しのぶ。
5年前の九月のメーリングを引用し、その直後の平野さんを偲ぶ夜のことを思い出した。会場に置かれた遺影の周囲にはスタンゲッツの大いなる愛が繰り返し淡い音色で流れていた。平野さんとはじめて会ったのはたしか奈良の耐震実験の頃だったか、あるいはその少し前。記憶の中では、長い実験スタンバイ中にベースでよく二人でコーヒーを飲んだこと。Fのことをたのむよと、父親のような口調で話していたことだ。記憶が正しければ95年の秋。それから亡くなるまでわずか8年しか経っていないのに、記憶の中の平野さんとの時間は濃密なものになっている。晩年は、Fに強い言い方をされ言い返すこともなく唇を噛んでいるところをなんども見かけた。ああいう風景が重なるたびに、自分の中でFへの共感が消えていったことをよく覚えている。その満月の夕。多摩川べりの研究所でラストカットを撮り終わり、撮影部とまっすぐ川原に向かった。薮蚊に刺されながら月の出を待ちきれいな満月を撮った。撮りながら、平野さんへの記念だな、と思ったことをよく覚えている。二晩続けて夏の満月を見たせいか。