バラス島に逃げるぞ
ナレーターを待たせ、クライアントを待たせ、代理店を待たせ、堂々?の一時間遅刻。
二時間で起きはしたが、身体が拒否していた。いや精神が弱っていた。朝食のコーヒーを飲みながら、もう仕事をやめたい、という思いに襲われた。吐き気がして吐こうとしたが何も出ず。遅れるむね連絡し、ぼう然として一時間すごす。ディレクターをはじめて16年。こんな底なしの気分に見舞われたことはなかった。
何をしたらいいのか。何を求めれば胸弾むのか。もう何もねえのかな、そう思ったら涙が出た。ああいう涙を何と名付ければいいのか、わからない。一昔まえなら無用の涙か。

何とかスタジオにたどりつく。わびを言ってはじめてみれば、なんということはない無理なく流れに浮かんでいる自分に気づく。そのことが午後はこたえた。寝不足続きもあってか、身体の奥が発熱したようなけだるさが離れない。

8時を過ぎて、帰ることに。
タクシーに乗り込み、げっそりしながら帰宅。檄の応えが三通。読む。一通は予想通り。これはもとより心意気の人だ。簡潔に、諾。とあった。さらに一通は、事あらば馳せ参じるとあった。これはしかし員数の外にある人。もう一通もある意味では予想通り。恐れを知らぬのも若さなら、知るのもまた若さということか。あまりにまっとうなその文面に力だけが脱けていく。

気を取り直し電話をしてみる。温度差。温度差。温度差。

屈服は致しませぬと大見えきらせたそのお膝元で、これがありのままの現実。

さらに。
闇に紛れて吐いた言葉は、いつか闇にまぎれていく。どこも誰も試みなかった祭りを志したのではなかったのか。この国ではじめての試みではなかったのか。ほころびだしたその裂け目を何とか修復したいと、そう願ったのではなかったのか。
子供はいつまで泣き続けるのか。

評定はいつまで続くのか。
須賀川はいつから小田原になったのか。
屈服は致しませぬという心意気は数百年の世迷言か。

向こう傷のひとつもないままに、はやドンキホーテにされるのか。


すべてをなかったことにしろというのか。