2023年05月の記事


新緑の季か or 深緑の節か 久著呂線軌道緑楓トンネル in 塘路二股
 新緑の季か or 深緑の節か 久著呂線軌道緑楓トンネル in 塘路二股

 広葉樹の森に<梢のトンネル>を思わせる拓殖簡易軌道久著呂線跡。1,997年の初訪以来、この地点には何度か。
 今回、足を踏み入れた途端に感じた、<森の梢のトンネル>。その景観は、見事。そう感じ、即座に「川湯硫黄山・青葉トンネル」の景と結びつけてみたことだ。
 今は新緑、やがて深緑の季節を迎えるに、いっそう迫力と凄みを増すのではないか。

 周辺は広葉樹におおわれている。今は緑ながら、10月中旬に至ると黄色、紅色の葉で覆われるのではなないか。
 5月下旬の訪問ということが初の体験。前回は20年8月と心得ているので、この3年。
 ひょっとして樹林層の<ふくよかさ>が、さらに加わったことか。

 自身で撮影の画像を見つけるのはたいへんながら、川湯に二季の名勝。「(上)川湯硫黄山 青葉トンネル」「(下)川湯温泉 紅葉トンネル」
 硫黄山・青葉トンネルは旧釧路鉄道軌道跡。川湯温泉・紅葉トンネルは国道沿いの道筋。
 ここに、春の緑に秋の紅葉を期して「久著呂線軌道緑楓トンネル」。今、新しい付加価値を付して注目しつつも、これからの推移を見まもりたい。
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新緑の季か or 深緑の節か 久著呂線軌道緑楓トンネル in 塘路二股
 新緑の季か or 深緑の節か 久著呂線軌道緑楓トンネル in 塘路二股

 広葉樹の森に<梢のトンネル>を思わせる拓殖簡易軌道久著呂線跡。1,997年の初訪以来、この地点には何度か。
 今回、足を踏み入れた途端に感じた、<森の梢のトンネル>。その景観は、見事。そう感じ、即座に「川湯硫黄山・青葉トンネル」の景と結びつけてみたことだ。
 今は新緑、やがて深緑の季節を迎えるに、いっそう迫力と凄みを増すのではないか。

 周辺は広葉樹におおわれている。今は緑ながら、10月中旬に至ると黄色、紅色の葉で覆われるのではなないか。
 5月下旬の訪問ということが初の体験。前回は20年8月と心得ているので、この3年。
 ひょっとして樹林層の<ふくよかさ>が、さらに加わったことか。

 自身で撮影の画像を見つけるのはたいへんながら、川湯に二季の名勝。「(上)川湯硫黄山 青葉トンネル」「(下)川湯温泉 紅葉トンネル」
 硫黄山・青葉トンネルは旧釧路鉄道軌道跡。川湯温泉・紅葉トンネルは国道沿いの道筋。
 ここに、春の緑に秋の紅葉を期して「久著呂線軌道緑楓トンネル」。今、新しい付加価値を付して注目しつつも、これからの推移を見まもりたい。
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幼年期愛情・成長期教育・現在の貧困 森達也紹介「犯罪は三つの不足」230214
 幼年期愛情・成長期教育・現在の貧困 森達也紹介「犯罪は三つの不足」230214

ロシアのウクライナ侵攻。一年を前に意識したのか。
 『京都新聞』2月14日ネット配信は「『多くの戦争は自衛から始まる』森達也さんが語る日本人の同調圧力」をアップした。
 映画監督にして作家の森達也氏がコメンとするコメントする。

 本邦でこれまでに起きた、そして起きている「地下鉄サリン事件やロシアによるウクライナ侵攻で目立つ一方的な報道や、日本人の同調圧力の強さを取り上げ、『多くの戦争は自衛から始まる』と警鐘を鳴らす」と言うのだ。
 まず「(日本的な)目立つ一方的な報道」や「日本人の同調圧力の強さ」とはなにか。

 「(一方的報道&同調圧力の強さは)動機が分からない凶悪犯罪への不安や恐怖から異物を排斥する集団心理が強まり、犯罪の監視や厳罰化が進んでいる」と説明するのだ。
 加えて言及する。「ほとんどのから起きる。幼年期の愛情不足、成長期の教育不足、現在の貧困で、それを補うのが社会の役割であり、刑罰だ」とする同国の法務関係者の言葉を紹介した。

 他方で「ノルウェーでは凶悪犯であっても刑務所で人間らしい生活が保障されている」とするのだ。そのうえでノルウェー国の法務関係者の言葉を紹介した。
 「ほとんどの犯罪は三つの不足から起きる」。「幼年期の愛情不足、成長期の教育不足、現在の貧困で、それを補うのが社会の役割であり、刑罰だ」と、
 言いたい点。「(ホームレスなどの生活貧困者を放置する傍ら)再犯率が高い日本では、刑務所は受刑者を懲らしめるばかりで社会復帰が考えられていないと(森氏は)批判した」。
 『京都新聞』はかく書いたのだ。

 でわでわ。思考回路が働く。では言外に申す「現代の貧困」とはなにか。
 思いめぐらしている。肝腎な問題ではないか。
 
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釧路川上流へ50キロ KeyWord=川舟 曳き子 両岸 人 画像230525
 釧路川上流へ50キロ KeyWord=川舟 曳き子 両岸 人 画像230525

 阿寒国立公園の一角。
 川湯・アトサヌプリで採取の硫黄原石を、河口からほぼ50キロ地点に精錬所を設けて製品化する事業。
 ために川湯~標茶間に民営鉄道を敷設、輸送動力源と製錬用燃料に石炭を輸送する<川舟輸送>が必要となった。

 石炭は釧路川河口近くで採掘される。結節の手段は本州で伝統的な「川舟 曳き子 両岸 人」の組み合わせであった。
 「『上流の場合=・両側の岸から綱で引っ張る』これが一般的な方法でした」。
 1969年発行『釧路川ーその自然と生活ー』には、どこから見つけてきたか「川舟 曳き子」のスケッチ画が引用されている。

 23年5月25日催行の「塘路 in ぶぶる6th」でも、当然にこのことは話題となった。
 塘路二股、つまり釧路川&阿歴内 アレキナイ 川の合流点は、釧路川川舟紀行の「里塚」にあたる有力なポイントでもあったから。
 智英子さんが申して下さった。「原田康子さんの作『海霧 UMIGIRI』には先祖から聞いた話として=確か祖父から聞いたとして、詳細な記載があります」。

 そうでしたか。その箇所を筆者は読み飛ばしていました。
 かと言って、当該書は手元にありません。こんど附属図書館で再閲覧してみましょう。
 ということで今回は浮世絵からその雰囲気をなぞってみることにしました。釧路川の両岸には、かくシッカリした堆積地というより泥炭湿地群なのですが。
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拓殖簡易軌道久著呂線二股軌道橋跡 国土地理院図旧版「細岡」1958年図230525
 拓殖簡易軌道久著呂線二股軌道橋跡 国土地理院図旧版「細岡」1958年図230525

 寝起きのころに二点の図面を検索してみたくなった。釧路国川上郡大字塘路村字二股に位置していた軌道橋&遺跡の位置図。
 1)拓殖簡易軌道久著呂線跡は国土地理院図旧版図を検索してみること。
 2)二股にある遺跡の解説は「北の遺跡案内」で、標茶町の文化財を記載した図面を検索する。

 起床後、判明した点。
 「塘路二股」の軌道橋跡は国土地理院図「塘路湖」では域外で「細岡」図に掲載されている点。
 「遺跡」の方は目下、「北の遺跡案内」が改定中で公開されていない。

 旧版図は「謄本請求」の方法周知から「検索欄」で低容量ながら内容を閲覧することはできる。
 すでに旧版扱いの図版も現用の当時は、書店で購入することができた。したがって公共図書館で所蔵していても良いはずながら、旧蔵していると。そうとは限らない。
 仕事をもっていたときには、研究費で購入可能ではあったが、できなかった。

 まだ数年前のことながら、発注には土地家屋調査士などそれなりの検索手段に通じていなければ「難しい」。 そうした印象をもっていた。
 不鮮明な図版ながら、「確かに久著呂線は、釧路川を通過」。その痕跡は読めそうである。
 「久著呂軌道線」。釧路川と阿歴内川の合流点から、北に延伸するライン右側に配された66文字。かく読めるように、見てとったところである、が。
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拓殖簡易軌道久著呂線二股軌道橋跡 国土地理院図旧版「細岡」1958年図230525
 拓殖簡易軌道久著呂線二股軌道橋跡 国土地理院図旧版「細岡」1958年図230525

 寝起きのころに二点の図面を検索してみたくなった。釧路国川上郡大字塘路村字二股に位置していた軌道橋&遺跡の位置図。
 1)拓殖簡易軌道久著呂線跡は国土地理院図旧版図を検索してみること。
 2)二股にある遺跡の解説は「北の遺跡案内」で、標茶町の文化財を記載した図面を検索する。

 起床後、判明した点。
 「塘路二股」の軌道橋跡は国土地理院図「塘路湖」では域外で「細岡」図に掲載されている点。
 「遺跡」の方は目下、「北の遺跡案内」が改定中で公開されていない。

 旧版図は「謄本請求」の方法周知から「検索欄」で低容量ながら内容を閲覧することはできる。
 すでに旧版扱いの図版も現用の当時は、書店で購入することができた。したがって公共図書館で所蔵していても良いはずながら、旧蔵していると。そうとは限らない。
 仕事をもっていたときには、研究費で購入可能ではあったが、できなかった。

 まだ数年前のことながら、発注には土地家屋調査士などそれなりの検索手段に通じていなければ「難しい」。 そうした印象をもっていた。
 不鮮明な図版ながら、「確かに久著呂線は、釧路川を通過」。その痕跡は読めそうである。
 「久著呂軌道線」。釧路川と阿歴内川の合流点から、北に延伸するライン右側に配された66文字。かく読めるように、見てとったところである、が。
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昭和18年7月、塘路二股=釧路川&阿歴内川合流点で水死者が出た・
​​​  昭和18年7月、塘路二股=釧路川&阿歴内川合流点で水死者が出た・
 当時、配された二体の観音石像には上屋が用意されて、今に継承されている。
 そこに殉難碑が建立された。1961年のことである。

 水難事故は戦中の出来事ながら、土地の人は多くを承知している。
 小説『挽歌』が世に出され釧路湿原の語は作中に用いられていないが、「湿原」の語は作者がすでに示していた。
 五所平之助監督は映画『挽歌』の一シーンに、なぜか、この地をロケ地に選んだ。

 映画はヒット。その年の観光客。
 釧路市への入込数は70万人に達していた。そう伝聞している。
 釧路市丹頂鶴自然公園。そこに放鳥されるタンチョウの捕獲地も「二股」界わい

 碑が建立の昭和36年。標茶町立自然公園条例が施行され、その条例では識者の意見を聞いて、指定地区が選定された。

​ 「塘路」「茅沼」。指定対象地の公示は条例施行規則ですすめられたか、​​公示であったか今は、記憶がない。
 関係者は注目したに違いない。「ビューポイントの受け入れ装置」。
 石像を説明する形で標碑の建立。そう、地域に歴史を読み込んでおくことにしたい。
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二鳴四花の初聴、観察 標茶町立自然公園塘路区域フットパス230525町立自然公園塘路区域フットパス230525
二鳴四花の初聴、観察 標茶町立自然公園塘路区域フットパス230525
 
 塘路二股ポイントへの取り付け道路で「一鳴」はウグイス「三花」はユキヤナギ・□□□□□&■■■■(メモしていたペーパーを旅の方にお渡し)。
 パスタアンドコーヒー・プレッツェモーさんへ向かう道すがらで「一鳴」はオオジギに「一花」は◇◇◇◇(メモするヒマがありませんでした)。

 梢で待ちかね、帰路にも呼びかけた「ホーホケキョ」の鳴き声に「春告げ鳥」の異称を重ねて、一同七人、期せずして立ち止まって耳かたむけた。
 折から市内では「北大通を歩こう会」の例会。こちらが訪問ポイントに市民学芸員の配置された「屋根のない博物館」。
 そちらを常連参加者が、あえて失礼。自身が市民学芸員をめざすエコミュージアムの提案。

 この地域は自然がいっぱい。
 生物も地形も景観も、自身では語り掛けないが、1)生態系、2)生物多様性、3)食物連鎖で結節している。
 建造物や史跡・文化財は4)時代の要請、5)地域の変化、6)多様な付加価値の提案に満ちあふれている。

 釧路国川上郡大字塘路村字二股。
 そこに7)川舟輸送の里標にして拓殖軌道の軌道橋が設けられた、
 8)原田康子昨『挽歌』の映画化で原作にはない<湿原賛歌>の価値が示された、
 9)同じく東方の風土のなかに鋭い問題意識を発見した桜木紫乃著『凍原』では、このポイントに<物語>を創設した。

 川の利水・治水・親水の形として時代を通じて示された、多様な付加価値。
 さらなる可能性を秘めている。カヌーで川面の視線から生態系を読み込む愛好者が痛快していった。
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「九年の間、戦って得た最後のもの・・、未だはっきり停戦には」 市民の戦後日記450815
「九年の間、戦って得た最後のもの・・、未だはっきり停戦には」 市民の戦後日記450815

 昭和二十年、そのころ日記を書き続けていた佐藤公則さんは、敗戦の日からの感慨を、次のように書きしるす。
(八月十五日)閉戦の大詔下る。正午、天皇自らマイクに立たせ給い畏き詔書を 全国民に下せ給ふ。余は聞きながら顔が下がり涙が出て仕方なかった。今夜は 口惜しいので呑む。無条件降伏、これが我々が九年の間、戦って得た最後のものであったのだ。(略)元気を出してやろう。未だはっきり停戦になっていな いのだ。
(八月十六日)一日中ボンヤリして暮す。何事もしたくない。もうする元気もな いのである。我国の無条件降伏、それを考え、今後のことを考えるとき、何と しても嫌になってしまうのだ。

 2001年3月発行の『街角の百年~北大通・幣舞橋~』(佐藤宥紹 釧路市発行の釧路新書 第25巻)に、「虚脱」と小見出しを付して、上記の一文がある。
 『釧路春秋』第十一集に掲載されたものから、必要なところをほんの一部、抄出させてもらった。

 日記を記した佐藤さんは地域の経済団体で広報課長を務め、市内配布紙ではコラムの執筆の常連さんであった。

 『街角の百年』引用部分では、氏が「閉戦」と受け止めた。天皇の放送を聞いて生じた、新しい事態への対応を模索している。「未だはっきり停戦になっていないのだ」と信じられぬ事態に、「虚脱」の思い禁じ得ず、いかにも無念さが伝わってきている。

 そう、書かせてもらったのだ。
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第6回ぶぶる「凍原が描く景色」塘路へ行きませんか?? 遊ぶ・まねぶ・褒めるの三要素達成めざし公共交通で遠足230525
 第6回ぶぶる「凍原が描く景色」塘路へ行きませんか?? 遊ぶ・まねぶ・褒めるの三要素達成めざし公共交通で遠足230525

 その催行プランをまとめました。
 これまでもその一部をBLOGに書き綴ってきました。
https://blog.goo.ne.jp/pacific0035/e/25fdfb67032aded09694f3b2b26275a3
●「名所」=釧路川舟運の「道標」  釧路川機械船就航と「二股」230525
2023年05月13日 12時12分15秒 | 記録
https://blog.goo.ne.jp/pacific0035/e/e0a866f293a13f124154e254b5f1dddd
●二股 久著呂軌道橋 「挽歌橋」 作品舞台としての釧路川本流&支流阿歴内川合流点
2023年05月14日 10時30分23秒 | 記録
https://blog.goo.ne.jp/pacific0035/e/56e6fc69849a448b3d665bea518f43f4
●『挽歌』&『凍原』で、ともに主題となる「標茶町二股」 作品の舞台巡遊5th 230321
2023年03月21日 16時52分35秒 | 記録
https://blog.goo.ne.jp/pacific0035/e/ddc34982fdeef6e45acbc625a1558869

 当日の配布資料は明日、こちらで印刷します。掲載図は昭和36年制定、標茶町立自然公園条例施行規則で「自然公園区域」と定めた「塘路地区」の西端を巡見します。
 すでに参加者予約は締め切っています。お申込みくださっているお方、よろしくお願いいたします。
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背景映像活用し<変化の振り付け> 日舞の舞台で「陰陽師 安倍晴明」230521
背景映像活用し<変化の振り付け> 日舞の舞台で「陰陽師 安倍晴明」230521

 舞台は釧路市生涯学習センター“まなぼっと幣舞”大ホール。
 花柳寿芳久 はなやぎ・じゅほうひさ門下の社中で演じられた。
 企画から構成、演出、振り付け。寿芳久の創作舞踊。

 「第一幕 安倍晴明 母への追慕」
 「第二幕 平安のお花見・百鬼夜行・葛の葉の悲願」
 「第三幕 晴明の恋」

 百鬼夜行から葛の葉、そこからさらに晴明と恋人。
 二人が変幻自在に演じるところが圧巻。平安遷都後150年の世に、<平安の華麗さ>をかもしだす熱演。

 時にこのストーリーは著明。福島稲荷神社さんのネットから関係部分
 陰陽師 安倍晴明 https://www.fukushima-inari.com/history/72.html
 和泉(いずみ)の信田明神(しのだみょうじん)にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。
 その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。
 ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(あべのどうじ・晴明の幼名)と名付けました。狐は古来から、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになる・・・・。
 
 朝廷の陰陽尞に仕えた晴明は、優れた才能により、安倍家を賀茂家と並ぶ陰陽師の家に押し上げました。
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COVID-19&気候変動、実は同根 発症前にも指摘があったようで230421
 COVID-19&気候変動、実は同根 発症前にも指摘があったようで230421

新型ウイルス感染症。COVID-19の発症について。
 自身は北海道東部のマチに2020年2月18日、そして19日-20日に投宿し、その地で実は最初の罹患者が発生していたことを知った。
 あわせて筆者居住地でも罹患者の出現が伝えられ、その要因は<さっぽろ雪まつり>からの帰宅。そう漏れ聞いた。

 同年11月になって、総合雑誌『世界』5月号かに、「COVID-19&気候変動は同根」の記載を読んだ。
 その要旨、成因の説明があったのだが、その根拠・出典は示されてはいなかった。そう読んだ。  
 2023年5月下旬。そろそろ探索してみたい。その到着点を掲載の写真としておく。
 氷河 融解 コロナ ウィルス https://wired.jp/article/arctic-spillover-risk/

 五箇 公一氏に「人類の進歩が招いた人類の危機 パンデミック、気候変動、生態系の崩壊はなぜ起きた」が、『組織文化/組織開発 2020年8月号』で発表していたようだ。
 https://dhbr.diamond.jp/articles/-/6876

 氏は「「コロナ感染症の危機」は、「気候変動の危機」と要因が同じ」であるとする。
 そのうえで「地球の生態系を危うくする『生物多様性の危機』にも通じている。人類の存続を脅かす3つの危機の根本要因」 とするのだ、
 その要因を産業革命に求める。「3つの危機は、『人間活動による過剰な搾取』が原因」とし、
「産業革命以降の、それまでとはレベルの大きく異なる過剰な経済活動が、今日、3つの危機を同時にもたらしている」 と展開して詳説に移る。そこからは有料情報ながら。
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モノ創り基盤の脆弱に由来1884年 地域の経済&文化-2-
 モノ創り基盤の脆弱に由来1884年 地域の経済&文化-2-

 1884年と85年の6月。因幡国八頭郡などからの移住者105戸が北海道東部の地・釧路に来住する。
 105戸中に「師範農」なる篤農家が含まれていた。旧士族移住の一団に、<農>の存在は異色のコトといえよう。
 「旧士族に寒冷地農業を授産」。師範農はとまどったに違いない。「農業経験が通用しない!!」。

そこのところを文学作品でどう、表現するか。本稿は<そこ>が主題ではないのだ、が。
 <本稿の主題>は識者にお任せさせていただいて、<土が育っていない、農業経験ゼロ、非稲作&非養蚕の不適地>。
 師範農にとってある意味、土未成熟・無経験・不適地は三重苦=トリレンマであった。

 論が最初から迂回しているも、北海道東部に吹き込んでいた風。
 それは、モノ創り能力はあるも、必要な技術も経験も、実用上の知識も持ち合わせない階層が、移住対象者であった。
 逆に申すと、<モノ造りの達人、成功者、実績保有者>は、移住をすることなく、母郷にとどまった。

 移住者は<一山>をあてようと、<ニーズのある処、儲けの確実に得られるところに、利益のあがる品を結節する>。
 それで事業が成立。利益が見込まれ、<無いもの社会&流通手段をもたない消費者&利用者>に、「売り手優位」と「(現地生産品は)買い手価格で一手独占」の商いが成立した。

 地域の経済&文化。その停滞を指摘する時に見落とせない点。
 それは本州移住を受け入れた時点で、そもそも<国内水準に適合するモノ創り能力が脆弱>であったにもかかわらず、そこを<地域間競争で優劣を競った>。
 その点に回帰するのではないだろうか。

 今や<地域間競争を超え、国際標準で生き延びる>時代への挑戦が続く段階にある。
 <観光>を申すも、<港湾物流>が注目されるも、<IT&AI>進化のもと新産業構築の時代を生きるも、目と関心を国際視野に広げる時に立ち向かっている。
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人たるの大恥辱&政府の恥辱 前田正名筆「第六 不虞の備え」230517 <img
 人たるの大恥辱&政府の恥辱 前田正名筆「第六 不虞の備え」230517

 (前田正名筆『興業意見未定稿』-全文-)
 「内乱外患は人為なり。或いは之を避けるの方法もある可し。然れども人生には不虞の天災あり。水火疾病死亡の如きは即ち命数にして避く可らず。是故に人民各自常に此覚悟なかる可らず。火災に逢ふて路頭に彷徨し、病に臥して医薬を求むるに能はざるに至り、死者あれども埋葬の手当ても無きが如きは、人たるの大恥辱なり。国にはこの如き人民多きは政府の恥辱なり。宜しく上下共に勉強して此等の社会を減少することを図らざる可らず。」

 逓=①たがいに、かわるがわるに、②次つぎに伝える、伝達する、③宿場、宿駅、④物を宿つぎして送る、⑤宿次の人夫や馬車、⑥つぎつぎに、次第に。
 1)鉄道・港湾で発展のマチ→空港・高速道
 2)逓信→ネット回線
 3)港で繁栄、非製造物主義の時代に港湾流通の代替資源はなに?。

 ヒトを介してのネットワーク&ビジネス→記号で結節、参加不能者は「不虞の備え」も蓄積できず、政府はそれを容認、むしろ拍車。

 そういうことではない、か。
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大川の流れとともに 伝統工芸を支持する力&育てる力 「小さな旅 川の流れとともに―大阪市―」230513。
 水の都・大坂で暮らしのすぐそばにある大川
 1)父親から継承、娘夫婦が操る小さな遊覧船
 2)巨大なコイ釣りを通して出会い、支えあって暮らす釣り仲間。釣ったコイでコンテスト、計測してリリース(ツルガダイ公園で<小さな鯉の釣り大会>、自然保護の啓発に役立てては。

 3)川のほとりで三代にわたり営々と受け継いできた<切子職人>。
ビルとビルの空間に満月が収まる時
エンデングのナレーション 「人と人の人生をつむぎ、大川は流れてゆく」。

 3)の切子職人の項目で考えた。伝統技術の継承者が今なお、存在を可能にするうえで二つの条件。
 A)国内マーケットは狭い。そこを国際水準で生き残る技術力
→地域内競争で支えあい、生き残ることのできた枠組みは崩壊した。
→インターナショナル標準で生き延びる難易度に挑戦して生き延びている。
 B)国内マーケットが縮小していることは確実ながら、しかし本州ではまだ<支持力&育てる力>の持続力がある。
→中間層の基盤維持。
 C)明治期の松方デフレ期に薩摩閥の前田正名は、惣村伝統工芸品の国際水準維持を主唱していた。

 小さな旅 川の流れとともに―大阪市―230513 nhk4Kam6:00~ 再放送予定230519 am9:00~
 大川の流れとともに 伝統工芸を支持する力&育てる力 「小さな旅 川の流れとともに―大阪市―」230513。
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身はサラリーマンであっても、自身の人生の経営者 丹羽宇一郎氏の<ことば>かみしめる230515
さきに本ブログで「<弘法大師の供養に通じる> 『お接待船団〜和歌山・徳島〜』230422初回放送」を書かせてもらった。

 この番組では、200年は続くという「有田接待講」で二人のキーマンが登場する。
 その家柄は、「みかん農家三代目」と「1818年からは続けているという醤油製造元」。
 その後継者が、講の代表や世話役となり、危険をおかしても四国・鳴門にわたる一行を励まして渡帆してきた。

 それぞれが異口同音に語る。
 「代々家業が続いてきたのも、『大師様のお蔭』、跡継ぎ者が立派に事業を受け継いでくれるのも、『大師さまのお蔭』」。
 継承する当代もまた、別々な言い方で語る。「(講の代表・世話役を務めることは)父からの遺言、母の言い伝え」。

 経済の論理で申すと、「代々にわたり発展させてきた『営業権』『財産権』の相続」。
 「利益があがれば『やる気』も起きるが、『儲からなければ売るなり、廃業する』なりのこと」。
 ただ、経営者には「誰にも代わってもらえぬ、当事者責任と経営能力」を持ち合わせる。
 「給料日を前に、明日の支払いをめぐって、どこの家も夫婦喧嘩が絶えない」。
 そうも申す。「自分たち夫婦の支払いで喧嘩をする」はサラリーマン家庭。経営者家庭では「従業員の給料支払いを巡って喧嘩になる」。そうではないか。

 一見、関係がないかに見える「有田接待講―弘法大師―醤油製造元&みかん農家」。
 経営当事者ならでは実感の「お蔭―恩返し―自身の分も含めて<お遍路さん>に託す巡拝」。
身はサラリーマンであっても、自身の人生の経営者 丹羽宇一郎氏の<ことば>かみしめる230515

 千葉県から徳島へ。女性元看護師さんの収録言を詳録しておく。
  「<お接待>を受けつぐ人が居ます」
 「業務量が増えて忙しくなって」。「だんだん自分が患者さんに対して時間を割けなくなって」「人に優しくなれないとか」
 「それでどんどん、自分のことが自分で嫌になっていくって、いうのがつらくって」。

 「(高野さんは)看護師をやめて遍路の旅にでました」「そこで有田講の人と出会い」
 「そこで(鳴門にくることのできない有田の代わりに)<お接待>を受けつぐ人に」

 「(鳴門・霊山寺で)有田の人たちが楽しそうに、うれしそうに<お接待>しているのを見るのも」&「お遍路さんたちが嬉しそうにお接待をいただいていくのを見るのも、本当に幸せでした」

 「その後、(高野さんは)毎回、接待講に参加するようになりました」
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二股 久著呂軌道橋 「挽歌橋」 作品舞台としての釧路川本流&支流阿歴内川合流点
二股 久著呂軌道橋 「挽歌橋」 作品舞台としての釧路川本流&支流阿歴内川合流点

「釧路湿原を流れる釧路川と、塘路湖から流れるアレキナイ川の合流地点にある二股と呼ばれる場所で、映画『挽歌』の撮影が行われました」。
 「映画が撮影された1957年当時、ここには木造の大きな橋がかかっており、そこで桂木の妻と愛人が密会するシーンが撮影されたことから「挽歌橋」と呼ばれるようになりました」。
 「残念ながら橋は取り壊されて、橋げたの跡がわずかに残るのみですが、今も『挽歌』に魅せられたファンがこの地を訪れているそうです」。

 「塘路 日本最大の湿地・釧路湿原」。
 「湿地東部の塘路は、塘路湖を中心に大小5つの湖沼が点在する」。
 「かつて挽歌橋がかかっていた二股は塘路駅から徒歩10分程度だ」。
 「サルボ展望台、三角点、二本松などの展望ポイントでは、それぞれ違った湿原の表情を見ることができる」。
「文学散歩第29回 『挽歌』ゆかりの地 北海道・釧路市」
   https://jpn.nec.com/nua/sanpo/29/

 「怜子は、桂木の知らないところで桂木夫人にも近づき、桂木夫人が持つ不倫の秘密を知ってしまい」
 「美貌の桂木夫人と未知の青年との密会を、偶然目撃した彼女は、急速に夫妻の心の深みにふみこんでゆく。」
  「原田康子「挽歌」若い女性はなぜ寝取られ男と不倫の恋に落ちるのか」
  https://syosaism.com/harada-yasuko/ 
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「名所」=釧路川舟運の「道標」  釧路川機械船就航と「二股」230525
 「名所」=釧路川舟運の「道標」  釧路川機械船就航と「二股」230525

 大正五年四月、釧路川に機械船が就航する。釧路合資会社の釧路丸と、正置運送部のみゆき丸である。みゆき丸は七トンの動力船。正置運送部の正置 幸は釧路で鉄工場を経営し、折からの漁船動力化に備えて動力船を作ったものの漁師には買ってもらえず、使用させても利益があがらず、川運送に就航させればと考えたと『標茶町史考』にある。

 石川氏の回想記(註 石川◆氏 標茶町市街で「十字堂菓子店」を経営)の回想記には、午前六時にモシリヤを出帆し午後四時に標茶へ到着。川舟で三日間の道のりが動力船で一〇時間。「当時としては革命的な輸送機関」とある。(舟は)“経済も文化も、家庭の備品から家屋の木材まで運ぶ”標茶の生命線との思いが石川さんには強い。

 氏はまた、荷物の揚げおろしと進路の用をなす「名所」という場所の指定があったことを記し、かますはぶり・一の萩・塘路・二股・岩保木・クチョロ・二本松・千葉牧場・冷水・二ツ山・五十石・終点、などを挙げている。二股は◆頁で説明した。二本松は国道から分かれた久著呂への道がJR線を過ぎ釧路川を横切る橋のところをさすらしい。
(佐藤宥紹著「釧路川の汽船輸送時代」 『釧路川文化論』 37p 釧路短期大学・標茶町教育委員会発行 1996年)。
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別保
 洪水に見舞われ、紙パルプ業発祥地 釧路国釧路郡別保原野230510

1分前2023/05/12 金曜日 19:32
 洪水に見舞われ、紙パルプ業発祥地 釧路国釧路郡別保原野230510

 別保原野 べっぽげんや は、別保原野は釧路川下流部に位置し、1895年から97年にかけて北海道庁が釧路国でおこなった「殖民区画測地」で設定した殖民区画地の一つ。
 以下は『釧路国勢一班』(1911年)による。
 「別保原野 移住農民戸数 17戸77人 処分地積 1,777.7町歩 未処分地積77.2町歩 今後収容見込数 8戸 備考 農業日雇生計普通」とある。

 「釧路国では、1895年より1897年までに区画を測設した面積が208万坪にのぼり」
 「原野別に殖民区画地の入植状況をみると、釧路市街に近い別保原野と、鉄道沿線に位置する大楽毛、庶路、音別、尺別、直別、足寄、上利別、陸別の各殖民区画地では開拓が進み、開拓と鉄道との密接な関係を認めることができる」
 
 「釧路以東で入植者が多い区画地は尾幌原野」「また北方の内陸で入植者が多いのは、舌辛、弟子屈の両区画地であった」
 「区画地では、バレイショ、エンバク、イナキビ、トウモロコシ、ソバ、アズキ、ダイズなどおもに穀類が栽培され」
 「農業のみで生計をたてることが困難なところでは、日雇、製炭、伐木等によって農外収入を確保していた」(古川史郎著「北海道第一期拓殖計画時代」 『新釧路市史 第二巻』所収 45p)。

 釧路市緑ケ岡の「命名理由」に「旧名別保原野の一部にして」とある。
 釧路仏舎利塔と北海道釧路湖陵高等学校むすぶ路線(釧路市道 旭橋通3及び同2)の北側に位置する領域は「別保原野」の一部とされた。
 北海道庁は明治20年代に殖民区画地=本州から移住者を受け入れる「開拓可能な土地として選定された土地」を測量して決定した領域の一つ。
 昭和7年8月、一部が「緑ケ岡」になった。
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<弘法大師の供養に通じる> 「お接待船団〜和歌山・徳島〜」230422初回放送
 <弘法大師の供養に通じる> 「お接待船団〜和歌山・徳島〜」230422初回放送

 巡礼お接待
 それは<弘法大師の供養に通じる>。<昔、修行僧に住民が一夜の宿、一飯を供し、支えた>ことに始まるという。
 一番札所「霊山寺」に<お遍路巡行>がはじまる春の一週間。瀬戸内各地の港から、舟を仕立てた<お接待船団があつまる>という。

 キーワードは「二百年続く伝統」「名産のみかんを集めて船に」「3月4日から一週間」。
 村には「お接待世話役が約百人」「お接待品を積み霊山寺に向かう船は、海難にあうことなく大領に恵まれる」。
 出船と世話役の希望者が絶えない。ご利益というか、お接待の効果がテキメン。かく語り伝えられている。

 「二百年続く伝統」。
 往時は瀬戸内各地の港から、「お接待船が繰り出した」。
 戦時、戦中、戦争直後。モノのない時代を経過し、「お接待」の風は姿を消している、と。
 放送時の昭和50年。和歌山・有田から徳島・鳴門に向かう船は、8艘あった。

 遍路に歩く人に、旅の途中に<行旅死>の恐れがあった。
 「死したら、近傍の人がその地に埋葬してくれる」。そこを「<人の情け>に支えられ、接待は<遍路者にとって命綱>であった」とする。

 旧暦3月4日にはもっとも多い、遍路行の始まりがあるという。
 有田の世話役が鳴門にとどまる一週間、一人500円の経費と米一升をさしだす。その間、鳴門のヒトのおもてなしに与る。当然、質素に過ごす。
 7日目。霊山寺から有田の村人にむけ、<お札>が託される。つつがなく届けて、有田発鳴門行きの「お接待船団」は<結願>となる。

 修行僧対象、転じて全国から集まる市民。<弘法大師の供養に通じる>に重ねて、「自身が巡拝できぬ、私も同道させて」ということかも。
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生涯学習施設・高等教育機関・アートパブリック 文教風致地区の主柱 旧サルウシナイ川跡230510
 23年5月10日を期して、『Review 城山 Moshiri-ya」001に取り組んでみました。
 初号は「山林から搾乳牧場 旧サルウシナイ川源流部ーゴルフ場跡地 緑ケ岡公園」と「別保原野」を掲載しています。
  旧サルウシナイ川は現緑ケ岡公園内に源流部をもち、釧路川本流にそそぐも、今は源流部を思わせる<水たまり>に<川跡の痕跡>が残る伏流河川です。

 流域に国指定史跡「モシリヤチャシ跡 (史跡釧路川流域チャシ跡群)」に、釧路市武道館、鶴ケ岱公園らの生涯学習施設が現存します。
 釧路短期大学、北海道釧路北陽高等学校、北海道教育大学釧路校、 道東ヘアメイク専門学校らの高等教育機関が並列します。
 学園台高架橋の足元にはタンチョウと亀の装飾品、釧路保健所北面の擁壁にはアート画が施され、「パブリックアート」の片鱗が用意されています。

 2013年に地域史研究を分担されている方と研究プログラムを立ち上げた。
 2020年年になって、その到達点を「城山モシリヤ学コミッション」という形で、いくつかの成果を遺すことにしている。
 そのいくつかの試み。その一つをニューズレター、文献Rviewという形で<見える化>しようと考えている。

 生涯学習施設・高等教育機関・アートパブリック 文教風致地区の主柱 旧サルウシナイ川跡230510
 今回はその一端を紹介してみることに。
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機の深心・凡部の自覚&悪人正機・肉食妻帯 「宗教・仏教から現代社会のあり方を考える」 230506
 機の深心・凡部の自覚&悪人正機・肉食妻帯 「宗教・仏教から現代社会のあり方を考える」 230506

 世に『教行信証』と申すもこの書名の本はなく、『顕浄土真実教行証文類』とされる。
 草稿本の完成は1224=元仁元 げんにん 年4月15日とされ、この時を本書の成立年とした。
 中に「元仁元年[元仁とは後堀川院諱茂仁の聖代なり]甲申に至るまで」が、その該当箇所であると、言う。

 2023年は数えて800年にあたる。真宗10派はそれぞれに、記念行事を「法要」「慶讃行事」という形で実施。
 去る5月6日には宗教学者の島薗進氏、ジャーナリストの池上彰氏に、釈徹宗師がパネリストを務め、「シンポジュウム3 宗教・仏教から現代社会のあり方を考える」。

 出席者から寄せられた質問用紙の中から三題。
 「宗教と道徳との違い?」を問う内容もあったが、「宗祖のどの思想に注目するか」、と。
 そこで島薗氏は「機の深信」「凡部の自覚」を、池上彰氏は「悪人正機」「肉食妻帯」と指摘。

(’註)「機の深信」=「落ちるしかない救われようもない私(機の深信)が、必ず取って捨てず、必ず救う阿弥陀仏(法の深信)に出あわせていただく」の思想。

 <シンポ3の趣旨>は概ね三点。
 「社会の生きづらさや、時に押し寄せる喪失感・虚無感は、人間に何を求めさせるのか」。
 「その時、人はなぜ神秘に魅了され、集団に導かれるのか」
 「カルト問題も蔓延る社会に対し、宗教とりわけ仏教に求められる役割とは何か」

 特に島薗進氏は釋徹宗師とともにnhkETV「こころの時代〜宗教・人生〜 シリーズ『問われる宗教と“カルト”』VOL.1」に登場していたメムバー。
 番組での一連の発言とあわせ、パネリスト3氏の発言がたいへん、興味深かった。

 終わって8日。
 このGW中に「韓国で合同結婚式 日本から約550人」報道。
 USA元大統領のビデオメッセージに、日本の元首相の写真も会場に。二人の親密さとも重ねて、世の中、どうなっているのやら。
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思想深化か 開祖90歳、仏祖80歳 「親鸞聖人にまなぶ」 230507
 思想深化か 開祖90歳、仏祖80歳 「親鸞聖人にまなぶ」 230507

その道では「釈迦を仏祖」「親鸞を開祖」と申すのであろうか。
 この連休、二つのシンポをYouTube配信で視聴した。一つは5月7日午後も90分。
 いとうせいこう、宮崎哲弥、二階堂和美氏らをパネリストに迎え。シンポジウムⅢ「親鸞聖人に学ぶ」 。

 なかで、いとう氏か宮崎氏。どちらであったか、一人が注目。
 「鎌倉時代、実に<90歳まで>生きた、それ自体が<凄いコト>」
 「親鸞が90歳、釈迦が80歳まで生きたことが、思想の深化を産み出したのではないか」。

 かつて宗教学者の山折哲雄氏は「86歳で親と鸞、つまり漢字画数の差を感じさせずに<同じ規格>で書き上げる生命力」。
 そうしたことを『京都学入門』に書いた。

 いつの頃合いであったか、釋義昭も「親鸞90歳、釈迦80歳、教説をしっかり吟味した」。
 そう申したことがあったが、信念であったか、他者の見聞であったか。
 パネリストをまとめる釋徹宗師も「<出家仏教>としてインドで生まれるも、日本にたどりついて<在家仏教>という、まったく性質を変えたものに」と。

 会場で10歳代のヒトからよせられた質問。
 「歴史が好きで司馬遼太郎を読んでいる」「そこには『鎌倉時代は<親鸞を生み出した時代>であっただけでも、すばらしい』とある」。
 「(パネリストにとって)それぞれが好きな言葉を」。

 いとう氏「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」と仰せ候いしとき」(『歎異抄』 第13章)の一句。
 宮崎氏「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」(同 第3章) 
 二階堂氏「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」(同 第2章)
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一時の幻? 勤労男性一人働きで<家族育てる>賃金・年金・老後の今230506
 一時の幻? 勤労男性一人働きで<家族育てる>賃金・年金・老後の今230506

番組でコメントする女性教授の舌鋒は鋭かった。そうでhなかった、か。
 「もし、子どもの数を増やしたければ、やれること、やることは決まっていて、女性の就業支援、男性の育児家事参加」。
 「シングルマザーの年収は100万円にすぎない」
 「子どもは二度と増えない」「貧乏婆さん=BBになるな」。

 23年5月6日放送。BSテレ東 【これだ!日本 ~経済復活へのリーダーシップ~】。
 出演の関西大学政策創造学部教授・白石真澄氏は、歯切れ良く訴える。
 「頭の良い役人は『計画』を掃いて捨てるほど、策定した」「しかし、誰も実行しようとしなかった」。

 ここからは筆者の年来の所感。
 そもそも、「一次産業は古い、みなサラリーマンになれ!!」「家から職業教育を奪い、女性には『性差分業差別』を強要した」。
 「完全就職」「専業主婦」「(学校に)教育ママ」を産み出したが、「年金制度はまもなく積立型から後世代拠出負担型に」。
 
 企業は生産拠点の海外移転。「こんな筈では、なかった」。
 「サラリーマンになれ、定年後は退職金と年金で安心」。誰のための政策誘導であったのか。
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早稲田大学街の新時代=「自分の変化、大事にじて」 「よみがえる新日本紀行 都の西北 東京・早稲田」
 大学街の新時代=「自分の変化、大事にじて」 「よみがえる新日本紀行 都の西北 東京・早稲田」
 
 昭和52年、ディレクターは<靴磨き屋>に自ら靴を磨いて貰いながら、談話を録画。
 「今の学生は余分なこと言わない、世間話もしない」。
反面、「親父!!、『世話になったなー』と、律儀に挨拶していく学生も居なくなった」.
 「かわって、最後の靴磨きのつもりなんだろうネー」。
「さりげなく靴を磨かせて、帰ってゆく学生をみかける」。

 「よみがえる新日本紀行 都の西北 東京・早稲田」が5月6日朝、放送された。
早稲田大学周辺のマチで新入生の表情、サークル活動、若者が集う名物食堂などを通じて学生街のにぎわいと青春群像が描かれている。

 「あれから46年」。
 40年通いなれた喫茶店で<マチ並み>を眺めながら・・・・・。
 文化構想学部 長谷部真人教授(63)はシミジミと語る。、

 「男子が多かった、バンカラで上下関係の明確な日本社会の難しさが姿を消して」
 「留学生と女子学生が増えて、明るい華やかな雰囲気にかわりました」。
 「それはそれで、良いのですが・・・・・・」と、続けながら。
 最後に「自分が変化していくこと、大事にじてほしいな、と。そう思う」。
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燃え尽き
 やる気なし勤労者、人間規格化、富裕層蓄積 “燃え尽き症候群”生むシステム230503

 23年5月5日。こどもの日にあたる<国民の祝日>。
 内閣府はその意義を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と、示している。
 <明るい未来>を期待する時代もあったが、昨今は「隣の保育園児が園庭で遊ぶ声はうるさい」、「夏休みラジオ体操の拡声音はカセットラジオで小さな音に」。

 こどもは<邪魔者&厄介者>ではないか。
 5月3日午後。nhkBS1で、「なぜ仕事がツライのか “燃え尽き症候群”生むシステム」が放送された。
 三つのキーワード群に注目した。

 A)ある調査によれば、「熱意にあふれる社員」の割合はわずか2割、「やる気のない社員」は6割、
 B)教育は「意味もわからずに働く人間」、つまり規格型人間を育ててきた。
 C)生産所得と賃金の伸び率、その乖離=差は金融市場の投資ギャンブルに使われ、マネーゲームで<世界でわずか1%に過ぎない富裕層>に集まっている。

  USA型教育ですすんだ本邦の戦後教育。
  ドイツとの違いが強調されるも、欧と米の労働生産性の差異でもあるや。
そのうえ、我が国では「金融緩和不発 ため込む企業 「人への投資」急務」

2019年8月29日に『東京新聞』ネット版 https://www.tokyo-np.co.jp/article/2179が伝えていた。
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点が線に=デジタル住民、一日住民、C)移住民・・人 新潟・旧山古志村」230430―後―
 点が線に=A)「デジタル住民」、B)「一日住民」、C)「移住民・・・・人」 「Dear にっぽん 新潟・旧山古志村」230430―後―

 第二は、その<点が線>になる続きの話。
 ポイントは「1988年以来、35年続いた<古志の火祭り>が、フィナーレを迎える」にあった。
 高さ25メートル、点火すると50メートルの高さまで燃え上がる<茅を束ねた火柱を立てられなくなった>。

 そこを「山古志地区では人口減少と高齢化が進み、さいの神作りに必要なカヤを集める人も足りなくなった」と、廃止のやむなきに至った。
 生活支援相談員は奮起する。「その模様をSNS&オンラインラジオで」。
 そこを県内の「IT・Uターン者」も支援に参加。最後の点火を「緻密に映像記録」。
 当日は実にB)「一日住民=3000人」の盛況になった、と。

 番組では、県内の「IT・Uターン者」にマイクが。「(旧山古志=ここに)住んでみる気持ちはありますか」。
 青年♂は答えた。「いえ、ここにはコンビニもスーパーもありませんから」。
 さて、一過性のイベントを超えて、C)「移住民・・・・人」は誕生するや。

 でも、考えた。近代を形成し、拡充させてきた<製造物主義>。
 その到達点に「ハコ=箱モノ&脱炭素社会」が残された今、「既存の投資=ハコモノを有効利用する<非製造物業種>への投資」こそ、あって良いのではないか。

 A)=「点」、B)=「線」、C=「面」につなぐ投資を検討したい。
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点が線に=「デジタル住民」「一日住民」「移住民・・人」 「Dear にっぽん 新潟・旧山古志村」230430―前―
 点が線に=A)「デジタル住民」、B)「一日住民」、C)「移住民・・・・人」 「Dear にっぽん 新潟・旧山古志村」230430―前―

 地域起こしを担う<地域住民グループ代表>の竹内春華(42)は、今日も、片道60分をかけて旧山古志村に向かう。
 地域の食堂を訪ねて担当者からメニューの説明、出来上がりの雰囲気、口に運んでの実感をSNS&オンラインラジオで伝える。「匂い、それはお伝えできません、紹介の写真から、どうぞ」。
 「生活支援相談員」。その肩書きで地域に入り、二冬の春。

 「山古志にある課題や『山古志』を紹介して、その解決策を一緒に考え、実践して」と、プロジェクトを立ち上げている。
 1)一に中越地震、2)は長期間にわたり避難した村人は戻ってこない、3)2000人余居た村民は800人ほどに。
 そこで、考えた。「さまざまな能力をもった住民が集まり、なにか出来ないか」。「山古志の文化をこれからも残したい!!」。

 4月30日放送「Dear にっぽん デジタル村民とつくる未来 新潟・旧山古志村」nhkG午前8時25分。
 ポイントは「山古志アートアバター」をつくり、そのデータを買って(? 無料もある)くれた人を「デジタル住民」として「地域情報の受け手にする」こと。
 働きかけの結果、「Aデジタル住民=1000人」が登録し、旧山古志村民800人を超えることになった、と。
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営農計画&収穫量に影響 海外実習生への依存230501
営農計画&収穫量に影響 海外実習生への依存230501

 ネットに「『外国人技能実習制度』の廃止が意味するのは"特別な日本"の終わりなのか?」の見出しを眺めて、すかさずアクセスしてみた。
 ニューヨーク出身の「ニュース解説、コメンテーター」の解説であることが、残念な思いをしながら、ページをたぐってみた。

 「日本人の働き手が見つからない現場に"安い労働力"を供給するシステムと化していました」。
 「体よく法制化された奴隷制度ではないかという長年の批判を受け、ついに政府も重い腰を上げた」ようで。
 そうした寸評がまず、目に飛び込んできた。

 掲載のスライドは、22年9月3日に「郷土の歴史・文化の再発見企画. 演劇 『アイヌ逓送人 吉良平治郎』」を話させてもらう機会に用意した一枚。
 COVID-19は、エッセンシャルワーク概念も明示させたが、他方で「外国人技能実習生に依存しないと営農に支障をきたす現実」が明瞭になった。

 本州資本が当時、蝦夷地と呼称された北海道に投資する一方、アイヌ民族を補助労働力として編成し<人間の尊厳も種の保存も危機>に誘導した。
 その目で海外研修実習生の処遇をみていると、「江戸時代=現地に投資&在留者を補助労働力で組織化」が、「現代=開発途上国人材を吸引労働力で経営補完」

 往時「輸入奴隷」の語がなかった、か。
 著者のモーリー・ロバートソン(Morley Robertson  1963~)氏は書く。
 「『先進国・日本の技術や知見を得られるのだから低賃金でも当然だろう』『日本で学んだものを持ち帰って故郷に錦を飾ればいい』などと本気で思っていたのでしょうか?」

 さらに問うている。
 「外国人の話題はどこまでも人ごとで、関心を向ける対象ですらなかったのでしょうか?」。
 「無関心で居ることも、無関係で居ることも」許されるか。日本人の賃金も労働時間も<開発途上国> 並みに転じてはいまし、か。
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東北・北海道が<首都圏&中部圏、関西圏>の植民地であったからではないか230430
 東北・北海道が<首都圏&中部圏、関西圏>の植民地であったからではないか230430

 最近、北大通について自身はどう、向き合うと良いのか。そう聞かれている。皆さんはどう考えるか。230428記載に続き、その第二弾。
 
 そもそも「北大通」とは、なんぞや。
 どのように成立したものか、その淵源を探ることからはじめたい。
 2022年の6月中旬に電話があった。「7月30日に小学生を北大通にあつめ、<北大通あるく会>をしたい」。

 「小学生を北大通を説明する」。その機会を用意されたら、あなたは1)どの地点に集合し、2)そこでどのような光景を視野に修め、3)なぜここを選んだのか。
 そこから考えてみてはどうか、その集合地点の選択によって、その後の説明が「わかりやすい」「よくわかる」だけでなく、そこから「歩きはじめる意味が見えてくする」。

 違うであろうか。
 A)北大通の繁栄は<石炭に支えられ、鉄道網で結ばれた地点と住民と経済>に支えられていた。
 
 以下、小学生には難解でも、<大人向け>にはなんとかなるや。
 B)本市の経済指標を<右肩上がり>に支えてきた経済は、本州経済を補完する性格が顕著で、北大通=中心街はその投資対象地の一つであった。
 C)本市の経済が右肩下がりに転じたいま、<在来専門店の閉店。廃業>が課題ではなく、今も<代替投資&開発起業>を支える<新たな産業基盤>が、生み出されていない。

 <石炭と鉄道>に加え<漁業・木材・製紙と港湾>が縮小し、では<航空とIT,IoTの時代>が到来したか。そうではないであろう。
 <水素燃料化>もすすんでいない。重要港湾を擁しながらも、起業形成力が脆弱ではないか。

 モノの譬えに、つぎの話題はいかが、か。
 「こちらの地域では、隣家との間に<塀>の造作が見当たりません」。
 「治安が高く、その必要がないのです」。答えは一面では正解なるも、もう一つの正解。
 「母屋を立てるだけで精一杯、塀にまわす経費がないのです」。

 <経済の底の薄さ>。東北・北海道が<首都圏&中部圏、関西圏>の植民地であったからではないか。
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