2023年01月の記事


<北方性>=「自然の厳しさ」 窓の結露に一例 『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』
 <北方性>=「自然の厳しさ」 窓の結露に一例 桜木 紫乃著『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』 角川書店 2021年

 28日、この日、二人目のお方が選んだのは、『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』であった。都合、1)『ブルーRed』、2)『凍原』に続く3冊目の選書にあたる。
 発表者はみちこさん。堂々と「末広のキャバレー『パラダイス』が舞台です」。
 そう切り出されて、「キャバレー・パラダイスは『銀の目』か、『香港』ではないでしょうか」。そう、開設があった。

 発表を聴かせていただきながら、紹介のワンセンテンス。
 「章介は窓にびっしりと張った結露の、薄い氷に息を吹きかけ爪で削って外を見た」。
 そこのところに注目してみた。記憶は、小学生の時代に遡る。

 道央から来た講演者が、自宅に九州からの客人が訪問してきたときの様子を語り始めた。
 「(九州からのお客様)家に入ろうとしないのです」「ジーっと屋外にたたずんで、ひたすらツララをみています」。
 「北海道のお住まいは、軒下に<実にすばらしい彫刻>を施している。

 ツララ。漢字で「氷柱」と書くらしい。
 ツララは採暖の暖気が天井を突き抜けて、屋根をあたため、外の積雪を融解してできる。
 ツララは「芸術」かも知れないが、<断熱機能>の低レベルを示す、<貧困>の表現。

 引用箇所の「窓にびっしりと張った結露」には、次のプロセスがあるようだ。
 「室温と室外の気温がほぼ等しく、わずかに採暖の成果で室温で暖められた空気が、一枚のガラス面に冷やされて、空気中の水滴がガラスに凍り付く」。

 近代文学の一隅に「北方性」と指摘される領域が、「確かにある」。
 鳥居省三氏の一言が、今も耳に残る。では、「北方性」の表現をどのように示すか。
 「薄い氷に息を吹きかけ爪で削って外を見た」の思い出をもつ人は、高齢となった。

 「爪で削って外を見た」も「やった経験」の持ち主が少なくなり、「結露」の描写。
 そこがただ、読み飛ばされていく部分かもしれない。
 (単行本)
 桜木 紫乃著『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』 角川書店 2021年/2月26日
 (初出)『オール読物』 5月号
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男が書いてきた釧路川、女流作家の作品舞台に 標茶町塘路の「二股」230128
男が書いてきた釧路川、女流作家の作品舞台に 標茶町塘路の「二股」230128

 28日午後に開いた「ぶぶる街歩き4th」読書会。智恵子さんが取り上げた。
 標茶町塘路の東に位置する「二股 ふたまた」が舞台になっている点が話題になって。
 「二股」は釧路川と阿歴内川の合流点。釧路川中流域の左岸に位置する。

 桜木 紫乃 (著)『北海道警釧路方面本部刑事第一課・松崎比呂 凍原』。
 2012年6月6日に小学館文庫で発行された作品だ。
 「現場は阿歴内川と釧路輪の合流地点だ」「今、鑑識が向かっている」。

 集まった愛読者は、すぐに「阿歴内川と釧路輪の合流地点」と聴いて、「二股」を連想した。
 実はこの二股、ちょっとした名所、見どころなのだ。1887年を前後して、釧路川を舟で<さかのぼる>輸送路となり、釧路川を上る8ポイントの一つなのだ。
 最近では2020年8月に乗用車でこの地点に筆者は乗り付けた。幸い、普通車ならそのままたどりつける<取付道路>の状態にあった。

 「おそらくウチにくるでしょう、ちょっと見学に行ってみますか」。
 桜木作品では「遺体発見場所」で設定され、確かに揚々と流れる大河の水脈と重ねて連想するに、ミステリーなポイントではある。

 この地点。1956年12月発刊された原田康子著『挽歌』にも登場するポイントなのだ。
 当時は標茶町塘路と鶴居村久著呂間の簡易軌道が釧路川を横断し、その鉄橋が合流点下流部にあった。
 若き日に原田作品に魅了されたと語られることのある作者にとって、「二股」のポイントはある意味、<明確なインパクト>を与えたのか。
 そうした想像力を膨らませてくれる<話題の地>でもあるのだ。

 釧路川は流域の原野に移住民をいざなう動脈であった。
 もちろん、文学作品の舞台にも取り上げられ、中戸川吉二や更級源蔵が担ってきた。
 そこに女性作家の視線が注ぎこまれる。東方からの光が、時代に活力をもたらしてくれるのかも。
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koyomi
 茶畑の緑、整然とした畝。見聞したのは1886年5月の鹿児島でのこと。国分あたりを歩いていた時のことでしょうか。
 確かに太陽暦と太陰暦ではご指摘の意とおりで、30-46日ほどのズレがありますね。
 明治5年かの12月5日か6日に、太陽暦を施行し、その日を「明治6年元日」と定めたことに起因しているわけです。

 思うに「植物の生育に必要な積算温度」と「暦の二十四節気」にズレが生ずるようになったと、考えられます。
 詳しく調べたことはないのですが、一度、冬の小寒、大寒、立春の一日最低気温&日最高気温の推移を調べたことがあります。
 「天候出現率=過去30年間の大気現象や日降水量、日平均雲量から割り出した天気の出現率」
 それによると、冬季の節分にむけさがり続けている最低気温は、立春を境に上昇に転ずる。その結果を読みながら、
 古歌に申す紀貫之作『袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ』の意味を実感したことがあります。

 つまり科学のデータでもちあわせていたわけではないのですが、体感を暦のうえに「二十四節気」という形で表現し、生活=農作業の指標とした。
 そうしたことを読み取ることができ、「農作業に便利な太陰暦」「太陽暦では読み替えが必要」と整理してきた。そのようにも読み取れるところです。

 北海道東部では、「八十八夜」の日あたりをメドに農作業の土を耕すことを始めました。
 四月ではまだ凍結していた土が解凍し、鍬・スコップが使えるようになるからです。それではオオウジシギが吹鳴し、カッコウの声とあわせて
 土をたがやす応援歌としていたか、どうか。自然とは正確。こども心に思いつづけてきた点です。気分転換に生きると、幸いですが。

時間のモノ指し+積算気温の体感度 年ごとに差異ある暦230126
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ほんの一筋の光彩を目の前に 『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』230128
 ほんの一筋の光彩を目の前に 『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』230128

 キリスト教教会筋からのお誘いであってか、市内で開催したタイトルの上映に。
 「運命とは、命を運にあずけることです。大切な命を運に任すのではなく、これからの女性は、使命をもって生きてください」
 「使命とは、命を使うことです。自分の命は、自分で使うのです。」

 自身の米寿を記念する会で、山室軍平の祝辞につづき、自身が謝辞をのべる形で、紹介の一節が残された。
 女子教育、婦人矯正運動、禁酒会。男尊女卑の社会の中、酒乱の夫に三行半を女性の側からつきつけて、離縁。
 教員伝習所にかよって尋常小学校の教員に、その後、アメリカ人に認められて高等女学校、職業女学校の校長に。

 一夫一婦制、婦人参政権、禁酒、廃娼運動など手広く活動する。 
 象徴的な一シーン。それは母から預けれた<お守り>を川にながし、<キリスト教>に帰依を伝えるナレーション。
 個人の信仰が、家の信仰をわずかに超えたとき。そう受け止めたのであるが。
 
 大正14年6月16日、91歳で死去。世は大正デモクラシーの渦中。
 「(大正デモクラシーとは)1920年代=概ね 大正 年間にかけて起こった、 政治 ・ 社会 ・ 文化 の各方面における 民本主義 の発展、 自由主義 的な運動、風潮、思潮の総称」。
 世の風潮はわずかに、女性解放に後半生を尽くした女性にとって、暗黒の世にはしる世相の闇に照らされた一面であったか。
 そこを自分なりに実感しつつ召天の時を得たは、「ほんの一筋の光彩を目の前に 『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』230128」。
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地球温暖化
 世界を俯瞰しつつ、足元から行動 地球温暖化と社会イノベーション15 230127

 Think Gyarally ,Act Locality. 
 1月20日から放送の「地球温暖化と社会イノベーション」第15講を録画で収録した。
 その末尾。担当講師が伝えたいメッセージで紹介は「Think Gyarally ,Act Locality. 世界を俯瞰しつつ、足元から行動」と結ばれた。

 ネットの英訳で検索すると・
 「ギャルリーに考えて、ローカルに行動する」となる。「世界を俯瞰しつつ、足元から行動」訳は、スマートすぎる、か。しかし、そんなこと問題ではない。
 「(環境問題は)ヒトから家庭へ、家庭から地域に」。講義内にはそうしたキャッチコピーもあった。

 「海ねこみなと会」。そうした団体が2022年2月に発足した、と。そう教えられた。
 わずか3人で発足。いろいろ人脈ができて、情報交換やミーティングにお誘いをうけている。
 きわめてローカルな集団ながら、他方ではインターナショナルなネットワークにつながっている。

 自身を鍛える情報は、国際規模で。活動拠点は構成員それぞれが<湿地>を背後にかかえて、地域で存在感を発揮するユニークな存在。
 活動を拝見しながら、まずは「身近な家族、家庭で世代間をむすぶ環境教育の伝統を」と思いめぐらしたことがある。
 男性が厨房に入る。家事を家族で分担し合う。

 食器洗いで「ガス・水道・電気」の簡素化を考える。
 プラスチック洗剤器具はもちいず、合成洗剤の使用はみなおす。油脂は布や廃紙でふきとり、センケン使用量をおさえる・
 食材はエコクッキング、地産・地消でし<旬 しゅん 魚・野菜の出盛り、もっとも味の良い時期>を無駄なく活用。
 但し、「男性の努力と参画には、少々のご褒美」。

 いろいろ考えさせてくれた、放送大学授業の「地球温暖化と社会イノベーション」。
 2018年に設定された授業。講師は、東京大学の六川 修一教授と向井 人史 ・国立環境研究所地球環境研究センター長。
 放送は豊富にパネルを用意し、説明は掲示のパネルを軸にすすめられて、理解がしやすい。
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「自分への<ご褒美>と考え」 閉店するデパートに見た<百貨店文化>230124
 「自分への<ご褒美>と考え、週に一度、車で(百貨店に)出かけました」。
 「デパートならではの品ぞろいを愉しみ、充実感を実感することができました」。
 24日 18時台の北海道内に配信するNHKニュース。釧路在住「くまのみ」(40歳)の投稿がパネルで紹介された。

 藤丸は明治33年の創業。今月末で閉店を迎える帯広市のデパート。
 「道内最後の地元資本のデパート」とも紹介される。
 道内諸都市で百貨店の撤退が進んできた。小樽・室蘭・釧路・函館・旭川。
 道央都市・札幌でも五番館やその後に進出した西武が撤退した。

 撤退年を調べあげてゆくと、<時代の反映>という側面が浮き彫りにされるであろう。 このたび新会社を継承する社長就任者は「特定の階層に支えられすぎ」と、申している。 冒頭の「週に一度、車で(百貨店に)出かけました」とする消費者が居る一方、「(高いと思って)一度も行ったことがない」。
 そうした市民は、百貨店在盛期の末には確かに存在。

 「売れ筋商品」「お手頃価格」とは別な、百貨店ブランドやそこで意味をみつける「百貨店文化」があった。そのように、おもう。
  郊外に大型量販店。広大な駐車場にマイカーで買い物の「アメリカ型様式」。

 形に表れにくい、「格差」「経済規模縮小」「可処分所得減少」「恋に出会い得ても結婚できない現実」。
 「百貨店文化」が衰退する一方、「「売れ筋商品」「お手頃価格」でも縁遠くなる<一群>が拡大する。そうした局面にあるのではないか。
 そこを<必死>にこらえて、なんとか<勝ち組に>の世相が、気が付かないうちにすすんではいまい、か。

 意味するところ深長ではないだろうか。
 注目すべきは「地域の力で再建」の構想力と応える投資者。声援をおくろうではないか。
 「自分への<ご褒美>と考え」 閉店するデパートに見た<百貨店文化>230124
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知れば納得!暦と暮らしの深〜い関係 江戸時代の暦230125
 暦 それは時の権力者が「時を掌握」の象徴として、測り、決め、発行するもの。
 そうした時代があった。朝廷や貴族。身内のうちに配布し、それで良かった。
 戦国の世が終わり、小農民が設定され年貢を納める時代になり、暦の需要は高まる。

 営農の目安が、暦によって計られることに。
 庶民の需要が増えると、暦は地方で印刷される時代になった。
 南部暦、京暦、伊勢暦などなど。庶民の需要に応じた配布がすすむ。

 そこで生じた。依拠する日記によって期間日数の算定が。
 そこで生じた問題。太陽暦なら「大の月」。つまり月に31日は1、3,5,7,8,10,12月。
 月に30日や28日は2,4,6,9,11月に4年に一度の「閏年」と決まっている。

 ところが太陰暦では毎年異なる。加えて「閏月」。そういう不規則が伴う。
 こぞって暦が不可欠とされる所以。そんなことを教えてくれた番組。
 「知れば納得!暦と暮らしの深〜い関係」 初回放送日: 2020年12月2日
 
知れば納得!暦と暮らしの深〜い関係 江戸時代の暦230125 
「edo life 浮世絵 nhk 暦」のキーワードで、次のURL。
 https://www.nhk.jp/p/ts/5634PJJNRY/episode/te/36RKPMWNKM/
 「知れば納得!暦と暮らしの深〜い関係」の番組案内
 今回は、暦を大切にした江戸っ子の暮らし方。月の満ち欠けを基に作られた旧暦。
 それを使って生きていた江戸っ子は、季節に寄り添う豊かな暮らしをしていた。
 お月見も満月だけでなく、色んな月を楽しんだ。さらに、暦の占いも大人気。
 占い通りにしないと、恋に破れちゃう!?
 そして、普段私達が感じる疑問、例えば、正月は冬なのに、なぜ年賀状に「初春」と書くの?七夕はなぜ梅雨の時期に行われるの?なども、旧暦を知れば即解決!。
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大正期の織機復元 隣国・越後の技術者 「未来への挑戦 受け継ぎ 切り開く〜福島 会津の工芸品〜」
大正期の織機復元 隣国・越後の技術者 「未来への挑戦 受け継ぎ 切り開く〜福島 会津の工芸品〜」230123
 イッピン・選、初回放送日: 2020年11月17日の再放送を視聴して一筆。
 配偶者の出身地に戻った男性が、そこで取り組むことにした「会津木綿」の復活。
 往時の工場の片隅で見つけた木綿織機をためらわずに譲りうける。自身で復元に取り組むが。

 サビを落とし、クリーニングを施し、注油してまずは動くまで復活させるのだ、が。
 織り初めてみると、糸が始終切れてしまって製品の質を維持することが難しい。
 番組案内に申す。「昔から織られてきた「会津木綿」は、織元が激減し将来が危ぶまれていたが」。

 そちこちの工房に連絡するも、なにしろ。
 「100年前の織機を蘇らせ」るには、至らない。そこで手をあげてくれたのが、越後職人。
 放送は「織機の動く音を聞くと、どこが不具合かすぐにわかる」。

 後継者が見落としていたサビを除去。不具合の部品は設計書を書いて、再現。
 新部品を装着して織機を蘇生する。今や従業員数名の会津木綿織り職。
 番組案内に示す。「織元が激減し将来が危ぶまれていたが、地元の若者たちが100年前の織機を蘇らせ、現代風の新製品を生み出し」。

 江戸時代から越後と陸奥国の間には「三国街道 みくにかいどう」を通じた交流があった。
 「三国街道」は「関東と越後を結ぶ街道。近世,主要な脇往還の一つ。中山道の高崎から分岐し,三国峠を越えて越後にはいり,長岡に至る」。
 越後の宮大工が陸奥国で腕をみがいた話は承知しているし、長岡、与板、村松の各藩などの諸大名や佐渡奉行、新潟港巡検の関八州取締出役が、往来した。

 会津木綿。その織機を救った技術者が新潟の人。
 そう伝えられて越後の潜在能力を目の当たりにする思いがした。両地域をむすぶ、今は目に見えない結節。
 心強くもあり、たくましくもある。そうではないだろうか。

 イッピン・選 「未来への挑戦 受け継ぎ 切り開く〜福島 会津の工芸品〜」230123
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今までは大人が子どもに言いたいことを 「こころの時代~宗教・人生~ アーカイブ 言葉の力 生きる力」230122 
 「目で見えている世界、しかし目に見えない世界がある」「ことばの力で見えるようにしたい」。
 こどもの心になった絵本 今までは大人が子どもに言いたいことを 「こころの時代~宗教・人生~ アーカイブ 言葉の力 生きる力」230122 

 「戦争が終わり、やっかないことには、生きることを考えねばならなくなった」。
 「それまで死ねと、死ぬことを教えられた」。
 「生きる」「(戦前、戦中は)生きるということを教えられていなかった」。

 「『平和』なんていう言葉、戦前は使うことを許されなかった」。
 「戦後『戦争と平和』という本があることを知って、毎日、毎日読み続けた」。

 大学を卒業して出版社に入社した。
 「ヨーロッパの絵本を手にして、ハッとした」「(自身の)知っている絵本は、大人が言いたいことを伝えていたにすぎない」。
 最後に「世が世であれば世界の出版の中心は北京か、上海だった」。
 「中国の主出版は20年遅れた」「その要因は15年戦争にある」

こどもの心になった絵本 今までは大人が子どもに言いたいことを 「こころの時代~宗教・人生~ アーカイブ 言葉の力 生きる力」230122 

 松居 直(まついただし)  https://www.ehonnavi.net/author.asp?n=104 
 児童文学者。1926年、京都府生まれ。
 同志社大学卒業後、1952年福音館書店の創業に参画し、編集部長、社長、会長を経て、1997年より相談役。
 1956年月刊物語絵本「こどものとも」を創刊し、編集長として赤羽末吉、長新太、堀内誠一、安野光雅、加古里子、中川李枝子ら多くの絵本作家を世に送り出す。
 絵本『ももたろう』『だいくとおにろく』『ぴかくんめをまわす』(福音館書店刊)など著書多数。
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東釧路貝塚
東釧路貝塚
(所在地)釧路市貝塚1丁目11-1~4、12-1・2・8・10・11、23-36
(時期)縄文(早期),縄文(前期),縄文(中期)、縄文(晩期),続縄文,擦文,アイヌ,
(標高)15~20m
(立地)旧釧路川・別保川左岸台地上

地表で確認できる七ポイント
Ⅰ縄文貝層
Ⅱ史跡案内
Ⅲ縄文海進
Ⅳ古釧路湾
Ⅴ竪穴住居□
Ⅵ縄文食
Ⅶ20世紀の森

国指定史跡・東釧路貝塚 生涯学習資源で活かすために230121.
地球温暖化、気候変動、COVID19の時代に活かすためには。
「見に行く」では生涯に一度、「(自身を)見せに行く」「見てもらいにゆく」で、始終、確認してもらいに行く。

遺跡の概要
釧路湿原に面する標高15m前後の平らな台地にある縄文時代前期を中心とする貝塚。貝層は厚いところで1mもある。貝類の70%がアサリで占められ、カキ、ホタテ、ウバガイ、オオノガイなどの現生種とともに暖海性のアカガイ、シオフキなども含まれる。魚類はニシンが多く、サケ、マス類もみられ、イルカ、トド、アシカ、オットセイなどの海獣類も国内のどの貝塚よりも多く見つかっている。また貝層の上下や貝層中に含まれる土器をもとにして、土器文化の前後関係が調べられ、北海道東北部の縄文文化研究の基準となった遺跡。1970年国指定史跡。
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読み直し教育&史跡・物語創設 =知立市 三河八橋の伊勢物語旧跡230118
読み直し教育&史跡・物語創設 =知立市 三河八橋の伊勢物語旧跡230118

 1)マンホール 「唐衣 きつつなれにし」詠だ歌。
 2)池鯉鮒宿の跡を示す石碑。
 3)知立神社花しょうぶ祭り
 4)重要文化財の多宝塔
 5)かきつ姫公園
 6)無量寿寺のかきつばた園
 7)史跡八橋かきつばたまつり

 起きがけで視聴した放送大学。
 15コマの講義が一巡したこの時期に「知の扉 和歌文学の世界('14)第4回・5回」。
 電気通信大学の島内 景二教授が『伊勢物語』と『源氏物語』を講じていた。

 知立 ちりゅう 市が紹介され、自身で撮影に赴いたとする写真が紹介された。
 ネットで調べてみると、知立市は「旧跡」という形で<物語の可視化>をすすめる。
 それだけではなく「しょうぶ祭り」「きつばたまつり」で、<物語の再演>をすすめている。
 
 『伊勢物語』は高校時代に授業で取り上げられた。
 そのことは、末は学者か作家か。その入口であったかもしれないが、国民等しく『伊勢物語』を理解する「読み直し教育」。
 そこのところを意図的・計画的・組織的に取り組んだ。そういうことではなかった、か。

 「唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」。
 『古今和歌集』に収録されている秀歌で知られ、「行頭の字 かきつばた」が含まれる解説があった。
 英国女王エリザベス二世来日時には、かきつばた咲く庭に案内、銘菓「かきつばた」を添えて抹茶の接待。「おもてなし」のありようとして、ニュースで報じられた。

 その古歌、かきつばた、在原業平、『伊勢物語』。
 その舞台と凝縮点が、三河八橋の「史跡八橋かきつばたまつり」に体現される。
 「文化で地域おこし」。文化は<金食い虫>返上させる、<市民の知恵>であろう。

https://aichi-osanpo.hatenablog.com/entry/2020/05/22/205456 愛知お散歩なび
「伊勢物語の在原業平ゆかりの知立市八橋に行ってきました(知立市)」 2020-05-22
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妥当か、不相応か 「(娘)それは母の遺伝です!!」 山村美沙サスペンス「狩矢父娘シリーズ(2)」230116
 妥当か、不相応か 「(娘)それは母の遺伝です!!」 山村美沙サスペンス「狩矢父娘シリーズ(2)」230116

 京都の雑誌社カメラマン、狩矢和美(藤谷美紀)が警部である父と言い争う場面。
 どうもホシとにらみつけたらいしい父が、娘と食事を共にする場面に出くわした父が、娘につきまとうらしい、話の展開であった。

 生物分子学のうえでは、生物の遺伝子は♀から♀に相続される、と。
 で、雌どうしでは子孫が誕生しないので、ムリくり♂の性をこしらえた。そう説明されているようで。
 そのせいか、雄牛が誕生するとがっかりして、生後7日もすると小さな箱に押し込め、ひたすら食べさせて、肉牛と出荷している場面。

 出会ったときはともかく、次第に失望する自身の選んだ連れ合いに、「選んでよかったのか」。迷う主婦はなかにはおられるようで。
 そうなったら、自身の不明。「男を選ぶ目がなかった」。そういうことか。
 そこで周りにも目を転ずるに、娘の選んだ夫も、「どうも不本意、あれでは娘がかわいそうだ」。

 この限りでは、「「(娘)私に男を見る目がないと、お父さんが言うのなら、それはお母さんからの遺伝です!!」。
 困ったのは父。
 認めると、母のムコ選びが間違いであったことになる。かと申して否定すれば娘の男選びを肯定することになるし。(初回放送 2002/03/30~2002/03/30)。
http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-35756
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集団
集団就職 その五 230115 
集団就職を象徴する「集団就職列車」。その第一便は「昭和29=1954年4月5日青森発上野行き」に始まり、「1975年3月24日、盛岡発の集団就職列車が上野駅に到着」して終わるとされている。

その22年間において日本経済は、1)「もはや戦後ではない」=昭和30年、2)炭鉱閉山と農業構造改善事業=昭和36年前後、3)転型期論争が展開した昭和41―48年、4)本邦高度成長経済が終焉し地方が構造不況期に当面する昭和55年。
それぞれの時期を経過する中で、集団就職も変化の局面を経過したものと整理できる。
5.集団就職の幕引き 本項をむすぶにあたり、1960年代初頭から開始の農業構造改善政策で3割強しか残らなかった北海道東部の余剰労働力はいかに、吸引されたか。
 最後はそこのところに目配りをしてみることにする。一つの画期は1965年と言うことになる。1)釧路炭田で戦後、石炭資源を補完した小規模炭鉱があいつぎ閉山に追い込まれた。2)酪農業では「(戦後の)飼養普及期」から「選択拡大期」に転じ、大型多党化飼育、少数経営への端緒となる。生乳集荷のシステム変更をめざし、国営・道営の草地改良事業が起業され泥炭湿地を牧草地に転換する土地改良事業が着手する・
 1)は地域雇用が縮小し、2)は投資可能経営と離農・転職の分岐点となった。1960年に始まる農業構造改善事業の酪農版は、草地改良・生乳集荷・機械化の三側面で「多投資型経営」に移管し、農業経営体縮小の時代を迎える。
 1965年はまた「高専教育」。つまり工業高等専門学校教育が開始され、高校全入運動も間口拡大がすすみ、義務教育卒業者の進路が変化する。域内の雇用構造は1955~60年の首都圏、道央圏からの補充にかわり、1960年~70年は釧路国内からの労働力移転で賄われた。
さらに71年8月ニクソンショック、73年10月オイルクライシス、77年4月国際海洋法漁業規制。79年第二次石油危機。1971年~80年の10年は第一次産業からの経営撤退に加えて原材料加工業種の経営撤退、生産拠点海外移転の端緒となる。

集団就職 その五  集団就職の幕引き 230115
「1975年3月24日、盛岡発の集団就職列車が上野駅に到着」。1954年に始まる集団就職列車は、ほぼ20年の役割を終える。すこぶる素描すぎる概観ではあるも、その概観した20年の期間には、中学、高校を卒業して実業界に移転する供給側の生徒にも、また受け入れる需要側の企業にも、経済事情の変化や雇用能力、さらには期待される労働力の質的変化があった。その点を読み込んでおかねばならない。そう考える(230116 稿)。
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石牟礼さんの見方に触発 水俣病患者支援 「こころの時代 小さきものの声を聞く〜思想史家・渡辺京二の遺言〜 
石牟礼さんの見方に触発 水俣病患者支援 「こころの時代 小さきものの声を聞く〜思想史家・渡辺京二の遺言〜

 「(石牟礼さんは)患者の味方。市民の生活 秩序が破壊されていた」「石牟礼さんの描いた世界に(自分は)触発された」。
 旧制熊本五高、法政大学を経て『日本読書新聞』に勤めた渡辺京二氏(1930年生まれ)は、同社を2年で退社して故郷の熊本に帰った。
 『熊本風土記』を刊行、日本近代素描。そのシリーズで生涯31冊の著作を残す。

 石牟礼道子氏には『苦海浄土』が著名ながら、初稿は渡辺京二氏が主宰した『熊本風土記』に原稿「海と空のあいだに」を毎号に掲載する。

 『熊本風土記』について調べてみた。
 ネットには「『苦海浄土』の原型は、渡辺さんが編集していた雑誌「熊本風土記」に一九六五年から翌年にかけて連載され、日本近代文学史上、類を見ない豊かな「語り」の世界が展開されていった。」。
 https://pdmagazine.jp/today-book/book-review-177/ があったけれども。

(番組案内)
庶民の視点から近代を問い続けた思想史家・渡辺京二さん(享年92)。大陸で迎えた敗戦、そして水俣病闘争。波乱の末たどり着いた境地と未来を生きる日本人に残す言葉とは

12月25日に亡くなった渡辺京二さん。生前テレビの取材を受けることは少なかったが、昨年、自身の人生を振り返るロングインタビューに応じた。敗戦の衝撃。転機となった思想家・吉本隆明との出会いや作家・石牟礼道子との交流。そして水俣病闘争。波乱の人生の末、晩年たどり着いたある思想とは。困難な時代を生きる人びとに向けて残した最後のメッセージ。
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「造りたいモノ」より「ヒトの悦ぶタイル貼り」 うわさのスペシャリストを探して ニッポンぶらり鉄道旅・京王線
 「造りたいモノ」より「ヒトの悦ぶタイル貼り」 うわさのスペシャリストを探して ニッポンぶらり鉄道旅・京王線

 京王帝都京王線で府中~新宿間 21キロ余。
 1)府中でタイル職人、2西調布でなぎなたの女性達人、3)柴咲で常識はずれのラーメン職員。
 4)仙川=あんこ職人、5)桜上水で二胡の演奏者。

 府中=製造業がさかんな街に珍しいタイル職人。
 「私は芸術家ではない」「自分の造りたいものを造るより、人の悦ぶ空間を残す」。
 周囲の森にマッチした家の壁をタイルで装飾。梢に止まる三羽の小鳥は、3人の子たちの飛翔を願う。

 柴崎=注文の後で麺を切る、常識はずれのラーメン店。
 18歳で弟子入り、24歳で独立。極太の<さぬきうどん>の作り方で製する極太麺に、硬くて黒いシナチク。
 連れ添う女性は申す。「私には夢などなかった」「夢をもちひたすらめざす男性に、すごいと魅かれたが」「自身にもできることをやってみたい」。

 柴崎=注文の後で麺を切る、常識はずれのラーメン店の女性。
 「シナチクは嫌いだった」「あの特有のニオイが、好きになれなかった」。
 「他のお店のシナチクは、4日ほど水に浸すのみ」「特有の筋があって、ニオイもキツイ」。
 <自身に出来ることは>と開発したのが「厚くて、固い、クロのシナチク」。
 こちらのお店ばかりは、「婦唱夫随」ではなく、「夫唱婦随」。40年後はどうなっている?。

 京王帝都。1955年時点から承知している。
 当時は例年の春闘で、ストをしない私鉄としてラジオでその名を聴いていた。
 1965年頃から2002年くらいまでは国領にあった叔父宅にお世話になり、叔母を煩わせた。
 府中=競馬場、調布=深大寺、蘆花公園、神代植物公園。放送で紹介は神代植物公園のみ。
 景観、施設よりも、今は、沿線を彩るヒトの物語。副題を再確認、「うわさのスペシャリストを探して」。

(番組案内)
 京王線の各駅で驚きの出会いが。
 【府中】製造業がさかんな街に珍しいタイル職人が。本場モロッコで技を習得したタイルの美
 【西調布】全国的にも名高いなぎなたの達人たち。お年を聞いて驚き!
 【柴崎】注文の後で麺を切る、常識はずれのラーメン店。食感を追求して生まれた逸品に感動!
 【仙川】ゆでる時間を秒単位でこだわり「あんこ」の味を追求する和菓子職人。
 【桜上水】中国の楽器・二胡の奥深さを広めるご夫婦。音色に感動!
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集団就職 その四 230113  集団就職を象徴する「集団就職列車」
集団就職 その四 230113  集団就職を象徴する「集団就職列車」。
 その第一便は「昭和29=1954年4月5日青森発上野行き」に始まり、「1975年3月24日、盛岡発の集団就職列車が上野駅に到着」して終わると、されている。
その22年間に日本経済は、1)「もはや戦後ではない」=昭和30年、2)炭鉱閉山と農業構造改善事業=昭和36年前後、3)転型期論争が展開した昭和41―48年、4)本邦高度成長経済が終焉し地方が構造不況期に当面する昭和55年。5)そして高校進学者が9割超の時代を迎えた。
それぞれの時期には集団就職も、<金の卵>たる義務教育卒業者にも、それぞれ変化の局面があったはずだ。

4.集団就職の送出地-移住県の差異 さきに集団就職その二で、「TEXTに『岩手は日本のチベット』と記載のあった記憶があります」と、書いた。そこで、この記憶ってなんだった、その思いで調べてみた。
 「ニュース映画の題材【「脚光あびる日本のチベット」岩手県】に使われたのが最初です」。そう、記載するネット情報があった。
 (https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12652965.html  質問者:katsuobox.質問日時:2021/11/02 07:24)
 
 その時代を別なネット記事は「戦後、1950~1960年代には」
 「山あいで交通の便が悪いこと」「主な産業が新日本製鉄の釜石製鉄所位しかなく」
 「所得水準が全国でも低いことから、『日本のチベット』と呼ばれてもいました」
 ( https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109387295?__ysp=5bKp5omL55yMIOaXpeacrOOBruODgeODmeODg%2BODiA%3D%3D )

 2010年のことながら、広島市東区で農家世帯で育った方の連れ合いさんと話をした。
 (筆者)「広島は移住県といわれて北海道にも、そしてハワイにも多くの移住者を送り出している」。
 (同)「しかし、代々営農を持続してきたことは、とても恵まれていたのではないか」。

 応じてくれた稲作農家の末弟を夫にもつ女性は次のように応じた。
 「家を継ぐ跡継ぎはなんとかなるのです、しかし余剰労働力となる非後継者はたいへんです」
 そこで「跡継ぎ者は農閑期にどのようにして経営をつづけるの?」の問いを、その時はしていなかった。

 末弟にあたる一家は、そこは県内に軍都を間近にもつ<ふりかけ製造業>の工場長職にある家柄。
 実家は長兄がつぐも最後は県内の高校長を務める兼業農家。その娘さんが連れ合いを経て高校教員と兼業している。そう聞いている。
 一時期、30キログラム入りの袋詰め玄米を送っていただき、あわてて精米機を購入したことがある。
 なんでも、実家の姪たちが収穫後贈ってくれるなかから、<お裾わけ>に預かれたものらしい。

 ここでの話題は「集団就職」。
 中国地方の中枢都市たる広島県の県庁所在地。そこの専業農家さんでは、後継者たりとも農閑期の出稼ぎはなかった。
 そこが集団就職対象地にして、1960年代初頭から開始の農業構造改善政策のなかで、7割の農業経営体が残った西日本と半分が離農したとされる東日本の差異ではないか。
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10期生 釧路湿原シニア大学2023年4月期入学者を募集します230108
10期生 釧路湿原シニア大学2023年4月期入学者を募集します230108

 釧路湿原シニア大学(遠藤 潔運営理事長 2006年4月開学)では、第10期入学者の意募集をおこなっています。
 釧路市生涯学習センターや米町交流プラザに開く講座に通学可能な、おおむね60歳以上の方を対象に、月2回毎回80分×2時限の講座を開いています。
 「地域学習」「(市内で)体験学習」「(市域内外の)施設見学」を三本の柱に据え、地域の有識者、出前講座講師、訪問先施設の専門職員が講義を担当しています。

 第10期生募集を前に、釧路湿原シニア大学長は次のメッセージを発しています。
 
  自身も、そして次世代のためにも        釧路湿原シニア大学長

他者を孤独の中に置き去りにせず。この点を釧路湿原シニア大学の学びで身につけたいもの。「釧路学」、「生涯学習」授業を軸に、各種出前講座や体験学習・施設見学の機会を揃えました。三領域の見聞と学習で、地域理解を深めています。学びの先には「他者を孤独の中に置き去りにしない」。そうした学友との間柄を築きましょう。
自身を孤独の中に置き去りにしない。本学履修後、多数が大学院に進みます。民営の高齢者講座は釧路老人大学院の枠組みに出発し、自立した学習機会を地域に提供してきました。大学の二年間は教養教育の一、二年を省略し、三&四学年の専門教育から始める。そんな考えで進めています。百歳まで生きることの出来る今、修士課程で学ぶ内容は「自身を孤独の中に置き去りにしない」に尽きます。他者を《独りぼっち》にせず。しかし自身を孤独の中に置き去りにしないは相当に難解。そのように心得ておきましょう。
今、人生の経営者。たとえ身はサラリーマンだったとしても。大学院修了後も聴講生で博士課程に残る先輩は、経験蓄積と授業料出資で後進を育て、自身も豊かな余生を愉しみ、賢く生きる力にしています。自身も、かつ次世代のためにも学ぶ。それがシニア大学の構図と伝統です。     (佐藤 宥紹)

 昭和56年10月、北海道庁が設置した釧路老人大学が開かれました。
 2年後、その修了者が自力で釧路老人大学院を開設するなど、すでに42年を経過し、<伝統>を誇る存在となっています。
 定員は40名前後、学費として年間1万円。募集は2月末日まで続けられています。
 関心をお持ちの方は、次のメールアドレスに一報してください。
 kusuri0065@yahoo.co.jp 「学生募集要項&入学申込書」をお届けいたします。
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集団就職 その四 集団就職の送出地-移住エリアの差異230111
 集団就職 その四 集団就職の送出地-移住エリアの差異230111

 筆者は1956年に小学校、1959年が義務教育卒業です。釧路国内の、しかも小中併置の教育機関で修学しました。56年、59年のいずれもが集団就職の対象期に位置し、その前期部分に該当する。「金の卵」世代の対象者です。

 4.集団就職の送出地-移住エリアの差異 さきに集団就職その二で、「TEXTに『岩手は日本のチベット』と記載のあった記憶があります」と、書いた。そこで、この記憶ってなんだった、その思いで調べてみた。
 「ニュース映画の題材【「脚光あびる日本のチベット」岩手県】に使われたのが最初です」。そう、記載するネット情報があった。
 (https://oshiete.goo.ne.jp/qa/12652965.html  質問者:katsuobox.質問日時:2021/11/02 07:24)
 
 その時代を別なネット記事は「戦後、1950~1960年代には」
 「山あいで交通の便が悪いこと」「主な産業が新日本製鉄の釜石製鉄所位しかなく」
 「所得水準が全国でも低いことから、『日本のチベット』と呼ばれてもいました」
 ( https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109387295?__ysp=5bKp5omL55yMIOaXpeacrOOBruODgeODmeODg%2BODiA%3D%3D )

 2010年のことながら、広島市東区で農家世帯で育った方の連れ合いさんと話をした。
 (筆者)「広島は移住県といわれて北海道にも、そしてハワイにも多くの移住者を送り出している」。
 (同)「しかし、代々営農を持続してきたことは、とても恵まれていたのではないか」。

 応じてくれた稲作農家のい末弟を夫にもつ女性は次のように応じた。
 「家を継ぐ跡継ぎはなんとかなるのです、しかし余剰労働力となる非後継者はたいへんです」
 そこで「跡継ぎ者は農閑期にどのようにして経営をつづけるの?」の問いを、その時はしていなかった。

 末弟にあたる一家は、そこは県内に軍都をまじかにもつ<ふりかけ製造業>の工場長職にある家柄。
 実家は長兄がつぐも最後は県内の高校長を務める兼業農家。その娘さんが連れ合いを経て高校教員と兼業している。そう聞いている。
 一時期、30キログラム入りの袋詰め玄米を送っていただき、あわてて精米機を購入したことがある。
 なんでも、実家の姪たちが収穫後贈ってくれるなかから、<お裾わけ>に預かれたものらしい。

 ここでの話題は「集団就職」。
 中国地方の中枢都市たる広島県の県庁所在地。そこの専業農家さんでは、後継者たりとも農閑期の出稼ぎはなかった。
 そこが集団就職対象地にして、1960年代初頭から開始の農業構造改善政策のなかで、7割の農業経営体が残った西日本と半分が離農したとされる東日本の差異ではないか。
 
 次に同じく移住者送出地にして集団就職対象地の専業農家。その農閑期がどうなっていたか。
 1955年前後から、多くの集団就職者=金の卵組を送り出した東北各県では、専業農家の後継ぎが農閑期には首都圏に出稼ぎする。
 <農閑期の出稼ぎ>が、東北各県の農業経営をささえるもう一つの支柱。今、そうした対比を念頭においている。

 本項をむすぶにあたり、1960年代初頭から開始の農業構造改善政策で3割強しか残らなかった北海道東部の余剰労働力はいかに、吸引されたか。
 1970年代。中核都市が<人口ダム池>となって離村の後継者、離郷の漁村漁業従事者を<役場所在地>につなぎとめた。
 その可能性が期待できなくなる時。1985年にバブルがハジケ、1997年には本道を経営拠点とした都市銀行が経営破綻。

 同98年。「試される北海道」のキャッチコピーが北海道内を席捲(せっけん)した。公共投資は圧縮され、生産拠点の海外移転が明瞭となった。
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見えぬ不都合
 「見えぬ不都合、見逃して良い、か 価値の揺らぎに-6-」230107 『北海道新聞』。

 「『便利』という名の地上の都合ばかり考え、地中で起こることには無関心」(53p)。
 後に法政大学総長を務める田中優子氏は記載する。
岩波ジュニア新書『グローバリゼーションの中の江戸』(岩波書店 2012年)にある、一節。

「着物は使い尽くされて土に戻り」(52p)。
「(同)世界を巡りながら地上と地中を循環」(53p).
「陶磁器もまた世界を巡りながら、人から人へ受け渡し、最後はふるさとである土に戻る」(同)。

「漆もまた、すべて木の成分でできていますから、土に戻ります」。
 「プラスチックや原子力では、こうはいきません」

北海道内配布の紙面、年始ならではの「社説」。シリーズもその最終回。
「最終判断はAIに頼れぬ」の主題。
 むすびは、「(AIが存在しない社会は考えにくい)その過程では人間優先の価値観を大原則とすべきだ」。そう結んでいる。

 「期待高まる救いの手」の小見出しで、AIが存在しない社会は考えにくい。そのように時代観を示しているようだ。
 「負の側面無視できぬ」の小見出しから、人間が担うべきこととAIを活用することの仕分けを進め、社会全体でルールや合意の形成を図る努力」を提起しているように、読める。

 田中の論にもどると、AI、その特性。
 目に見える、すなわち<地上の都合ばかり考え>、AIのもたらす懸念される点。
 目に見ようとしない<地中で起こることには無関心>が、<まかり通る>ことにはならぬか。

 ITが発達、しかし長時間労働は解消したか。
 ITの普及、経営は人間に対する投資より、機材に寄せる投資を重視していないか。
 ITの時代、情報・金融・生活様式を一元化しすぎて寡占、独裁、他者の意見を切り捨てるに転じていないか。
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生き物相手に不可欠=女性のパワー 「3年ぶり再開 酪農女性サミット」nhkG221222
生き物相手に不可欠=女性のパワー 「3年ぶり再開 酪農女性サミット」nhkG221222

 日本放送協会の番組「いいいじゅー」に、珍重すべきや北海道の酪農村が登場。
  どれどれと録画で収録、後日、再生してみて一筆記載。
 27歳、大阪から「地域おこし協力隊」で別海町に移住の女性が中心。

 女性獣医、女性人工授精師、酪農女性経営者と地域おこし協力隊=27歳大阪出身女性。
 その4人が発起人となって、「酪農女性サミット」の企画会議。
 女性獣医師が発言する。もちろん町外からの入居者らしく。

 「酪農って、さ。分娩から始まるのよ」
 「それって、さ。出産経験のある女性でなければ理解できない機微があるって、おもわないかい?」
 酪農はといわず農業自体が、「午前4時から牛舎で働き、乳搾り、エサやり、掃除…生き物相手のハードな仕事だが」と、番組案内のトリセツにもある。

 それだけに、「生き物相手のハードな仕事だが、不可欠なのは女性のパワー」。
 と、そういうことになる。
 別海町民ホールにおいて開催、「べつかい酪農女性プチサミット」のテーマが決まった。
 題して「~ロスを減らそう 時間を作ろう~」。分科会にもわかれて、ワーキンググループ活動(写真)。

 本州で指摘される「農業女子力」。そのシンポで指摘があった。
 「農業は父から息子、男親から男子に継承される」    「そこに連れ合いが入り込んでくるのだが・・・・・」。
 「昔、息子は嫁の言うことなど聴かずに親の言うことを聴く」。
>
 そう言われた、嫁舅の関係がかわった。
 「今は、婿。親の言うことを聴かずに、嫁のいうことを聴く」。
 農業女子力。女性につかいこなせる農業機械の開発も、女性の参加をうながしている。ともいわれているのだが。
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道産品重視、地域ブランド化育てる コンビニ道内大手セコマと文化性230105
道産品重視、地域ブランド化育てる コンビニ道内大手セコマと文化性230105

 新年5日の道内配布紙。その7面社説「価値の揺らぎに-4-」のなかに、掲載写真の一文を見た。
 「そうだ、<セコマ文化>を愉しんでみるか」。知人が在籍すると聞いた、お店を訪ねてみた。
 コンビニ。出かけるのは主に二点ある。一に正月元旦の東京三紙を買う。
 2)朝のラジオ体操会に出席した後、店先で100円コーヒーを手に、帰路路上で話題の続き。

 しかし、店に入るからには買い物をせねばならない。
 念頭に置いたのは土産品にちょうど良いか、「ハーゲンダッツのアイスクリーム」。
 しかし、そうした品揃いは見当たらない。かわって芽室町で製造の「明治 北海道十勝カマンベール(ちーず)」や「(浦河産いちご)アイス」。

 お店のポリシー、その一。それは実に「北海道産品」への特化、思い入れ、重視。
 確かにチーズには森永や雪印の銘柄もあって、森永・雪印二社の生産工場は首都圏産のようだ。
 でも原材料の加工用生乳は北海道産品による。そういうことかと、受け止めた。

 お店のポリシー、その二。そこには無名の「北海道産品」をブランド化して支援、育成する姿勢。
 アンテナを高く、広く産品をカバーして積極的に生産者と消費者を結節する姿勢、思想、哲学。
 対極には「作るヒトのためでもなく」「買う人のためでもない」、「売るための商品」を作らせる店。

 お店のポリシー、その三。最後は「顔見知りのヒトに支えられる」。
 230105の道内配布紙で引用「多様な働き方模索」の内容は、「お店のポリシー、その二」を言いあてたものか。
 お店を訪問は14時過ぎ、絶え間なく出入りする客人の姿。
 そこでお目当て「100円コーヒーを吞み。知人店員さんと談笑」の心つもりは果たせなかった。

 なにかしら<「売るための商品」を作らせる店>。そうでないことが頼もしくもあった。
 「本州に模倣するモノつくりの北海道」にかわり、「胸はって<北海道のモノつくり>を育てる」。
 店員さんに胸張って、地域の支持が得られるお店。そこをめざしてほしい。かく考えたのだが。
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都合良い統計を並べたその影で 「安さ変調を脱却する時だ 価値の揺らぎにー4-」230105 『北海道新聞』。
 都合良い統計を並べたその影で 「安さ変調を脱却する時だ 価値の揺らぎにー4-」230105 『北海道新聞』。

 安倍政権は終始、政権に都合の良い統計を出し続けた。
 安倍政権は常に、政権に都合の悪い統計を隠し続けた。
 安倍政権は時に、統計の内容にも介入し、実勢を伝えるものではないとの批判を受けることするあった。

 北海道内配布の紙面、その「社説」は記載する。
 「日本が安くなった。先月の日銀の実質利上げで円安進行は収まったが、昨年は年始めから一時1ドル151円と3割も急落した」。
 それだけではなない。「安いのは通貨だけではない.。平均賃金は経済協力開発機構(OECD)35カ国中24位で米国の半額だ」。

 「海外頼みで賃金抑制」の小見出し。
 そこには「道内で働く外国人は約2万5千人と10年前の2.5倍に増えた。うち半数は技能実習生が占める」。
 2020年5月。コロナ禍で国際間の渡航が禁じられ、東南アジアからの技能実習生がゼロとなった。たちまち十勝の農業が悲鳴をあげた。

  「海外実習生入国禁止、営農計画や生産量に影響」。見事に転化したもので。
 江戸時代、本州経済が蝦夷地に現住のアイヌ民族を収奪し、他軌道を植民地経済に組み込んだ本州移住者。
 その移転農業経営が、現地の低廉安価な労働力を「実習生というアイヌ民族に代替する海外技術者で賄う農業」。

 メディアが平気で伝え、地方政権もそれを認める。紙面は重ねて記載する。
 「海外移転できない食産業は同様に実習生が支えた」
 「国は今年制度を見直す方向だが、日本離れで深刻な人材難に陥らぬよう、労働力と認め低賃金を是正すべきだ」。

  結びに近く、「多様な働き方模索を」の小見出しで、次の2項目。
  「(セコマートは)店内調理のフライドポテトに使う道産ジャガイモ比率を8割に上げる。来年は全量をめざす」。
  「手間はかかるが。個々の価値を認め合い、技術や産業をつくり出す。そんな強い経済を目指したい」。

   これまで諾々と「国家統計すら改変する」政権に与してきた政治家。
   それは、傾聴するのみならず、自らのポリシーで自身の政策を鍛えてはいかが。
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「強権が分断を広げた」 「声なき声くみとる政治を 価値の揺らぎにー3ー」230104.
「強権が分断を広げた」 「声なき声くみとる政治を 価値の揺らぎにー3ー」230104.
新春、1月4日の道内配布紙は「価値の揺らぎにー3-」で、「声なき声くみとる政治を」と<民主主義の危機>についての第3報を掲載した。
「新たな民意探る試み」「強権が分断を広げた」「制度見直しも必要だ」と、<小見出し>を付す。

冒頭には「首相が昨年7月、参院選の応援演説中に銃撃された事件は国内外に衝撃を与えた」に始まる。
「価値観が多様化し、既存の民主主義の仕組みでは捉え切れない民意が膨らんでいる」と指摘する。
そのうえで、「声にならない市井の意思をくみ取る丁寧な政治が求められる」と、受けているのだが。

安倍政権の時期に、国会中継の番組。チャンネルを切り替えたり、テレビのスイッチを切断ことを繰り返した。
与党の提灯担ぎの質問には、ここぞとばかり得意満面で喜々と応ずる。他方で野党に対しては木で鼻をくくり、ご飯論法をもちだして、まともに答えなかった。
「声なき声くみとる政治」などという、モノ優しい段階にはなかった。

参院選といっても3年前の2019年のことだ。札幌で遊説中の首相にヤジを飛ばした。
北海道警察の警察官がちかづいてきて、「不当に排除されたとして、道に計660万円の損害賠償を求めた訴訟の判決」。
結果は北海道警察の全面敗訴となった。当然といえば、当然ながら、これとても「声なき声くみとる政治」であったか、どうか。

政治家の論理の欠如、ユーモアの欠落よりも前に、お粗末な政治家の仮面が一度ならず、なんども市民の前に明示された。
そうではなかったか。ヤジを飛ばしてこの訴訟で原告となった一人は、当時、申していた。
「ボクは安倍的なものにNOをいうような判決かもしれないとおもった」。

民主主義の危機。国民の信託をうけた政治家の発言に対しても、政権にしがみつく愚かさを見せた本邦の政治。
いまこそ投票率をあげたい。「投票率が高まらないと、政治家は緊張しない」。
そうした論がある。傾聴したい。

(2022年3月25日 『毎日新聞』ネット配信)
札幌市内で2019年7月、参院選の街頭演説をしていた安倍晋三元首相にヤジを飛ばした札幌市の大杉雅栄さん(34)と桃井希生さん(26)が北海道警の警察官にその場から不当に排除されたとして、道に計660万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が25日、札幌地裁であり、広瀬孝裁判長は「政治的表現の自由を侵害した」などとして、道警側に計約90万円の賠償の支払いを命じた。【撮影・貝塚太一】
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「絶望を救うのは日常そのもの」 アレクシービッチ談「誰もが孤独の時代 人間性失わないで」230101
「絶望を救うのは日常そのもの」 アレクシービッチ談「誰もが孤独の時代 人間性失わないで」230101

 『朝日新聞』。2023年1月1日の第一面を綴ったのはノーベル賞作家 スオエトラーナ・アレクシービッチ氏の言葉。
 「誰もが孤独の時代 人間性失わないで」と述べている。「灯 わたしのよりどころ」特集。
 ウクライナ人の母、ベラルーシ人を父に持つ身。2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を始めた日から、その東部や南部で激しい戦闘が続く地に、思いをはせる。

 記者は書く。ウクライナでは、「前線から遠く離れていても、人々は電力不足や毎日のように鳴り響く空襲警報に悩まされる」。
 「どうすれば救われるのか、文学の役割とは何なのか」。

 インタビューの全容を示した、2面の末尾に注目する。
 「近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常そのものだけなのです」。
 「たとえば孫の頭をなでること、朝のコーヒー一杯でもよいでしょう、そんな人間らしいことによって、人はすくわれるのです」。

 他方で「文学の役割となんなのか」と聴かれ、次のように応えている。
 「作家は『人の中にできるだけ人の部分があるようにするため』働くのです」。
 諭すように語った、その後にで。

 「私たちが生きているのは孤独の時代」。
 「私たちの誰もが、とても孤独です」。「人間性を失わないための、よりどころを探さなくてはなりません」。滞在先のベルリンで語った。
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季節の移ろい、自然の変化 そこに<繊細な愉しみ>方 高輪廿六夜230102
季節の移ろい、自然の変化 そこに<繊細な愉しみ>方 高輪廿六夜230102

 旧暦8月26日。江戸の秋は残暑の厳しさが残っていた、か。
 廿六夜の月は、まだまだ<細身>であるうえに、江戸の

 季節の移ろい、自然の変化 そこに<繊細な愉しみ>方 高輪廿六夜230102

 旧暦8月26日。江戸の秋は残暑の厳しさが残っていた、か。
 廿六夜の月は、まだまだ<細身>であるうえに、江戸の夜に姿を現す刻限も遅い。
「だんご」「天ぷら」「すし」の屋台を取り囲んで、大勢の人出で品川の浜辺が埋め尽くされる。

 月の出を待ちきれない江戸っ子が、「出てくる前」から饗宴を愉しむのだ。
 「大騒ぎ」というには不謹慎。「豊作に感謝」の大義名分がある、らしい。
 「東都名所高輪廿六夜待極真之図」の讃題が右隅に記載されている。

 夜に姿を現す刻限も遅い。
 「だんご」「天ぷら」「すし」の屋台を取り囲んで、大勢の人出で品川の浜辺が埋め尽くされる。

 月の出を待ちきれない江戸っ子が、「出てくる前」から饗宴を愉しむのだ。
 「大騒ぎ」というには不謹慎。「豊作に感謝」の大義名分がある、らしい。
 「東都名所高輪廿六夜待極真之図」の讃題が右隅に記載されている。

 出演の歌舞伎俳優は一言。
 「(テレビもスマホもなかった時代に)江戸の人びとは実に、季節のうつろい、月の満ち欠けなど自然の変化に、繊細な愉しみ方を知っていた」。
 「(自身で創りだすことのできた)繊細な愉しみ方」の部分に注目をしておきたい。

(例によって、以下、番組案内)
 花よりだんご、月より...広重“高輪廿六夜街遊興之図”回放送日: 2020年9月2日
 大勢の人でにぎわう、品川高輪の海辺。よく見ると、芸者や芸人の姿も。
 この日は、江戸の大人気イベント「二十六夜待ち」の日。
 二十六夜とは、月が欠けて、見えるか見えないかの細~い形の月が出る夜。
 旧暦八月の二十六夜は、とりわけ大フィーバーの一大イベントだった。
 もとは仏教の信仰から始まった行事だったが、江戸っ子たちは、まるで現代のお祭りやイベントのように大騒ぎ!。
 その熱気に便乗しようとする人もいたようで…? 。0
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世論が見透かしてもツキ進む政権の感覚 学術会議問題「政府案は独立性損なう」221231.
  世論が見透かしてもツキ進む政権の感覚 学術会議問題「政府案は独立性損なう」221231.
 北海道内配布紙が「社説」で論じている。学術会議問題「政府案は独立性損なう」。

 「首相が実質的な会員の任命権者であることを強調」
 「第三者委の会員選考への関与は、学術会議の独立した政治介入につながる恐れがある」。
 「第三者委員には、政府の意をくむ都合の良い人物を充てる狙いが透けて見える」。

 安倍・菅政権はあまりに露骨であった。誰のための政策、どの階層に応える政策。
 二人が隠しつづけた<玉虫色>が、二発の銃弾でその一端を白日のもとに晒すことになる、とは。
 皮肉なことであった。継承する岸田政権もお粗末。学術会議問題のみならず。

 原子力発電規制や防衛費1%枠を、専門家の見識もまたずに自身で決めていく。
 「天皇も止められなかった戦争」。それが国民主権国家のもとで、まかりとおりはじめている。
 画期は<安保法制>の議論にあったのではないか。

 三権分権下で三権の独立、政治とカルト宗教、学術会議の独立性否定。
 目にみえる形で、<戦争をした者の、深い反省が踏みにじられている>。
 開戦詔書に署名した一人の大臣の娘の孫が、「祖父の念願」と称して戦前・戦中への回帰に舵をきった。そうではないか。
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21世紀もまもなく四半世紀 北海道東部の日出230101
2023年が明けました。黎明の早い北海道東部では、午前7時が日出の刻限時刻です。

 新しい世紀もすでに四半分に近づいています。
 本邦最後の坑内掘り炭鉱の閉山、地域産針葉樹の資源立地型加工業の典型たる新聞用紙工場の機械停止。
 新世紀は20世紀を彩った原材料の素材加工型産業が撤退する時代の始まりとなってきました。

 多様なモノ、情報、システムがあふれる今、時に<選ばれる>存在でなければ。
 大量生産と大量消費。売れ筋商品とお手頃価格。軽薄・短小。
 もてはやされるも、量より質、無国籍の味より本当のおいしさ、本来のうま味。

 分断がすすむ一方、一元化の枠組み途上にある今、<つなぐ論理>の構築。
 気がつくとネットはgoogleやらappleやら、Amazonなど。
 金融は三菱やら三井の支配力が高く寡占化がすすむも、国民はズタズタ。

 個の質量豊富化、深層・構造・論理的思考の深化。
 立法・行政・司法の三権が独立性を失い、政治と宗教にご都合主義が発生、学術会議に口を挟んで政治が学問を支配。
 主権者を甘くみている哲学不在の政治家を選ぶ国民を、メディア・スポーツ・政治は一体化して誘導していまいか。

 21世紀もまもなく四半世紀 北海道東部の日出230101
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