娘ごころを渡世に賭けて…
rstudioで昼飯のときに相馬プロデューサーと藤純子の緋牡丹博徒シリーズのことで盛り上がった、藤純子が突出していたこと、「娘盛りを渡世に賭けて」と始まる主題歌を実はとても好んでいたこと、ジュークボックスで見つけると必ずかけていたことなど、話が尽きず。
どうにも気になってレンタル屋を2軒まわり、第四作の「二代目襲名」/小沢茂弘監督と引退記念の「関東緋桜一家」/マキノ雅弘監督の二本を見つける。シリーズはやはり山下耕作監督のものが見たかったが、ま仕方ない。匂い立つような女らしさを感じさせながらなぜか肉体を意識させなかったあの頃の藤純子を久しぶりに見た。
この人の最大の特徴はもしかしたら声の質と話し方の間なのかな、と思った。
「背中に墨をいれてはいても、心にはまだ誰にも墨をいれさせてはいません」とか、何だか夜中に見てるとボロボロ泣けた。
右の頬に片えくぼが出ることを知らなかった。やや上目遣いで啖呵を切るときに、ちらっとそのえくぼが浮かぶ。
こういう凛々しさのある美しさをこの頃は見かけない。
顔黒くして唇白いだっこちゃんもどきから尻だされて下着見せられて、青少年はどうしたら情をかきたてられるのだろうか。心配はしないが、不憫ではある。
しかし改めてみていると当時の東映にあって藤純子のこのシリーズは美的反動として存在していたのがよくわかる。
これは仁侠映画というより可憐でつややかな志へのオマージュなのだ。
ばか騒ぎの60-70年代にも、確かに花は咲いていた。その花はけっして大輪の花ではないが。

渡辺がまとめたこの一ヶ月の記録ビデオを二度見た。陽射しの強さ、雲の美しさ、夕日のみごとさなどがDVCながらよく出ていて、目をつぶった。



藤純子の映画を二本とむじな森の記録を一本。さらに93年に仕上げた「MOMO」の初号を一本を見た。そのラストは西表島の月の浜の炎の宴。三線の音と潮騒を子守歌に「わたしたちはもうひとりじゃない、ですよね」と結ばれていた。
バラス島の白さは異様なほど魅力的だった。

明日からの福島にこれで備えはできたのだと思う。これだけが備えなのだと思う。


さて、福島泰樹は「わがひとに、もしくは藤純子に」と添え書きを加えた「晩秋挽歌」でこう歌っている。

  そのひとは夕べの鐘のやるせない哀傷 風に吹かれる牡丹