「近松心中物語/それは恋」の天才的演出
今朝は第三幕の身請けと第四幕後半の道行きだけを見た。いま幕開けからラストまで通して見終った。

蜷川は凄いな。平幹と亡き太地の入魂の芝居。朝倉の装置。猪俣の音楽。森進一の歌。そのどれが欠けても絶対に成立しないもの。あらためてそう思った。ビデオは1981年の暮れの舞台を撮ったもの。
ぼくが舞台を最初に帝劇で観たのが1984年の夏。一週間の間に二回観た。二回とも同じ場所でどうしようもなくなり、17年後の今朝も、たった今も同じ場所で息が苦しくなった。一切合切、歳月の影響を受けず、いまなお軽々と越えている。
あらためて感じたのは冒頭の花道を使った花魁道中、第一幕終りの出逢の演出のスタイリッシュさ。
道行きで首をしめたという記憶はあったが、相手の梅川の腰ひもだったことは完全に忘れていた。戦慄させられた。
記憶していたことの細部はともかく、これほどみごとに同じシーンでまったく同じようなリアクションをとらされると、この「近松心中物語/それは恋」で発揮された蜷川の圧倒的な天才ぶりにあらためて膝を正させられる。
こういうものを同時代で味わえることは、すごいことだなと思う。

東京が熱暴走をはじめた日の朝と夜に、13分連続して降り続ける雪の中での道行きを観られたことは実に幸いだった。