2001年03月の記事


撮影リハーサル
葛西のドームスタジオで照明のリハーサル。着いたら雪である。外気は3℃。会津なみである。
福島大学の一年生、遠藤さんは母親と一緒にスタジオ入りしていた。
川田プロデューサー夫人にダミーを頼んでいたが、スタイリストの志賀さんが衣装を持ってきたので、本人でテストすることに。フォグとドライアイスが床に仕込んだ数十本の蛍光灯ライトで陰影を強め、なかなかの感じである。

ライトとカメラワークのチェックが終わったのが午後6時。CGディレクターの桑田さんを交え、懸案事項の打合せをした。
今後の撮影の方針を検討し、ほぼ合意に達する。

明日は10時にスタジオへ。
さていよいよ大詰めの撮影である。
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雪月花
吹雪。氷点下1℃。雪の間の福寿草の群生。会津磐梯山。満開の紅梅。白河の関。夕日。三日月。満開の桜。

熱は下がり、食欲も出ていたので、竹林の雪を眺めながら朝風呂に入り、宿を出た。

会津の奥で福寿草を見、猛吹雪の磐越道で白河に向う。白河の関跡のカタクリの自生地をチェック。撮影することに決定。四月二十日前後に咲く紫のカタクリの花と巨木の対比で、早春のイメージをつくることに。

会津西街道からスタートした福島の撮影は一年を経過し、白河の関で撮影が終わることになる。
これもなかなか洒落た話しではないか。

渡辺君が猛スピードで飛ばし、白河-蒲田をジャスト2時間で帰京。

ジャイアンツの開幕ゲームを聴きながら。
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土湯は積雪十cm
朝までビデオを見、一時間だけ仮眠して福島に向かった。東北道はみごとに満開の桜が続き、春たけなわだった…那須あたりまでは。

郡山で撮影スタッフと合流。「水の赤ちゃん」のロケハンをしている間は、みぞれのような雨。バウハウスの高見沢さんの案内で「蕎」という名のそば屋へ。注文したのは「せいろと野菜天ぷら」。いや、これがうまいのなんの。
満足して外に出たら、満開の紅梅に雪。
こっちはまだ梅かよ、梅に雪も風流だね、などと話ながら車で土湯のびっき沼へと向かった。

福島ランプを降りるあたりから、一気に白銀の世界に変わった。
大雪である。
途中、立ち往生してチェーンをつけている車を何台も見かけた。

いまごろ、吹雪である。

びっき沼は雪の中で、ひっそりと沈んでいた。この景色を見たとしても、心ひかれることはなかったろうな、と思えるほど、雪の中で平凡なつまらない光景だった。

宿にたどりつき、フロントで風邪ぐすりを買い(このホテルは一種類しかない風邪薬
を一箱丸ごと売りつけた。急速に福島への共感がさめていく)、布団を敷いてもらう。

窓の外はどかどか重たそうな水っぽい雪が降っている。熱が出てきたようなので、これから早寝する。
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さくや妖怪伝★★★★
借りておいた残りの一本「さくや妖怪伝」は思いがけず当たりだった。
松坂慶子のパンクロック風の妖怪ぶりが凄絶で度肝を抜かれた。富士山バックに大見得を切るところなど、恐れ入りました。
どこからあんな発想がわいたのか。
あの1カット見るだけでも価値あり。
途中の退屈さはすべて吹っ飛ぶ。
河原での白むく姿と妖怪変化のパンクぶりと、このディレクターは松坂慶子のよほどのファンなのだと思える。
日本映画には珍しい想像力の遊びにあふれた作品だった。


松坂慶子は、しかしほんとうにセリフがきれいだな。眼福である。

これで気持ち良く2時間眠れる。
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リプリーは★
原作のP.ハイスミスの悪意に満ちた人間観察ぶりは、むしろこのリメイク版の方がよく伝えていると思う。
構成にも映像手法にも減ずる箇所はない。
最後まで中飛ばしせずに見終ることもできた。

にも関わらず、つまらなかった。
「太陽がいっぱい」は原作から映画的な再構築をするという芸当がしっかり成立していたが、このリメイクは素直すぎて無意味だ。こんな映画化ならハイスミスの小説自体を読んだほうがムダがない。
原作との共通点は人間を悪意の存在として描き出すという手法のみ。
いずれも共感とは遠く離れたものだ。

仕事の段落にしようと思い、借りてきたビデオをまとめて見たが、借りたものがまずかったな。

一眠りしたら、また福島へ。
明日から低気圧が荒れ、雪になるかもしれないとのこと。
満開の東京から、雪の会津。

ま、それもいいじゃねえか。
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M:i-2は★★
第一作に輪をかけて寒々とした映画だった。「スパイ大作戦」の能天気なポジティブさを、今の時代に移し替える意味がまったく感じられず、ただ映画化したかったというトム・クルーズ一人が楽しんだ、そんな展開だった。
MTV風のカット割りが妙に目立ちすぎ、ドラマとしての成立以前に退屈を呼ぶ。
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ホワイトアウト★
どうしてこんな映画の興業成績が良かったのか。どうして織田裕二はこんな演技で受賞できたのか。絶望的な日本映画のシンボルのようなできである。
原作もつまらなかったが、輪をかけてひどい。映像は想像の余地が狭い分だけ、辛くなる。
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春の椿事
以下は
「咲かぬ桜を慕情というよ」と題して水の惑星全関係者に出したMLからの転載。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
紛糾させてしまい、もうしわけありません。
真情を書きます。
川田プロデューサー宛てに出すつもりでしたが
みなさんにもお伝えしたいと考え、ここに書きます。



シナリオ変更箇所について

1.第3稿12.14版と第4稿3..21版の主要な変更とその理由

   ・《46億年》のナレーション部分に草野心平の「天地創成」の後半部を用いる。
    同時に《エピローグ》のシーン「草野心平の詩」をカット。

   ・草野心平の「天地創成」の終行『へめぐる地球 青いメロン』を受けるために
    シーン「いわき豊間海岸の夜明け」を《エピローグ》冒頭に移動。
    この夜明けのカットは「青い地球=現在=水の惑星」が淡く合成される予定。

   ・《エピローグ》のシーン「泳ぐ赤ちゃん」をシーン「水の祝祭」に変更。
    演出上予定していた新生児の水中3D撮影が、社会情勢の変化により
    困難度が増したこと、仮に撮影を強行しても水中で新生児が笑顔を見せる確率が
    想像以上に少ないこと、その確率を増やすためには数十人規模で新生児を
    集めなければならず、これは上記の社会情勢からも困難であることが判明。

    (私見ですが、昨年末にかけて国内でも注目を集めた「ドメスチック・バイオレンス」
    報道の過熱が、各所で責任回避的な動きを強くしているように思われます)

    私が一月の県知事表敬訪問の帰途に、シナハンをしたときにおめにかかった
    会津若松市のスイミングクラブでは、スイミング指導としては現在行っていないが
    過去に行った経験があること、母親はいやがるだろうけど、自分が担当している
    生後五ヶ月の乳児で試みることはできる、という話しでした。
    この話しを信じ、準備を進めてきましたが、
    上記の社会情勢の反映か、コーチ個人の判断と組織としてのスイミングクラブの
    見解の違いか、前言は翻りました。薮の中です。

    急遽、東京を中心に可能性を探ったところ、
    公式的にはいずれも対応が困難であるとわかり、検討した結果、
    シーン「泳ぐ赤ちゃん」を第4稿のシーン「水の祝祭」と変更。
    新生児からさらに幅を広げ2歳くらいまでの赤ちゃん達が水と遊び、
    水と戯れている水の群舞シーンを祝祭としてメインに据えることにしました。
    同時に制作部ならびに撮影部は水中撮影による
    「新生児に限りなく近い印象」を持つ赤ちゃんの撮影方法を準備しています。

    ただ演出としては、上記の事情により、水ののなかで魚のように自然に水を怖がらず
    笑みを浮かべ「泳ぐ赤ちゃん」という映像が100%の生命力を持っては描けない可能性が
    強まった以上、より良い方法を考慮せざるを得ません。

    それが3月21日の知事レクの時に提案した第4稿です。

    シナリオとは、言うまでもなく、到達したいイメージを積み重ねたものです。
    もとより、そこに書かれた通りの世界を忠実に再現するためのものではなく、
    闇を行く道しるべのようなものです。
    全スタッフが心がけるのは
    本来行くべき道を踏み迷わないことであり、
    演出が心がけるのは
    行き着く先を、たどり着こうとしたものよりもさらに素晴らしい世界で満たすこと。
    それにつきます。
    いまはその道の最後の曲がり角まで来ています。
    全スタッフが、最後の数歩を過たず踏みだすために勇気をもって力を注いでいます。


    私の表現力のなさから
    第4稿のト書き変更で、各方面に大いに不安をかき立ててしまったようですが、
    お許しください。
    我々が考えているのは、よりよき世界をカタチにすること、それだけです。

    頭の中にある演出プランは、
    第4稿に書いたト書きの100倍はあります。

    うまくお伝えできずにご心労をおかけしてますが、
    そこに花道も見えていますので、
    どうか叱咤激励しながらお見守りくださるようお願いします。
    シーン「泳ぐ赤ちゃん」が無事に誕生することをお祈りください。
    

   
    一年前の桜吹雪撮影のために上げた緞帳は、
    いまだ降ろしておりません。



           2001年3月28日 満開の東京にて 益子拝
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つかれた
積水ハウスの「ベルサ」のMAV終了。
納得のいくものにできた。

しかし、ほんとうに疲れた。
いろいろなことがありすぎて…

とにかく、まずは眠ってしまおう。
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アカデミー賞
グラディエーター、派手じゃあるけど、アカデミーとはね。リドリー・スコットはほんとうにこんなものを作りたかったのだろうか。2本から選べと言われりゃ、グリーン・ディステイニーだよな。
心意気が違うよ。

それにしても盛り上がりのない、醒めきった授賞式だった。
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まいる
ちょっと時間ができたのでパワーブックの8.6を9.04にしようとしたら大失敗。
ソフトを入れるためにCD-ROMを書けるたびにフリーズ。五時間もあれこれいじりまわしたがいっこうに回復しないので、放り出すことにした。
しかしこういうことがスムーズに行ったためしがねえな。

明日は水の惑星の定例打合せと、
午後からベルサのMAV。
ひさしぶりの中田さんとの仕事になる。
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そして、こう書いた。
『ひとつの奇跡が
   もうひとつの奇跡を生んだ。

   いくつもの
   数えきれない
   奇跡の集まりが
   大きな大きな
   波だとすると

   きみたちは
   その波の
   いちばんはしっこで
   風をうけて水と遊ぶ
   水のいのちだ。
   
   だからきみたちは
   この奇跡の星
   水の惑星を受け継ぐ
   水の、いのちだ』
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46億年の声
草野心平の詩をどうするか。
西田敏行一人で、女性とダブルヴォイスで、女性一人で、別な男の声での4通りの選択肢。使うならフルバージョン以外認めないという遺族の意向を受け入れると、かなりなインパクトになる。

これから改定分に着手するが、
まだ見えてこない。
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ナレーション原稿、アップ。
ナレーション原稿アップ。
けっこう手間がかかった。
アクロバットに変換し、各方面に送る。
このところアクロバットとページメーカーの相性がよくない。アドビはもう少し頻繁にアップデートしてくれるといい。


外は春雨。
夜の散歩にでも行ってみるか。
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湯治部へのメールから転載
3/24夜発


ベルサの編集、今朝五時にぶじ終了。
いろいろあったが、それなりに納得のいくものになりました。
27日火曜日に予定通りrstudioでMAVします。


今年に入って月一本のペースで進んだ積水ハウスの仕上げですが、
これでしばらくは新作への取り組みはありません。
四月から五月にかけて、旧作の改定作業とそれに付随した若干の撮影の他は、気候のいいときを選んでチャレンジしておきたい新緑など自然のライブラリーがある程度です。
諸君、ちよっと休息です。



サンクス:

川田さん、虎屋の羊羹ありがとう。おかげでスィートな気分で終始できました。
郡山さん、麻布十番のかき揚げ、たいへんんまかったです。
志賀さん、玉子のプリンと新鮮イチゴ、おかげで活力が出ました。
しかし、あなたはよくしゃべるね。編集はいいけどMAVのときは静かにしようね。

熊上さん、電子辞書の速攻ぷりおみごと!打てば返すのレスポンスの速さには、まじで大助かりでした。考えてみれば自分のノートに大日本国語辞典を強引にインストールしてあったことも忘れ、すっかり頼り切ったよ。
相馬さん、「辞書は何使っているの?」と聞いたら「シャープです」というのはよかった。あなたはスタジオや現場の紛れもない清涼剤であります。
夏苅さん、このメール鼻をつまんで音読みしながら書いてます。こんどメディアサーカスの留守番案内のメッセージのアルバイトを頼まれてくれませんか。女まことちゃんのようで大変気に入ったので。
山岡さん、どうもありがとう。おつかれさま。



編集初日の二十三日に東京は開花宣言をしたようです。
例年より早い新世紀の首都の桜、ことしはいいタイミングで愉しめそうだね。


日暮れまで眠り、いまシャワーを浴びてメールしています。
これからナレーション原稿にかかります。
みなさんほんとうにおつかれさまでした。

そして井口さん、武田さん、後はよろしく。
 
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三田のスタジオで
クライアントの福田さんが山口から直行してスタジオ入りしたのが夜10時前。
一時間ほどチェックしてもらい、修正点を決定、今夜はほっとして帰宅。

明日は10時からスムーズにすすめられると思う。いや肩の荷が半分おりたよ。
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雨のち晴れ
オフィスのG3に外付けした新しい75GのHDがクラッシュ。この三日間、渡辺君がキャプチャーし、つないできたハイパービルディング用の中身がすべて消失。
DVCに書きだす前だったので、暗雲たちこめる。
午後1時からのMAVを中止するかどうか迷ったが、スケジュールに余裕がないので映像なしでMAをすすめることに決定。
徳弘さん、ウォードにわけを説明し、井口さんや、武田さんに苦境を訴え、記憶だよりのナレーション録音を開始。日本語と英語の長いほうを正尺とするという方針の元に、淡々と進める。井口さんはオフィスに戻り、一切の映像なしで選曲に。
二人の永いつきあいのナレーターの協力のおかげで、なんとか録音を了え、整理してもらう。音楽をあててみるとぴったりで、
何だかアクシデントがあったほうが、出来が良かったようにすら思えた。

文字通り綱渡りの一日となったが、
雨のち、晴れ。

仕事の進め方で、大きなヒントも得たように思う。
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げに春は驟雨とともにはじまるを咲かぬ桜よ慕情というは
環境システム研究所の原田さんの仕事、メドをつける。
彼とはじめて会ったのが十数年前の「山形ルネッサンス」の時だった。山形市役所の佐藤さんという豪傑と組んだあの仕事で、はじめて好きだった福島泰樹の短歌を使った。それが縁となって、ロック版フグ全書につながる。
1000mビル構想など、共感できる大胆な都市計画が、少しずつ日の目を見てきたように感じられて嬉しい。
予算がもう少し潤沢にあれば、とは思うが、ま、色男なんとかというやつか。
あらかたの構成が終わり、いま渡辺がオフィスでマックで編集中。
信頼されるのはとても嬉しいことだが、応えきれない部分が多く、心苦しい。

さて、そのはじめての仕事だが、
山形市が中心となりいくつかの市が集まって生き残り計画を模索するものだった。
MAの日に山形からずんだもちの土産を手に上京してきた担当者の佐藤課長は、エンディングに添えた福島さんの短歌を見て頭を抱え込んだ。
ややあって原田さんと二人、にっこりしながら、「思うように仕上げてください。なにかあったら私が腹切りますから」と言いながら首をなでた。
迷った末、その短歌を添えた。
計画や構想というのは、その思いを抱くこと自体に第一の意義がある、そんなふうに思ったから。
ぼくも若かった。いま同じ状況にあつたら、自分がどう出るか、あるいは短歌そのものを使わないかもしれない。

結婚してから十二年、一切の仕事につかず妻に寄食していたとき、唯一のなぐさめは福島泰樹の歌だった。

山形市の課長がクビを覚悟した歌は

「げに春は驟雨とともにはじまるも咲かぬ桜を慕情というよ」

だった。冷や汗ものではあったが、
自分のいくべきスタイルが見えたな、と思えた瞬間でもあった。

花咲く夜に、その原田さんの1000m構想の仕事に関われたのだから、ま、果報者ではある。
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しなやかな華奢なあなたのくちびるもゆびにもふれぬ桜降りけり
福島泰樹「わが懺悔録」より

いつのまにか、冬が過ぎて春。白河から会津若松にかけて桜を追った去年の春が昨日のようだ。
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何処へも往かざれども愛惜の桜ちらほら「世話になったな」
福島泰樹「晩秋晩夏」より
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福島往復
昼の新幹線で川田プロデューサーと福島へ。
定例会議に出席したあと、渡邊出納長への挨拶と現状説明をすませ、続いて知事への現状報告を。ほとんどは小泉部長がてきぱきとすすめてくれたので、自分の仕事ながら、なるほど楽しみだな、などと思いながら聞いていた。往復するだけでけっこうどっと疲れたが、福島ももう春の光があふれていた。

明日は、環境システム研究所のハイパービル構想の仕上げ。オフィスの新しいHDがトラブっていると渡辺君の電話。ま、なるようになるだろう。
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男気の人
男気はどこに?

などと書いて一日もしないうちに、意外な人から男気あふれるメールをもらい、気が晴れる。その言を良しとして、切れかかった糸を再び結び直す。
ごみ箱から台本を拾い出し、埃を払う。祭日でゴミを出す日ではなく幸いだった。

コトバにすれば虚しいことは多いが、
コトバにしてみないことには伝わらないことも多い。

人の世は、複雑であるな。
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ことし最初の桜は近くの公園の枝垂れ桜だった。
オフィスまでのんびり歩いて行く間に、小さな公園があり、枝垂れ桜が咲いていた。
十分ほどベンチに座り、タバコをくゆらしながら眺めていた。足元にはさかりのついたネコが2匹。なかなかの風情ではないか。

21世紀の東京でいちばんはやく目撃した桜。風は甘くなまめいていて、妖しい気分をかきたてられる。

おかげで一晩荒ぶっていた気分も解消。
1000mビルのラフ編集を渡辺と超スピードで仕上げた。
渡辺はこれからマックの前で地獄になるが…

明日は福島の知事へのシナリオ説明の日。
十年で2度目のネクタイ着用となる。

春や春、ではある。
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男気
なんてものはどこにあるのか。
一度お目にかかりたいものだ。

しかし、保身とはよく言ったもんだな。

目に入る紙ッ切れを全部捨てたら、ごみ箱がいっぱいになった。気持ちはどこに捨てりゃいいのか。
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きっと、だいじょうぶ…
水の惑星
第4稿用ナレーション


  ●第1楽章《この星を満たす水》
  『この星の
   すべての生き物たちは
   水とともに、生きている。

   きみも
   あなたも
   わたしも
   ぼくも
   みんな、水と生きているんだ』

  ●第2楽章  《ミクロコスモス》
  『きみたちは 
   うれしいとき 
   かなしいとき
   たのしいとき
   くやしいときに
   涙を流す。

   ときには、
   笑うときにも…

   この涙もまた、 
   水でできている…
   そして 
   きみたちの体も 
   その多くが 
   水であふれている。


   きみたちを
   つくりだす物質は
   水で溶かされ
   運ばれながら

   きみたちの毎日を
   たくさんの
   たのしいことや
   うれしいことや
   はずんだ気持ちで
   いっぱいにしていくんだ』

  ●第3楽章《コスモス》/ミクロコスモスからブリッジ
  『きみたちの 
   体を満たす水は
   あの海と 
   同じ成分でできている。

   その水は、 
   どこから
   やって来たのかな?

   答えのひとつは、
   太陽系の
   いちばん外側にある
   エッジワース・カイバー・ベルト
   にあるらしい。
 
   そして
   46億年も前、
   原始太陽系星雲の中に生まれた
   氷のかたまりのすい星が
   いくつもいくつもいくつも
   生まれたばかりの
   地球へと向っていった…』

  ●第4楽章《46億年》
  『地表は山になり。
   岩をくずして川は海にそそぎ。
   地球は岩石と流れる水。
   たまる水。

   そうして生命は
   生まれたのである。

   ふわふわふわふわ。
   あったかい海に。

   細胞はあぶくのように
   泳ぎはじめ。
   いろんないのちが
   生まれたのである。

   いのちいのち。
   宇宙のいのち。
   宇宙の銀河太陽系。

   へめぐる地球。
   青いメロン』(このブロックは草野心平の天地創成より)


  ●エピローグ 《ジ・アース》
  『この星の 
   すべての
   いのちが
   水によって 
   そして水とともに
   生きている。

   あしたも
   千年後の明日も
   億万年後の明日も

   この水の惑星が
   水の星であるかぎり
   きっと、
   だいじょうぶ…』
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春の甘やかさが匂うような徹夜明け。
荒編集の内容を反映した編集台本を書き直し、イントラネットにアップ。いま午前5時過ぎ。渡辺君の最終調整テープの到着を待っているところ。

まあまあ、納得のいく荒編ができたと思う。あとは山岡君が完璧に仕上げてくれるだろう。
端正な、いい作品ができつつある。
クレッセとベルサと同時期に挑んだが、
これなら文句なし。やるもんである。

徹夜明けは、ハイになっていることを差し引いても、そう思う。

開け放った窓から、少しひんやりした春の風が流れ込んでくる。田中さんのいう沈丁花の香りは4階まで届かないが、それでも春の甘やかさが匂うようである。
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荒編集、ほぼ終了。七時間。
マックの不調もあり、途中中断をいれ、午前2時にアップ。七時間ほどかかったことになる。その後、渡辺君がナレーションの調整や、テロップを入れているから正味で十時間というところか。

それにしてもデジタルは、速い。

テープ編集だったら、間違いなく三日はかけたと思う内容だった。恐れ入った。
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荒編集5時間でアップしたい。
準備を丁寧にしたのでスタートが5時くらいからになる。
紙の上でのイメージ編集では107カット。
あらかたキャプチャーが終わったというので、これからオフィスに。
予定時間は5時間。
さて達成できるか?
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福島に春はあるか?
福島県内で四月上旬から中旬にかけて
泣きたくなるような美しい春の光景を撮影できる場所を探している。
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アリーのサントラ盤
アリー・マイラブのサントラ盤を古河のロケ用に2枚仕入れたので、帰宅してからよく聴いている。
VONDA SHEPARDはしかし、ライブで、小さなクラブなどで聴いたら抜群なんだろうな。
東京もはやく子ども以外が愉しめる場所ができるといいけど、ムリだろうな。
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「テンタメント」は★★★★★
「テンタメント」ジョン・グリシャム箸/白石朗訳/新潮社を読む。

リーダビリティ勝負だったグリシャム大化けの一作。
リーダビリティのレベルを落とさずに、よくぞここまで、と思う。
救いのあるまことに得難い物語である。
アカデミー出版という悪質な不動産屋か強欲なサラ金のような
出版社が「超訳」と称して版権をとる一年前の作品だから、
大化け以降のグリシャムをわれわれはもう眼にすることがない。
資本主義の世の中とはいいながら、自由競争の世の中とはいいながら、
なんとも口惜しいことだ。
ま、名手白石朗の訳で、このジャンピングボードを味わうことができたことを喜ぶべきか。
それにしても、新潮社、アカデミーみたいなごろつきに版権とられるとは、あきれたものである。不明を恥よ。
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Girl It's TrueYes I'll Always Love You.
ロケ先でかけたBARRY WHITEの Girl It's TrueYes I'll Always Love Youは8:36バージョン。歌詞カードでチェックしようと思ったらなし。アメリカはこういうところがホント、しっかりしてる。アメリカン・プラグマティックには、しかし腹も立たず。

9:08のYou're My Baby.もいまだにパワフルで
実に新鮮。1973年のレコーディングをCD化したものだけど、あきない。

雪のオープン撮影にも関わらず、なんとか乗りきれたのは、この70年代パワーがあったからか。屈託のなさが素晴らしい。
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土と炎と月のデジタルHD記録
11日に笠間の羊窯で陶芸家・小林東洋氏をデジタルHD撮影したときの記録と、9日に古河で撮影した炎と月の記録は左のLinksからたどれます。
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聖空間の母と子の撮影プラン
◎聖空間の母と子



  巨大な木造の体育館のような空間。
  ただし木の質感などは感じない。

  正面奥に、大きなステンドグラスの窓が
  モノリスのように屹立している。
  ステンドグラスの色彩は虹の7色で構成され、
  回転性の透過光で各色が溶け合っている。

  モノリスより手前、上手の上辺ぎりぎりのところに天窓。
  強い光の束が、中央の空間に光の円柱をつくり出している。
  光の束は30度の傾斜。

  空間全体は薄いもやがかかり、そのもやを
  ステンドグラスごしの光が淡く色づけている。
  さらに大小とりどりのシャボン玉が空間全体を浮遊している。
  大きなものは人間を包みこむくらい、小さなものはこぶし大。

  天窓からの光の束をゆっくりと巨大な振り子のようなものが
  よぎっていく。
  光の束をよぎるとき以外はもやとシャボン玉にジャマされて
  その形はおぼろであるが、細い三日月のようにも見える。

  光の束の中では、太い蔓で出来た巨大なハンモックのようにも
  変わったカタチのベンチあるいは椅子のようにも見える。

  その「三日月」の上には一組の母と幼子。
  片側だけで結ばれた白い貫頭衣のようなものを
  ゆったりと身にまとった母と、その腕に抱かれた
  やはり淡い黄色みを帯びた布にくるまれた幼子。
  母は、幼子に歌を聞かせているか、あやしているように見える。

  おだやかな潮の満ち引きのようなリズムで「三日月」が揺れている。
  二人を祝うように、空間を水の球が踊っている。

  カメラは、ほんのかすかに、深い呼吸よりも微妙に母と幼子に向っている。
  ほとんど気づかないような距離を。
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1000杯のコーヒーと44行詩
湯治部MLに出したメール
**************************************

『家』
1911.6.25.TOKYO

今朝も、ふと、目のさめしとき、
わが家と呼ぶべき家の欲しくなりて、
顏洗ふ間もそのことをそこはかとなく思ひしが、
つとめ先より一日の仕事を了えて帰り来て、
夕餉の後の茶を啜り、煙草をのめば、
むらさきの煙の味のなつかしさ、
はかなくもまたそのことのひょっと心に浮び来る……
はかなくもまたかなしくも。

場所は、鉄道に遠からぬ、
心おきなき故郷の村のはづれに選びてむ。
西洋風の木造のさっぱりとしたひと構え、
高からずとも、さてはまた何の飾りのなくとても、
広き階段とバルコンと明るき書斎……
げにさなり、すわり心地のよき椅子も。

この幾年に幾度も思ひしはこの家のこと、
思ひし度に少しづつ変へし間取りのさまなどを
心のうちに描きつつ、
ラムプの笠の真白きにそれとなく眼をあつむれば、
その家に住むたのしさのまざまざ身湯る心地して、
泣く児に添乳する妻のひと間の隅のあちら向き、
そを幸ひと口もとにはかなき笑みものぼり来る。

さて、その庭は広くして、草の繁るにまかせてむ。
夏ともなれば、夏の雨、おのがじしなる草の葉に
音立てて降るこころよさ。
またその隅にひともとの大樹を植ゑて、
白塗の腰掛を根に置かむ……
雨降らぬ日は其処に出で、
かの煙濃く、かをりよき埃及煙草ふかしつつ、
四五日おきに送り来る丸善よりの新刊の
本の頁を切りかけて、
食事のしらせあるまでをうつらうつらと過ごすべく、
また、ことごとにつぶらなる眼を見ひらきて聞きほるる
村の子供を集めては、いろいろの話聞かすべく……

はかなくも、またかなしくも、
いつとしもなく若き日にわかれ来りて、
月日のくらしのことに疲れゆく。
都市居住者のいそがしき心に一度浮びては、
はかなくも、またかなしくも、
なつかしくて、何時までも棄つるに惜しきこの思ひ。
そのかずかずの満たされぬ望みと共に、
はじめより空しきことと知りながら、
なほ、若き日に人知れず恋せしときの眼付きして、
妻にも告げず、真白なるラムプの笠を見つめつつ、
ひとりひそかに、熱心に、心のうちに思ひつづくる。

       第二詩集『呼子と口笛』より


  
  1911年、明治四十四年という年は中国で辛亥革命が起き、
  日本最初の洋風劇場である「帝国劇場」がオープン。
  暇を持て余した金持ちの奥さん達が
  「今日は三越、明日は帝劇」とモダンな浪費生活をはじめた年。
  同じ年、35歳の野口英世はニューヨークでスピロヘータの培養に成功し、
  25歳の平塚らいてふは雑誌「青鞜」を創刊している。
  松井須磨子が女優としてデビューし、「人形の家」のノラを演じ、
  フランスでオートクチュール協会が設立され、
  「大洋裁師」ポール・ボワレが会長となった。

  この詩を書いた啄木もまた若く、二十五歳だった。
  啄木は翌年、二十六歳で夭折した。

  電通テックの熊上さんが古河での1000杯ものコーヒーづくりの
  疲れにもめげず、石川啄木の『家』の全行の載っている本を
  探しだして送ってくれました。
  書き写しながら、ぼろぼろ涙がこぼれた。
  時代が若く人も精神もみずみずしい日々には
  こんな二十代が成り立ったのだな、そう思うと、ね。

  この詩の中の一部だけを使って、
  こんどのシャーウッドに引用しようと考えていたけど、
  全行を読み、その不明を恥じました。
  ベルサは、たしかに今までのシャーウッドの中では
  すぐれた佇まいのある家だけど、啄木の詩には似合わない。
  大量につくられ売られていくものにはどんなに糊塗してみても
  見えてきてしまうものがありすぎるんだね。
  恥ずかしいです。
  
  いつか、こんな詩が似合う映像をつくってみたい気もするけどね。
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天地創成
バウハウスの高見澤さんからFAX届く。
見つかって肩の荷がおりた。

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昭和46年八坂書房
《修羅紀の果ての昨今》
「天地創成」より

暗い雲から熱い蒸気の雨のドシャ降り。
川になり溢れ押し流れ大きな淡水(まみず)の海をつくった。
夜も昼もない暗闇のなかを。
光るのは。
棒だちあがる火山の炎。
天の稲妻。

億万の年はへめぐり。
ドシャ降りはやみ。
雲はちぎれ。
ようやく太陽光は燦とかがやく。

地表は山になり。
岩をくずして川は海そそぎ。
地球は岩石と流れる水。たまる水。

そうして生命は生まれたのである。

ふわふわふわふわ。あったかい海に。

細胞はあぶくのように泳ぎはじめ。
いろんないのちが生まれたのである。

いのちいのち。
宇宙のいのち。
宇宙の銀河太陽系。

へめぐる地球。
青いメロン。
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十年の後
ホテルの部屋で目覚ましより少し前に目が覚め、カーテンを開けると町の屋根が真っ白になっていた。古河に来るようになって9年目だが、撮影当日の朝に積雪というのははじめての体験。
現場につき、風の冷たさに閉口するも、雪晴れとなり抜けるような青空に気を取り直し、撮影プランを大きく変更して、光りあふれる世界に取り組む。
次の映像をどう撮るか、いわば口立ての演出で夜まで、一気に撮り進む。
各セクションとも急な変更に音をあげず、黙々と応えてくれた。うまくいきすぎることに欲が深まり、いらだちばかり募らせたが、その成果は十分に得られたと思う。

遅い晩飯のときに、
十年ぶりに再会した「風と走る」の長谷川さん、照明の鈴木さん、VEの長岡君、撮影の倉持さん、特機の木内さんが並んで飯を食っているのを眺めながら、あの風と光を求めて東北各地をさすらったときのことを思い出し、あのときのレガシーの意図を話しているうちになんだか胸が熱くなった。

湯治部と名乗りをあげるきっかけとなったロケである。

またいつかこのメンバーで、記憶に残る仕事をしてみたい。あれから十年経っても、今夜は昨日の続きのように過ぎた。
勇気づけられる一日となった。
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ある日曜日
笠間はまだところどころに雪が残っていた。春とはいいながらここ数日の冷え込みはきつい。
インターを降りて、まず雲を撮る。
それから小林さんの窯に。
曇が多かったがほぼ光に恵まれた。
登り窯内の自然窯、ろくろを回しカタチをつくる瞬間。粘土をこねるところ。作品を自然光の下でチェックする光景。
などほぼ予定通りのイメージを撮ることができた。
昼に奥さんがうどんを全員にふるまってくれた。近くの畑で採れた葱が甘く香ばしく、冷えきったカラダに染みとおっていく。その器が気に入ったので、売り物はないというのを強引にわけてもらった。

庭には腎臓を患ったラッキーという犬がいて、この犬とは二度目だがすぐに仲よくなり、気が晴れた。

日暮れを眺めながら古河に移動。
ホテル着は7時過ぎ。
東京からの後発組と合流し、打合せを兼ねて夕食。
十年ぶりに再会した長谷川さんは変わらず。十二年ぶりの阿部鈴依さんも昔のままだった。

問題は天気予報。
明日もあさっても雪模様らしい…
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野卑と下司の三つどもえ。
寒風の中で丸一日外で撮影していたためか、疲れ果てて夕方まで寝ていた。
起きてパンを咀嚼しながら新聞を眺めると、一面トップに森首相と古賀幹事長の密談風の写真。フライデーかフォーカス並の野卑そのものの絵づくりで、クオリティペーパー?の一面を支える写真とは信じられない。
対象の下品さにカメラマンの下品さが輪をかけ、こんなものを選んで掲載する整理部の下品さが追い討ちをかけている。
朝日新聞と日刊スポーツは、しかしどこが違うのか。不思議でならない。
何も変わらなく、どんな影響もないのなら、いいかげん臭いものにはフタをしてしまったらどうなのか。
これみよがしに恥さらしな報道に、何の意味があるのだろうか。
紙の世界のズレは目を覆うばかりである。
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ひさしぶりのルーサー・ヴァンドロス。
古河の初日はまず、ルーサー・ヴァンドロスの「スーパースター」をかけることから始めたい。ほぼ10年ぶりのレガシー・マン長谷川さんの登場に相応しく、敬意を表したいと考える。

また、三日間の撮影のメインテーマを「ダイアナ・ロスマーヴィン・ゲイ」のデュエットアルバム「ダイアナマーヴィン」でせめたい。ターゲットとなる団塊世代がいちばん胸を熱くしたころを彷彿とさせる隠れテーマとする。

さらに、ヘレン・メリルトギル・エヴァンスのアルバム「コラボレーション」とバリー・ホワイトのグレイティストヒットをインターバルに使うことにした。

バリー・ホワイトは、いま渡辺君がヴァージンレコードに走ったところ。
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冬の花火と満月。
+++++++++湯治部ML3.9より転載++++++++++

冬の花火も満月も、大満足。
夕暮れの情景もワイドならではの質感があり言うことなし。

しかし、冬の裸木は、泣きたくなるくらい美しいね。
家とシンボルツリーは初夏に限ると思っていたけど
冬もまた素晴らしい。
素直に感動した。

現場にはじめて持ち込んだHDマスモニター20インチの
説得力と迫力には脱帽しました。
満月のアップ。あの超迫力のディテールはデジタルならでは
のものだね。21世紀春三月の記憶に残る宵となりました。



PS1
それにしても相馬チームのコーヒー供給能力はすごい。
コクのある熱いコーヒーが常に用意されていて
おかげで雪の寒さに負けずにすんだ。
あの途切れることのない供給がなければ、
ぼくはきっと午後2時には撮影中止を宣言していたと思う。
寒かったもん。


PS2
夏苅さん
線香花火のデジタルHD撮影、大成功でした。
過去に見たどんな花火のシーンよりもピュアで美しい映像が撮れました。
ストレートに撮っているのに3Dのように飛び出して見えた。扱える情報が高精細になればなるほど、
シンプルでピュアなものが
際立ってくるのだと
しみじみ実感しました。
こうなるとカメラマンの感覚がひときわ出来上がりを左右する。
デジタル時代というのは誰にでも門戸が開かれているようでいて、
実はとても狭い入り口しかないのかもしれないね。


PS3
古河ロケ参加のみなさま
昼飯を立ち食いのおにぎりとサンドイッチという過酷なものに
してしまったのはひとえにぼくのあせりです。
予想外の晴れ間にあわてたため、うろたえて切ない昼飯タイムに
なったことおわびします。
予算管理が厳しくなった電通テックのせいではなく、ひたすら
ぼくの発案なので、うらみはこちらに。
寒かったのにほんとにすまんことをした。


PS3
渡辺さん
PDFでイントラネットへとオーダーしたけど、
メディアのHPの積水ハウスのところにアップしましょう。
例のHD素材の続きということでよろしく。



ではみなさん
お疲れさまでした。笠間組以外は
11日の夜、ホテル山水で会いましょう。
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沙中の回廊★★★★
宮城谷昌光「沙中の回廊」朝日新聞社/上下巻を読了。テーマは晋の士会。春秋時代らしい、宮城谷らしい世界だった。連載中に病気になったということがいい意味で陰影を濃くしているように思う。
宮城谷が連載をスタートする三国志は、しかしどんな世界になるのか。
北方の水滸伝といい、向こう数年は目が離せない。
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倚天屠龍記は★★★★★
金庸「倚天屠龍記」徳間書店の第三巻までを読む。三部作の最終シリーズもまた全五巻。だれるかなと思えば、大したものである。手に汗にぎりながら、あっという間に三巻まできた。それにしても破天荒な構想力は衰えることがないものだ。
わくわくしながら次巻を待つことに。

徳間書店は、もう少しスピーディーに刊行してくれると嬉しい。待ちくたびれるぞ。
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億万の年はへめぐり
草野心平より

「億万の年はへめぐり
地表は山になり
岩をくずして川は海にそそぎ
地球は岩石と流れる水。たまる水
そうして生物は生まれたのである
ふわふわふわふわ。あったかい海に
細胞はあぶくのように泳ぎはじめ
いろんないのちが生まれたのである」
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少女健在。
その少女と福島市市内のホテルのコーヒーハウスで会った。彼女は12月で19歳になったという。四つの季節が過ぎた分だけ、ほんのりと大人びていた。鋭角的だった表情に、相応のまろやかさが出て、会っていてあきることがなかった。
シャイで控えめな雰囲気は変わらず。

桜吹雪の下で「明日」を見つめた18歳の少女が、こんどは生まれたばかりの赤ちゃんを腕に抱いて笑みをもらすことになる。

46億年の旅を経たミトコンドリアDNAは、
どんな輝きを見せてくれるのか、今からたのしみだ。

福島市は雪。最終の新幹線で帰京したが、心温まる宵となった。
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桜の少女、再び。
明日、福島市のホテルで桜吹雪の主役となった少女と再会する。あれから一年。彼女はどんな四季をおくったのだろうか。

オーディションに訪れた福島大学の演劇部の外で、偶然出会った一人の新入生の女性は46億年の先端でどんな笑顔を見せることになるのか。
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夢見るころを過ぎても?
アリーmyLove3の第10話「心の友にときめいて」第11話「夢見るころを過ぎても」を見た。
「夢見るころを過ぎても」の原題はオーバー・ザ・レインボーあの虹の彼方に、である。
このところのアリーは承前タイプのストーリー展開が色濃く、前回までの蓄積なしには理解しづらいところがあるが、丹念に見てきた視聴者には、集大成のようなストーリー展開になっていて、ライター兼プロデューサーがこの連作でどんな世界を描きたかったのか、よくわかる。

ヨーロッパの光と影で織り上げる「大人社会」のアラベスクとは異なり、多民族の坩堝として形成されてきたアメリカだからこそ保持しえて、到達できたのかもしれない、無垢の魂のようなものがよくとらえられていることに気づかされる。

軽薄で調子者にしか見えなかったフィッシャーに秘められた「アメリカ的希望」の気配など、シナリオの綾の細やかさにはただ呆然とするばかりである。

ここまで見てきて、ビリーの死は「自滅・自爆」だったのだという思いをさらに深めた。ビリーについては、あるいは第1シーズンの開幕からそんな計算があったようにも受け取れる。

これを大河ドラマとすると、
NHKの大河とはいったいどういう存在なのか。HDになって画質が向上し、見栄えが良くなった分だけ、平板なストーリーラインが際立つともいえる。
役者はつまらくはないのだろうか。制作者は毎日楽しいのだろうか。
アリーを同じ局で放映していることは、何か自暴自棄になっているのだろうか。
不思議でならない。

それにしても原題の「虹の彼方に」を
「夢見ることを過ぎても」と訳してしまう神経の図太さはどこから来るのだろうか。
身もフタも、ありゃしない。
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桃の節句の気恥ずかしさ
仕上げの興奮で、あろうことか吉本さんの詩まで引っ張り出したことは、一夜明ければ冷や汗ものである。
書いて出しちまったので、いまさらではあるが、気恥ずかしい気分になったことだけは記録しておく。

ま、桃の節句ということで。
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とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
3/2未明に出した湯治部MLからの転載
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ここがロドスだ。ここで跳べ!

>ミックスを終えて、山岡さんの言ってることを
>少し、僕も実感することができました。武田
>


なお、山岡さんは
3月1日付けでTSPに辞表を出したそうです。


与えられた条件の元で、ぼくたちは仕事をしているわけだけど
ときに、予想を超えた試金石となるようなチャンスが
訪れることがある。いや、あるのだと思う。
あるいはジャンピングボードのようなチャンス。


巡りあったその瞬間に、そのことを意識できるか
あるいは無意識に受容できるかで、女神のほほ笑みを
受け取れるか否かが別れるんだよな。


いつものように、ハッパをかけるために
大げさに騒いでると思う向きもあっただろうが、
こんどのクレッセは、僕自身にとってはそういう意味を持つ
仕事だったように思います。
そして他の何人かの人にとっても、ね。


小さな意味では、
デジタルHDを自分の世界に引きずり込むことができるか。
大きな意味では、
自分はまだやっていけるのか。いきたいのか。
さらに、
温めているデジタルジャパネスクをほんとうに手がける
価値があるのか。
いずれの意味においても、答えは正。
演出として、まず、負けないな、そう思い切ることができた。


関わったみなさんにとっても
さまざまな意味で、大きな価値をもたらすことになるだろう
作品となったと考えます。
そのことを共に喜ぼうと思います。

ちょっと場違いな気もするけど
好きだった詩人の詩を引用しておきます。



  「涙が涸れる」吉本隆明

    ……
    とほくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
    嫉みと嫉みとをからみ合はせても
    窮迫したぼくらの生活からは 名高い
    恋の物語はうまれない
    ぼくらはきみによって
    きみはぼくらによって ただ
    屈辱を組織できるだけだ
    それをしなければならぬ
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勝利宣言。
積水ハウスのクレッサ完成。

われながらみごとな一本になった。
プロモーションビデオの完成度としては
しばらくは手本になるだろう。

これで、当面、この業界でおれは食いつなげる。真似はできても、まず、超えられることはないだろう。

思い込みと、愛の勝利である。

榊原さんの語りは、想像以上に素晴らしかった。この人で今井さんの「女鬼」をやってみたい。あるいはデジタルジャパネスクを。
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