2001 03/28 20:58
Category : 日記
以下は
「咲かぬ桜を慕情というよ」と題して水の惑星全関係者に出したMLからの転載。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
紛糾させてしまい、もうしわけありません。
真情を書きます。
川田プロデューサー宛てに出すつもりでしたが
みなさんにもお伝えしたいと考え、ここに書きます。
シナリオ変更箇所について
1.第3稿12.14版と第4稿3..21版の主要な変更とその理由
・《46億年》のナレーション部分に草野心平の「天地創成」の後半部を用いる。
同時に《エピローグ》のシーン「草野心平の詩」をカット。
・草野心平の「天地創成」の終行『へめぐる地球 青いメロン』を受けるために
シーン「いわき豊間海岸の夜明け」を《エピローグ》冒頭に移動。
この夜明けのカットは「青い地球=現在=水の惑星」が淡く合成される予定。
・《エピローグ》のシーン「泳ぐ赤ちゃん」をシーン「水の祝祭」に変更。
演出上予定していた新生児の水中3D撮影が、社会情勢の変化により
困難度が増したこと、仮に撮影を強行しても水中で新生児が笑顔を見せる確率が
想像以上に少ないこと、その確率を増やすためには数十人規模で新生児を
集めなければならず、これは上記の社会情勢からも困難であることが判明。
(私見ですが、昨年末にかけて国内でも注目を集めた「ドメスチック・バイオレンス」
報道の過熱が、各所で責任回避的な動きを強くしているように思われます)
私が一月の県知事表敬訪問の帰途に、シナハンをしたときにおめにかかった
会津若松市のスイミングクラブでは、スイミング指導としては現在行っていないが
過去に行った経験があること、母親はいやがるだろうけど、自分が担当している
生後五ヶ月の乳児で試みることはできる、という話しでした。
この話しを信じ、準備を進めてきましたが、
上記の社会情勢の反映か、コーチ個人の判断と組織としてのスイミングクラブの
見解の違いか、前言は翻りました。薮の中です。
急遽、東京を中心に可能性を探ったところ、
公式的にはいずれも対応が困難であるとわかり、検討した結果、
シーン「泳ぐ赤ちゃん」を第4稿のシーン「水の祝祭」と変更。
新生児からさらに幅を広げ2歳くらいまでの赤ちゃん達が水と遊び、
水と戯れている水の群舞シーンを祝祭としてメインに据えることにしました。
同時に制作部ならびに撮影部は水中撮影による
「新生児に限りなく近い印象」を持つ赤ちゃんの撮影方法を準備しています。
ただ演出としては、上記の事情により、水ののなかで魚のように自然に水を怖がらず
笑みを浮かべ「泳ぐ赤ちゃん」という映像が100%の生命力を持っては描けない可能性が
強まった以上、より良い方法を考慮せざるを得ません。
それが3月21日の知事レクの時に提案した第4稿です。
シナリオとは、言うまでもなく、到達したいイメージを積み重ねたものです。
もとより、そこに書かれた通りの世界を忠実に再現するためのものではなく、
闇を行く道しるべのようなものです。
全スタッフが心がけるのは
本来行くべき道を踏み迷わないことであり、
演出が心がけるのは
行き着く先を、たどり着こうとしたものよりもさらに素晴らしい世界で満たすこと。
それにつきます。
いまはその道の最後の曲がり角まで来ています。
全スタッフが、最後の数歩を過たず踏みだすために勇気をもって力を注いでいます。
私の表現力のなさから
第4稿のト書き変更で、各方面に大いに不安をかき立ててしまったようですが、
お許しください。
我々が考えているのは、よりよき世界をカタチにすること、それだけです。
頭の中にある演出プランは、
第4稿に書いたト書きの100倍はあります。
うまくお伝えできずにご心労をおかけしてますが、
そこに花道も見えていますので、
どうか叱咤激励しながらお見守りくださるようお願いします。
シーン「泳ぐ赤ちゃん」が無事に誕生することをお祈りください。
一年前の桜吹雪撮影のために上げた緞帳は、
いまだ降ろしておりません。
2001年3月28日 満開の東京にて 益子拝
「咲かぬ桜を慕情というよ」と題して水の惑星全関係者に出したMLからの転載。
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紛糾させてしまい、もうしわけありません。
真情を書きます。
川田プロデューサー宛てに出すつもりでしたが
みなさんにもお伝えしたいと考え、ここに書きます。
シナリオ変更箇所について
1.第3稿12.14版と第4稿3..21版の主要な変更とその理由
・《46億年》のナレーション部分に草野心平の「天地創成」の後半部を用いる。
同時に《エピローグ》のシーン「草野心平の詩」をカット。
・草野心平の「天地創成」の終行『へめぐる地球 青いメロン』を受けるために
シーン「いわき豊間海岸の夜明け」を《エピローグ》冒頭に移動。
この夜明けのカットは「青い地球=現在=水の惑星」が淡く合成される予定。
・《エピローグ》のシーン「泳ぐ赤ちゃん」をシーン「水の祝祭」に変更。
演出上予定していた新生児の水中3D撮影が、社会情勢の変化により
困難度が増したこと、仮に撮影を強行しても水中で新生児が笑顔を見せる確率が
想像以上に少ないこと、その確率を増やすためには数十人規模で新生児を
集めなければならず、これは上記の社会情勢からも困難であることが判明。
(私見ですが、昨年末にかけて国内でも注目を集めた「ドメスチック・バイオレンス」
報道の過熱が、各所で責任回避的な動きを強くしているように思われます)
私が一月の県知事表敬訪問の帰途に、シナハンをしたときにおめにかかった
会津若松市のスイミングクラブでは、スイミング指導としては現在行っていないが
過去に行った経験があること、母親はいやがるだろうけど、自分が担当している
生後五ヶ月の乳児で試みることはできる、という話しでした。
この話しを信じ、準備を進めてきましたが、
上記の社会情勢の反映か、コーチ個人の判断と組織としてのスイミングクラブの
見解の違いか、前言は翻りました。薮の中です。
急遽、東京を中心に可能性を探ったところ、
公式的にはいずれも対応が困難であるとわかり、検討した結果、
シーン「泳ぐ赤ちゃん」を第4稿のシーン「水の祝祭」と変更。
新生児からさらに幅を広げ2歳くらいまでの赤ちゃん達が水と遊び、
水と戯れている水の群舞シーンを祝祭としてメインに据えることにしました。
同時に制作部ならびに撮影部は水中撮影による
「新生児に限りなく近い印象」を持つ赤ちゃんの撮影方法を準備しています。
ただ演出としては、上記の事情により、水ののなかで魚のように自然に水を怖がらず
笑みを浮かべ「泳ぐ赤ちゃん」という映像が100%の生命力を持っては描けない可能性が
強まった以上、より良い方法を考慮せざるを得ません。
それが3月21日の知事レクの時に提案した第4稿です。
シナリオとは、言うまでもなく、到達したいイメージを積み重ねたものです。
もとより、そこに書かれた通りの世界を忠実に再現するためのものではなく、
闇を行く道しるべのようなものです。
全スタッフが心がけるのは
本来行くべき道を踏み迷わないことであり、
演出が心がけるのは
行き着く先を、たどり着こうとしたものよりもさらに素晴らしい世界で満たすこと。
それにつきます。
いまはその道の最後の曲がり角まで来ています。
全スタッフが、最後の数歩を過たず踏みだすために勇気をもって力を注いでいます。
私の表現力のなさから
第4稿のト書き変更で、各方面に大いに不安をかき立ててしまったようですが、
お許しください。
我々が考えているのは、よりよき世界をカタチにすること、それだけです。
頭の中にある演出プランは、
第4稿に書いたト書きの100倍はあります。
うまくお伝えできずにご心労をおかけしてますが、
そこに花道も見えていますので、
どうか叱咤激励しながらお見守りくださるようお願いします。
シーン「泳ぐ赤ちゃん」が無事に誕生することをお祈りください。
一年前の桜吹雪撮影のために上げた緞帳は、
いまだ降ろしておりません。
2001年3月28日 満開の東京にて 益子拝