げに春は驟雨とともにはじまるを咲かぬ桜よ慕情というは
環境システム研究所の原田さんの仕事、メドをつける。
彼とはじめて会ったのが十数年前の「山形ルネッサンス」の時だった。山形市役所の佐藤さんという豪傑と組んだあの仕事で、はじめて好きだった福島泰樹の短歌を使った。それが縁となって、ロック版フグ全書につながる。
1000mビル構想など、共感できる大胆な都市計画が、少しずつ日の目を見てきたように感じられて嬉しい。
予算がもう少し潤沢にあれば、とは思うが、ま、色男なんとかというやつか。
あらかたの構成が終わり、いま渡辺がオフィスでマックで編集中。
信頼されるのはとても嬉しいことだが、応えきれない部分が多く、心苦しい。

さて、そのはじめての仕事だが、
山形市が中心となりいくつかの市が集まって生き残り計画を模索するものだった。
MAの日に山形からずんだもちの土産を手に上京してきた担当者の佐藤課長は、エンディングに添えた福島さんの短歌を見て頭を抱え込んだ。
ややあって原田さんと二人、にっこりしながら、「思うように仕上げてください。なにかあったら私が腹切りますから」と言いながら首をなでた。
迷った末、その短歌を添えた。
計画や構想というのは、その思いを抱くこと自体に第一の意義がある、そんなふうに思ったから。
ぼくも若かった。いま同じ状況にあつたら、自分がどう出るか、あるいは短歌そのものを使わないかもしれない。

結婚してから十二年、一切の仕事につかず妻に寄食していたとき、唯一のなぐさめは福島泰樹の歌だった。

山形市の課長がクビを覚悟した歌は

「げに春は驟雨とともにはじまるも咲かぬ桜を慕情というよ」

だった。冷や汗ものではあったが、
自分のいくべきスタイルが見えたな、と思えた瞬間でもあった。

花咲く夜に、その原田さんの1000m構想の仕事に関われたのだから、ま、果報者ではある。