2003年06月の記事


中華街の連れしょん
郵船博物館の打ち上げがトータルメディア主催で横浜の中華街で。出席。五十人近い人がいたが大半は初顔合わせ。
一年でやりとげたことの苦労話など盛りだくさんで、たのしい夜になった。
最後の一ヶ月が文字通り修羅場だったにもかかわらず、みんなとてもいい顔をしていた。
オープンして3週間。われわれがもくろんだ新しい港の博物館は、すでに静かに横浜の町に定着しつつあるようだ。
スクラップアンドビルドの東京にはぜったいに存在しない街の風景の一角に、我が博物館はしっかり溶け込んでくれている。

高橋さんも石塚さんも肩の荷の下りたまことにおだやかで満ち足りた顔をしていた。
そして我が畏友・穴澤氏も、しみいるような笑顔だった。
げっそりとやつれていた面々が、みんな生き返っていた。

終わり近くにトイレへ。
3つ並んだ小便器の真ん中に立った。
小間あって左に高橋さん。続いて右隣に穴澤さんが。
打ち上げのそろい踏みは連れしょんとなる。
この人たちとあの夏の盛りに思いをぶつけあい、行ける所まで行こうと誓い合ったことを思い出しながら談笑。
間が抜けた構図ではあるが、悪くなかった。

昼の八重洲での沈黙に満ちた不毛な時間が溶けていった。
中華街に着くまで、いや、宴の途中まで、澱のようにたまった不快感に埋もれながら、打ち上げに集中しきれなかったが、メンバーひとりひとりの挨拶を聴いているうちに溶けた。


やめるか続けるか。
組んでいけるか否か。
組むことで高まる思いはもてるのかどうか。
昼のことへの答えはまだ出ないが、夕暮れに襲われた徒労感と疎外感はいくらか払拭できたようだ。


おたがいのこんな瞬間を見ることができるから…
というわけではないのだが、今夜はそんな気分が強かった。
コメント (0)

プレショーアップ
プレショーの構成案、書き終わり
メーリング添付。

けっこうかかってしまった。誤算。

ひとねむりし、八重洲に。
コメント (0)

雨の東海道、とはいえ飽きた。
午前4時にDVDが焼き終わり、一時間ちょっと仮眠して起床。
七時過ぎに家を出たが、駅のホームでタバコを吸っている間に三本やり過ごす。始発に乗り東京駅へ。着いたのが57分。のぞみの発車まで2分。
駆け込んだ。禁煙車。相馬さん、夏苅さんと並んで座り新大阪へ。雨、雨、雨。いつもは見ることもない東海道のつまらない町並みも、雨煙りで緑が強調され、なかなかの風情。車内販売のくそまずいサンドイッチを一切れだけ食べ、ときおりデッキに出て一服。
新大阪で加納さんと合流。本社へ。
4時半までみっちり打ち合わせ。

のぞみ往復5時間余りを続けると、さすがにリニアの早期実現を叫びたくなる。乗っている人の過半がビジネスなのだから、たとえ2時間半とはいえ、むだだよな。

明日は、そのJRのプレショー企画。
昼まではぐっすり寝るつもり。
コメント (0)

帰還
肝心なことを書き落としていた、
友が遠方から帰ったという。
まず、なによりの朗報。

大福を持っていってやらなくてはな。
森では世話になったのだ。
コメント (0)

明日はネギ焼き
明日の大阪の材料、やっとできた。
できたのは一昨日なのに、バカマックが反乱を起こし、疲れ果てた。

ま、マックがバカなのかおれがバカなのか判然としない、というよりしてるか。

DVDやっと焼けて、いまデスクトップでチェックしているところ。
チャプターマークを入れた記憶が無いのに
何回やっても「開始」という名でトップが出てくるのは、しかしやっぱり、バカだ。

頭に来たので、チャプターをあきらめる。
あきらめるまでに十回以上試してしまったことが口惜しい。

現在、コンクリート打設シーン。ま、大丈夫だろう。

これから風呂に入り、明日は6時に起きて、のぞみ。なにがのぞみだか。

リニアと違って、往復五時間眠れることだけがたのしみ。
それと、地下のネギ焼。牛スジ焼きはこのあいだくどかったから、明日はネギオンリーで。

昨日はどうなることかと思ったが
一夜明ければこともなし。

明日のことはわからない…

と上杉くんも言っていたことだし。
コメント (0)

とりうえずしのいだ
プレショー打合せ、本日はぶじに進行。
すこしずつ前進している。

が、へとへとである。

いずれにしても明日の提出はなくなったので
大阪往復は寝て過ごせそうだ。
コメント (0)

G5、すげえ
しかしパワーマックG5のパワーには驚いた。
秋に出るパンサーも面白そう。
いきなりつながりにくくなったアップルストアを眺めながら
まことにわくわくさせられた。
コメント (0)

荒篇終了
積水ハウスの素材編集、やっとアップ。
これからひとねむりして、DVDに。

約13分にまとめた。
迷ったが、一部は倍速にする。

気持ちいい疲労あり。ひさしぶりだ。
コメント (0)

気になることと嬉しい感想
17日の実験線で行った2DHDカメラテストをまとめたものに、「スティーブンソンのロケット号」などを加え、DVDに落とす。等倍なので時間がかかったが4枚つくった。
HD9002台で撮影したものをSONY_PCLでHD編集し、DVに落としてもらったものをpowerbookにとりこんで仕上げた。

同じ日の積水ハウス兵庫ロケの素材をまとめはじめる。DHDをNTSCにコンバートしたものをDVに落とし、powerbookにとりこんで編集している。

照明の違い、天候の違いなどあるだろうが、映像のしまり感にかなり差があるのはなぜなのか。これからの二年を思うとちょっと気になる。

それにしても、渡辺の12インチの威力はたいしたものだ。

博物館を見てきた感想がいくつか届いたけど、今夜のメールが自分にとってはいちばんありがたかった。
その人の感想通りだといいのだが、褒められすぎだと自重しておこう。

オープンしてから、まだいちども訪ねていない。

宮本さん案件はぶじに届いただろうか。
コメント (0)

宛先のない手紙を書いた。
下弦の月が出てますよ、という渡辺の電話で
北の窓を開けた。アロマホールの上にさえざえとした半月が昇っていた。

昼に、ミューズでもらってきたヤドランカのアルバムを繰り返し聴く。
井口さんは「予感」がおすすめと言っていたが、「いいじゃないの幸せならば」が今宵のおれにはよく合っている。

高空にあがった月光を浴びながらタバコをくわえ
ヘッドフォンのボリュームを最大にし、リピートを続けた。
一週間、いやもっと前からささくれだっていたいくつものトゲが溶けていくように、
確かに思えた。

いいじゃないの?
いいのである。

北にむかって開け放った窓からは
夜風にのってむじなの森の気配が満ちてくる。

目を閉じれば
湖に浮かんだ青いテントが灯影に揺れている。

ヒグラシやカエルの声もたしかに、聞こえてくる。

「屈服はいたしませぬ」という幻の幟を
あの館の上にかかげて二年が過ぎる。

つつがなしや?むじなの諸君。
跡地のぽち、花の道の夏草、森を飛ぶ綿毛、
虹の谷を染める夕日、鎌のような月、満月
そして巨大な虹…

もしあのとき映写機が最後まで回復しなかったら…

山田さんは、池田さんは、青柳さんは、菱沼さんは、高橋さんは、笛田さんは、佐藤君は、角木さんは、柳沼さんは、村上さんは、西田さんは、安藤さんは、そしてこのおれは
どんな夏を過ごし、どんなその後の二年間を迎えたのだろうか。

手元に酒のひとしずくもないのだが
あのむじなの森とジ・アース館と
どこで何をしているのかわからないみなさんに
わけもなく乾杯をしてみたい。

あの頃も、よく月を眺めながら
そんなことを書いていた。

みんな、元気か。
生きてるか。
愉しんでるか。
哀しいことはないか。

おれは今夜、
すこしだけセンチメンタルになってます。

みなさんと現場事務所で過ごした
あのときの6月末から7月初めの
二週間をふり返りながら
北の窓を開けて、古い唄を繰り返し聴いてます。
いいじゃないいいじゃないいいじゃないと呟いて…

愛を、こめて。

   T.M


2001年6月24日午後現場事務所二階
http://homepage.mac.com/torum_3/Voices/iMovieTheater204.html
外伝2特別篇「長いプロローグ」
http://homepage.mac.com/torum_3/iMovieTheater61.html
コメント (0)

五反田、広尾、四谷
五反田PCL。
2Dテスト撮影試写。その後でプレショーの打合せ。

広尾に回り、井口さんと会う。

四谷の萩原さんのところに寄って髪を切る。

宮本さんの依頼にもぶじに応えることがことができたし、
今夜はひさしぶりにホッとしている。
コメント (0)

♪いいじゃないのいまがよけりゃ
武田が送ってくれた「いいじゃないの」をダウンロードし30回くらい聴いた。
明日はミューズに寄って買ってくるつもり。

これで風呂にでもつかれば
昼の憂さは晴れるはず。

だって
「いいじゃないのいまがよけりゃ」
だから。
コメント (0)

よまいごと
手のひら返すと言うが、今日の昼過ぎ、そいつを体験。
陰に回ればあしざまに悪口雑言いうその口で
ああも鮮やかに寝返られると
サラリーマンというものは大したものだなと利いた風なことを呟いてみる他にない。

女衒。牛太郎。広告や。

あれで女房も娘もいるのだから、世の中はうまくできている。

台風の余波だかで、今夜の首都は物狂おしい。
夜中に外を歩いているとわけもなく目に入るものすべてが気に障る。

疲れ果てて眠りこんでしまった渡辺をオフィスまで行っておこし、はっぱをかけた。
拍手喝采を受けたのだから、指噛み切ってでも仕上げろと空気をいれた。
いま栄養剤を一気飲みして、後ろでパワーブックに向かっている。あと一歩。いやあと半歩。

こういう時間を女衒は知らない。
だから女衒だ。
おれはその女衒に仕事をもらっている。
だから遊女。
いや男だから遊次郎。

ひとつだけ気になっていたこと。
みんなが陰に回ってあしざまに言うその人は
ブレている自分自身に苛立っているようにみえる瞬間がある。
その瞬間に、おれはよわい。
ひけてしまう。

おれ自身のぶれが共鳴をおこすのだ。

女衒は馬耳東風だが。

ま、いますこし
行ってみようとは思う。
終わったところで誰とよろこびあえばいいのか
見当がつきかねるが、
むじなの残党がこちらをのぞいて約3名。
規模の割に、切ない数だが。
コメント (0)

ま、いいじゃねえか。
正午のニュースで松山も圏内に入り、欠航便がではじめた
と言っていたので、宮本さんが帰京できるのか心配したが、6時半にオフィスに行くと、いま着いたところだと笑っていた。
名古屋の松井さんも予定通りだった。
さっそく3分ほどの映像をみんなで見る。拍手。
おれもちよっとジンときた。

寝食惜しんだわけではないが、ほぼ寝食忘れて取り組むように渡辺を追込んでいたので、ひときわだった。

インタビューどうしようか、と宮本さんが言い出したので、すっかり忘れていたので慌てる。
撮影部に連絡したら佐藤さんがいたのでDVCを貸してくれるようにお願いしたら、キャメラマンとVEまでつけて寄越してくれた。
宮本さんは近くの店に小道具を買いに走る。
帰ってきてワイシャツをみんなで選ぶことになった。ネクタイはやめ、腕を捲ってもらい、リハーサルを短く。
12分30秒、原稿もメモも無しで一気に話してもらった。いい間違い、言いよどみ、すべてOK。
情熱と意志がにじみ出たとてもいいメッセージだったと思う。

ウォークスルーCGの本編にはタンドンヨーヨーマのグリーンディスティニーをあてた。

これから微調整をして、明日10時に東京ドームホテルで待つ松井さんに渡し、中国へ送ってもらう。
10日もない、短時間の仕上げだったが
少人数できもちのいいやりとりができた。
顔を合わせたのは3回。あとはすべてメール。
それでもこれだけのことができた。

宮本さんが買ってきて説明の合間に使った小石を
撮影に来てくれたTSPの二人に配った。
もし、万が一、試みが成果を上げたら
嵐のような六本木の1時間が
じつはとても大きな意義をもっていたことになるはず。
事情もわからぬままに駆り出されながら、ただ笑顔で仕事をしてくれた二人の撮影部のためにも
いいところまで行って欲しいと願う。
できれば勝って、勝利の美酒を味合わせてやりたいと望む。
おれにできることは、諸般の事情により、ここまでだが、
いましみじみ、勝利を祈る。

別の場所で昼、
ましこさんは夜型なんですね、いつもメールが明け方に届くから、とつまらないことを言われた。
夜の8時過ぎまで打合せしていて、晩飯食って一服したら何時になると思っているのか、と顔を見た。真顔だったので醒める。
たかの知れたぺら一枚のメモでも、自分で演出することを前提にすれば、ゴーがでた時のことを考える。思いつきひとつが、すべて実現可能なぎりぎりまで追いつめた末に書いている。
二足のわらじは、けっこうきついのだが、30℃の熱帯東京でネクタイにスーツで地球環境と調和などといいながら冷房を23℃に設定しているヤツらと、正直過ごしていける自信がない。いや、その気を保てそうにない。寝不足もあったが、尻を捲ろうとした瞬間が二度あった。
質屋の手代のような精神と書くと、語弊でもあるかな。

そこを出てから二時間、一年ぶりくらいで「れいの」に寄った。17日の素材を渡辺のパワーブックの電源が切れるまで眺め、なんとか気を取り戻す。

さらにTSPの地下へ移った。
ちょっと休ませてくれと頼みロビーで休む。
冷たい野菜ジュースを出してくれた。
熱いコーヒーは勝手に飲んだ。
一時間半休んで宮本さんのオフィスに向かう。

宮本さんのところから大慌てで五反田のSONYPCLに。
明日の試写用の内容を確認。モニターを見ているうちに穏やかな気持ちを取り戻す。
いくつかぞくっとくるような映像もあった。
まとめかた次第で、どうにでもなる。
すこし安心した。

宮本さんの額が汗で光っていたことを思い出した。
拭いてやろうかと一瞬思ったが、たった今まで取り組んでいたよ、というホットな感じがよかったのでそのままにした。

今日は、つまらない時間と良い時間があった。
数えてみれば、良い時間の方がすこし長かった。

結論。
ま、いいじゃねえか。
コメント (0)

大収穫
ナイジェル・ヘスの
スティーブンソンのロケット号をムービーにしDVDに焼く。
宮本さん案件は午前3時に渡辺が持ってきた。
とてもいい出来だった。
音楽、効果音のみ配置し直しOKとする。

グラフィックのデザイナーのつくる文字はさすがというほかない。
この小さなプロジェクトに付き合うことで
今後の映像づくりにとって大きな収穫があった。

仕上げについては、映像畑はもう要らないのかもしれない、
そんな思いがある。
すぐれたデザイナーと組むこと。
もしかすると最大の《解》がここにある。

なんとなく郷土料理シリーズ時代の結論に回帰した気もするが。
17年の迂回も、ま、いいしゃねえか。

これから二時間は眠れるか。

今日は午後から
JR東海でプレショーのプレゼン
18時から六本木の宮本オフィスでビデオプレゼン
20時30分からSONYPCLでハイビジョン編集
コメント (0)

資料/ファインマン講義録抜粋の続き
科学的想像

電磁場をどうやって想像するか。
わたしが実際に見るのは何だろう。
科学的想像の要請とは、なんだろう。
部屋いっぱいに、見えない天使がいると想像しようとするのと、ちがうだろうか。いや、見えない天使を想像するようなものではない。

電磁場を理解するには、見えない天使を理解するより、高次の想像がいる。  なぜか。  
なぜかというと、見えない天使を理解するために、わたしがしなければならないことは、彼らの性質を「ほんの少し」変えることだけである。・・・・・彼らをわずか見えるようにすると、彼らの翼、からだ、後光の、かたちが見えるだろう。

一度、見える天使を想像することができると、必要な抽象・・・・ほとんど見えない天使をとり、彼らを完全に見えないと想像すること・・・・ は、割合にやさしい。そこで、諸君はいう、

「先生、電磁波を近似的に記述してください。すこし不正確でもかまいませんから。そうしたら、わたしもほとんど見えない天使を見るくらいには、みえるようになるでしょう。それからその映像を修正して必要な抽象をしましょう」と。

残念ながら諸君のために、そうするわけにはいかない。わたしにはどうしたらいいのか、わからない。どんな意味であれ、正確な電磁の絵など想像できない。わたしが電磁場を知ってから長い− 25年まえ、わたしは諸君とおなじようだった。そしてわたしは、この波のうねりについて、25年余計に考える経験をもっている。わたしが、空間を伝わる磁場を記述しようとするとき、わたしは、E 場やB 場の話をして、腕を波うたせるので、諸君はわたしに、それが見えると想像するだろう。

わたしに何が見えるかいおう。

わたしには、ぼんやりとした影のような、くねった線が見える。

そこここにE とB がそのうえに何とか書いてあり、おそらく線のどれかは、矢印をもっている。

わたしが、あまり近よって見ようとすると、ここの矢、あそこの矢が消失する。空間をさっとすぎていく場というとき、わたしは物を記述するために使う符号と物そのものとのひどい混乱をひきおこす。ほんとうの波に大体でも似ている絵を描くことをむづかしいと思っても、諸君の困難が特別だと気にする必要はない。

われわれの科学は、想像力にひどい要求をする。要求される想像力の程度は、ふるいむかしの観念に要求されるのに比べると非常に厳しいものがある。




電磁場をもっと温度に似た何か、たとえばゼリーの各部位の変位のようなものであらわせないか。

まず最初に、世界はゼリーのようなものでみたされていて、場は、のびとか、ねじれとか、そういう変形を表すと想像してみるとしよう。こうすると、場を視覚化できる。どう見えるかわかったら、ゼリーを取り去ってしまう。

これが、長い間やってきたことである。マクスウェル・アンベール・ファラデーなどは電磁気をこのように理解しようとした。(かれは、抽象的ゼリーを゛エーテル゛と言ったこともある)

しかし、電磁場をこのように理解しようとする試みは、実は進歩を妨げるものであることがわかってきた。

不幸にして、抽象的概念、装置による場の検出、数学的記号による場の記述など以上にでるわけにはいかないのだ。

それでもなお、ある意味で場は現実のものである。

というのは、数式をいじりまわし、絵や図面を書いたり、物を視覚化しようとしたり、しなかったりのあとで、装置をつかってマリナー2号からの信号を検出し、何十億マイルもむこうの星雲について発見したりするからである。


われわれの言う電場や波動は、すきなようにできる、のんきな考え方ではなく、既知の物理学の法則のすべてと合う考え方でなくてはならない。

既知の自然法則と明らかに矛盾する物をまじめに想像することはわれわれに許されない。このようにわれわれの空想はむづかしいわざだ。

見たことも、聞いたこともない物を考える想像力も持たねばならない。

それと同時に思考は、いわばきゅうくつな服を着たようなもので、自然のほんとうのあり方に関する知識をもとにした条件で制約されている。

新しいが、これまでみたすべてと矛盾しない物を創造する問題はきわめて困難なものである。








この問題から離れないうちに、
わたしは「見えない物の美」を想像できるものかどうかについて話したい。

面白い問題だ。
虹をみると、われわれには美しくみえる

このスペクトル曲線をみて、直接に虹を眺めるのと同じ美しさを見るだけの想像力がわれわれにあるだろうか。わたしには、わからない。

しかし、塩化ナトリウム結晶の反射率を、赤外領域の波長の関数として、また角度の関数としてグラフにしたとする。そうすると、もしわたしの眼に赤外線がみえるとしたらどうみえるか表示することはできるだろう。

恐らくあざやかな、つやのある ゛緑゛に、゛メタリック・レッド゛色の面からの反射のまじったというような。それはきれいだろうけれども、ある装置で測定したNaClの反射率のグラフを眺めて同じ美しさがあるとわたしが言うかどうか、わたしにはわからない。

これに反して、個々の測定結果の美がわからなくても、物理の一般法則を記述する方程式にある美をみると主張することはできる。





コメント (0)

資料メモ/ファインマン物理学講義より
「ファインマン物理学」第3巻『電磁気学』
/岩波書店刊からの引用集



空間と時間
物質とひかり
電気と磁気
それぞれの関係はどれも、相対論的である。

ギリシャ人が研究した多くの現象のうちに奇妙なものが二つあった。コハクの一片をこするとパピルスの小片を持ち上げられること、
マグネシア島産の変な石が鉄をひきつけること。
電気や磁気の示す現象のうちこれだけが、ギリシャ人に知られていたのはおもしろい。この現象だけが知られていたのは、電荷の驚くほど、精密なバランスによることが大きい。

ギリシャ人の、のちの科学者たちは、コハクや磁鉄鉱の効果の一面である現象をつぎつぎに発見していった。今日では化学作用や、究極には生命の現象も電磁気学によって理解できるようになろうとしていることを知っている。

人類の歴史という長い眼から、たとえば、今から一万年後の世界から眺めたら、19世紀の一番顕著な事件が、マクスウェルによる電磁気法則の発見であったと判断されることは、ほとんど間違いない。


電磁場の相対性

歴史的にいうと、相対性原理はマクスウェルの方程式の後に発見された。事実、電気と磁気の研究がついに、アインシュタインの相対論の発見へと導いた。


電気と磁気の密接な関係

1820年の電気と磁気の間の密接な関係の発見はひじょうにめざましいものであった。このときまでは、二つの現象は全然無関係と思われていたのだ。最初の発見は針金に流れる電流が磁場をつくることであり、同じ年のうちに電流を運ぶ針金が磁場から力を受けることが、発見された。


モーター
力の存在の発見に伴っておこる大きな期待の一つは、それを原動機に利用して仕事させる可能性である。上にのべた発見後、間髪を入れず、電流の流れている針金に作用する力を利用した電動機(モーター)の設計がはじまった。


磁場と電場 《旅は道づれ》
電流が磁場をつくることがわかると、すぐに人々は、ひょっとすると、磁石も電場をつくるのではないかと考えた。いろいろの実験が試みられた。

たとえば、2本の針金を平行におき、一方の針金に電流を通すと、他方の針金に電流が流れないかと、期待された。《旅は道づれ》のような原理に従って、磁場が第2の針金内の電子をつれていくようにならないか、という考え方である。
利用可能な最大の電流を流し、電流が流れれば、感知できる、最も敏感な検流計を使用しても、結果は否定的であった。大きな磁石を針金の近くにおいても、何の効果もなかった。

ファラデーの誘導作用
やっと、1840年にファラデーが、それまで見落とされていた本質的な要因を発見した。それは、「変化するものがある」ときに限って、電気的作用が存在することである。一対の針金のどちらかの電流が 「変化する」と、別のほうに電流が誘起されるし、ある電気回路の近くで磁石が「動く」 と電流がおこる。このとき、電流が 「誘導される」 という。これが、ファラデーがみつけた、誘導作用である。

低温や超伝導の全領域がやがて、電力輸送の問題に応用されることはありそうである。

誘導法則を発見したときに、突然われわれの理論が、巨大な実用上の発展と結ばれたことをよく認識すべきである。 

マクスウェルの方程式
問題とするのは、方程式が正しいかどうかである。
そして、数えきれないほど多くの実験が、マクスウェル方程式を確かめた。かれが建設するのに使った足場をはずしても、マクスウェルの壮麗な殿堂しっかりと立っている。かれは、電気と磁気の全法則を集めて、一つの完成したうつくしい理論に仕上げたのである。
コメント (0)

資料メモ/世界の車窓からイギリス篇
平成8年9月25日
富士通株式会社


絶好調のシリーズ!「世界の車窓から〔IV〕イギリス編」を新発売
〜「旅」と「鉄道」が楽しめるCD-ROM2枚組で内容充実〜



当社はこのほど、CD-ROM作品「世界の車窓から〔IV〕イギリス編〜スコットランドへの旅と蒸気機関車めぐり〜」(標準価格:Windows版、Macintosh版 各6800円)を、テレビ朝日、テレコムスタッフの協力を得て開発し、11月1日から販売開始いたします。

「世界の車窓から」は、昨年9月の第一作「スイス編」発売以来、「中国編」(96'1)、「イタリア編」(96'5)を次々とリリースして、コンテンツ作品の定番シリーズとして成長してきました。以上三作品の累計本数は、23万本に達しています。
本作イギリス編は、初年度で国内4万本の販売を見込んでおり、今後3年間で国内/海外を合わせ20万本の販売を目指しています。

今までの「世界の車窓から」ユーザ層を分析すると、旅行ファンとともに「鉄道」ファンが全体の約30%を占めており、本シリーズが鉄道に興味を持っている方々からも支持されていることがうかがえます。
テレビ番組の雰囲気をそのままに、街から街へインタラクティブな旅をしていくという演出に加えて、鉄道発祥の国であるイギリスを題材とした本作品では、今なお動態保存されているSLや、さらには鉄道史、鉄道博物館、英仏海峡を結ぶ最新のユーロスター(特急)など映像・音・情報を豊富に盛り込み、「鉄道」ファンの期待にもお応えします。

【「世界の車窓から〔IV〕イギリス編」の主な特長】

1. 前三作と同様にテレビ番組「世界の車窓から」の雰囲気をそのままCD-ROM化しております。さらにロンドン観光や、鉄道の歴史・文化に関する情報、時刻表、ボランティアの人々のインタビューなど豊富内容でご紹介します。

2. イギリスの代表的なカントリーサイドを訪ねる仮想の旅を演出するDisc1と、今なおボランティアによって保存されている蒸気機関車を、臨場感あふれる音と未公開も含む貴重な動画で特集したDisc2のCD-ROM2枚組からなっております。

3. テレビ未放映部分も含めて、CD-ROM用に再編集したデジタル動画映像約90分は、迫力あるフル画面に拡大して見ることもできます。

4. 新たに現地ロケ取材した最新のイギリス観光写真の他、鉄道に関する写真約 650枚を収録しています。


「世界の車窓から〔IV〕イギリス編」の概要

鉄道発祥の国イギリス。英国鉄道とSL保存鉄道に乗って、鉄道の歴史と文化に触れる旅に出ます。J.スティーブンソンの「ロケット号」から最新のユーロスターまで、鉄道と旅のロマンがじっくりと堪能できます。

【 機 能 】
● Disc1(1枚目)

ロンドンからスコットランドの古都エジンバラまでをメインに、イギリスの車窓風景を6つのコースでめぐります。車窓には、イングランドの田園風景や、中世の面影を残すヨーク、古都エジンバラのたたずまい、海の向こうのロンドンデリーなど変化に富んだ景観が広がり、私たちの目を楽しませてくれます。
(1) 見どころたっぷりのロンドン観光:
全方向自在にスクロールする全体イラストマップをたよりに、ロンドン観光を満喫できます。

(2) ロンドン・ナイト:
エジンバラまでの旅を終えると、美しい夜景の中でロンドンを楽しむことができます。テムズ河ナイトクルージングなど、夜ならではの観光が楽しめます。

(3) シリーズでおなじみの機能もサポートしています。
・ 「フルサイズ動画」....すべての動画を迫力あるフル画面モードでもお楽しみいただけます。

・ 「パノラマ画面」......各街にちりばめられたパノラマ画面により、現地でしか味わえない景観が楽しめます。

・ 「旅のアルバム」......気に入った場所や動画を撮影して自分だけのアルバムが作れます。

・ 「急行列車の旅」......全行程を終了後、車窓のハイライトムービーをオートプレイモードで楽しめます。

● Disc2(2枚目)

イギリスが生んだ蒸気機関車に深い愛情をそそぐボランティアの手によって、動態保存されている蒸気機関車をご紹介します。保存鉄道の動画や写真、鉄道を支える人々のインタビューのほか、鉄道博物館や鉄道史、最新のユーロスターなど、鉄道に関する情報を盛り込んでいます。
(1) イギリス各地を走る保存鉄道と、英仏を結ぶユーロスターの動画が豊富に収録されています。

(2) 世界最大の「ヨーク国立鉄道博物館」を写真と動画でご紹介します。

(3) ムービアルバム、および動画のフルサイズ表示をサポートしています。


「世界の車窓から〔IV〕イギリス編〜スコットランド への旅と蒸気機関車めぐり〜」

【販売開始】 1996年11月1日 Windows版/Macintosh版 同時発売
【標準価格】 各6800円(税別)
【企画・制作】 富士通株式会社
【制作協力】 テレビ朝日テレコムスタッフエフエム・アーツ
【開発・発売元】 富士通株式会社
【販売元】 富士通パレックス株式会社
【動作環境】

〔Windows 版〕

●Windows3.1

* 日本語MS-DOS Ver.6.2以上
* QuickTime2.0 for Windowsが動作する機種
* CPU :i486DX2-66MHz 以上
* ディスプレイ :640 ×480ドット/32768色以上32768 色推奨
* メモリ :8MB 以上(16MB以上推奨)
* CD-ROMドライブ:倍速以上(4倍速以上推奨)
* Windows3.1対応サウンド音源必須
●Windows95

* QuickTime2.0 for Windowsが動作する機種
* CPU :i486DX2-66MHz 以上
* ディスプレイ :640 ×480ドット/Highcolor(16ビットカラー)以上、Highcolor 推奨
* メモリ :16MB以上
* CD-ROMドライブ:倍速以上(4倍速以上推奨)
* Windows95対応サウンド音源必須
〔Macintosh 版〕

* システム :漢字Talk7.1.2以上
* CPU :68LC040 以上
* ディスプレイ :13インチカラーモニター(640×480ドット)32000色
* 空きメモリ :6MB 以上
* CD-ROMドライブ:倍速以上

All Rights ReservedCopyright FUJITSU LIMITED・TV Asahi・TELECOM STAFF INC.19951996

※ Windowsは、米国Microsoft Corporation の米国およびその他の国における登録商標です。
※ Macintoshは、アップルコンピュータ社の商標です。

以 上
------------------------------------------------------------------------
報道関係お問い合わせ先
富士通株式会社 広報室
電 話(03)3216-7952 (直通)
E-mail:saito@hq.fujitsu.co.jp お客様お問い合わせ先
富士通パレックス株式会社
電 話(03)5703-2752 (直通)
FAX(03)3730-3229
E-mail:spn00110@niftyserve.or.jp
コメント (0)

資料メモ/マンチェスター
「誰か教えて!」の回答集


マンチェスターについて教えて下さい (00/01/07)
マンチェスターについて歴史、場所、代表的な王室関係者などおしえて下さい。
(夜さんの質問)

ももじの回答 (00/01/07)
マンチェスターは私よりもひつじさんの方が詳しいと思いますが、百科事典にあるくらいの内容でよければ、次の通りです。
(出典:日立デジタル平凡社世界大百科事典)

1.場所
イングランド北西部,グレーター・マンチェスター州にある。

2.歴史
始めはケルト人が住んでいたが、ローマ人が支配し要塞を作った。ローマ時代はマンクニウムと呼ばれていた。
12世紀に羊毛工業が成立し、14世紀にフランドル地方からの移民によって発展した。
16世紀末に綿工業が始まり、17世紀に入って発達する。この頃、羊毛工業の中心はリバプールに移っている。
18世紀の産業革命で世界の綿工業の中心となる。(蒸気機関を用いた紡績工場が初めて稼働したのは1789年) 1838年に自治都市となり,自由貿易の中心的役割を果たすようになる。
1894年にマンチェスター運河が作られ、1830年には世界初のリバプール・マンチェスター鉄道(スティーブンソンのロケット号が走った鉄道)も開通した。
第2次大戦では空襲で大きな被害を受けたが、現在は美しい景観を持つ都市になっている。
教育文化施設としては、マンチェスター大学、公共図書館のチェタム図書館、ジョン・ライランズ図書館などがある。

3.王室関係者
調べたけどわかりませんでした。マンチェスター伯爵はマンチェスター出ではなかったでしょうか?
コメント (0)

資料メモ/世界の産業博物館
もっと学習したい人のためのに

(1)世界の産業博物館の展示

その博物館が誕生した社会を反映する。どの博物館の機能・在り方も今日でも重要である。ロンドン科学博物館は、実物資料による技術の歴史の紹介を行っていたが、最近はハンズ・オン展示に人気が集まっているといわれる。ドイツ博物館は、実物資料による技術の歴史とカットや動作展示による仕組みを徹底的に紹介しており、産業技術博物館として最も優れているとの評価がある一方で、あまりに技術や原理展示に偏っているとの評価もある。スミソニアン・アメリカ歴史博物館は、「技術史展示」「人物の展示」「社会との関わり展示」の段階を経てきた。ラ・ビレット産業科学都市は、フランスの最先端科学及び産業技術の展示と「こども産業都市」等の斬新な運営手法の採用。フランスにはこの他に,国立工芸院に設置されている「国立技術史博物館」,グランパレ内にある「発見宮」があり,それぞれ 「技術史資料の収集・保存」「科学の原理の紹介」「先端技術の紹介」 からの展示を行っている。これは,千葉県立現代産業科学館の三つの部門ともなっている。

スミソニアン・アメリカ歴史博物館 「情報時代」の展示

1.人間・情報・技術( 1839 年〜 1939 年)

○電信機

○電話

○無線の発明

○真空管の発達

○ラジオ放送の開始

○統計・データ処理の歴史

2.第二次世界大戦:情報戦( 1940 年〜 1945 年)

○暗号解読

○レーダー

○電子計算機

○原爆開発

3.人間・情報・技術( 1946 年〜現在)

3-1 民生分野へのエレクトロニクスの適用

○初期のテレビ(テレビ討論)

○初期のコンピュータ

○オーディオ製品

3-2 基盤形成の時代( 1946 年〜 1960 年)

○コンピュータ産業の草創期

○防空監視

○兵器管理等のための

3-3 社会のメインストリームへ( 1961 年〜 1975 年)

○航空券予約

○POS システム

○全米犯罪センター

スミソニアン・アメリカ歴史博物館 「 Science in American Life 」の展示

1. 導入部 ムアメリカ人にとって科学とは何かー

2. 実験室科学の到来( 1876 年〜 1920 年)

南北戦争までのアメリカの科学は野外観察と同意義だった. 1870 年代の大学が実験科学をもたらした.

3. 科学とは進歩を意味する( 1920 年〜 1940 年)

4. 科学の戦争への動員( 1940 年〜 1950 年)

5. 科学万能時代( 1950 年〜 1970 年)

6. 大衆の目( 1970 年〜)
7. 将来はー科学復権の時代だろうかー( 1970 年〜)

8. ハンズ・オン・サイエンス・センター

DNA の組み替え実験,食品添加物の安全性への問いかけ

ロンドン科学博物館 の展示構成

1. 動力(ボールトンとワットの蒸気機関,アークライトの水力紡績機)

2.宇宙 の探検(v 2ロケット,アポロ 10 号の司令船,宇宙服)

3. 陸上輸送( 1905 年のロールス・ロイス,スティーブンソンのロケット号,安全自動車)

4. ラウンチ・パッド

5. 鉄鋼(平炉の実物大模型,コールブルックデールの夜 1801 年)

6.ガ ラス(古代エジプトのビーズから近代のガラス生産過程)

7. 電気通信( 1830 年代〜 1980 年代までの電気通信史,電線ケーブル 1910 年の船内無線室等)

8. プラスチック

9. ガス(都市ガス,天然ガス)

10 .農業

11 .気象学

12 .測量

13 .時間測定

14 .フード・フォア・ソート

15 .化学工業(最初の人造染料)

16 .ドッグと潜水( 18 ・19 世紀の造船ドッグの模型)

17 .船舶(英国軍艦プリンス,最初の鋼鉄船グレートイースタン号模型)

18 .海洋工学(外輪とスクリュー,ボイラー)
19 .航海術

20 .石油( 1933 年のポリエチレン装置)

21 .核物理と原子力(トムソンの電気管)

22 .印刷と製紙( 1710 年代の印刷工場)

23 .重さと寸法(国内基準)

24 .照明(スワン電球,エジソン電球,石油照明)

25 .化学(クリックとワトソンの DNA 模型,細胞の内部, 1890 年代の化学)

26 .計算機の今と昔(パイロットエース・コンピュータ)

27 .光学(ホログラム,アダムスの銀製顕微鏡)

28 .18 世紀の科学

29 .熱と温度

30 .写真と映画撮影( 1930 年代のカメラ店,フォックス・タブロットのカメラ)

31 .飛翔(ホイットルのジェット・エンジン)

32 .地球物理と海洋学(稼働している地震探知機)

33 .ウエルカム医学史博物館(第4&5フロアー)( 1930 年代の歯科医の診療所, 1905 年の薬局, 1860 年代の出産, 1880 年の心臓切開手術,パストゥールの装置)

34 .子どもコーナー(庭,家庭におけるひみつの生活,ものについて)

科学産業都市 ラ・ビレット

展示「エクスプローラー」

1.地球から宇宙へ
2.ハ生命の冒険

3.物質と人間の活動

4.言葉とコミュニケーション
「こども都市」

「ジオット」

(プラネタリューム,全天周映像)

「メディア図書館」

「巨大水族館」

ドイツ博物館の展示構成 (1997 年の図録から)

1.環境: The Environment

2.鉱物と天然ガス: MINERAL OIL AND NATURAL GAS MINIG

3.金属学: METALLURGY

4.溶接とハンダ付け: WELDING AND SOLDERING

5.機械道具: MACHINE TOOLS

6.動力機械: POWER MACHINERY

7.機械と部品: MACHINERY COMPONENTS

8.電力: ELECTRICAL POWER

9.水力工学: HYDRAULIC ENGINEERING

10 .乗り物と自転車: CARRIAGES AND BICYCLES

11 .自動車とオートバイ: AUTOMOBILES AND MOTORCYCLES

12 .鉄道: RAILWAYS

13 .トンネル建設: TUNNEL CONSTRUCTION

14 .橋と建物: BRIDGE BUILDING

15 .海洋航行: MARINE NAVIGATION

16 .科学的道具: SCIENTIFIC INSTRUMENTS

17 .エネルギー技術: ENERGY TECHNOLOGIES

18 .物理学: PHY SICS

19 .楽器: MUSICAL INSTRUMENTS

20 .化学: SCIENTIFIC CHEMISTRY

21 .化学工業: INDUSTRIAL CHEMISTRY

22 .航空術: AERONAUTICS

23 .航宙学: ASTRONAUTICS

24 .アルタミラの洞窟: ALTAMIRA CAVE

25 .陶芸: CERAMICS

26 .グラス: GLASS

27 .TECHNICAL TPYS

28 .紙: PAPER

29 .印刷: PRINTING

30 .写真術とフィルム: PHOTOGRAPHY AND FILM

31 .織物: TEXTILES

32 .測地学: GEODESY (SURVEYING AND MAPPING)

33 .コンピュータとオートメーション: COMPUTERS AND AUTOMATION

34 .マイクロエレクトロニクス: MICROELECTRONICS

35 .遠距離通信: TELECOMMUNICATIONS

36 .農業: AGRICULTURE

37 .時計(時間計測): CHRONOMETRY (TIMKEEPING)

38 .計測: CHRONOMETRY

39 .重さと測定: WEIGHT AND MEASURES

40 .天文学: ASTRONOMY

41 .天文台: OBSERVATORY

(2)千葉県立現代産業科学館の展示

1850 年から 1950 年までの世界の産業技術史と 1950 年から現在までの千葉県における産業技術史を取り扱うこととしている。現代産業科学館においては明らかに「世界史における産業技術史」と「千葉県という地域における産業史」の展開という二つの産業技術史が存在する。

以下に産業技術史との関係で,現代産業科学館における展示の関係を述べる。

現代産業科学館における常設展示は,歴史的事項は「原理をよりよく理解する」「技術と産業との関係を示す」「産業と社会との関わりを示す」ことをねらいとしている。

また,産業技術を展開する時には,できるだけ一般の理解が容易なように素朴な疑問に答えるように企画した。すなわち,「鉄・石油・電力」について「人類との出会いはどうであったか」「大量生産を可能にした技術は何か」「大量生産の産業」「社会に与えた影響」「現代の技術」「各産業の未来」として,共通的にストーリー展開を行っている。

ア.現代産業の歴史部門

�@人類と鉄・電気・石油との出会い(インド,エジプト,ギリシャ等の地域の技術)

�A1850 年〜 1950 年までの世界の大量生産の歴史(鉄・電力・石油の 19 ・20 世紀の歴史)

�B1950 年〜 1985 年までの千葉県工業の歴史(千葉県の鉄・電力・石油と先端技術の歴史)

イ.先端技術への招待

先端技術の基盤技術(超微粒子,超高温,超高圧,超低温,超真空,超微細技術),エレクトロニクス,新素材,バイオテクノロジー,(エネルギー),地球環境

ウ.創造の広場

生活の科学(交通・住まい・情報の科学),創造の科学(力学・光と音・物質の科学),サイエンス・ステージ,世界を変えた発明・発見,放電実験室

エ.企画展示

常設展示で行われていないテーマに関する企画展示,他の機関との連携した企画展示

平成12年度 「数学展」「千葉の近代化遺産」「万博の歴史展」当を予定

詳しくは現代産業科学館( tel 047-379-2005 )へお問い合わせください。

コメント (0)

転回。
気がついたら午後5時。
熟睡できた。
明日のプレショーラフプラン提出の件で
電話ではまだるっこしいので電通テックへ。
上がるのは面倒だから近くの喫茶店で松谷さん、宮川さんと話す。
帰りにPCLに寄り昨日のHDテスト撮影したものをDVCに落としたものを受け取る。
これは明日の夜、PCLで編集し明後日試写。

いったん渡辺と別れ
渡辺は宮本さん案件のブラッシュアップ。
こっちはプレショーラフプランのブラッシュアップということに。
二時間後をメドに宮本案件をチェックしたら
明日のHD編集に備え、DVCをウエブデータにチェンジしてもらう。

明日は午後1時過ぎにJRでプレショーラフプランの打合せ、
午後6時30分から六本木のメディアマーケットでプレゼンビデオのチェック。
午後8時30分からSONY PCLでHD素材の編集。
コメント (0)

ヤドランカの陰影
武田君から「ヤドランカ」のアルバムづくりに協力したとメールが届いていたので、
寝る前にアクセス。
「ヤドランカ」が何者なのか、まったく知らず
たいして期待もせずにクリック。
「いいじゃないの幸せならば」。

17の頃によく聴いた唄だった。
涙がぼろぼろ出た。
やさしいひらがなのような歌詞を
ずいぶん久しぶりに聴きながら
鼻の奥が痛んだ。

ウエブで「ヤドランカ」をチェックすると
サラエボ出身の歌手だとあった。

もういちど聴きながら
きっと美しい人なのだろうな、と思った。
日本人が歌わなければ
日本語も悪くねえな、
なぜかそう思った。

この人の歌う他の曲をぜひ聴いてみたい。
コメント (0)

帰京
兵庫ロケ終了。収穫多し。
空路と陸路の二班仁わけ、帰京。
おれは陸で。
有本君からタヒチ土産のCDとココナツ石鹸をもらう。
戻ったらスティーブンソンのロケット号の入ったCDが届いていた。

ロケ中は、二時間ずつくらいしか眠れず。
コメント (0)

では、暴言するぞ
メーリングに撮影技術班への要望というか希望というか絶望を書き、送った。
non!から入るネガティブさを一昨日はガマンしたが、徐々にキレてきた。この頃は発火点がほんとうに低くなったのだ。
で、一発、投じた。

梅雨入りしたせいか
彼我の温度差がうっとうしい。
たかがワンカットのテストを否定されたくらいで、何をうろたえていやがるのか、しゃらくさくなってきた。
奴隷じゃあるまいし、出来なけりゃシャッポ脱ぎゃいいじゃねえか。

「劇映画じゃないから」
あの一言がたぶんカンに障っているのだと思う。
このご時世に「劇映画」という感覚も相当なものだが、
士農工商の江戸時代の職人じゃあるまいに
何が「劇映画」か、とまだ虫が騒ぐ。

気が弱いのか力が無いのか。
それにしても何が面白くて看板ぶら下げているんだか。
名刺に肩書き書いているのだか。

2年前にまだ生きていた秋山庄太郎に
「なぜ花なのですか」と聞いたら
「花が撮ってほしいと語りかけてくる」と答えた。
そうか、もう女優たちは語りかけてこないのか、と思ったことはさておいて
キャメラマンつーのはそういうものではねーのかと思う。
そういう煙に巻くようなことが言えてはじめて飯が食えるのだろーと思う。
おれもそんなことを言ってもらいたいのだよ。
「リニアがこう撮ってね」と話しかけてくるんですよ、と。
そりゃ、少しは気持ち悪いけど。
そういう意気込みというか、破天荒さがないと一緒に空気すってもうまくねーんだよ。
「見たこともない映像なんて撮れない」
なんてリーマンみてえなこと言うなよ。
あたりめえだろーが。
寝ぼけ宗教じゃねーんだから、見たこともねーもの撮れっこないだろ。
比喩だよ比喩。メタファーね。
人間だけが(たぶん)持っている想像力だろ。問題は。
誰の足下にだって、まだ経験したことも見たこともない、ワンダーランドがあるのだと、
そう覚悟しなくてなにが映像だ。
江ノ島の観光写真屋じゃねーだろう。ったく。

だてにキャリア積んでるわけじゃねーだろう。
頭が腐るまで考え続けろよ。
斜に構えてるんじゃねーよ。
難しい、から入るのだけでもやめろよ。
旦那に金出してもらってはじめて仕事になる
たかがちんどんやじゃねーのか、おまえもおれも。
ほかよりはいくらかうまくてましだろーと
思い込んでるちんどんや、芸者でもいいや。
別に卑下してるわけじゃない。
頼まれなけりゃ始まらない。そのことをしって欲しいのだ。
吉原一番の名大夫くらいの見えきってみろよ。

テーブルひっくり返す寸前まで行ってるぞ。
おれは紳士だから手袋投げたら一歩も引かないよ。
手袋投げたらなんでもありだよ。


せめて勝負にもちこませてね。
プレはいっさい考えなくていいよ。
プレはおれのチームでやるからね。

以上、暴走したが、二三日このままにしておく。暴飲のかわりである。
コメント (0)

七夕のライトダウン
渡辺と手分けして資料をウエブにアップ。
これで積水ハウスのロケに行ける。
朝刊にしゃれた記事がのっていて、ホッとした


○以下、朝日新聞より引用
「天の川見て」 石垣島、8月2日全島ライトダウン
------------------------------------------------------------------------


石垣島
 沖縄県の石垣島(石垣市、約1万8000世帯)が、旧暦の七夕に合わせて8月2日に全島ライトダウン(一斉消灯)をする。島内に昨年、国立天文台が直径20メートルの電波望遠鏡を完成。市と天文台などが「南の島の星まつり」を共催し、その中で行う。ホテル、商店街、住民に協力を求め、信号以外は街灯も消すよう関係機関と調整中。223平方キロメートルと大阪市並みの広さの規模のライトダウンは世界でも珍しい。

 ライトダウンは午後8時からの1時間。病院など消灯が難しい施設には窓にカーテンを引いてもらう。

 まつりの実行委員会で事務局長を務める予定の嘉数(かかず)博仁さん(同市観光課課長補佐)は「昔は家の縁側からでも天の川が見えた。美しい夜空をよみがえらせ、住民にも観光客にも見てほしい」と話している。

 国立天文台は01年から、梅雨明け後で条件がいい旧暦七夕のライトダウンを全国に呼びかけている。今年は8月4日月曜にあたるが、石垣島では土曜の晩に行うことになった。

 これに合わせ、天文台も島内で電波望遠鏡の公開、星空観望会、講演会などを催す。海部宣男台長は「子どもたちに年1度、1時間でも天の川を見せたい。石垣島のような動きが広がってほしい」と期待を寄せる。
コメント (0)

まんじゅうこわい
注文したロケット号マーチ資料を開けてびっくり。楽譜だけだった。もう一度ウエブショップの記載を熟読。なるほどCDは別にリンクあり。音痴の俺が、21000円分の吹奏楽の楽譜を手に、ほとんどパパラギ状態。アリの行列のようないわば絵文字が裏表びっしり印刷され、はて何十枚あるのか、数えるのも面倒だ。

気を取り直し、CDを追加注文。こちらは1枚2500円ばかし。無知は怖いな。会場の展示資料ということで小道具扱いにしてもらおうかな。あるいは補修用の壁紙とかね。

松谷氏からウエブで見つけたという
「原図で見る科学の天才シリーズ」第6巻
「スティーブンソンと蒸気機関車」玉川大学出版部刊
河上氏から「蒸気機関車の興亡」齋藤晃著/NTT出版刊 
が届く。週末と兵庫ロケはいい読み物ができたことになる。

これから宮本さんの仕事のメドをつけ、ロケの準備をしたら明日は三田。
新大阪でネギ焼きを食えるかな。
コメント (0)

《安政五年の大脱走》★★
五十嵐貴久著/幻冬社刊

あちこちでなかなかの評判だったので読んでみたが、ペケ。
たぶん、この倍から3倍書き込まないと成立しないのではないか。
構成がストレートすぎて、つかみが悪すぎる。
冒頭の井伊直弼青年時代の純情篇がいつのまにか、ありきたりの悪役像にかわり、ストーカーまがいの話に落ちる。
なぜ美雪姫の脱出行に五十一人のとらわれた藩士たちが全存在を賭けられるのか、
武士道一本やりではあまりに陳腐。
バルーンによる脱出成功の伏線のはりかたがアンフェア。つまりカタルシスが弱い。
せっかくの度肝抜くシーンが死んでいる。
後日談も、ペンを抑えたつもりだろうが、単なる舌足らず。
面白かったのは表紙絵と口絵のみ。だまされた。
ちかごろのミステリー系の書評はほんとうに信用ならない。
コメント (0)

Nigel Hessのロケット号
CGが上がってきたので、渡辺のパワーブック12を借り、まとめる。
音楽を貼り付け、約2分30秒。
とりあえず母型完成。

ロケット号についてウエブサーチ。

「Nigel Hess
今回は、イギリスの作曲家、ナイジェル・ヘスの世界をお楽しみいただきます。

1953年、イングランドのウェストン・シュパー・メア生まれ。
ケンブリッジ大学在学中にフットライツ・レビュー・カンパニーの音楽監督になったのを皮切りに、1981年から5年間はロイヤル・シェークスピア・カンパニーの音楽監督/座付き作曲家として活躍。作曲家・指揮者として、現在までに数多くのTV、ラジオ、映画、舞台のための音楽を手がけています。

今回お贈りする作品は、いずれも彼の代表作であり、日本でも非常に人気の高い「スティーヴンスンのロケット号」「イースト・コーストの風景」「グローヴァル・ヴァリエーション」の3曲です。ヘスならでは、ポップできらめくような吹奏楽の世界を、自作自演でお楽しみください」

という記事をみつけたので楽天市場に発注。
楽譜付きで21000円。楽譜はなくても良かったけど、万が一使う場合を想定。
残り2セット、とあったのでつい購入。
コメント (0)

むじな残党
うれしいメールあり。

あの時も、時制がわかりにくいと言われ
彼が大きなボードに相関関係図を書いてくれ、
県に行って一緒に説得した。
ま、煙に巻いたわけだ。

末尾に「むじな残党」と記されており
これがとりわけ嬉しかった。

考えてみれば
高橋、池田、桑田、渡辺、完周、山家…
すでに6人もいる。おれを入れたら7人。

仕上げにあかりやさんたちが来れば、
ほぼむじなの森である。

心配することもねえか。
コメント (0)

カメラ設置テスト
明日は大月。5時半起床で6時過ぎにオフィス発。
カメラ設置ポジション等のチェック。
クレーン班とトンネル班の2チームで同時進行予定。
トンネル内は、真横を500km/hのスピードで通過する時、
カルラへの影響がどの程度か。
これは耳栓必須で3時間雪隠詰めらしい。
もう一つは大型クレーンの安全チェック。
鉄板で養生するなど、本格的なテストになる。
キャメラはHD-CCDとHD-F900。
コメント (0)

《帰らざる荒野》★★★
佐々木譲著/集英社刊

小説すばるに断続的に掲載した中編集。
どういう理由でか並べ方が変わっていて
時制が前後しているのが興をそぐ。
佐々木自身のちえなのか編集者の小才ゆえなのか知らぬが、妙に混乱させられた。
二番目に並べた「牧場の流儀」をどうして外さなかったのかふしぎ。
一本の長編にまとめていれば、もう少し読みごたえのあるものになっていただろうに、
なぜ、出してしまったのか、貧しさだけがにじむ。
コメント (0)

《鉤》★★★★★
ドナルド・E・ウエストレイク著/文春文庫刊

リチャード・スターク名義の《悪党パーカー》シリーズに比べると雲泥。
ここで終わるのをなるほど、とは思ったが、
むしろここまでプロローグとして、ウェインとスーザンが越してきてからの物語を読んでみたい。
ま、そこが《ミステリー》の限界だろうが。
しかし翻訳の木村は相変わらず嫌みな男だ。
後書きを読みながらつぐつくそう思った。
瑕があるとすれば、その一点。
面白かった。
コメント (0)

三田行き
3時間、ベッドの上でもんもんとした。
といってももだえたわけではない。眠れなかった。
プレショーのエピソード集めが、効いたのだ。
乗れてきているな、あらためてそう感じた。
これから東京駅へ。

三田は何年ぶりになるのか。
コメント (0)

覚え:よおそろ 2002.8.27
去年の夏の盛りに書き上げた演出プランの後書きを、ここにコピーする。この思い込みがどこまでカタチとなったのか、あるいはならなかったのか。書き上げた日の夕、はじめて繋留されている氷川丸に乗った。海風に吹かれながらビールを飲み、火照った脳を冷ました。スタッフ達がいま、最後の仕上げに徹夜でかかっている。おれは一人離れて東京で産業革命から明治22年までこちらは鉄路の蒸気の旅を続けたが、さすがに今夜は力が尽きた。第二革命と第三革命のメモは明日にまわし、眠ろうと思う。
開港の街で夜を徹して最後の鞭をいれているすべての関係者に愛をこめて、われわれが行こうとした世界、われわれがカタチにしようとした想いをあらためて引いておく。たとえつたない情熱であっても、われわれはこんな想いでこの一年を過ごしてきたのだ。日本郵船博物館のテーマは進行形。その瞬間にし残したことがあったら、明日がある。行ける所まで行ったら、胸を張って扉を開けるように。悔やむことも恥じることもない。
諸君、港だ。錨を下ろすぞ。


2002年8月27日の後書きより++++++++++++

明日は
どんな光と色にいろどられ
どんな風をなびかせて
私たちの前に現れるのか


岩崎弥太郎の獅子吼とともに
その幼い歩みを踏み出し
彼の描いた夢と志を未知の海図とした
私たち日本郵船は
百余年の歳月を過ごしてここにある


そして
私たちは海に囲まれ海とともに
その歴史を綾なしてきた
日の本の、海の民の末裔である


目にも鮮やかな緑でおおわれた
このいくつもの島々を
日本という名のもとに
一つの国としてまとめあげた
海の民の末裔である





私たち日本郵船は
二引の旗と日の丸を掲げ
七つの海をわが庭とし
肌の色も目の色も異なる
たくさんのひとたちを友として
百余年の歳月を航海しつづけてきた


この歴史資料館には
私たちがこの海の国を母国に
七つの海をこえて為してきた
あるいは為そうとして果たせなかった
無数の思いと試みの痕跡が
夢の破片の一部が
とどめられ展示されている


さらにみなさんが立っている
この場所には
私たち日本郵船が
今日というこの瞬間に刻みつけている
現在進行形の歴史が表示されている
同時に私たち日本郵船が
その先の明日に残そうと夢見る
航跡の姿が提示されている


その夢は
弥太郎の夢想から
どれだけ遠ざかったのか
近づいたのか

そして 乗り越えられるのか


よおそろ!
コメント (0)

覚え:役割と位置づけ2002.9
海に囲まれ海によって遥かな世界と結ばれた日本は、太古から今日に至るまで、さらにその先の日々のすべてがいわば海と共にある。人もモノも希望も絶望も文化も文明もすべては海を経てこの国を満たしあふれた。また、同時に海を経て彼の国々を満たしてきた。私たちは、このあたりまえの事実を空気のように意識せずに生きている。創業以来この国の近代化と共に歩み根底から支え続けてきた日本郵船もまた、海そのもののように人びとの意識の底に、痕跡と航跡を秘めつづけてきたように見受けられる。

私たちの20世紀は、産業革命の洗礼とともにその幕を開け、急速に成長を遂げた工業化を産湯に使い発展し続けてきた。そのすべては海を通して成し遂げられた。言葉を変えれば海運によって実現されてきた。つまり、日本郵船によって、である。
日本郵船の歴史とはこの国の近代を開く歴史であり、120年におよぶ海運の歳月はそのまま私たち自身の近代化の日々でもある。なぜなら、私たちは意志の有無に関わらず、海の民の末裔だから。
21世紀を迎え、この国も世界もさらに大きな変貌の海に漕ぎ出そうとしている。私たちが考える新しい《日本郵船歴史資料館》は、過去の歴史と来るべき明日の姿とが一本の頑丈な舫い綱として織り込まれた、まだ誰も体験したことのない新しい時代の《歴史資料館》となるべきである。 

日本郵船は、そして私たちは《どこから来たのか?》《なにものなのか? 》そして《どこへ向かうのか?》。
《日本郵船歴史資料館》はこの根源的な三つの問いを、すべての来館者に向けて投げかける。来館者は、整理された過去に出会うのではなく、変化し進化しつづけとどまることのない、ある一つの生命活動の昨日と今日と明日に向かい合うことになる。海をめぐって繰り広げられ、さらに空と陸とを従えて深められていく、生きた時間と向かい合うことになるのだ。

これまでの日本をひらき、いまの日本をひらき、この先の日本をひらく《日本郵船歴史資料館》。これがリニューアルされる本施設の担うべき役割である。
コメント (0)

その街が目を覚ます
18世紀から19世紀にかけて蒸気機関と蒸気機関車について調べている最中に、渡辺が迎えにきた。午後7時。横浜に向かう。ランドマークタワーが暮れたばかりの空を染めているその上に3.3夜の三日月がさえざえと輝いていた。博物館へ。
「エピソード1」と「エピソード2」の照明を再チェック。ほぼ揃った展示物を見て回る。思い描いたことの7割はできたのではないか。あとは進化と変化を続けていけばいい。開館まで残すところ2日。48時間あまり。今夜も徹夜になるようだ。
近くの食堂、三益に行き、渡辺とドライカレー、カニコロッケを食べた。店の客は俺たち二人。席に着き冷たい水を飲んだ瞬間に、ちあきなおみの「宵待ち草」がかかった。手が止まる。つづいて「遠くへ行きたい」が。挿し絵を描いた夢二に敬意を表し、エピソード4の豪華客船の皮切りに「宵待ち草」を選び、山田さんに編曲してもらっていただけに、港のそばのいかにも港町らしい食堂でその唄を聴かされ、なんだか見えない観客に拍手されているような奇妙な感動があった。菱沼さんにもらった渥美清の「遠くへ行きたい」は絶品だったが、ちあきもまたしみじもといい。
下卑た東京の街並みには似合わなくても、汽笛が夜の街に流れる横浜にはまことによく似合う。
気を良くして東京に送ってもらう。渡辺はUターンして横浜へ。
さてこの気分のままに、JRの交通革命のその先をたどってみたい。すこしずつ気が満ちている。

月もまた満ちている。一般オープンの7日が上弦。
コメント (0)

メインショー大幅に改定
土曜夜、日曜。そして今までと
かれこれ24時間かけた。
微修正のつもりが、大幅に書き改めることになった。
かなり結構がみえはじめた、そんな気分で朝になった。

これからウエブにアップして
一眠りしたら久しぶりに宮本さんと会いに出かけるつもり。

ああ腹も空いた。
コメント (0)

リニア、すすめる
ストーリーボード、非常ブレーキシーンまでアップ。
一息入れて、最高スピード挑戦と
すれ違い走行実験、エンディングにかかる。

風は甘く涼しく
頭はひさしぶりにすっきりと見通しがいい。

これなら、先に進めそうだ。
コメント (0)

薦を割り、杯をかかげる。乾杯!!!
土砂降りの中、広尾のスタジオへ。
レガシー東北ロケの台風の日の初日を思い浮かべながら
首都高速を走った。
広報の熊谷さんと、最終的な原稿のツメ。
昨日、急きょ追加したカバームービー3タイトルと
チャプタームービー5タイトルのナレーションを録る。
さらにサブエピソード9の客船サービス用に追加した2タイトルの音楽をあてる。
一本になった堀本君との初仕事になった。

嵐の中で最後の仕上げをするというのも
なかなか風情があっていいですね、と言ったら
熊谷さんが胸の空くような笑顔を返した。

ちょうど丸十ヶ月。
7月末に港を出たおれの船旅が季節外れの台風の下で終わる。
窓をあければ、ほんとうに港が見えるところまでたどりついた。

熊谷さんは、このあと海外に転勤が決まっているという。
オープンまでにまだお目にかかるだろうが
いろいろな思いをこめて帰っていく熊谷さんに頭を下げた。
人に向かって、あんなに深く頭を下げたことはない。
着港と出港。
土砂降りの有栖川公園の緑は、
きのう午後、陸のさなかの港のように思えた。

まだ最後の紅一筋が残ってはいるが、
もう思い残すこともない。
ここまでは確かにたどりつくことができたのだ。
あとは泳いでも着ける。

任すべきところは任せ
正すべき所は妥協せず正す。
そのやりとりはあくまでジェントルに終始していた。
日本はまことにくだらない国のままだが
日本郵船という海運会社は
たしかにこの国を越えていた。
越えなければ残れない…
そういう世界と社会があるのだな、
そんなふうに感じることができたことは望外。
たかが仕事、も悪くないじゃねえか。そう思う。

静謐でありながら雄々しく凛々しく生きつづける博物館…
そういうものをつくることができた、と思う。

まず、己を褒めておきたい。
そして投げ出さずに取り組んだすべてのスタッフ達を褒めたい。

一月遅れの五月晴れを六月初日の夕に眺めながら
胸の中で薦を割る。祝杯である。

遠くから汽笛も聞こえている。
祝砲であろう。
コメント (0)