koyomi
 茶畑の緑、整然とした畝。見聞したのは1886年5月の鹿児島でのこと。国分あたりを歩いていた時のことでしょうか。
 確かに太陽暦と太陰暦ではご指摘の意とおりで、30-46日ほどのズレがありますね。
 明治5年かの12月5日か6日に、太陽暦を施行し、その日を「明治6年元日」と定めたことに起因しているわけです。

 思うに「植物の生育に必要な積算温度」と「暦の二十四節気」にズレが生ずるようになったと、考えられます。
 詳しく調べたことはないのですが、一度、冬の小寒、大寒、立春の一日最低気温&日最高気温の推移を調べたことがあります。
 「天候出現率=過去30年間の大気現象や日降水量、日平均雲量から割り出した天気の出現率」
 それによると、冬季の節分にむけさがり続けている最低気温は、立春を境に上昇に転ずる。その結果を読みながら、
 古歌に申す紀貫之作『袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ』の意味を実感したことがあります。

 つまり科学のデータでもちあわせていたわけではないのですが、体感を暦のうえに「二十四節気」という形で表現し、生活=農作業の指標とした。
 そうしたことを読み取ることができ、「農作業に便利な太陰暦」「太陽暦では読み替えが必要」と整理してきた。そのようにも読み取れるところです。

 北海道東部では、「八十八夜」の日あたりをメドに農作業の土を耕すことを始めました。
 四月ではまだ凍結していた土が解凍し、鍬・スコップが使えるようになるからです。それではオオウジシギが吹鳴し、カッコウの声とあわせて
 土をたがやす応援歌としていたか、どうか。自然とは正確。こども心に思いつづけてきた点です。気分転換に生きると、幸いですが。

時間のモノ指し+積算気温の体感度 年ごとに差異ある暦230126