夢見るころを過ぎても?
アリーmyLove3の第10話「心の友にときめいて」第11話「夢見るころを過ぎても」を見た。
「夢見るころを過ぎても」の原題はオーバー・ザ・レインボーあの虹の彼方に、である。
このところのアリーは承前タイプのストーリー展開が色濃く、前回までの蓄積なしには理解しづらいところがあるが、丹念に見てきた視聴者には、集大成のようなストーリー展開になっていて、ライター兼プロデューサーがこの連作でどんな世界を描きたかったのか、よくわかる。

ヨーロッパの光と影で織り上げる「大人社会」のアラベスクとは異なり、多民族の坩堝として形成されてきたアメリカだからこそ保持しえて、到達できたのかもしれない、無垢の魂のようなものがよくとらえられていることに気づかされる。

軽薄で調子者にしか見えなかったフィッシャーに秘められた「アメリカ的希望」の気配など、シナリオの綾の細やかさにはただ呆然とするばかりである。

ここまで見てきて、ビリーの死は「自滅・自爆」だったのだという思いをさらに深めた。ビリーについては、あるいは第1シーズンの開幕からそんな計算があったようにも受け取れる。

これを大河ドラマとすると、
NHKの大河とはいったいどういう存在なのか。HDになって画質が向上し、見栄えが良くなった分だけ、平板なストーリーラインが際立つともいえる。
役者はつまらくはないのだろうか。制作者は毎日楽しいのだろうか。
アリーを同じ局で放映していることは、何か自暴自棄になっているのだろうか。
不思議でならない。

それにしても原題の「虹の彼方に」を
「夢見ることを過ぎても」と訳してしまう神経の図太さはどこから来るのだろうか。
身もフタも、ありゃしない。