ほんの一筋の光彩を目の前に 『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』230128
 ほんの一筋の光彩を目の前に 『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』230128

 キリスト教教会筋からのお誘いであってか、市内で開催したタイトルの上映に。
 「運命とは、命を運にあずけることです。大切な命を運に任すのではなく、これからの女性は、使命をもって生きてください」
 「使命とは、命を使うことです。自分の命は、自分で使うのです。」

 自身の米寿を記念する会で、山室軍平の祝辞につづき、自身が謝辞をのべる形で、紹介の一節が残された。
 女子教育、婦人矯正運動、禁酒会。男尊女卑の社会の中、酒乱の夫に三行半を女性の側からつきつけて、離縁。
 教員伝習所にかよって尋常小学校の教員に、その後、アメリカ人に認められて高等女学校、職業女学校の校長に。

 一夫一婦制、婦人参政権、禁酒、廃娼運動など手広く活動する。 
 象徴的な一シーン。それは母から預けれた<お守り>を川にながし、<キリスト教>に帰依を伝えるナレーション。
 個人の信仰が、家の信仰をわずかに超えたとき。そう受け止めたのであるが。
 
 大正14年6月16日、91歳で死去。世は大正デモクラシーの渦中。
 「(大正デモクラシーとは)1920年代=概ね 大正 年間にかけて起こった、 政治 ・ 社会 ・ 文化 の各方面における 民本主義 の発展、 自由主義 的な運動、風潮、思潮の総称」。
 世の風潮はわずかに、女性解放に後半生を尽くした女性にとって、暗黒の世にはしる世相の闇に照らされた一面であったか。
 そこを自分なりに実感しつつ召天の時を得たは、「ほんの一筋の光彩を目の前に 『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』230128」。