辻、乾杯。
一昨日27日に岩槻に降りた瞬間から昨冬12月のことが迫ってきた。彼の暮らした住まいと彼が息を引き取った病院と彼を見送った斎場と、そのすべてに岩槻ランプを使った。あいいつがいなくなってもう半年以上経ったのだと考えた途端に胸が苦しくなってきた。忘れてないか。想い出しているか、とあいつが胸ぐらつかんできたような、分けのわからない気分に襲われたまま撮影を急いだ。あとでスタッフのほとんどが湿気でふらふらだったと知り、神経質になっていたのかと苦笑した。が、その夜の夕焼けと稲妻を同時に体験したこと、昨日の秋のような夕焼けと、二日間のことをふりかえると、辻だったのだとあらためて。葬儀の日に彼の娘たちが走ってきて、これ持っていってくださいと渡された紙袋の中に、でかい饅頭と「大手門」と名付けられた清酒の小瓶が入っていた。饅頭はすぐに食べたが、「大手門」は春になったら横江たちと花見でもしながらと思いながら忘れていた。今日、その小瓶を開けた。薄いグラスに注ぎ氷を入れた。甘やかで水のようなくちあたりだった。大手門。あるいは追手門。正門ではあるが防御のための門。辻はこんな名の門を好まなかったはず、などとぼんやりとしたアタマで考えた。酔いが醒めてから、27日と28日の2つの記録をつなぐ。27日の記録を「兆し。」とし28日を「going homeあるいは望郷。」としてウエブにアップ。辻の初盆の供えとしたい。

http://web.me.com/torum_3/サイト/Podcast/エントリー/2008/7/29_兆し。.html

http://web.me.com/torum_3/サイト/Podcast/エントリー/2008/7/29_going_home_あるいは望郷.html