別保
 洪水に見舞われ、紙パルプ業発祥地 釧路国釧路郡別保原野230510

1分前2023/05/12 金曜日 19:32
 洪水に見舞われ、紙パルプ業発祥地 釧路国釧路郡別保原野230510

 別保原野 べっぽげんや は、別保原野は釧路川下流部に位置し、1895年から97年にかけて北海道庁が釧路国でおこなった「殖民区画測地」で設定した殖民区画地の一つ。
 以下は『釧路国勢一班』(1911年)による。
 「別保原野 移住農民戸数 17戸77人 処分地積 1,777.7町歩 未処分地積77.2町歩 今後収容見込数 8戸 備考 農業日雇生計普通」とある。

 「釧路国では、1895年より1897年までに区画を測設した面積が208万坪にのぼり」
 「原野別に殖民区画地の入植状況をみると、釧路市街に近い別保原野と、鉄道沿線に位置する大楽毛、庶路、音別、尺別、直別、足寄、上利別、陸別の各殖民区画地では開拓が進み、開拓と鉄道との密接な関係を認めることができる」
 
 「釧路以東で入植者が多い区画地は尾幌原野」「また北方の内陸で入植者が多いのは、舌辛、弟子屈の両区画地であった」
 「区画地では、バレイショ、エンバク、イナキビ、トウモロコシ、ソバ、アズキ、ダイズなどおもに穀類が栽培され」
 「農業のみで生計をたてることが困難なところでは、日雇、製炭、伐木等によって農外収入を確保していた」(古川史郎著「北海道第一期拓殖計画時代」 『新釧路市史 第二巻』所収 45p)。

 釧路市緑ケ岡の「命名理由」に「旧名別保原野の一部にして」とある。
 釧路仏舎利塔と北海道釧路湖陵高等学校むすぶ路線(釧路市道 旭橋通3及び同2)の北側に位置する領域は「別保原野」の一部とされた。
 北海道庁は明治20年代に殖民区画地=本州から移住者を受け入れる「開拓可能な土地として選定された土地」を測量して決定した領域の一つ。
 昭和7年8月、一部が「緑ケ岡」になった。