思想深化か 開祖90歳、仏祖80歳 「親鸞聖人にまなぶ」 230507
 思想深化か 開祖90歳、仏祖80歳 「親鸞聖人にまなぶ」 230507

その道では「釈迦を仏祖」「親鸞を開祖」と申すのであろうか。
 この連休、二つのシンポをYouTube配信で視聴した。一つは5月7日午後も90分。
 いとうせいこう、宮崎哲弥、二階堂和美氏らをパネリストに迎え。シンポジウムⅢ「親鸞聖人に学ぶ」 。

 なかで、いとう氏か宮崎氏。どちらであったか、一人が注目。
 「鎌倉時代、実に<90歳まで>生きた、それ自体が<凄いコト>」
 「親鸞が90歳、釈迦が80歳まで生きたことが、思想の深化を産み出したのではないか」。

 かつて宗教学者の山折哲雄氏は「86歳で親と鸞、つまり漢字画数の差を感じさせずに<同じ規格>で書き上げる生命力」。
 そうしたことを『京都学入門』に書いた。

 いつの頃合いであったか、釋義昭も「親鸞90歳、釈迦80歳、教説をしっかり吟味した」。
 そう申したことがあったが、信念であったか、他者の見聞であったか。
 パネリストをまとめる釋徹宗師も「<出家仏教>としてインドで生まれるも、日本にたどりついて<在家仏教>という、まったく性質を変えたものに」と。

 会場で10歳代のヒトからよせられた質問。
 「歴史が好きで司馬遼太郎を読んでいる」「そこには『鎌倉時代は<親鸞を生み出した時代>であっただけでも、すばらしい』とある」。
 「(パネリストにとって)それぞれが好きな言葉を」。

 いとう氏「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」と仰せ候いしとき」(『歎異抄』 第13章)の一句。
 宮崎氏「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」(同 第3章) 
 二階堂氏「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」(同 第2章)