十六夜のむじなの夢。
昨夜の福島は秋のように涼しかった。

昼過ぎの新幹線で帰京。
車窓から田園風景をぼんやりとながめながら、この二週間をふりかえって、「感傷」にふけっていたら、三人連れのダークスーツが代わる代わる携帯で話しだした。しかも品質の悪いドコモでも使っているのか、(おれもドコモだからその品質の劣悪ぶりにはいつも泣かされている)声がやけにでかい。
しばらくはがまんしていた。

車掌が検札に来たので、下の通路に降りて電話をするように注意をうながすように頼んだ。
五分ほどは静かだった。

また始まった。
くわえ煙草のまま立った。
「はこ移ってくれませんかね」と丁寧に話した。
おかしなことに一人がいきなり立ち上がり
三回ほど頭を下げた。続いてバッグを抱えた三人が頭を下げながらドアから消えていった。一言も発しないで去っていった。
携帯だけ声の出る新手のオシかなとあきれながら自分の席に戻り、たった一人になった車内で、彼らはどこに行ったのだろうと考えた。
ふと気づいたのだ。サングラスを外していなかったことと、珍しく白い上着を羽織っていたこと、アロハのボタンを三つも外していたことに。
S建設のお三方には、まことに申し訳ないことをしました。いつもご指名いただいているのにね。
万が一、S建設の仕事があるときは髪を上げること、読書メガネを着用することの二点が不可欠であることを肝に銘じた。
しかしグリーンに乗っている好い歳をしたビジネスマンは、なんであんなに携帯が好きなのだろうか。いまどきヤクザでもロビーに出るか電源オフにしているのもいるのにな。

ま、勝手に思い違いされたとはいいながら、悪かったな、と反省している。
回想に戻った。しばらくして夕日から虹にかけてのシークエンスにたどり着いたので、心が晴れた。

むじなの森の風を運んだせいか、
東京もずいぶん涼しかった。

部屋でぼんやりと半日を過ごしているうちに、この時間になった。


カラダの深いところに「虹」が出たことを告げようとする高い声が、まだ残っている。
あの山の上に、ジ・アースを見下ろすようにかかった虹。緑の山。青い空。回り続ける観覧車。ジ・アースの白。耳の奥にこだまする高い声。その昔、夜の校舎の暗がりの中から「とっぱされたぞお」と叫んでバリケードの外でサーチライトで照らされながらぼこぼこ殴られていた女子大生を思いださせるような、やけに切迫した声だった。

あの虹は現実だったのだろうか。
おれの名を呼ぶ高い声は幻聴だったのではないか。

夕日は、たしかにおれが告げた。
出てきて見ろと大声を出した。
そして、小高い丘に立って夕日と染まった雲を見た。
ジ・アースに投じられたシルエットが弾むのを、たしかに見た。

では、虹は、どうだ。

事務所の二階の奥でかなりのボリュームで
FILIPPA GIORDANOの「清らかな乙女」が鳴っていた。そのソプラノを突き破るような、悲鳴のような呼び声だった。何かあったのかと一瞬身構えた。次にはっきりと聞えたのだ。おれの名と、虹だよぉという叫びが、もう一度。

トラブル続出のあげくの成功だった。
昼前には音のテストをするかどうかでTとIが一触即発になった。ぎりぎりのタイミングまで、あわやと思うことが無数に起きては、いたのだ。
そのあとの圧倒的な大勝利だった。

そういう時間の先に、雨が降り、夕日が染めた。
だからあるいは、ほっとしたあまりの、
一足先に森から逃亡した、おれの弱さがつくり出した幻想なのかもしれない。
こうあれば完璧なラストシーンだと、夢想したあげくの、むじなの夢?

確かめようにも、おれひとりが東京である。こんな時間に電話して、昼の疲れで眠りに落ちたばかりの日焼けしたむじなたちを起こすわけにもいかぬ。

夏の夜は、しかし想いが乱れる。
十六夜の夜は、なぜか切ない。


くそして寝るか。