

戻らなければ夏を越せない。
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「幕末純情伝」★★★★★
薬師寺の「幕末純情伝」VHS/レンタル版で見る。

ずいぶん久しぶりに見た。数日前にもう一度見たくなり渡辺君に探してもらった。だいぶ劣化していて見にくかったが、ラストの寺田屋エピソードの熱演には、変わらず泣かされた。渡辺謙、牧瀬里穂ともに役者人生の華であったことがよくわかる。
こういう脚本でこういう芝居をしたらあとは燃えかすだな、とあらためて。
牧瀬の舞台も良かったが、ここどまりになったこともやむを得まい。
冗長におちる中盤はさておき、つかこうへいの異才ぶりがすみずみまで発揮された戯曲を薬師寺はかなりハイレベルで映画言語に置き換えている。
しかし、こういう映画は評価されず、時代の底に沈んでいくのだね。
残念でもあり、この国らしいぞ、とも思う。

つかの解釈に真崎守が「男たちのバラード」で見せた解釈を組み合わせたら、どの作家よりも、どの歴史家よりも美しく気高い維新物語となるだろうな。

いつか見てみたいと思う。
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「インコは戻ってきたか」★
「インコは戻ってきたか」篠田節子/集英社刊を読む。

篠田はどうしちゃったのか。小池真理子のように「大人の恋」を描きたくなったのか。そして小池のように筆が萎えてしまうのか。ここ数年、小池の小説がつまらくなった最大の理由は「恋」に向かったこと。バカな批評家がバカな持ち上げ方をするものだからつまらない守りに入ることになる。まして政治をからめた愚。
二十年前ならいざしらず、いまの世界で政治体制などがどんな表現のターゲットに成りえるというのか。
せっかくの豊かなイマジネーションを物語ることに集中しきれなくなると、くそのようになる、という好例。

楽しみが一つ減った。
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「この森で、天使はバスを降りた」★★★★
スロートフの「この森で、天使はバスを降りた」DVD版を観る。

気持ちのいい美しいストーリーだった。サンダンスの観客賞、納得である。
エピローグのアメリカ的なハッピーエンドも、伏線のうまさと映像の深みで陰影に富んでみごと。
イーライという息子が帰ってきた経緯がもう少しこまやかでも良かったかなという点、パーシーのトラウマの根拠の安易さにやや辟易させられるという二点がなければ、満点。
2時間という興業的制約の難点がここにも如実である。映画はあるいはもうほんとうに終わりなのかもしれないな、そんな思いが深まる。
たぶん劇場で同一時間に一定量の観客を集めて一斉に金をとる、というシステムが急速に社会から遊離しだしている、そんな気がする。
あるいは二つの形態に分化していく時期が来ているのかもしれない。
ブロードバンドが興業のスタイルを分けていく、そういう道筋がはっきりしつつあるように感じる。

それにしても原題の「スピットファイヤーガール」をどうしたらこんな2時間ドラマのような客を舐めたタイトルに代えられるのか、聞かせてもらいたい。
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「私が愛したギャングスター」★★★
S.オサリバンの「私が愛したギャングスター」DVD版で観る。アイルランドの実在の強盗マーティン・カーヒルを素材に、オサリバン自身はポップでユーモラスに仕上げたかったらしいが、ダークで美しい色調以外はどうかな。ブラーのデーモン・アルバーマンの音楽はなかなかだったが。とくにマンボがよかった。
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「ダイナソー」★★★★
「ダイナソー」をDVD版で観た。
ピクサーはさすがに凄い。実写とCGの溶け込みも素晴らしく、息のむ出来である。
とくに夜のシーン、命の大地のイメージ、秀逸だった。
隕石群の落下をきっけとする大移動という設定にリアリティがあるかどうかはともかくとして、ディズニーらしからぬディズニー作品。映画館のスクリーンで観たかった。
特典映像のスタッフインタビューの背景が去年のcg2000のときのインタビューバックとそっくりなのがおかしかった。

日本語吹き替えを選択したが、江角マキコ、あんまりへたくそなのでびっくりした。新社も手抜きをするのだな。
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「落合さん」のこと
佐藤くんの現地レポートによれば、
雷雨を告げる未来博会場内の暗号?は
「落合さん」というらしい。
昨日、今日と、計三度、その「落合さん」が現れたとのこと。

「落合さん」はおちあいと読むのだろうな。雷にしてはなかなか間の抜けた感じがほほえましい。
生来の雷嫌いとしては、この落合さんがご来場される限り、むじなの森には行けそうもない。

本日のジ・アース館は入館者6800名余りと。
うれしいかぎり。

しかし「落合さん」とは、な。
なんというか腹巻きをした素っ裸の福助のようなイメージを浮かべてみたが、どうだろう。

やっぱり変?
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兆しは、いずこ。
気がついたら午後3時。
ベッドから徘徊老人のように降りてバスルームへと這っていくような気分でたどりつく。
吐き気をこらえながら歯をみがき、水量を最大にして東京のどぶのような水道水シャワーの下に10分。
目はさめず。
バスローブのまま、コーヒーをわかし、パンをかじる。口中に砂のような感覚が広がる。
朝刊にさしはさまれたチラシの中にJTBの未来博バスツアーの案内が。このまま浜松町に向かって飛び乗ろうとふと思った。
ごみカゴにねじ入れた。

抑制。カットアウト。暗転。

メールをチェック。
佐藤くんから現地レポート。昨日は二度、落雷騒ぎがあったが、ぶじに避難誘導できたこと、そのときジ・アース館には500人の観客と1000人の入場者の列があったらしい。
むじな森の雷雨。
テントのジ・アース館にいると雨の音は増幅され、豪雨のような気分に見舞われることを思いだす。
過ぎた日のいくつかの鮮明なショットがよみがえる。

抑制。抑制。抑制。

ラックから吉田拓郎を探す。
埃をかぶったそのコンプリート集から初期の「元気です」を選び、リピート。
夏休み、旅の宿、たどりついたらいつも雨降り、祭りのあと…
と、気の抜けたエビアンのような曲のつながりをボリュームを最大にして聴いた。

ハワイ・コナが切れたのでオアフの宇井さんにメールで注文。コナに媚薬でもまざっていたのか、マウナケア以来、飲みつづけたハワイ・コナすでに2キロを越えて、おかしな夢ばかり見て日々が過ぎていく。

八王子39.1℃、熊谷39.6℃と新聞に。
さて今日の東京はどんな暑さだったのか。
外界をすべてシャットアウトして、
どこか塹壕のような場所にこもりたいと痛切に願う。

特別な場所があって、自分はそこにいない。ロックアウトされた校舎の外に買いだしに出て、戻ろうとしたら周囲をびっしりと機動隊に囲まれていて、サーチライトで照らし出された校舎を見上げて歯がみしている。たとえてみればそんなところか。

まいったな。
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キッズ・ジュリアナ
Subject: [the-earth:00474] キッズ・ジュリアナ



500人の子供が10分間、なつかしのジュリアナ状態。
  池田さんから聞かされたテストランの時の200人の子供のおおさわぎ、
  佐藤くんのレポートで知らされた満員の盛況ぶり、
  想像はしていたけど、この目で見てぶっ飛びました。

  なにしろ冒頭のスーパーが出ただけで
  「ワー」と「キャー」で興奮状態に突入してからは
  モードチェンジ一切なし。
  西田さんのナレーションはほとんど無意味。
  湯浅さんの音楽も、どこまでが音楽なのか絶叫なのかわからない。
  雪が降れば1000本の手が宙で踊る。(これはけっこう怖い)
  とにかくよく疲れないなというくらいに全開の10分間。
  ほとんどお化け屋敷状態でした。
  アテンダントの方の話では毎回こんな感じだとか。
  あの炎天下、一時間も二時間も待っていて、
  どこにこんなエネルギーを残していられるのか、
  子供というのはつくづく不思議ないきものだね。



  すっかり疲れてたどり着いたのが
  大地のレストラン。エジプト屋台の踊る店員と目が合ったので
  しかたなくシシカバブーとマカロニグラタンのようなものを注文。
  のようなものは、いったい何なのかわからぬままに食べ終わり
  シシカバブーは一切れだけ口に入れ、分別ごみ箱に捨てた。
  と、うしろからエジプト人?に「まずいですか」と声をかけられる。
  「うん。すっごく」と答えたら天を仰いで「ごめんなさあい」
  と言いながら去っていった。何だったのかなあの人は。



  村上さんの話では
  今日の子供たちは160台の大型バスでやってきたけど
  明日は300台の大型バス、火曜日は600台の大型バスで
  子供たちがやってくる、ということ。



  一別以来、わずか五日間でエジプト屋台の客引きよりも
  真っ黒にひやけした佐藤くんが、その事態をどうとらえているのか
  聞くのが不安になったので逃げ帰ったしだいです。



  けっきょく桧枝岐歌舞伎も他のどの館も見ることなく、
  ジ・アース館の子供たちの熱狂ぶりと
  奇妙なエジプト人のことだけが記憶に残りました。


  詳しいレポートは、また佐藤くんからとどくでしょうが、
  正式オープンいらいはじめて訪ねたジ・アースは
  想像をこえてすごいことになっています。
  

  安心、しました。
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消炎。
埼玉のどこかで39℃を越えたとニュース。
午後11時、須賀川往復から戻る。
子供500人がジュリアナ状態になっている10分間というのは、しかしみものではあった。

明日はひさしぶりに樋澤さんと会う。
夜には福田さんと。

こうしてすこしずつ日常に戻っていくはず。

二週間と余韻。
妥当なところか。な。
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これも愛だ
Subject: 愛をこめて

佐野を過ぎて雷雨に遭遇。
この恵みの雨がむじなの森に届き
みなさんの休息となることを祈る。

すごい土砂降りである。
横殴りの雨をひさしぶりに経験している。

いま坂東太郎利根川を通過。
むじな二匹は後ろ髪を引かれながら
心の半分を森に残し哀しい都に戻る。
まちうける砂の時間に戻る。

山を下りたところで、
真っ赤な夕日を見た。
知らせようとも思ったが
こういうものはともにあるときにこそ意味を持つ。
だから、見切った。

佐藤君。
五日会わぬ間にずいぶんとやつれたな。
男のやつれは、ときに勲章でもある。
「何も言わずに笑ってみせる」という古歌でも
口ずさみ、笑顔でもう一頑張り、たのむ。

今はすでに名を賭けた戦いの段階に入っている。
いいか、勝利はとげた。後は名を残すのみだ。

ともに語りぐさとなる仕上げにしたい。
力を尽くせ。

愛してるよ。   
7月12日夜9時   東北道を迷走中のむじな
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さめていくのか。
午後4時。
大場さん、小島さん、市川さんの三人が来てくれた。
大場さんとは昨年末以来、小島さんとは5年ぶり、市川さんとは宮古市のハイビジョン企画以来。
さっそく裏口からと思ったら、観客の立場で見たいというので一緒に並んだが、いやあちいこちあちいこと。逃げようかと思った。毎日毎日何千人もの人たちがこんなしんどい気分をがまんして並んでいるのかと思うと、嬉しいというか、あきれるというか。

スィートシートと決めているあたりに座ってもらい、久しぶりにまともに自分の作品を見た。観客の反応を知るためでなく、内容をこれだけじっくりと見たのは五日の最終テスト上映を後藤さんとチェックした夜以来だ。

さすがに集中の度合いが減っているのに気づいた。あの二週間はどうしてあれほど夢中になれたのか。手直しの余地があったということの違いだけなのか。

どこかで少しだけ客観的になれている自分に気づかされる。

大場さん達は最終回を見る前に、日立、NECなど競合の様子をのぞきに。

くそのような暑さと湿気とがつくりだすジャングルのようなむじなの森で、満員御礼続きの客達のあげる声がもれるのを遠く聞きながら、体温がどんどん下がっていくように感じてならない。

こうして夢から覚めていくのだろうか。

二十二日に白河越えしてからつづいていた
むじなの熱は、これで平癒していってしまうのだろうか。

最終回を見、ナイトファンタジアのようすを少し見たら、東京に帰ろう。
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灼熱
午後2時。むじなの森にて。

10時過ぎに到着。正面ゲートからパスポートを使いはじめて正式に入る。
ものすごい数の子供たちである。
ものすごい強さの太陽である。
安達太良方面にはほんものの空はあるが
雲がない。だから、むちゃくちやぶっ倒れそうに暑い。熱い。あちい。

ゲートをくぐってジ・アース館にたどりつくまでに2本のコーラを費消。
集いの湖越しに見えたジ・アースの周囲は人の列で埋まっている。そちらから歩いてくる子供たちは口々に興奮して映像のなかみを話し合っている。
館の前で、真っ黒に灼けた佐藤君と会う。
たった五日で別人のように灼けていた。

朝から毎回超満員だという。
中に入る。
500人の子供たちの熱気というのはすごい。
上映がはじまり、パラダイスの海に。
ここからの子供たちの反応はものすごかった。叫びっぱなしである。10分間絶叫し続ける500人の子供がほとばしらせるエネルギーはものすごいもので、そばにいるだけでぐったりした。
ナレーションはまずほとんど聞こえず。
雪が降るシーンでは、千本の手が宙をさまよう。海藻が揺れているようで不思議な光景だった。

外に出ると館の周囲はあいかわらずの人の波。ついさっきまでこの状態が続き、やっと人数が減った。

なじんだ2階事務所で涼みながらこれを書いている。渡辺君はふもとの町に二回目の差し入れを買い出しに。

水分の補給がきれるとバタバタ倒れそうな気配である。いや、レポートでわかっていたつもりだったが、聞きしに勝るとはこのこと。恐れ入った。

大場さんと小島さんが二時半ごろに来るというので、待っている。
昼は大地のレストランですました。
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むじなの森へ再び
6時。
5時に火照りで目が覚めた。
7時には東京を発つ予定。

この目で、むじなの森をまた見たい。

おれはあの森に、ほれたのかも知らぬ。

森が相手では、因果ではあるな。
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三菱電機チームへ11日夕
ましこです。


  行くとあれこれありそうなので
  帰京はご一緒できそうにないのですが
  早立ちして須賀川に入るようにします。


  ネタ晴らし。

  1990年の企業PR「Live1990」でアメリカ人のスティーブ
  という水質汚染を研究している青年の語りに
  「水の惑星」が登場し、
  翌年の「この星で」はその「水の惑星」を意識して名付けています。

  その昔、ライアル・ワトスンの「生命潮流」を読んで以来
  けっこう長いつきあいのテーマだった。

  余韻の多い、含みの多いつくりをしていますが
  ばっと見は愉しく過ごせるはずです。
  ボディーブローのような効果を狙い、
  それはほぼ実現できたと考えています。

  ジ・アースと名付けられたパピリオンは館の前に置かれた
  「森のひと」というオブジェからスタートします。
  このオブジェは安藤とう彫刻家の作品で
  会場建設のときに伐採された森の木を材料に
  巨大な人のカタチが水の中に横たわり、
  その骨格に、
  県内の参加者達が小枝に願いや希望を書き込んだものを加え、
  肉付けしました。
  最終日には燃やし、灰にして山に戻します。

  この「森のひと」をまず見てからご入場ください。
  初回はできたら人の列にまじって並んで観ていただけると
  嬉しいです。ウエィティングゾーンと名付けたこの空間では
  スバル望遠鏡がとらえた最新の天文ショーを待機画面とし、
  さらにマウナケア山頂でインタビューしたトビー・オーエン博士
  の地球の水=彗星起源説が簡潔に語られます。
  ここまででほぼ10分程度。
  かんたんな入場案内があり、メインステージに入ります。
  さて、ここからを書きたいのだけど、
  観ての体験してのオタノシミ、にしておきます。
  
  並ばされていい席をとれないかも知れませんが
  ウェイティングからメインへという構成が
  ぼくの仕掛けとしては大きな意味を持っているので
  暑さにめげずにぜひ体験していただきたいと思います。

  そあとはお好きな席で見られるように手配しますので。


  お会いできるのを
  とても楽しみにしています。
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パスポート準備OK
そんなわけで、明日は遊山ではなく激励の須賀川行となった。
パスポートに顔写真も貼り、ぷーさんのスタンプもビザがわりに押しておいた。
ひとつ、恵みの雨でも運んでやるか。
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むじなの森へ
To: TATSUYA SATO
From: 益子透
Subject: 檄
Cc: 渡辺 登紀夫


我が友、佐藤君へ




   想像するに、たしかに戦場。
   物見遊山のつもりだったが
   明日は気を引き締めて陣中見舞いとします。

   浮世のしがらみで夜のうちに帰京するけど
   少しでも、涼風を運ぶ。

   湯治部のおれが動くと、気象も動くと
   あちこちで称賛されたこともあり。



   東京にいても、他の仕事先にいても
   目が覚めているかぎりジ・アース館のことが浮かぶ。

  
   いま全権は君の双肩にある。
   ひるむな。
   これは愛と勇気の物語をそれぞれの心のうちに刻むための
   気高い、そして千載一遇の戦いである。



   七月末の引き揚げのその時まで
   声嗄らし、汗の塩を舐めながら奮闘して欲しい。



   明日、昼前には森に到着予定。





            
         東京の潜伏むじな二匹
   
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むじなの森から
Subject: 益子監督、渡辺さんへ
From: TATSUYA SATO

お疲れ様です、電通テック佐藤です。

本日のジ・アース来館者は5350名。
1回の平均が350名でした。

会場全体の人出は12時の段階で11500名。
最終的な数字は明日朝9時以降に発表されます。

今日も第1回目の上映から満席御礼、
朝一番、メインゲートの方から集いのみずうみを左右に分かれて、
ジ・アース目がけて走ってくる小学生200人くらいの姿を見たときは、
うれしさと同時に、2分後に待っている大変な混乱を想像し、
ちょっとゾッとしました。

しかしこの暑い中、午後の2時を過ぎるまで、
まったく人の列は切れることなく、
アテンダント・サービススタッフ達は大変です。
たとえ1000人の待ち列でもめげず並んで頂けるのは
ほんとにありがたい事なのですが、
日射病や貧血などで具合が悪くなる人たちもたくさんいて、
現場はほんとに戦場のようです。

明日は降水確率40%。台風も沖縄にひかえて、
高気圧もどこかにいってしまったようなので、
きっと雨がふるでしょう。それは我が館がOPENしてから
初めての事です。

また明日も頑張ります。
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なつかしい三菱電機チームから
皆様、ご無沙汰しております、小嶋です。

12日は、14:30頃会場入りできる見込みです。>大場様

益子さん、渡辺さんにお会いできるのは
本当に久しぶりなので、楽しみにしています。

ではでは。

oba.isamu wrote:

> 12日のうつくしま博は別ルート(郡電経由)の小嶋くんと
> 水郡線経由の私の2名になりそうですが、なんと、
> 益子監督と渡辺さんが愛車を駆って現場に掛けつけてくれる
> ことになりました。
> 現場で監督に会えるのはこれば最後のチャンスかも。
> 今からでもぜひ参加を。ちなみに小嶋くんは1004東京発(郡山)、
> 私は800上野発(水戸)。お待ちしております。
>
> 小嶋さん、
> 久しぶりですね、いろいろと。帰りは益子車には同乗できないようです。
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グリーン・デスティニーの愛の描き方は不毛だが、深い。
炊飯器のスイッチをいれ、最後のハワイ・コナをポットにたっぷりと淹れた。ヘッドフォンを差し込み、PS2にセット。見始めたあとはただ引き込まれた。なぜ、無意識のうちに観ないようにしていたのか、わかったようにも思った。観終わって、まずしたことは飯を盛り紀州産の梅干しを二ヶその上に載せてエビアンをボトル半分ぶっかけて冷まし、冷や飯にしてかきこんだ。
そうした上で、以下は、感想。


唖然とした。
「信は真」を残して飛び降りたイェンは、伝説の若者のように
生還し新しい愛の伝説を生むのか否か。アン・リーはその答えを拒み、
クレジットロールの闇に余韻を託した。
この映画をワイヤーワークに絞って取り上げたすべての批評はとんだ間抜けである。

マトリックスもグラディエーターも、これに比べたら単なる紙芝居。
アジアおそるべしである。タン・ドゥンが作曲を引き受け、
ヨーヨー・マが演奏を引き受けた理由がわかったような気がする。
アカデミーで最後まで争いながらグラディエーターに負けたこともよくわかる気がする。
こういう余地は、欧米のハイソでは絶対に理解不可能なのだ。
神が一人では、あの結末を受け止めることはかなわない。
愛を描きたかった、というアン・リーのインタビューをどこかで見た記憶がある。
アン・リーはたしかに愛を描いた。
しかしこの愛のありようは、いまはまだ届かないのではないか。
ロゴスの欧米にも、子供の国、ニッポンにも…

イェンは、ほんとうはなぜ飛び込んだのか。アン・リーが描きたかった当初のもくろみは、ムーパイとの関係だったのではないか、そんなふうにも読んでみると、映画が与えられた2時間という制約が多くの可能性を殺していることに思い至る。

ブロードバンド時代というのは、こうした興業上の約束事がいつのまにか成文化してしまったような喜劇をすべてぶち壊すことになるのではないだろうか。

そんなことも夢想させられた。
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「グリーン・デスティニー」を観るその前に。
窓を開け、秋のような風をふところに入れながら、ふと気になって「グリーン・デスティニー」の発売日をウエブでチェック。
出ていた。
6月22日、おれがむじなの森に向かったその日の発売だった。
慌ててサンダルを突っかけ、ヴァージンに走る。閉店のアナウンスを背にレジに放り出せた。
知らなかったはずだ。あれから二週間余り、まったくの異境で暮らしていたようなものだから。

「グリーン・デスティニー」は二つの意味でぜひ観ておきたかった。第一にぼくたちが水の惑星ジ・アースの音楽監督としていちばん最初に提案したのがタン・ドゥンだったこと。
第二に、ここ数年、金庸の武侠小説の凛とした明るさ、元気と勇気の源のような世界に強く魅かれていたこと。
封切りの時にサントラを手に入れはしたが、なぜか本編を観る気分になれないまま時間が過ぎていった。今年になってアカデミーをとって凱旋公開をしたときも、ぐずぐずして行きそこなっていた。

しかし観たいという欲望は消えなかった。
夏ごろにDVDで発売と知って心待ちにしていながら、むじな森事件で今様うらしまになった。

それがいま手元にある。
封を切りった。セットする前にメモを書いている。

さて何がおれを金縛りにしていたのか、
謎のいくらかは溶けるのだろうか?
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東京涼風。
午後まで熟睡。
うなされもせず汗もかかずに、ずいぶん久しぶりにきれいな眠りを愉しんだ。
オフィスの支払いなどで銀行に行った以外は、近くのコーヒー店で出勤前のホステス達のおしゃべりを子守歌に冷たいコーヒーを飲みながら過ごした。
渡辺君はむじな森から引き上げてきたプリンターを電通テックの遠藤さんの元に運び、今夜は久しぶりに横須賀に帰ると言っていた。
東京は乾いた風が吹いている。
秋のような涼しい風が吹いている。
紀伊国屋に寄って、見逃していた新刊を三冊買った。
GALAの樋沢さんから来年にかけての企画の打ち合わせをそろそろとメール。いくつかメールでやりとりしたあと、13日の午前中に会うことに決めた。

明日は早起きしてイチローのオールスターを見たいなと思う。すこしほぐれはじめてきた。

たかがコトバで人は生き、人は潰える。
おれは生きた。ようだ。
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[the-earth:00468] 威風堂々。
Subject: [the-earth:00468] 威風堂々。


 益子です。



    
      宇崎竜童の「夜霧のブルース」を36回リピートしたところで
      この三日間、待ち続けたある人からのメッセージが届きました。


      
      新聞の褒め言葉でも観客の拍手でもモノ足りず
      なぜ自分がこれほど熱くなっていけたのかを
      しっかりと刻んでおきたかったのですが、
      今夜未明に、明快になりました。
      そのことを長い時間、さまさまなカタチで
      過ごしてきた方たちにひとことお伝えしたく…



      誤解と失笑を恐れずに書いておきます。

            それは「志」。



      言葉にすることができなかったこのことを
      待っていた人からの真っすぐな言葉で明快にすることができました。



      86日で消えるとしたら、消えてしまうことに
      ぼくたちはなぜこんなに夢中になっているのかと
      自問してきました。あるときから「志」という
      手あかのついた言葉が浮かんでいました。
      さすがに堂々とは口に出せず、逡巡していました。



      その混迷が、さっききれいに吹き払われた気がしています。
      9月30日にはきれいさっぱり消滅する、あのむじなの森の夢。
      夢を幻にして消え去らせるのではなく、
      《特別な場所》として残すための方法、
      その方法をぼくは見つけることができました。
      それは想い描く力、想像力です。
      志というのは想像力をより強固にするための種なのだと思う。
      そうすればいのだ、ということを待ちわびたメールで教えられ、
      もやもやが晴れました。
      これで森の博覧会の観客の一人に戻れそうです。


   
      誰にというのではなく、話しておきたくて書きました。




       「だから空は真っ青で  だから海は真っ青だ」


      と書いたのは三好達治だったか。
      今朝、やっとそんな気持ちになったので…





                 2001.7.10  むじな
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ぐあんばれ、若大将。
Subject: [the-earth:00467] ロドス島と後方支援


>ジ・アース館の快進撃はまだまだ続きそうです。



   ここがロドスだ。ここで跳べ。


   というコトバが金くぎのような手書き文字で
   殴り書きされた学校の壁を見た記憶があります。
   ひとりひとりにロードス島があるといいます。
   むじなの森が佐藤君のロードス島になるといいね。
   
   ぐあんばれ、若大将。
   二階の窓辺の少年白虎隊は君の配下である。
   チヂミとグアバで、突破あるのみ。
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熱いコーヒー。これでいい
東北道を佐野で降りた。小山のロケに行くためだが、この道を通ると、やはりその先まで心が飛ぶ。

そんな気分を引きながら、小山に到着。
湯治部の面々と顔を合わせたら一気にここ数日の不安定な気分が溶けた。

小山はドピーカン。
いやあきれるほどに暑い。
制作は夏苅さんだから、ついた途端に熱いコーヒーが出た。泣けるではないか。30℃を越える太陽の光の下で飲む舌の焼けそうないれたてのコーヒー。
汗だくになりながら夏苅さんの変わらぬ「愛」を飲み干した。

撮影は順調にたんたんとすすむ。
夕方には撮り終わり、帰京できるだろう。
佐野で迷わず、東京に向かえれば…
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日々に戻る?
いま、帰宅。
四ヶ月ぶりで湯治部の面々と会った。
長岡君はドラマの追い込み、鈴木さんはマレーシアロケで不在。かわりに西村君と中谷さんが来てくれた。中谷さんとは数年ぶりになる。

日没前に撮了。
近くのラーメン屋に行き、冷やし中華を食べながら、簡単に成果と収穫を報告。
名残を惜しみながら小山で別れる。

佐野のランプ前で熟睡に入り、目が覚めたら蒲田の自宅前。2時間あまり完璧に眠っていたようだ。

伊原さんから三菱電機を退社したとメール。大場さんから12日に須賀川に見に行きたいとメール。スタート当初の制作相澤さんから、祝福のメールが届いていた。

現地の佐藤君の話では開場三日で15000人あまりがジ・アースを観てくれたということ。

今日は撮影のあいまに現地に三回電話し、四回協会のホームページをチェック。

目の前の現実が少しだけむじなの森の血を薄めてくれた。


それでいい。
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十六夜すぎて、ぬばたまの夜。
ぬばたまの夜。メールを一通、闇に飛ばした。
いさぎよく我が心境を述べたつもりではある。


ダルタニャンとシラノの物語はまだ佳境にさしかからない。半年放っておいた「二人のガスコン」を昨夜からまた読み出した。


明日は小山ロケ。
久しぶりに我が陣営に戻れる。
そのことが今夜は救いである。


今日の入館者は6000名を越えたという。
飛んでいってこの目で見たい気分をねじ伏せて、また明日。
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「The Earth」から「むじなの森から」に変更。
我がジャンヌ �|� Somewhere �|� 空が燃えた

の3の新ネタを追加。ついでにタイトルを「The Earth」から「むじなの森から」に変更。
左のメニューの下から2番目をクリックするのが近道。
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がく然。
渡辺が撮ってきた昨夜の「ナイトファンタジア」のランスルーを30分フルタイム見た。久石譲は、本気でこんなものをつくっているのだろうか。あの深い森で開かれる博覧会で、ほんとうにこれをやるつもりなのだろうか。
メインスクリーンの映像は60年代のATGフィルムを見せられているようだし、その中味と音楽はひどくかけ離れているように感じる。同じ人間が構想しているとしたら、ここには不幸な分裂しか見当たらない。
夜の8時を過ぎて、盛り上がった気分でさあ帰ろうかと思いつつ足を止めた観客は、あの30分をどうやり過ごせばいいのか。

一昨日までのウォータースクリーンの光と水の遊びはとてもきれいだった。森に沈む湖の夢を見せられているようで、期待が高まった。

しかし、なんだあれは。
多摩川園のアトラクションかと思った。
もうつぶれたけどね。

編隊飛行でいけるな、と愉しみにしていたが、どうやらジ・アースは孤独な戦いを強いられることになりそうだ。

思い過ごしであることを、祈るのみ。
20日のオープンまでに隠し球があることを願うのみ。
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いさぎよく
「潔くわが心境を述べるならあかねさす夜ぬばたまの昼」


「此処にこうしているほかはなき悔しくもものみな風に吹かれいる午后」



   以上二首福島泰樹歌集「風に献ず」より
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十六夜のむじなの夢。
昨夜の福島は秋のように涼しかった。

昼過ぎの新幹線で帰京。
車窓から田園風景をぼんやりとながめながら、この二週間をふりかえって、「感傷」にふけっていたら、三人連れのダークスーツが代わる代わる携帯で話しだした。しかも品質の悪いドコモでも使っているのか、(おれもドコモだからその品質の劣悪ぶりにはいつも泣かされている)声がやけにでかい。
しばらくはがまんしていた。

車掌が検札に来たので、下の通路に降りて電話をするように注意をうながすように頼んだ。
五分ほどは静かだった。

また始まった。
くわえ煙草のまま立った。
「はこ移ってくれませんかね」と丁寧に話した。
おかしなことに一人がいきなり立ち上がり
三回ほど頭を下げた。続いてバッグを抱えた三人が頭を下げながらドアから消えていった。一言も発しないで去っていった。
携帯だけ声の出る新手のオシかなとあきれながら自分の席に戻り、たった一人になった車内で、彼らはどこに行ったのだろうと考えた。
ふと気づいたのだ。サングラスを外していなかったことと、珍しく白い上着を羽織っていたこと、アロハのボタンを三つも外していたことに。
S建設のお三方には、まことに申し訳ないことをしました。いつもご指名いただいているのにね。
万が一、S建設の仕事があるときは髪を上げること、読書メガネを着用することの二点が不可欠であることを肝に銘じた。
しかしグリーンに乗っている好い歳をしたビジネスマンは、なんであんなに携帯が好きなのだろうか。いまどきヤクザでもロビーに出るか電源オフにしているのもいるのにな。

ま、勝手に思い違いされたとはいいながら、悪かったな、と反省している。
回想に戻った。しばらくして夕日から虹にかけてのシークエンスにたどり着いたので、心が晴れた。

むじなの森の風を運んだせいか、
東京もずいぶん涼しかった。

部屋でぼんやりと半日を過ごしているうちに、この時間になった。


カラダの深いところに「虹」が出たことを告げようとする高い声が、まだ残っている。
あの山の上に、ジ・アースを見下ろすようにかかった虹。緑の山。青い空。回り続ける観覧車。ジ・アースの白。耳の奥にこだまする高い声。その昔、夜の校舎の暗がりの中から「とっぱされたぞお」と叫んでバリケードの外でサーチライトで照らされながらぼこぼこ殴られていた女子大生を思いださせるような、やけに切迫した声だった。

あの虹は現実だったのだろうか。
おれの名を呼ぶ高い声は幻聴だったのではないか。

夕日は、たしかにおれが告げた。
出てきて見ろと大声を出した。
そして、小高い丘に立って夕日と染まった雲を見た。
ジ・アースに投じられたシルエットが弾むのを、たしかに見た。

では、虹は、どうだ。

事務所の二階の奥でかなりのボリュームで
FILIPPA GIORDANOの「清らかな乙女」が鳴っていた。そのソプラノを突き破るような、悲鳴のような呼び声だった。何かあったのかと一瞬身構えた。次にはっきりと聞えたのだ。おれの名と、虹だよぉという叫びが、もう一度。

トラブル続出のあげくの成功だった。
昼前には音のテストをするかどうかでTとIが一触即発になった。ぎりぎりのタイミングまで、あわやと思うことが無数に起きては、いたのだ。
そのあとの圧倒的な大勝利だった。

そういう時間の先に、雨が降り、夕日が染めた。
だからあるいは、ほっとしたあまりの、
一足先に森から逃亡した、おれの弱さがつくり出した幻想なのかもしれない。
こうあれば完璧なラストシーンだと、夢想したあげくの、むじなの夢?

確かめようにも、おれひとりが東京である。こんな時間に電話して、昼の疲れで眠りに落ちたばかりの日焼けしたむじなたちを起こすわけにもいかぬ。

夏の夜は、しかし想いが乱れる。
十六夜の夜は、なぜか切ない。


くそして寝るか。
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七日晴れ、帰京。
三時間も眠ったか。渡辺からの電話で起きる。まだ泥の中のよう。
ひとねむりして、そのときしだいで決めようと思って寝たが、ぐったりした気分で何を考える気にもなれない。

こんな日にたくさんの人と顔を合わせるのは無理だ。
やはり、帰京しよう。

よしっ。帰る。この部屋が俺のロードスだ。
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夢の味は、格別。
Subject: [the-earth:00462] 夢の味は、格別。


    三日の予定で東京を出たのが二十二日の夕。
    二十四日の夜、米屋に向かう山道で鎌のように細い月を観ました。

    おとぎ話の宿で、ぼくに割り当てられた部屋は「浦島たろう」の間。
    いま2001年の七月七日未明。ぼくは郡山にいます。
    満ち足りた気持ちとぽっかり開いた胸の穴をこの身に抱えて。

    

    なぜ、むじなの森のあの砦にこんなにも魅かれたのか
    満月の夜になっても、かいもく見当がつきません。
    浦島たろうの部屋に泊まったことが原因だとすれば
    あの森は竜宮城ということになる。
    事務所の階段の手すりにもたれて空をみながらそんなふうに思いました。
    (笑いながら読んでください)
    あちこちで褒められて有頂天になりすぎていたのか
    隠し砦のようなジ・アース本部が醸し出す熱気と混乱が迷わせたのか
    気がついてみれば二週間近い時間が飛び去っていました。
    ぼくは現地にいて何もすることがないにも関わらず
    熱病のようにj毎日、あの森を目指しました。
    映像の仕事だけではけっして出会えなかった方たちと次々と出会い
    彼らを知っていくうちに深い安堵と共感にとらわれてしまったようです。
    西田さんにからかわれたように、アドレナリンの奔流を
    まったくコントロールできなくなっていたようです。
    こんなことは十七歳の頃に西田さんの母校の時計台ですごして以来です。

    イベントと総称しちゃいますが、ぼくにとってはじめての仕事のせいもあり、
    混乱しながらも、最後の一ヶ月はその魅力にどっぷりと浸かった気がしてい ます。
    でもぼくは「水の惑星 ジ・アース」だけでこういうタイプの仕事は
    終わろうと思います。終わるべきだと言い聞かせています。
    (仕事を依頼されるかどうかという現実的な問題はさておいて)
    長いこと自分にはもう関係がないと無視してきた種類の身の処しかたを
    抑えられそうもないから。
    きっと誰の胸にも、男であると女であるとを問わず
    奔放で無頼な、すかっと青い安達太良の空のような思いがあるはず。
    ぼくは仕事に関しては、そういう余地は無いものと考えて過ごしてきました。
    (他者からどう見られるかはまた別の問題)

    むじなの森の短くて永遠にも思えた二週間は、
    保ってきたはずのバランスを見事に崩してくれました。
    正直に言うと、自分をごまかすのが難しくなりそうなのよ。

    そのくらい刺激的な日々でした。



    虹の大地などと恥ずかしげもなく名付けられた場所で
    ほんとうに虹を見てしまったこと。
    夕日までは納得がいっていたけど、
    あの虹はどうにも処理できません。まいったよほんとうに。
    あんなシノプシス書いて持っていったら
    鼻で笑われて5分でシュレッダー行きでしょう。


    でも、虹はかかった。

    かかってしまった。よね。


    
    我にかえりたいと、痛切に思います。
    かえらなくてはと、思います。


    だから、ぼくは東京に戻るよ。
    

    最後に提案。
    あそこは元来の地名が「むじなの森」ではあるけど
    その呼び方やめましょう。
    ちょっと照れるが「虹の森」ではどうだろう。
    ストレートすぎて芸がないけど、とりあえずいかがでしょう。


    夢の味は、格別でした。


    ひとまず、さらば。
    虹の森の住民たちよ。


           七月七日七夕 am2:10  ましこ拝
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たぶん最後のむじなの森だより
Subject: [the-earth:00461] 虹の彼方に

ましこ@むじなの森です。



  ただいま午後五時。
  本日の予定した9回の上映がすべて終了しました。
  心配した雨ですが、むじなの神通力が効いたのか
  最終回終了とともに雨となりました。
  いまスタッフが降雪状態をチェック中。
  内は雪。外は雨。
  まことに不思議な塩梅です。

  初回は100人あまりでしたが
  二回目以後最終回まで連続して満員盛況でした。
  ジ・アース館の土壁のまわりをぐるりと来館者が取り囲み
  ときどき「森のひと」が発する水しぶきを浴びては笑っていました。
  30分も待ってわずか10分しか上映時間がないにも関わらず
  みなさん満足した顔で引き上げていきます。
  初日だけで四千の笑顔に出会ったことになります。

  未来博の急先鋒としての役割をぶじに果たすことができました。
  これからは、二十日にスタートする「ナイトファンタジア」とともに
  会期中の母艦としての役割を果たしていくことになります。
  
  東京の、あるいは各地に散っているすべての関係者のみなさん
  どうぞ祝杯を、おあげください。

  むじな山のむじなの森は雨ですが、
  これは喜びの雨。だよね。

  
  と、ここまで書いたところでさっきまでステージで反省会をしていた
  運営スタッフの鬼教師のお三方が帰京の挨拶に顔を出されました。
  こうして山からは一人二人と去っていきます。
  見送るのと見送られるのとどちらがいいのかな。

  一人ひとりを最後までこの目で見送ってやりたい気もするけど
  ま、それはいい。
  いつかどこかで、またお会いする日もあるでしょう。




  この二週間、もくろんだのは、
  むじな山のむじな森を舞台にした新世紀・梁山泊物語。

  二十世紀のアクを捨て去り、百年千年を見据えた
  新しい「森に沈む都市」をつくっていこうという旗印をかかげた
  福島県のその果てしない心意気にこたえ、
  ぼくたちにできるおぜん立てはここまで。

  たぶんそれぞれができる最大の力を発揮できたたかなと自負しています。


  
  ぼく自身がひそかに夢見た物語は今夜で幕を降ろします。
  明日七日の一般公開を見たら、一足先に山を下ります。
  むじな山のむじな森のお話は、だから今夜で終わります。
  明日からは、森の博覧会が始まるから、ね。


  それではみなさんさようなら。
  


  と、ここまで書いて外から「すごい夕日だぞ!」と声がかかる。
  居合わせた全員が外に出て夕日に見入った。

  そのすぐ後で、虹がかかった。いま午後七時。
  虹だぞ、虹。
  ジ・アースの後ろの大観覧車のその上にくっきりと七色の虹がかかった。

  この虹を全員で見たぞ。
  

  ほんとうは、終わりの言葉、別れの挨拶を書くつもりだったけど
  あまりの興奮にひらがな入力ができん。

  すまんが、これで終わるぞ、今夜は。
  書いてはいけないことまで書いてしまいそうだから。
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開幕号外。チヂミがうまいぞ
Subject: [the-earth:00460] むじなの森から《開幕号外》

ましこ@むじなの森です。


  開幕式が終わり、いよいよお客さんたちがご来場。
  初回のみ100人ちよっとだけど、あとは四回続けて満員。
  前評判が高いせいか、ウェイティングで長蛇の列になっても
  じっと待っていてくれている。その時点で3Dメガネをかけて
  口を開けている人が多いのには笑った。オーエン博士もさぞ驚いたことだろう。

  満員の観客というのは、まことに演出冥利につきるのだと
  しみじみ実感。その実感を確かなものにするために
  「大地のレストラン」を訪ねてみる。
  マッチャランという韓国料理の出店があったのでチヂミを注文。
  出来上がりを待つ渡辺くんを残し入り口のフレッシュジュース屋で
  白いグアバジュースを買う。店の人が白いグアバはハワイでも珍しいのだよ、
  と自慢したので期待して飲んだがクラッシュアイスばかりが目立った。
  で、チヂミである。これはうまい!
  細かくぶつ切りにしたタコがまことに良いかくし味になっていて
  チヂミのねちやねちやした頼りなさを適度な歯ごたえで救っている。
  焼き加減も都内の多くの焼き肉屋と異なりカラッと仕上げてあり、
  思わぬ味に感動します。
  ウーロン茶を飲みながらジ・アース館に戻ったら途中で電通テックや
  電通のVIPに何度か遭遇。褒めていただけてとても嬉しかったが、
  そのたびにウーロン茶の紙コップを地面に置くので土ぼこりが入り
  ざらついた味になったのはちと困ったな。
  諸君は、買い食いにちゅういしましょう。
  館の前に戻ると西田さんがエジプト料理の出店で買った紙包みを
  大事そうに抱えにっこりしていた。それもんまそうだった。

  あちこちの知事やVIPが来館しているようですが、
  未来博のきょうから解禁になったジャンクフードは
  いずれもなかなかのもののようである。
  そのことがワタシはなんだかとても嬉しいのである。

        七月六日金曜日 薄曇りのむじな山からの途中経過であります
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カスタ・ディーバ
一年半の間、ロケのメインテーマだったジョルダーノのカスタ・ディーバを三回リピート。
冬、春、夏、秋、再び冬、春と、この曲をどの現場でも流してリズムと気分を統べてきた。
きょうの砦への往復は、これを須賀川の田園に窓を全開にして、凱旋の歌として流しながら行こうと思う。


午前九時半。六日満月の朝。
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満月号外。
Subject: [the-earth:00459] むじなの森から《満月号外》

ましこ@むじなの森です。



    山田さん、玄界灘はもう越えてますか?

    むじな山は毎日、すごい陽射しです。
    日中の数時間は純度150%くらいの紫外線が降っています。
    それでも夕暮れからは森の木々が送ってくれる風で 
    ずっとしのぎやすいけどね。

    むじな山のジ・アースは、すべて順調です。
    映写機も、例の解決策の発見以来一度もトラブルなし。
    待ちに待ったドイツからの使者も今日の夕、森に到着。
    休む間もなく映写室に入りました。
    もちろん映写室にはあの起きあがりこぼし白虎隊の一人もいます。
    池田将軍は張りつめていた糸がゆるんだのか、
    入り口脇の丘に大の字になって「森のひとだぞぉ」とつぶやいて
    珍しく曇ってしまった十四夜の夜空を見上げていました。
    やきもきしていた例のスクリーンはその後切れることなく
    引き上げられては夏風を受けて
    不思議な表情をつくっては楽しませてくれてます。
    昨夜からはじまった噴水とライトアップのテストを見ていると
    予想を大きく超えた素晴らしい水のファンタジーが
    ぼくたちのジ・アースの眼前に広がってくれそうです。
    テストで流れる音の迫力には、ちよっと腰が引けたけど…


    アテンダント諸君も日ごとに精かんさを増しています。

    昨日はプレス発表がありました。   
    安藤さんがつれてきた小学校の生徒たちが中心になって、
    あの森のひとにもいのちが吹き込まれたよ。
    ぼくはすっかり「森のひと=安藤さん」のファンになりました。

    この日のようすを福島民報と福島民友の二紙が一面トップで伝えました。
    一紙はトップの写真をジ・アースの全景で、
    もう一紙はトップを「森のひと」完成の瞬間の写真で飾りました。
    その「森のひと」の完成写真の小学生たちにまじって、
    願いの木片を神妙な姿勢で捧げるタカハシオヤブンや
    そばの小学生に笑いかけるジャンヌ・ゴトウもなぜか写っています。
    数日中に例のむじなの森のページにナベちゃんが巨大な写真を
    載せてくれると思うからクリックしてさらに虫眼鏡で確認してください。

    なお、ワタクシがにんまりしたのは大きな活字で組まれた
       「ジ・アース迫力の立体映像
        本物の雪舞う
       《圧巻》の演出」
    という三行の見出しだった。「悪漢の演出」ではないよ、念のため。


    湯治部演出からアドバイスをひとつ。
    北九州で疲れがたまったらちょっと足をのばして
    鹿児島空港に飛んでください。タクシーを15分飛ばすと、
    霧島温泉という山あいの温泉郷があります。
    そこに離れの里「雅叙苑」という旅館があります。
    風の間という部屋をとってみてください。
    ただ一泊するだけで癒される湯治部の折り紙つきです。
    
    
    いよいよ明日6日、開幕式を迎えます。
    昨日まで水のアトリエの専属掃除人と化していたタカハシオヤブンは
    開幕式を前に土ぼこりの始末にホウキとホースで苦戦しています。
    池田将軍はさすがに疲れがピークのようです。
    酒を呑む元気も、心なしか萎えているように見受けられます。
    若大将タッチャンは上へ下へ右へ左へ麓へ山へと相変わらずの八面六臂ぶり。
    ただし昨日あたりからさすがに疲労が目立ってきました。
    でも彼は大丈夫。山田将軍に可愛がられたせいか、まだ笑顔を残してます。
    そして我がジャンヌ。いや我らがジャンヌ・ゴトウですが、
    満身創痍を絵に描いたようなやつれぶりながら、
    あいかわらず「引くものは切る!」と五稜郭の土方歳三のよう。
    今日もぼくは「最後なんだから妥協なんかしちゃだめだよ!」と
    ライトのことで叱り飛ばされました。
    もういいから飯でも食べれば、と言おうと思ったがやめときました。
    あいかわらず独り言を人に向かってつぶやきながら、
    最後の山を越えようとしています。


    山田さんが玄界灘を越えたあと、森に残ったむじなたちの、これがその後で す。



    明日は十五夜。
    2001年の七月の満月に限り、
    晴れようと曇ろうと雨が降ろうと、望月の宴を開催することに決めました。

    西で東で、森のテント小屋でホテルの小部屋で居酒屋の暖簾の陰で、
    満月を心に抱いてグラスを傾けてください。天候はいっさい問いません。
    ともにむじな山のむじなの森の終わりと始まりを愉しみましょう。

    (でも、料理屋に酒を持ち込まないでね、一人の時は…)
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むじな山の昼と夜
武闘と書いて現場に降りたが、あまりのきれいさに見とれてしまった。久石さん、さすがである。水と光のファンタジーの飾り文句のままに、むじな森の暗がりの中に浮かぶ水のショーは息をのむ。

東京は39℃を記録したとメールが届いた。

むじなの森は、昼の陽射しはさすがに強烈だが、朝夕は山の風のせいか、過ごしやすい。
こんな日に江戸にいたらエアコンの効いた部屋から一歩も出たくなくなるだろう。

むじな山では昼はなぜかヒグラシが鳴き、夜はカエルの大合唱。
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� 森のひと �|� 森のひとが生まれた日 �|� 虹の彼方へ
昨日のプレスプレビューの中から、森のひとの様子を「The Earth」のページに追加。
で、これから外に行って、ひと戦してくることになる。
後方支援部隊としてはあと二日のうちに、できるすべてのことをやりつくしたい。
気合いを入れるために、昨日の安藤さんの「森のひと」宣言を急ぎアップロードした。
むじなの森は本日十四夜。
満月前に久しぶりの武闘派復帰である。

さて行くか。
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冥利に尽きるな。
「ジ・アース 迫力の立体映像」これが大活字。

「本物の雪舞う 圧巻の演出」これが中活字。

いずれも見出しである。
ホテルの部屋で十一時近くに目が覚めて
ぐずぐずしているときに渡辺君が買ってきてくれた新聞に目を通したとたん元気が回復。
しかし新聞の一面トップに書かれる仕事をしたのは、さすがにはじめてのこと。
悪いニュースでなくてほんとうによかった。
悪漢ではなく圧巻で、ほんとによかった。

福島もまた暑い。というより熱い。
東京は37℃を越えたとか。

この夏はさて、どうなるのだろうか。
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さようなら
監修のオーエン博士、国立天文台の渡部先生と三人で記者会見に挑む。
誰に向かって何を語っているのか、途中すこし気になったが、今日が最後ときめ、福島の観客予定の人たちに向い、檄を飛ばすつもりで話した。オーエン夫妻、渡部先生ともに、はじめての3D大型映像に喜んでくれていた。とりわけ雪の降るシーンは、みなさんとても気に入ってくれたようで、嬉しかった。
オーエン博士から別れ際に絵文字の刻まれたペーパーナイフをもらった。一ヶ月前にハワイ島で別れた人と須賀川のむじなの森で別れる。もう会うこともあるまいが、「ワンダフル」と言いいながら微笑まれたときにちよっとぐっときた。
フランスからエクス・マキナのベンたちも来てくれた。ベンとは思わず抱きあってしまった。見ごたえのあるとてもいいコンピュータグラフィックスを一年がかりでつくりあげてくれたことに深く感謝しながら。
彫刻家の安藤さんからエッセイ集をいただいた。いつかまた一緒に仕事をしようと握手して、暗くなった水のアトリエの前で別れた。
こうこうと照らすむじな山の頭上高くあがった十三夜の下。ナイトファンタジアの準備に余念のないジ・アース前の水辺で
そのほかに、出会いと別れがいくつも同時に起きた。
七月四日夜。演出としての水惑星への関わりはこれで終わってもいいな。二年あまり。長かったが、最後はとても短くあっという間に過ぎていった。
あとはオープンの七日まで余韻の中ですごし、卒業しよう。
人と一緒にいるとなんだか涙がこぼれそうな気がして、シャワーを浴び、一人でホテル内のレストランで時間をかけて食事してきた。肉と四杯のコーヒーで、手に入ったすべての新聞と、福島泰樹の短歌を一冊読了。
いろんなものにさまざまな想いに別れを告げた。
つもりである。
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「私たちは春の中で」終章
仕事の収束がこんなにも感傷的な気分にさせられたのは、はじめての体験である。
さびしい。気が狂うほどにさみしい。

仕事ではなく、まだずっと若かったときに、「バリケード」の中でこんな気分に浸ったことがあった。ような気もする。

エキスポとバリケードと天と地の差がありながら、なぜこれほど喪失感が強いのか。

旗印とは、かくも人の想いをしばるものなのか。広告では決して味わうことのなかった、覚えることのなかった、ストレートに突破していくことの絶対的な快感。これをおれはずいぶん長い間忘れていたように思う。

なんでこうなっちゃうのか。

中島みゆきの「私たちは春の中で」の3ブロック目をリピートして聴いている。

  「もしも一人だったならば
   もしも孤独だったならば
   もしも虚ろだったならば
   もしも自由だったならば
   春はあやまちの源
   私たちは春の中で
   なくさないものまで
   なくしかけている」

こんんなの聴いてるからいけねえんだよな。くそして寝よ。
明日は宮様が泊まられるホテルでそんなんでいいのかと思わぬでもないが。
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明日、薦を、割る。
From: 益子透
Subject: [the-earth:00458] 薦を、割ります。


  むじなの森2001年7月2日午後6時30分
  今年いちばん暑かった日の夕暮れ



  ジ・アース館の後ろの山の上に白い十二夜。前方にオレンジ色の夕日。
  東京も福島もめちゃくちゃ暑かったその夜、
  水の惑星 ジ・アースの結団式がありました。

  アテンダントの皆さんを中心に、いわば初陣式とでも言うのかな。

  これから86日間の会期を運営していくほぼすべての人たちと
  最後のツメに余念のないスタッフたちが一堂に会したことになります。

  ここまで来たぞという想いと、これからやるぞという決意とが
  一つになった、簡潔で余韻のある宴でした。


  いろいろなイメージが残りましたが、印象に残った言葉を書き残しておきます。

    「すでに私たちの中から一人去り、二人去り…」

  と振り返った後藤さんの挨拶のさわりです。
  一日あけて顔を出した事務所の定位置からマックのデスクトップが消えていまし た。
  ぽつんと空いたその場所は山田さんが、どんなときも笑みを浮かべて
  解決を目指して旗をふった席。

  数日すれば、山田さんとあうんの呼吸でトラブルに向かい合ってきた
  怪人池田さんも去ります。
  水のアトリエで彫刻家安藤さんと、おしどり芝刈り夫婦かと噂された笛田さんも、
  次々発生する難題にクラッシュしかけた後藤さんを支えた「こぶとりの間」の高 橋さんも、
  彼らむじな山の精鋭たちをしたがえてフォローミーと叫び続けた
  ジャンヌ・ゴトウもまた去ります。

  我々が山を去った後、この山の祭りを盛り上げ、ひと夏の祭りから
  もしかしたら時間を越えて伝えられ、継がれていくかもしれない
  そんな何かがあるとしたら、そのことをカタチにするのは
  今日、演壇に並んではにかみながら挨拶してくれた
  すべてのアテンダントスタッフと、
  「おばんです」と口火を切った館長をはじめ、村上さん、柳沼さん、斉藤さんたち
  水の惑星 ジ・アースの協会の方たちです。

  
  今宵、川田プロデューサーの名代を兼ね、
  結団式の宴に同席させていただいた益子の、これが感想であります。


  東京で、あるいはどこか遠くの町で
  それぞれのまだ終わらない仕事の合間に、
  あるいはほろ酔い気分でこのメールを読んでいる
  ジ・アースに関わってきたすべてのスタッフのみなさんへ
  
  いよいよ、はじまります。
  いささかセンチメンタルな気分もありますが、
  それぞれの場所でグラスを満たしてください。

  薦を割ります。

  乾杯!




          BGM/中島みゆき「命の別名」、DIANA+MARVIN「YOU ARE EVERYTHING」
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むじなの森はお湯の惑星となっていた。
昼前に地獄のような熱帯都市東京を出発。
那須のサービスまで一気に進んだが、那須でもまだ31℃である。
福島はどうなっているのか不安が増すが、
須賀川へと向かう。ま、松明まつりほどには熱くはねえだろう。

むじな山に着くと、山の上の方から大勢の男女が走り降りてくる。なんだまた事故か。とクルマを降りて聞くと、総合防災訓練だという。なにもそんなに汗だくになって走ることもねーだろう、と思ったが、ご苦労様、と声をかけながらジ・アース本部へ。
水のアトリエでは笛田さんと安藤さんが「森のひと」の最後の仕上げに余念が無い。
事務所脇では高梁さんが水まきをしている。
事務所は明日のプレスプレビューに備えぴりぴりしている。
湯浅さんが体調を崩し欠席することになったので、記者会見は僕とオーエン博士と渡部先生のの三人でということになった。

今夜はこれからアテンダントたちを激励する「結団式」というのが須賀川のグラントホテルで開かれるというので、それに出席することになった。
それから郡山に向い、ホテルハマツに宿泊。
明日は8時半にオーエンさん達と会場に。

いや暑い。
さながらお湯の惑星である。
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ともすれば月澄む空にあくがるる…
満月まで三日。

勝敗はすでに見えた。
その勝利の見目をどこまで麗しくかざれるか。
そしてどれだけの物語を埋め込めるか。

あの森の闇の中に。


七夕のその日まで、むじな森に、こもる。
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絵本「森のひと」
Subject: [the-earth:00457] 森のひと


  ある時、宇宙の神様が命の笛を吹いた。
  神様はその音が大好きで、とても幸せな気持ちになった。
  その響きは虹色に輝き、ゆっくりと宇宙に広がっていった。
  大河の流れのように、大海原をいく波のうねりのように、
  その音はゆったりと、ゆらいで、真っ暗な世界に幾筋もの光を引いた。
  ずいぶんと遠くまで旅を続けた青い色の音が、
  宇宙のかたすみで青く光る星になった。
  そして、その星には青い魂を持った精霊たちが生まれた。
  空は澄んだ心のように青く、吹く風は、
  子にふれる母親の手のように草原を渡った。
  鳥は光の子のように羽ばたき、
  魚は天の川のように泳いだ。
  大地は精霊たちの祝福の歌で揺れていた。

  ………

  神様が吹く、命の笛の音は虹色に輝きながら
  今も私たちを包んでいる。


安藤さんの「森のひと」を、一枚一枚の絵を眺めながら
書き写していると、しみじみ泣けますね。
ビッグバンを「命の笛」だなんて。
「青い色の音」が「青く光る星になった」だなんて。
こんなとらえかたをした人を、ぼくは知らない。
「天地創成」より億万倍いいですね。
福島は、すごい財産を持ったことになった、そんなふうに感じます。
安藤さんの感覚は、ものすごいです。

みなさん、すごい才能を発掘したんだね。

絵本「森のひと」をぜひ4日に配ってください。
もしかしたら安藤さんの絵本「森のひと」が残るだけでも
ムーブメントとしての「水の惑星 ジ・アース」の意義はあったかもしれないね。
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エクス・マキナ
三時まで眠った。
東京はきのう36.5℃まで上がっていたらしい。梅雨明け前にこれだと、いったいどんな夏になるのだろうか。

6月末でエクス・マキナから離れてフランスに帰るオリビエに詳しいレポートを書いて送った。
トラブルはあったが、彼らのすぐれた才能が発揮した46億年の3Dシーンと、エッジワースカイパーベルトの大迫力がなければ、作品は成立しなかった。日本から徹底した遠隔コントロールを成功させた桑田さんあってのことだが。

いずれにしろベンさんをはじめ数十人のスタッフたちに敬意を表したい。
できることなら須賀川のむじなの森にご招待したいくらいだ。
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月は人の思いを運ぶ舟…か。
      月は人の思いをはこぶ舟、だそうです。 
      道中お気をつけてお帰りください。


蓮田のサービスでえどんを食って走り出したところで、協会の若い担当者から、こんなメールが入った。
むじな山で、窓を開け、上空を眺めてくれたか、と思うとほろりとした。
食べたうどんは月見ではないが。
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佳きかな。
Subject: [the-earth:00453] 佳きかな。

ノクターンを聴きながら東北道爆走中のはぐれむじなです。


那須を過ぎたところで
行く手に雲を割って月が出ました。
月齢十日の少しふくらんだ月です。

四日、制作発表の日は十三夜。
開幕の六日は大潮の満月。
七夕のグランドオープンは十六夜。


みやびで、ぐっとくるな。
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シンポジウム成功。これから福島市から東京へ
東京からオーエン夫妻ぶじに到着。国立天文台の渡部さんも同行。観客は予定以上の二百人あまり。ま、成功だろう。
4日のプレスリリース用のストーリー概要を控室、サンルートプラザホテルと場所移動しながら書く。隣で渡辺くんが撮影地リストを作り直す。
ほぼできあがり、これから佐藤くんに送って帰京。
明日一日置いて、須賀川入り。いよいよである。
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こけし湯の眠り男のことなど
寝る前にもう一風呂と思い、浴衣をひっかけ隣の部屋の渡辺くんを誘いに行った。
電気もテレビもつけっぱなしでうつぶせになって眠りこけていたので、足先でつついたが全然起きない。四回、頭をけとばしてやっと起きてくれた。死んでるのかと思った。階下の温泉に降りて、裸になって湯につかり5分以上たっても彼はあらわれず。
脱衣所に行くとイスに座って眠りこけている。このまま置いていこうかと考えたが、寝方があまりにも不安定で、ロダンの考える人をつくり間違えてしまったような格好だったから、耳元で「ほんばん!」と怒鳴ったら、「ふはぁーい」と目覚めた。
眠いというのでそのまま部屋につれて戻る。眠いのではなく眠っておったのだよ、と告げてもまだ「ふはあーい」と寝ぼけているようだ。飽きたので放って部屋に戻った。
暑いので窓を開けたら、川音がものすごい。増水しているのか、なんだか嵐の後のようである。眠れるかな。

死んでもラッパを話さなかったという兵隊の話は聞いたことがあるが、眠りながら温泉場まで移動して眠りながら帰ってきてそのまま眠っている、というのもなんだかすごいな。
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