2008年07月の記事


さらに(^0^))^O^((^_^)(*⌒O⌒*)(●^∀^●)
トラブルもなく、想定通りの、いや以上の効果を発揮したようだ。27日夜のthunderstormは、やはり瑞兆? 派手すぎではあったけど…

------ Forwarded Message
> From: Toru Mashiko <mashiko>
> Date: Wed, 30 Jul 2008 15:21:07 +0900
> To: <tojibu3>
> Subject: [tojibu3:00579] さらに(^0^))^O^((^_^)(*⌒O⌒*)(●^∀^●)
>
> 視察経過続報。
>
> さらに非常に、好評だったらしい。
> と知らせあり。
> とりわけドア開けた壁に貼られた
> 「安否確認」電報拡大コピーとの組み合わせが
> 効いたようです。
>
>
>> From: <mc-mashiko>
>> Date: Wed, 30 Jul 2008 14:45:09 +0900 (JST)
>> Subject: [yumekoujou:02336] まずは、\(^O^) /
>>
>> まだ資源循環センターを視察中らしいけど
>> もろもろトラブルなしと
>> 聞きました。
>
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辻、乾杯。
一昨日27日に岩槻に降りた瞬間から昨冬12月のことが迫ってきた。彼の暮らした住まいと彼が息を引き取った病院と彼を見送った斎場と、そのすべてに岩槻ランプを使った。あいいつがいなくなってもう半年以上経ったのだと考えた途端に胸が苦しくなってきた。忘れてないか。想い出しているか、とあいつが胸ぐらつかんできたような、分けのわからない気分に襲われたまま撮影を急いだ。あとでスタッフのほとんどが湿気でふらふらだったと知り、神経質になっていたのかと苦笑した。が、その夜の夕焼けと稲妻を同時に体験したこと、昨日の秋のような夕焼けと、二日間のことをふりかえると、辻だったのだとあらためて。葬儀の日に彼の娘たちが走ってきて、これ持っていってくださいと渡された紙袋の中に、でかい饅頭と「大手門」と名付けられた清酒の小瓶が入っていた。饅頭はすぐに食べたが、「大手門」は春になったら横江たちと花見でもしながらと思いながら忘れていた。今日、その小瓶を開けた。薄いグラスに注ぎ氷を入れた。甘やかで水のようなくちあたりだった。大手門。あるいは追手門。正門ではあるが防御のための門。辻はこんな名の門を好まなかったはず、などとぼんやりとしたアタマで考えた。酔いが醒めてから、27日と28日の2つの記録をつなぐ。27日の記録を「兆し。」とし28日を「going homeあるいは望郷。」としてウエブにアップ。辻の初盆の供えとしたい。

http://web.me.com/torum_3/サイト/Podcast/エントリー/2008/7/29_兆し。.html

http://web.me.com/torum_3/サイト/Podcast/エントリー/2008/7/29_going_home_あるいは望郷.html
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塩吹く夏と秋の空
撮影開始30分。プールの中にいるような湿気に包まれた。気がつくとアタマがくらくらし猛烈な発汗。あわててミネラルを2本補給。エアコンのある部屋の中に逃げ込みカラダを冷やす。ひさしぶりに塩をふくロケをした。古河の山水につき、まずシャワー。生き返る。暑さよりも湿気が何かを腐らせていく、そんな一日だった。晩飯前に長岡から携帯。すごいことになっている、と。駆けつける。真っ黒な雨雲の彼方に、見たこともないような色の夕焼け空。手前の雨雲の下には稲妻乱打。雨と落雷とその彼方に広がる夕焼けという、初めての経験。一夜明け、空にはすじ雲。軽く汗ばむことがあっても涼しい風がその汗を乾かしていく。撮影後、夕焼け。高い広い空に秋のような雲が染まっていた。昨日から今日にかけ、金沢や神戸など各地で大雨被害が続出したことを知る。
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明日の喝采が聴こえる。
川田から電話。想定した通り、背筋がぞくっときた、キャーといった体験館ならではのリアクションがあったようだ。この二週間でスタジオ編集がゼロエミの一日を含めのべ6日。MAVが3日。古河行きが3日。ま、よくやったというか、よくぞたどり着けた。
23日23時の記録のあるNo.2323の東京WGメーリングを以下に引用。
明日から強行軍のエジプトロケだという日比野が「あいかわらず自分でほめちゃって」と笑っていた。広告屋の性?だ、と答えた。春から顔を合わせていない、あいつがエジプトから戻って仕上げのメドがついた秋風の頃に、また横江も誘って飯でも食おう。古河の現地にリハーサルに行っているメンバー以外の東京残留組は全員冷房病のせいか不調。おれはこれから荒川河川敷の花火でも見に行くつもり。

> From: Toru Mashiko
> Date: Wed, 23 Jul 2008 23:38:44
> To: 夢工場ml東京WG
> Subject: [yumekoujou:02323] サプロブジアンシン
>
> 夢工場08リニューアル2関係者各位
>
> とりあえず東京チームにできる
> すべてのことを達成しました。
> 「山猫の招待状」
> のようなメールが古河から届いたのが8日火曜朝。
> それから正味2週間。
> 資料集めと素材チェックと台本書きと
> 映像デザイン先行作業と映像システムの再構築と
> 機材探しと音響テストと機材設置と
> 編集と音仕上げとが
> すべてオーバーラップしながらパラレルに進行。
> 16日段階で提示した目安のすべてをクリアし
> 勢いでBlu-ray仕上げを増やしもしました。
> ミューズ井口さんが「山本さんち」仕上げの頃から
> オススメの上海園のごまだれ冷やし中華を腹にいれ
> 今夜、午後6時30分から最終仕上げ。
> MAVに3日かけたイントロダクションムービーが完成。
> 全員で確認し解散。外は夜の蝉時雨。
> 明日はBテク館に武田さんが出向き
> 最後の音調整をします。(頼むぞ、武田)
>
> イントロムービーではありますが
> 2分30秒の映像経験の後に来館者が浮かべるのは
> 無条件の信頼です。
> 百聞は一見に如かずではありますが
> サブリミナル効果を随所に仕込んであるので
> まず100%、この効果を発揮します。
> ターゲットを絞り込めるイベント/展示映像だけが
> 発揮できる底力を、どうか体感してみてください。
>
> ムービーのテーマは

>    -かけがえのない、その1棟のために-
>
> 実際の映像はタテ5mヨコ4mの空間にタテに貼られた
> 約220inchスクリーンを来館者のスィートポイントを中心に
> 映像の配置、音響の配置をおこなっています。
> Bテク館で体験する以外に意味はないのですが
> 今日明日のスタッフチェック用には
> http://www.m-circus.com/yume_kojo/07betech.html
> をアップしてありますので、ご想像ください。
> なおこのURLはパスワードをかけていませんが非公開ページです。
>
> 明日、立ち会えないことが口惜しいけど
> 果報を寝て待ちながら
> 28日のイズオーダーロケの合間に
> スタッフと体験できることを切望しつつ。
>
> 山岡さん、福谷さん、井口さん、武田さん
> 全力、使い果たしました。満足です。
>
>         08.7.23 大暑 ましこ拝
>
>
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14日戦争終了
12時過ぎに蒲田を出て古河へ。体温くらいの暑さの中スチールチームがパラソルで日よけしながら撮影していた。挨拶し、現場へ。5m上にスピーカーを吊すためイントレが組まれてた。池田さんとひさしぶりに顔を合わす。暗転し映写。画質のキレがまったく違うのでひといき。4時に東京へ。予定通り6時過ぎに広尾に。二時間、音の仕上げに立ち会う。スタートから丸二週間ジャスト。終わった。

メーリングでdigital地震年表の完成を知らせたのが23日23時38分。
それから小一時間で震度6強の岩手の地震。東京も震度3。感覚的にはずっと近い地震のように思えた。夢工場の仕上げはなぜか揺れとリンクする。
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大暑。さらにヒートアップ
10時にスタジオに入り、1時と2時に打合せをはさみ、午前2時まで。バイク便と航空便の組み合わせで午前9時必着で梅田に発送するのをスタッフに任せ地上に出た。なまぬるい熱帯夜の空気がどっと迫った。これからひとねむりし古河に向かう。向こうで4時までBlu-rayをプレビュー。6時から有栖川でのMAV。翌日は午後から今夜仕上げたものをMAV。25日は本番。27日、28日が古河ロケ。ま、大暑らしいヒートアップか。

大暑 (たいしょ) 7/23頃
太陽視黄経 120 度
最も暑い頃という意味であるが実際はもう少し後か。夏の土用の時期。学校は夏休みに入り、空には雲の峰が高々とそびえるようになる。
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社名通りの曲馬団仕事だった。
アップしたのが午前5時。健闘をたたえあい地上へ。あんがい涼しい朝だった。山岡を不動前で降ろし帰宅。風呂が満たされるのを待っている。今日現在の自分たちに可能なことをすべて出し尽くした。何日かすればまた異なる感想を持つことになるだろうが、満喫し満足した。オリエンが9日火曜日夜6時古河。11日でここまでたどりつけたのだ。ひとねむりしたらMAV。なんともサーカス団らしい仕事ぶりであった。
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すーすーとべたべた
クナイプのミントをいつもの5倍入れ湯に浸かった。タマがすーすーするのでエアコンの吹きだし口の下に立ち、さらに冷風を当てた。1分ほどがまんしていたが飛び上がるほどひりひりしてきたのであきらめる。一昨日届いた水蜜桃に常温のままでかぶりついたら、熟成ぐあいがちようどよく腹にしみいった。蜜で両手と口のまわりがべたべたになったのでシャワー。ミントと蜜を洗い流しているうちに小腹が空いたので飯に岩塩をふりボルヴィックをかけかきこんだ。んまかった。明日の完成を夢に、今夜は熟睡できそうだ。
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行こうじゃないか。
------ Forwarded Message
> From: Toru Mashiko
> Reply-To: <yumekoujou>
> Date: Sun, 20 Jul 2008 04:35:05
> To: 夢工場ml東京WG <yumekoujou>, 湯治部07 <tojibu3>
> Subject: [yumekoujou:02309] 消印と 9文字
>
> Bテク館イントロ編集チームへ
> 20分前に家に着きました。
> いまお湯が満ちるのを待っている。
> 昨日よりはいくらか涼しかったね。外は。
> 地下は冷えすぎて真冬のよだったけど。
> しかし、ゾクゾクするようなできだったね。
> まだ7合目あたりとはいえ
> ここまで来れば何も怖いものはない。
> 運も才能も
> まだまだあるなあ、としみじみ思ったよ。
>
> 風呂を待ちながらシミュレーションしていて
> 思ったことがひとつ。
> 電文の終わりに消印/スタンプを入れたい。
>
>       12.9.3
>       釧路
>
> と。
> それとこちらは相談。
> Aの2007シーカス実験でラストにした場合
> シーカス実験のフェードアウトにひっかけ
> もういちどあの9文字を印字してみたい。
>
>   サブロ ブジ アンシン
>
> 84年の時を経て
> 万が一の災害に出会ったときに
> ひとが願うことはただひとつ
> 我が身と家族、そして大切に思うひとの
> 「無事」と「安心」。
> 災害列島ニッポンの住まいづくりの
> いわば出発点であり到達点こそが
> この「無事」と「安心」のはず。
> だからラストには出発点となった
>
>   サブロ ブジ アンシン
>
> をもう一度打電し
> Bテク館体験の根底にあるテーマを
> 強くアピールしてみたい。
> どうかな?
> 12時にスタジオに結集したときに
> みなさんの結論を聞かせてください。
> 議論しましょう。
>
> それとBブロックの「経年美化」は
> 効果を殺ぐことになるのが明らかなので
> 割愛したいと考えています。
> introductionというのは
> やはり結論や結果を見せるべきではない。
> Bテク館を体験し終わった時点で
> はじめて「経年美化」「長寿命化」が
> すっと腑に落ちる、というのが
> あるべき「動線」でしょう。
>
> 展示施設における映像の役割の
> やはり原点に戻るべきだと考えます。
>
> 明日は
> あの空間でしかできないことを
> やりきってみたい。
> ひとつ、
> 誰も行ったことのないところまで
> 行こうじゃないか。
>

------ End of Forwarded Message
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余地。あり
スタートを一時間遅らせ11時にしたが、起きられず30分近く遅刻。その甲斐あってか、釧路からのCDROMがオフィスに届いたのを渡辺がピックアップし、行きのタクシーの中でノートブックで確認することができた。1通の電報をオープニングにすることに即決。1924年9月3日釧路とスタンプされている、関東大震災から2日後の電報。84年前のその電文にはこう書かれていた。

   サブロ ブジ アンシン

と9文字のカタカナ。
親に宛てたのか親戚か友人か恋する人へか、短い電文からは想像もできないけど、たぶん「サブロウ」という名の人が無事だから安心していいよ、ということだろう。サブロウは自分自身なのか、宛先の人との共通の知人なのか、それも不明。切り詰め削ぎ落としたような9つの字を何度も読み返しながら、切羽詰まった空気と安堵とが読み取れて、編集しながら興奮が冷めやらず。90"の予定だったが削るものをぎりきりまで追求したが、144"までいった。午前3時少し前にスタジオの照明を落し二度確認。このままでいくことに決めた。42インチPDPを縦置きにしてのプレビューだったが、闇の中ではたしかに5m×4mの大スクリーンとして見ることができた。余地の多い仕上がりで、言うことなし。明日はスタートをさらに一時間遅らせ、12時とした。今夜は、眠れそうだ。
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しのぶ。
5年前の九月のメーリングを引用し、その直後の平野さんを偲ぶ夜のことを思い出した。会場に置かれた遺影の周囲にはスタンゲッツの大いなる愛が繰り返し淡い音色で流れていた。平野さんとはじめて会ったのはたしか奈良の耐震実験の頃だったか、あるいはその少し前。記憶の中では、長い実験スタンバイ中にベースでよく二人でコーヒーを飲んだこと。Fのことをたのむよと、父親のような口調で話していたことだ。記憶が正しければ95年の秋。それから亡くなるまでわずか8年しか経っていないのに、記憶の中の平野さんとの時間は濃密なものになっている。晩年は、Fに強い言い方をされ言い返すこともなく唇を噛んでいるところをなんども見かけた。ああいう風景が重なるたびに、自分の中でFへの共感が消えていったことをよく覚えている。その満月の夕。多摩川べりの研究所でラストカットを撮り終わり、撮影部とまっすぐ川原に向かった。薮蚊に刺されながら月の出を待ちきれいな満月を撮った。撮りながら、平野さんへの記念だな、と思ったことをよく覚えている。二晩続けて夏の満月を見たせいか。
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Subject: [tojibu3:00523] 東京満月第二夜
------ Forwarded Message
> From: Toru Mashiko
> Reply-To: <tojibu3>
> Date: Sat, 19 Jul 2008 01:15:57
> To: <tojibu3@>
> Subject: [tojibu3:00523] 東京満月第二夜
>
> 5年前、最初の免震実験のための施工記録を撮った九月の午後
> 首都東京をとんでもないサンダーストームが襲った。
> Bテク館イントロの5秒は闇の中、この日のサンダーストームが
> タテ5m×ヨコ4mの壁面の天地を貫くことで始まる。
> 天地人の「人」に相当する映像を10時から11時までかけて揃え
> 最後に抜き出したのが冒頭に予定する天地鳴動だった。
> 途中何度も何度も首をヨコに傾け、こりゃムチ打ちかな
> と不安になったところで今夜のハイライトが
> タテ置き42inchPDPの天から地へと移動していった。
> アタマの中で巨大が面に置き換えながら至近距離で体感。
> スタッフのため息がいっせいに。
> ここから始められる90秒のニッポン自然災害絵草紙が
> きっとそれぞれの胸の中にひも解かれていったのだと思う。
> いいものができるときは、必ず前兆がある。
> その一瞬が今夜の最後に降りてきた、いや、落ちてきた。
> 明日と明後日の愉悦を胸に階段を上がったら
> 5年前の稲光が走った同じ六本木ヒルズの右上に冴え冴えとした満月。
> ジャングルのような湿度の六本木が今夜はとても美しく見えた。
>
> 長岡さん
> 頑丈にセットしてくれたPDP、おかげで効果絶大だった。
> マルチや巨大スクリーンの仕事はきまって脳内ワークだけで進むけど
> 42inchPDPをスタジオに持ち込みタテに設置して編集したのは
> たぶん東京では、おれが最初だろう。まったく笑いが止まらない。
>
> 武田さん
> スピーカーが心配でと言いながら飛び込んできたときは驚いたよ。
> 天地プラスサブウーハー 2.1CH構成プラン
> あの反響の大きい環境では最適でしょう。
>
> TSP営業川村さん
> あちこちのスタジオで演出の仕事をしてきたけど
> 営業からケーキを差し入れられたのは前代未聞。
> じつは昼飯をほとんど食べられなかったので
> あの差し入れはまことにありがたかった。
> むかしはじめてTSPと仕事をしたとき
> カメラマンが川村さんだったよね。
> 東洋インキ。なつかしいですね。
>
> 山岡さん、福谷さん
> 明日のことを考えるとぞくぞくする。
> 夕べもほとんど寝ていないのに
> あれやこれやと行く末を想像しているうちに
> 興奮してとても眠れそうもないよ。
> 90秒。長くも短くもあるこの時間に
> そそげるすべてをそそぎたい。
> 完膚無きまでに楽しみ尽くそうな。
>
> 最後に、アリモト。
> おまえの撮ったサンダーストーム、使うよ。
>
> おまけの一発
> サンダー・ストーム〜高中正義SUPER LIVE 2005
> http://jp.youtube.com/watch?v=9qYmTP-2o-4
>
>
> ------ Forwarded Message
>> From: Toru Mashiko
>> Date: Sat, 06 Sep 2003 02:54:41
>
>> 9月3日築地ふく源の前に違法駐車をし
>> 車から降りたとたんに、空に稲妻が走った。
>> 約15分の間、色とりどりの稲妻が間を置かず
>> 仕掛け花火のように乱れ落ちた。
>> 六本木の湯治部メンバーが
>> この雷ショーを撮りに走った。
>> 撮影場所は六本木ヒルズの真下。
>> ぼんやりした今年の夏も
>> 逝くときはなんと盛大なことか。
>> 遅くなったがこのthunderstormムービーを
>> 湯治部2003年の残暑見舞いとしたい。
>>
>> みなさまつつがなしや?
>
>
> ------ Forwarded Message
>> From: kikumasa
>> Date: Sat, 06 Sep 2003 23:06:46
>> To: Toru Mashiko
>> Subject: 残暑見舞い、ありがとうございました
>>
>> 益子透 さま
>>
>> 雷、すごかったようですね。こちらは何ごともありませんでした。翌日新聞を見
>> て、えっ雷?雨降ったっけ。降らなかったよねえ。という具合。
>>
>> こういうのも、すぐ撮れちゃうんですね。
>> 格好いい"tokyo thunderstorm"の残暑見舞い、ありがとうございました。
>> こちらは区切りよく夏は終わりませんでしたが、このところ虫の声がすごくて驚
>> いています。ずいぶん田舎に暮らしているような気がします。
>>
>> 来週、岐阜で福島さんと鵜飼いステージ(?)です。一昨年、まったく別の話
>> で、わたしがひとりで演奏した鵜匠さんのところと同じところのようです。その
>> あとは鮎食べて雑魚寝かな---あっ、俳句ではありません。
>>
>> 菊池雅志
>
>
>> From: アリモトリュウ
>> Date: Sun, 07 Sep 2003 00:44:41
>> To: 益子 透
>> Subject: 今までになく
>>
>> 益子さんに『よく撮った』と言われた時、この仕事を始めて今までにない喜びを感じ
>> ました。自分のなかでは反省点は多々あります。しかし、嬉しかった。
>> ありがとうございます。
>
>

------ End of Forwarded Message
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グーグーだって猫である第1巻-第4巻★★★★★
大島弓子著 角川書店刊
最新巻まで一気に四巻まとめ読み。それにしても大島弓子を読むのは十数年ぶりになるか。しなやかな観察力とマンガを越えた大島ならではの世界にじつにひさしぶりに浸った。堪能しながらも、猫の数が5匹を越えるあたりからすきま風も。あの才能がなぁ、とも言えるし、あれだけの才能だからかとも思えるし。きつい場所にきちゃってるなぁと嘆息しつつ、引けそうになる腰を硬い椅子で押しとどめ、あの大島のやっぱり大島的な空気を、ほんとうにたっぷりとしみじみ味わった。大島が生きていたということだけで、おれとしては★5つ。

明日からの孟夏シリーズを乗り越えるにはほどのいいビタミン剤となった。はず。ほぼ2週間。休みゼロの千本ノック、スタートである。相方は、昨日朝から上海。expo案件で。無事だと留守電があったので折り返したが、ボイスメールのアナウンス通りにナンバーを打っても途中でNG。3回繰り返してあきらめた。ソフトバンク、ダイジョウブなのか。iPhoneはほんとうにソフトバンクで良かったのか。まだ入手できていないけど…急に不安に。
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ワイルドファイア★★★
ネルソン・デミル著 講談社文庫上下巻
ギャグのベタさの悪化程度がケタ違い。話しも漫画チック。なんか間の抜けたナポレオン・ソロでも読まされている感じ。デミルがほんとうにおもしろかったのは“誓約”一冊だけ名のような気もする。あとはぜんぶ小才の利いた紙芝居風。白石の訳でなんとか読まされている、そんな気がする。
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デスパレートな妻たち3rdseason全巻★★★★★
DVD
何の共感もできないにもかかわらず脚本がバツグン。特にプロローグとエピローグの語りは1stseason第1話から感心させられっぱなし。こういうのはニッポンではまず絶対に成立しないね。英語版と吹き替えを疲れ具合に応じて見分けたが、吹き替えの女優は語り以外はオールペケ。万田久子みたいな大根をなぜ起用し続けるのかふしぎでならない。それと翻訳の感覚がふしぎ。たぶん、うまいという乗った気分で訳しているのが伝わってしまう分、せつない。ソプラノズの吹き替え版も当初は気が滅入るくらいひどかったが、チェンジしてからはいくらかましになった。デスパレート、まだまだ続編があるのだし、次の第4シーズンからは主役5人を総入れ替えしたらどうか。目の疲れていないときに見る字幕版だと、声は格段の説得力あり。
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♪あれは7年前
------ Forwarded Message
> From: Toru Mashiko
> Date: Thu, 17 Jul 2008 22:00:43
> To: 湯治部07
> Subject: ♪あれは7年前
>
> 撮影部諸君
> 今夜の月を見ながら、2001年8月の月光の夜を想い出しました。
> HDF900のテスト撮影で行った、あの盛夏の夜のできごとを。
> 古いウエブメモからその夜のことを引いておきます。
> また、撮ろう、ね。
>
>
> 2001 08/10 03:15 月に狂う。
>
> あの夜の月の輝きが信じられない。
> オフィスで渡辺と素材を確認しながら長岡に電話をし、
> フィルターなどをいっさい使っていないことを確かめた。
> あの青い光。雲を染めた夜の青。
> 透明な青い紗をまとったような満月。
> 稜線を爆発光のように照らし出す月の出の瞬間。
> 「わたくしも月を見に連れていっていただいてもよろしいでしょうか」
> と小さな声で問うた飯盛山に暮らすという
> たみさんの姉上は、ほんとうにいたのか。
> 夕方、相馬さんに電話で確かめたら、
> 自分も幻のように思えてならない、と。
> 山すそにへばりついた数十軒の人家の明かり以外に、
> 周囲360℃が真っ黒な夜の山に囲まれた七つ地蔵のある山あい。
> スタッフ9人と、宿の人たちが5人。
> 舘岩村湯の花の闇の中で月の出を待ち受けた人は14人。
> オフィスのモニターにはその月の出がしっかり映っている。
> だから幻ではないのだが、それしてもだ。
>
> なお、たみさんの姉上は、
> 宿が忙しいので嫁ぎ先の会津若松から
> 里帰りをかねて手伝いに来ていたとか。
> 名前を「明子」太陽と月をならべて「あかるいこ、あきこ」。
> なんだかなあ。できすぎちゃいないか。
>
> 明子さんは、飯盛山の自宅は
> 月を背負ったように見ることができるのだと言っていた。
> 子供を迎えにいき、家路をたどるとき、
> 目の前に巨大な月がかかると、
> 月に帰っていくようだ、とも言っていた。
> 月が好きでたまらない、とも言っていた。
>
> 飯森山といえば白虎隊。
>
> 会津若松の桜吹雪から雪の舘岩村まで
> 一年半あまりの福島県内の撮影についてまわったのも
> 会津白虎隊の少年剣士の人形。
> いまはむじなの森のジ・アース館の
> 映写室の守りについている起きあがりと
> 何かかかわりでもあるのか。
>
> おれに、ありがとう、とでも言いに来たのか。
> 水引神社の扉を開いたときに
> 手にせよとばかりの場所に置いてあった弓と矢といい、
> 舘岩村は、おれに何を伝えようとしているのか。
> そんなふうに、ふと思えた。
>
>
> 湯治部満月その1 2004.8舘岩村湯の花六地蔵
> http://web.mac.com/mctokio/iWeb/Site%20D-next!/Blog/81BA4D30-FFBB-4586-8C8A-83
> 3FDD41844B.html
>
> 湯治部満月その2 2003.9多摩川 平野さんに捧げる
> http://web.mac.com/torum_3/iWeb/site/Blog/EFF38A5A-A45C-4579-A395-CEE05BAE7E6C
> .html
>
> 湯治部満月その3 2005.9箱根仙石原
> http://web.mac.com/torum_3/iWeb/site/Blog/DEC2842F-DEDB-4B86-BBF8-2F54925F6BD8
> .html

------ End of Forwarded Message
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東京超満月
月齢14.41夜。冴え冴えと光を放ちながら昇っていく。窓を開け放し1時間、観月。2001年の立秋に舘岩村湯の花で撮った超月光の夜を想い出しながら。

2001 08/10 03:15
月に狂う。

あの夜の月の輝きが信じられない。
オフィスで渡辺と素材を確認しながら長岡に電話をし、
フィルターなどをいっさい使っていないことを確かめた。
あの青い光。雲を染めた夜の青。
透明な青い紗をまとったような満月。
稜線を爆発光のように照らし出す月の出の瞬間。
「わたくしも月を見に連れていっていただいてもよろしいでしょうか」
と小さな声で問うた飯盛山に暮らすという
たみさんの姉上は、ほんとうにいたのか。
夕方、相馬さんに電話で確かめたら、
自分も幻のように思えてならない、と。
山すそにへばりついた数十軒の人家の明かり以外に、
周囲360℃が真っ黒な夜の山に囲まれた七つ地蔵のある山あい。
スタッフ9人と、宿の人たちが5人。
舘岩村湯の花の闇の中で月の出を待ち受けた人は14人。
オフィスのモニターにはその月の出がしっかり映っている。
だから幻ではないのだが、それしてもだ。

なお、たみさんの姉上は、
宿が忙しいので嫁ぎ先の会津若松から
里帰りをかねて手伝いに来ていたとか。
名前を「明子」太陽と月をならべて「あかるいこ、あきこ」。
なんだかなあ。できすぎちゃいないか。

明子さんは、飯盛山の自宅は
月を背負ったように見ることができるのだと言っていた。
子供を迎えにいき、家路をたどるとき、
目の前に巨大な月がかかると、
月に帰っていくようだ、とも言っていた。
月が好きでたまらない、とも言っていた。

飯森山といえば白虎隊。

会津若松の桜吹雪から雪の舘岩村まで
一年半あまりの福島県内の撮影についてまわったのも
会津白虎隊の少年剣士の人形。
いまはむじなの森のジ・アース館の
映写室の守りについている起きあがりと
何かかかわりでもあるのか。

おれに、ありがとう、とでも言いに来たのか。
水引神社の扉を開いたときに
手にせよとばかりの場所に置いてあった弓と矢といい、
舘岩村は、おれに何を伝えようとしているのか。
そんなふうに、ふと思えた
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“私は全面的に否認いたします。”判決は8月8日
きのう、佐藤前知事から手紙。結審を報じる新聞のコピーと、「最終意見陳述書」のコピーが同封されていた。判決は8月8日とあった。無罪となることを祈りたい。

最終意見陳述書の冒頭は、こんなふうに記されていた。

  「平成19年6月21日の初公判において、
  “ただいまの起訴内容に対し、私は全面的に否認いたします。”
  と言って始まったこの裁判も約1年、31回にわたる証人喚問、
  被告人質問、論告求刑まで終わりました…
  私にはまったく身に覚えのないことばかりで、
  この法廷に立っていること自体、
  未だに信じられないでおります。
  私には起訴された犯罪事実は何ひとつ無く、
  すべてにおいて一点の曇りもなく潔白であります。…」

無罪判決を勝ち取るにしろ、佐藤さんの無念さを想像すると断腸の思いだ。3Dの雪の会津に場内の降雪マシーンから雪が降り出したときの彼の無邪気な反応が昨日のことのようだ。フィナーレの夜。土砂降りとなったジ・アース前のステージでずぶ濡れになりながら“森に沈む都市構想”への想いを吐露したときの涙声もまた鮮烈に焼きついている。あの頃のニッポンでただひとり原発に叛旗を翻した自治体の首長。佐藤栄佐久。突破あるのみ、と記しておきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/佐藤栄佐久

福島は、時代を経て“あいづ”であり続ける、そんな気がしてならない。
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12年前。“ある秋の夏休み”のころ
左足の親指に真っ黒な血マメのようなものができて一ヶ月。徹夜が続いたスタジオで足先をぶつけた記憶があり、打ち身だろうと放っておいたが消える気配がまったくない。12年前の夏を思いだし、不安になったので、病院に。予約専門の時間だったが、強引に受診。あっさり放っておいていいですよと主治医に笑われた。12年前の傷とは違いますから、とも。あのときはでも、切断するかも、と言われましたよね、と食い下がったが、微笑むばかり。あきらめて帰る。あまりの暑さとハードスケジュールに休みがとれなかった夏。せめて秋には休もうと書いていた台本のタイトルを「ある秋の夏休み」とした。休みをとるはずの秋には右足切断かもと言われ入院。病院から撮影と編集に向かったのだ。同じ頃長岡も不調で、九州の「秋の夏休み」ロケのディテールの記憶が二人揃って無い。38℃近い熱が下がらず解熱剤飲みながら秋の火の国を撮った。夜になると傷ついた足をビニール袋でくるみ、渡辺の肩を借り、汗を流したく温泉につかった。宿の布団をあげにきたおばさんが、敷布団を通して畳まで人のカタチに濡れているのを見ながら、どうしたとね、汗かきとねと不審顔で聞いてきた。黒川温泉のいこい、妙見温泉の雅叙園。湯治部一押しの火の国の名湯2ヶ所。その記憶が淡い。
秋の九州は斜光がきれいだったこと、宇野をはじめ博多安藤チームとの出会いがあったことだけが記憶にある。仕上げた作品を見返すたびに、あの狂ったように暑かった夏を思いだす。
http://www.m-circus.com/mitsubishi/01aruaki.html
明後日から連続12日のバトルが始まるので、ま、ホッとは、した。
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温故知新、とは言うけれど。
06秋の台風13号の西日本新聞データと毎日フォトバンクから入手した写真2点の所在が不明だと閉店間際のMacでSが言い出した。理由は会社が全データを消却したから…。バックアップは?シテマセン。面罵しているうちに閉店のアナウンス。やめちまえ、と言い捨て別れ、データを遡った。発見。元来がメーリングの運営管理はD2Tのはず。ここでキャリアを積んだ連中はなぜかくもアタマガ弱いのか、スキルが後退していくのか、十年来のつきあいだが未だ謎が深まるばかりだ。共通して言えるのは「わかったつもり」。話しの冒頭2割程度で軽い腰がくねくね動き出し、そのまま最後まで突っ走る。結果が出るとすぐに謝る。そして平然と同じことを繰り返す。ウソの自覚無しでウソを重ねる。目ぼしいのはほとんど汐留に出向し、築地に居残るのは半可通がほとんど。あげく丸投げ。丸投げの先が投げもとより出来の良かろうはずもなく、拡大縮小生産。先細り。その繰り返し。うっとうしい真夏日続きだと、いきなり跳び蹴り繰り出したくなるが、ひさしぶりのMacである。5年ぶりのマックシェークである。ガマンシタ。にしても、マックシェーク、相も変わらず異常な甘さ。にしてもマック。相も変わらず店内は異常な明るさ。いまどき工場ですら見かけないような無影灯照明。さながらオペルームである。今日も厄日だ。くそして寝よう。
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アフガンのベーコンカレー
がいきなり喰いたくなった。山梨ロケのことをぼんやりメモにしているときに八ケ岳倶楽部がまず浮かんだ。それから吐竜の滝に続くクマザサの道と夏の水。つづいてアフガンのベーコンカレー。外気温深夜にもかかわらず29℃。梅雨明け前の超熱帯夜。
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歳月は、夢のようには、消せない。
男の夢を見ることはほとんどなく、あってもきっと忘れている。けさ、男の夢を見、その一部をシャワーを浴びている最中に思いだした。自分がやったのではないムービーについてその男が話しづらそうに聞いてきた。やや正直な感想を伝えると、それはその男がつくったものだという。黙って先を促すと、気になってならないので手を入れて欲しい、と。改めて顔を見ると泣き顔だった。どう答えるか迷っているところで夢の記憶が消えている。二日前の夜に、その男と会っている。男の気配に窮状があった。耳に届いているいくつもの噂がほぼ事実なのだと思わせる悄然とした雰囲気がこぼれていた。錯綜する思いはあるが、15年という濃密な歳月もまた事実。おれにできることはすくないが、出されたら手を握ろう。そう決めた。搦め手からはここ何年も攻められ続けてきたが面と向かっての攻撃はゼロ。まともに対応してくれていた。
歳月は、夢のようには、消せない。感傷ではある、が。
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思い立ったが吉日
急に現場が見たくなりDtecに上がる直前にワタナベに山岡の都合を聞いてもらう。7時までに東京に戻れればというので、東京駅でピックアップすることに変更。3時半に拾い古河へ。20分で三ヶ所をチェック。担当者と10分打ち合せ山岡を乗せ目黒へ戻る。今までの最短時間更新。70分強で着いた。山岡と別れ銀座へ。OKだし中のスタジオに上がり4時間つきあう。ほぼ全容がアタマに入った。蒲田に戻ったら午前一時前。古河と銀座は予定外だった。成果大なり。
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VR/キッチン南海/さぼうる/ひとりの男/Z/暗い旅/賭け麻雀
50年代のグラフィックデザイン展を急ぎ足で観てから連絡を入れた。いちばん印象に残ったのは早川の“JAPAN”。自主制作らしいが、いまもしJapanesqueリリースのリーフレットをつくるなら、このまま使いたくなるようなスゴミあり。“改札”を通って地下の試写室へ。クメール語版と英語短縮版VRをPDPで見せてもらった。スクリーンとくらべるとややくっきりしすぎている感はあるが身を乗り出したくなるような鮮明さで印象深かった。隣のシアターでは鑑真和上VRがプレゼン上映していたようだ。PDPはパイオニアのクロ50インチ。群を抜いていたことをHD編集室で比較検証したことを思いだす。外に出たら夕焼け。湿気はあったが暑いという感じはゼロ。汐留へ。ピックアップし、迷った末に神田に移動。南海でカツカレー&ショウガ焼き&イカフライという高校生の頃なら感激で腰を抜かすような晩飯。一本裏のさぼうるに。コーヒー、ジンライム、マルガリータという妖しげな取り合わせで乾杯。2時間近くしゃべり外へ。途中、気になっていたあかりやさんと電話で話した。うれしいことがあったと声が弾んでいたので、ホッとした。あの日、顔を合わせただけで別れ、スタジオワークが続いたためずっと気にかかっていた。明日は「古河案件」のブラッシュアップ。ありていにいえば「作り直し」。とはいえ、少しでも楽しむための準備はした。家庭用Blu-ray第1号作品になるのだ。引くに引けず。オリアーナ・ファラーチ「ひとりの男」ネットで手に入れ一年放っておいた約束の一冊をアリモトに渡した。ヤノも読んでみたいというので検索したら出物があったので二冊注文。一冊は自分用に。奥付には1982年3月25日第1刷り発行とある。冒頭3行目に“あの人は、生きている。生きている。生きている…”と書かれ「ジー…ジー…ジー」とルビ。コスタ・ガブラスの“Z”のラストに「Z…彼は、生きている」とあったのを思いだす。あなたは…の二人称で書かれたもので印象に強く残っているのが倉橋由美子の“暗い旅”とファラーチの“ひとりの男”だったことも、ふいに。まだヒモ暮らしをしながら、毎晩あきもせずに盛り場で賭け麻雀に熱中していた頃。世界が四角い布の上だけにあり、人口が4人しかいなかった頃の話。
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html
“振り向けば”とだけ記憶していたこのセッションが
中也の「港市の秋」の一節からとったものだということをまったく知らずいた。あかりやさんと大久保のライブで会った日、福島さんの絶叫を聴くまでは、ずっと4回戦ボーイのくだりだけを記憶していた。

  港の市の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子を失した

福島さんは、この詩に10代のころに出会ったらしい。
それも、なんだかつらいじゃないか。
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visit japan channel
http://jp.youtube.com/visitjapan
日本語表記はないけど、とてもいい。
どこにもない?ニッポン

特にsoulful Japan
http://jp.youtube.com/watch?v=IF_BnlirgxE&feature=PlayList&p=8FB9326F368BD793&index=0
は申し分なし。
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