2011年05月の記事


有田秀穂著「聖地はなぜ“癒やす”のか」
 セロトニン 脳神経のひとつで「うつ病の原因はセロニトン神経が弱ることが背景にあること、これはまず誰も否定しなくなっている」(20p)

 ユニークな特性があって、「セロニトン神経には歩行、呼吸、咀嚼などの基本的なリズム運動によって活性化されるという特性がある」(32p).

聖地巡礼に五個の効果。「大脳に対し鎮静効果」「心の面での活性化」「起床後の活動がスムース」「小顔となり姿勢もよくなる」「鎮痛効果」(43p)
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三関きよし著「昭和史片々」
 俳人の三関きよしさんから直近の「昭和史片々」が掲載された『釧路春秋』66号(2011年春季号)を送っていただいた。

 投稿された「昭和史片々」は、のちに三和銀行の頭取、会長を歴任された渡辺文雄翁の小伝である。とりわけ渡辺翁が明治31年9月に厚岸町大字若竹町で誕生され、日本銀行の文書局長を経て昭和19年に南京国民政府の経済顧問の一員に推せんされる局面にポイントがある。しかも本稿を書かれた三関さんと渡辺翁の義父・義兄とが近接した間柄であったため、誠に細かな人脈が明らかにされている。

 主題の舞台は、昭和21年5月にラバウル島を出発した病院引揚船。日本から乗船してラバウル島にむかった今村純男軍医が、厳父の部下にあたる影佐禎昭中将を帰路の船内病室に訪ねるところで、筆者―影佐中将―渡辺翁の回想がつながってくる。「支那派」の部署をあるいていた影佐中将が王兆明政権を擁立する。他方渡辺翁は昭和12年の対中戦争後に設立された中華民国臨時政府の資金管理のために連合準備銀行設立で大蔵省、日銀から派遣される若手職員の一人であった。
 そこが出発点となりのち南京国民政府を維持するために、渡辺翁に白羽の矢がたつことになったと解することができる。

 三関さんの構成にも心づかいがある。冒頭の「病院引揚船」では、著名な「ラバウル小唄」の合唱が紹介されて、先に出発する闘病者と残余兵との別れがある。司令官の今村均大将が、父を案じて日本から島に向かった禎昭中将と面会しないことを決意する「今村親子」。公私の情をつらぬいたためと、紹介する。結節に「ゲゲの鬼太郎」が用意され、NHKドラマでおなじみとなった水木しげるを登場させて、読者を引き込む。その水木の生き方に同世代を生きる立場から、「前向きの姿勢でありたい」と筆者の感慨をむすぶ。

 私事に及ぶが、1960年前後に「三和銀行の頭取は厚岸出身」と、父に聞かされたような気がする。兼ねて三関さんは、その三和銀行の頭取を書いてみたいともうされたことがある。米寿を迎えた三関さんの努力で、厚岸が生んだ金融人の業績があきらかになったことを、慶んでおきたい。
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 壮絶な夢であった。

 宇宙探索機らしき機体が降下してくる。どんどん、降下するので、これは「墜落するわ」と、思いながら体は機体にちかづいている。興味と関心のなせるわざ、か。

 機体の形態は宇宙の探索機ながら、理解はどこかの国の戦闘機。とうとう、広場に墜落。それと、こんどは逃げる。

 しかし、火炎は近づいてくる。「どうして、落ちるまえに機体に引き寄せられたか?」。後悔をしながら走るが炎は、近い。

 とうとう背中に、火がついた。熱くてたまらないが、消えない。「いよいよ、ダメか」。

 事故死とはこういうものかと自問、自答。「家族もそばにおるし、ま、良いか」。ここで、目が覚めた。

 3.11大津波の報道。NHK朝ドラでは、予科練兵が出陣。前夜に読んだ色川武大氏夫人の対談と回想記が影響している、か。

 以前に、似たような夢を見た。そのときは、ここまで迫られないうちに、夢がおわっていたが。


 世相に深刻な事態が重なり、それを強く記憶するようになったか。、
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大谷正著「戦場からの手紙」
大谷正著「戦場からの手紙」。日清戦争時、兵士や軍夫の手紙が戦況を伝える手段として地方のメディアを支えたという内容。(軍夫について「輜重輸卒のかわりに輸送業務にあたった臨時雇用の軍属」と注がある)。

 小規模な地方紙は多くの特派員など送ることもできず、かわりに故郷の家族あて私信が、戦争情報の不足を補ったのみならず、「郷土兵の生の声や動静を紙面に反映」させることができたのだとする(252p)。

 制度的には戦地からおくる「野戦郵便には検閲があった」とするも、実際には新聞に掲載された手紙から、「具体的な滞在地、今後の作戦、旅順虐殺や台湾のゲリラ戦のような残虐な軍事作戦がリアルに記されている」という。

 それは「昭和期の野戦郵便には書くことが許されなかった」内容とする。
 
 戦時慰問品のひとつに、絵ハガキがあった。
 なぜ、絵ハガキがとどけられたか?。考えているおり、こうした一文に接した。(三谷裕ほか『大人のための近現代史 19世紀編』 東京大学出版会 2009年)。
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外山滋比古・和田秀樹「定年後の勉強に必要ない記憶力」
外山滋比古・和田秀樹「定年後の勉強に必要ない記憶力」。対談。

 ビジネス社会を支えたエリートたちも、定年後のGWをすぎて、「手持ち無沙汰」か。
 そんな仲間たちにエールを送るということか。

 「手を動かす」「頭で考える」「一つの答えにとらわれない」。
 認知症で「あんた、頼んでおいた預金の引き出し、引き出して盗んだでしょう」自体が、ひとつの答えにしばられていることの証明とある、と。

 『文藝春秋』2011年6月号に掲載。読後に考えた。
 本誌もビジネス社会の一線にある読者が支えてきたが、その段階の世代がリタイヤして、なお本誌の有力な読者層を構成しているのか、と。
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福田和也「昭和天皇」72
 福田和也「昭和天皇」の72thは「ミッドウィー海戦」。前号は「真珠湾」であったから、舞台は昭和17年2月10日に展開している。

 焦点は2月16日のシンガポール陥落への手順。それにさきだちシンガポール港に停泊していた米軍艦隊は脱出をはかる。
 「無事離脱できれば、連合軍の役にたつ人々」「(同時に)俘虜となった時、その能力のために敵への協力を強制させられる可能性がある」(242p)。
 老人、女性、子供たちより、艦隊乗員の脱出を優先させた理由と、描く。将棋で銀・桂馬を取り込んだのち、コマを敵陣に置いて金にも変換する〔日本人の手法〕を心得ているようでもある。

 シンガポール陥落後の日本人文化関係者による、撤収政策も関心。
 現地での英国・オランダと日本の関与を示そうとする。このあたり2次大戦の側面に、連合国対連合国植民地の「植民地解放戦争」の側面を提示したいと、いうべきか。

 しかし、宇都宮から水戸へ移動した陸軍大臣は、急ぎ列車で東京へ戻ろうとする。東京空襲の内報がもたらされたからだ。
 天皇は、「戦争終結の機会を失してはならない」(425p)としつつも、戦艦「赤城」のダメージに「失陥に士気が沮喪せぬよう」(431p)にと、内大臣に伝える。
 揺れている。(『文藝春秋』2011年6月号)
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開店
 大型店から2丁、ほど近いところに市民生協店が店舗を新築、開店2日目。

 生協店はこれまで、4キロ先の店に車で出かけていたから、歩いて10分強は、便利ではあるが。

 昼前、出かけてみると、確かに客は多い。これまでの大型店でも見かけないほどの客足。

 店の構成は食料品に、一部、雑貨。衣類は扱っていない。生協のこれまでの衣類の品ぞろいからすると、近くの大型店とは別な品質。競合はさけたか。

 既存の大型店は、幾分、生協の開店用量販で、やや客足はすくなめ、か。
 食糧品との棲みわけなら、なんとか共存するのか。
 先行き見えないのは、生協内部の大型営業店内の客の流れ。それぞれが、維持できるか。
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金融店舗
 5月21日の府県紙。地方版に土曜特集で、「日銀釧路 現店舗の行方は」。

 建物の価値について、銀行設計家で知られる西村好時(1886-1961年)の設計にして、自ら設計した旧第一銀行熊本支店は国の登録有形文化財となっていると、紹介。 

 西沢岳夫氏は「西村氏の秀作であると同時に、銀行建築が洋風の古典的なバロック様式から、モダニズム建築に移り変わる転換期を示す建物」である点を「強調」する、と。

 駒木定正氏は、「国の登録有形文化財に耐えうる建物」との評を寄せているそうだ。82011.5.21 北海道新聞 朝刊 16版 25面)
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月齢

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5月17日。いつもよりは遅くなって退勤。出口を出たところで、写真の月が東の空に。

 手前に梢、間に公園造成中で、奥の左手には集合住宅。集合住宅の階段の灯が窓を通じて視界にはいる。

 月をみながら仲秋の名月の夕をおもいだした。昇りたての月は、盆のようにして、赤い。

 月見の宴が終わるころから、月は黄色に転じ、小型になった。少し寂しい思いもした、が。

 月齢をさがす方法。高島易暦でもみると良いのかもしれないが、5月17日は満月の日であった、か。

 瞬時にカメラをだして、パチリ。暫くぶりにながめた「お盆のような月が」。
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形と意味
 コーヒーカップと紅茶のカップ。それぞれの形には意味がある。

 コーヒーは滓が沈殿するの待って呑むから、口がせまくて口から底までは深い。

 紅茶は熱湯をそそぐので、冷めるのを速めるためには浅くて広い口が適当。

 紅茶カップの絵柄。神話など物語性がある。話のきっかけをつかむ、知性と教養がためされる。

 そういう話。NHK[美の壺」から。
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守山 弘著『むらの自然をいかす』
 農村の自然がさまざまな環境が組み合わさってできているとの視点から、これまで住んでいた生き物が、なぜたくさん棲み、いまは棲まなくなったのかを明らかにしようとする(Ⅵp)。

 屋敷林、田や畑、ため池、二次林などの面積や配置に一定の規則性があって、伝統的な平地農村にきわめて近いものという(55p)。
 微妙にして妙をリズム、スパーン、バイオリズムが多くの種の保存を支えてきたということ、か。守山 弘著『むらの自然をいかす』 (岩波書店 自然環境とのつきあい方 6 1997) 。
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浅田 稔著『ロボット未来記』。
浅田 稔著『ロボット未来記』。ロボット研究の今を解説するガイダンス書というべきか。「日本は世界でも稀にみる、ロボット大国」(6p)とする。

 ロボットは「五感を通じて外の情報を感じ、判断して行動する人間の姿とダブり」(12p)、「人間を映す人工物」と定義する。

 研究はすすむ。その第一は「人間を理解するため」に行われているという。老人介護など、ヒトの代替かとおもいきや、受胎から乳児期の移行過程を読み解く手立てこそ、ロボット組立のプログラムで立証されると、言うのだ。

 確かに言われてみると、そうした領域のあることは確かではある、が。 (NHK知るを楽しむ この人この世界 NHK出版 2008年)
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若林亜紀著「道路官僚一万人をリストラせよ」
2008年5月、連続休暇の人出シーズン。当時のねじれ国会のなせる経緯のなかで、ガソリン税が道路特定財源からはずされたことがあった。

 そうしたながれのなかで、本稿は記載されている。道路はこれからも、計画通りに着工されないといけないものか。

 筆者は書く。住民の本音は「何でもいいから便利になるのはありがたいけど、電車やバスが便利なのが一番」。自治体は「金がまわってこないのは困る」、政治家の本音は「献金がまわってこないのは困る」、役所の本音は「ガソリン税の使い道がなくなるのは困る」。(200p)

 道路に対する将来の「利用予測データが、きわめてずさん」「計画通りの実績とは程遠い」。同じことは、空港建設でもみられ、港湾建設にも波及することであろう。

 記載はないが、「雇用維持」という名の土建業者の保護というのも、否定できまい。 読んでいて気がついた。ジャーナリストといえでも情報収集に役所はかたくなにも門を閉ざしている。議員の肩書がないと、政府も公共団体も情報開示に背を向け続けるのか。筆者の努力と壁に思いをはせた。(『文藝春秋』 2008.07)
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時間管理
 エクセル表をつかって、時間管理をしてみようかと思う。

 あまりに外から持ち込まれる要請。そこで、考える時間管理・

 積算業務の時刻配分。記載を気分転換に生かそう。そう思うのである、が。

続くかどうかが問題。自分が楽しみであるよりも、「そんなこと、無理無理」。よそ様が楽しんでいるかも。
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違いを説明できる
 かつてあった「違いのわかる男」のキーワードは、インスタントコーヒーのコマーシャルでくりかえされた用語。
 でわ、インスタントコーヒーの味の、「なにが違うの?」と、自問していたが。

 お蕎麦屋さんに出かけていった若者が聞いていた。
 「こちらで作るお蕎麦は、家でつくる蕎麦、豚丼なども提供する大衆食堂で出す蕎麦と、どこが違います?」。

 店主は応えてくれた。
 「決定的に出汁が違います」。(若者)「ふむふむ」。
 (店主)「市販のメンつゆのように、化学調味料をつかうことはありません。甘みをだすために糖分を使用することもありません」。(若者)「化学調味料では、だめですか」。

 (店主)「味にまろやかさをひきだすために、『かえし』ということをしています」。
 「何年も使い続けている『うまみ』に、新しい『うまみ』をくわえて、時間を置き熟成させるのです」。

 「違いをわかっても」、「違いを説明できない」と、自分が納得できても、第三者を説得できないのかも。
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小島 厚岸湾

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 小島は厚岸湾の入り口にある島である。「小大黒島」といわれた時代があり、記録上にその記載があるが、最近は「大黒」が抜けてしまった。

 外洋部と湾の仕切りのところに位置するので、消波機能をもつ島として、厚岸湾の静謐度をいっそう高める役割をもつ。

 島のなかにある碑。今上天皇の誕生かにかかわる碑であったように記憶する。

 島は1974年まで居住者がおり、小中学校が設けられていた。冬、水道管が凍結し、対岸からの水道水の供給が途絶し、住民は対岸に引き上げた。

 学校も閉校となった。現在、夏季のコンブ漁の時期には季節的に滞在する。訪問したのは05年のことであった。
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中心街 6500歩。
 中心街 6500歩。日曜日、晴れてきたのを幸い、春の風を楽しむことに。

 観光国際交流センターで、国際ソロプチミストのフリーマーケットがあるというので、出かけてみた。
 高校や大学の生徒・学生たちが展示し、農協の青年部も牛乳の無料提供。「サプリメントよりも、牛乳」のリーフレットをもらってきたが、管内北部の酪農家の若手。

 昼食をと考えて、3軒まわるも、日曜日昼の食事提供は「休み」。ビジネス客がおらず、フリの客など居ないということか。

 結局、近くのゆきつけの寿司店で、ランチ。といっても、いつもは夕食にたべるような握り寿司で、昼、夕の食事が逆転。

 先日の坊主一家の弁。「おいしい寿司より「楽しい寿司を」。
 「おいしい寿司」を選んだが、伝統食は維持がたいへん。消費教育をキチンとしないと。
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辻野功ほか編『大分学・大分楽』
辻野功ほか編『大分学・大分楽』。 日本文理大学が開講している大分学講座講演録らしい。大分学講座は2002年に始まった。
 大学の研究スタッフばかりでなく、在野の知識人が講座を担当している。「豊後学」ではなく、「大分学」としているところに、これからの「大分」にむけた地域振興に資することの意気込みを示そうとしているのかも。

 大分学講座開講の趣旨を主宰者の学長が述べ、ゲストに平松守彦氏らが招かれている。平松氏は、大分産シイタケ価格と自動車価格の100グラム価格を比較する。そのうえで、シイタケの方が高い付加価値をもつと、提示する。
マスなら自動車、しかしミクロで、比較すれば?。そういう議論。

 河野忠著「大分の『伝説の水』を科学する」が、おもしろいと思った。
「なぜ伝説に」の視点から、背景情報を検討することで、その意味あいを提示している。そのうえで、「新しい名水百選」をうみだしたいというわけ。

 肩をはらずに読ませてくれる点が、学者参加の著作らしくなく好感のもてる点、か。(明石書店 2003年)
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経済補完
 3月11日の大地震からほぼ2ヶ月。地震そのもの規模もさりながら、これまで見えてこなかった構造が、国民の前に示されている。

 安全といわれていた原発が、案外、脆(もろ)いものであることが明確になった。
 被災の広がりに、災害が発生後のマニュアルが明確ではなかったのか、マニュアルが役に立ちにくいものであることも白日にさらされた。
 なにより、首都圏の電力が東北でまかなわれていることなど、わかっていることではあったが、地震によってその依存度が明瞭となった。

 自動車、電気。その部品の供給地が、東北に依存していることも明らかになった。
 空気清浄器の部品は、「発注品です。1か月以上、時間をいただくかも知れません」。そういわれていた部品は、10日語に「到着しました」の電話がきた。
 が、依頼したカタログ商法のギフト品は、「目処が立ちませんが、暫くお待ちください」とハガキが来ている。

 JTは原料調達難から、70銘柄とやらを生産休止にしたという。

 気がついた。
 東北が、首都圏ばかりではなく、本邦工業の部品、材料の供給地であるらしいこと。
 言葉をかえると、それって「日本経済の補完」ということではないのか。

 「経済の補完」。北海道経済が日本経済に果たす位置をしめすものとして、用いてきた。
 どうやら明確になったことがある。それって、北海道は天然資源を軸とした素材加工型の原材料供給、東北はいくぶん加工組立型ではあるが、部品・材料の供給地。

 それぞれ、日本経済を補完しながらも、北海道では素材加工型で、東北は組立加工型。
 共通するのは、極地化が存外、脆弱(ぜいじゃく)であること、か。
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表現
 昨夜は早めに寝込んで、早朝に目がさめた。起きようか、起きまいか。

 携帯ラジオで「ラジオ深夜便」。3時台は「青春の歌:思い出のフォーク&ポップス」。

 歌手の森山良子について「のびやかな歌声、透明感のある歌唱」。うーん、どこをとらまえて言うかは別にして、「違い」をそのように峻別する表現力。

 昭和42年ー46年の歌を聴いていたが、時間内に5年分が対象というところに、ヒット数の出現率が現れている、か。歌謡曲なら、1年分でまとめるも。

 思ったことは、「壮年にうけた表現」と「若者にうったえる表現」。
 受験生の心情をラジオでながした表現は、当時の音盤売れ行きに歌謡曲ほどではないが、しかし需要があった?。

 そのころ隆盛の歌謡曲にくらべると、音楽かといわれていたのかも知れないが、まったく別な表現スタイルが「若者には、受けた」。

 表現の多様さを思いながら、離床。
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林 丈二著『閑古堂の絵葉書散歩―東編』
 林 丈二著『閑古堂の絵葉書散歩―東編』。絵ハガキ。ブームは済んだのかもしれないが、何枚かのセットで発行され、流布した。セットで購入し、思い出の品として保存する人もおれば、意に介することなく知友人に書簡で送りつけるなどバラバラにした思い出をもつ人も少なくない。

 どちらにしてもそこには、凝縮された空間描写が記録され、セット販売ゆえの物語性を内包する、不思議な存在でもある。
 本書は15の話題がもりこまれている。小樽、青森、秋田から鎌倉までの間に、越前・能登がはいりこむのも、当時の日本海岸が経済的に資産と文化の蓄積をもつ一帯であったことを示している。

 「凝縮された空間描写」と書いたが、そこに示されたシンボル性景観と、それゆえに背後に蓄積されている具象情報を結びつけている点で、「絵ハガキ」の属性をよく引き出しているというべきである(小学館 1999年)。
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歌謡歌手で聞く叙情歌
 仕事をしながらラジオ。午前3時台は、「歌謡歌手で聞く叙情歌」、

 舟木一夫の唄で「荒城の月」、森繁久弥「どじょっこふなっこ」、「月の砂漠」、美空ひばりで「砂山」。

 「月の砂漠」は名歌だが、森繁の歌唱力でいっそう広大なものとなる。
 原作は確か、千葉県の砂浜であったような気もするが、森繁が歌うとアラビアか、エジプトの砂漠を、アラビア人の姫と王子が歩くさまとなるようで、不思議。

 広大な砂漠に転ずるということ。※「月の砂漠」は、「月の沙漠」が正しい。
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薩長土肥 リーダーの条件
 『文藝春秋』の特集、「司馬遼太郎 リーダーの条件」。

 対談が終わって、まとめの項目。
(薩摩の藩風=文化)「物事の本質をおさえておおづかみに事をおこなう政治家や総司令官を多く出し」。
 (長州)「権力の捜査が上手なのですから官僚機構をつくり、動かした」。
 (土佐)「官にながくはおらず、野にくだって自由民権運動」。
 (佐賀)「着実に物事をやっていく人材を新政府に提供」(154p)。

 発言している吉田直哉氏は、NHKドラマ班プロデューサー。

 半藤一利氏は「(近藤勇を指して)政治家たる者、哲学をみたなきゃいけないと書いています」と司馬氏の記載を紹介。
 世界に開かれた社会をつくる上では、新しい基盤を作りだすこと、また「国民の八十パーセントまで合意できることを日本人のみんなで決める」とする司馬の提案に、それは「なにか?」と問うて「自然を守ることで、日本人はおのずと足るを知る精神を学ぶ」とする。
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紙漉き 音の風景
 午前3時前。起きてFMラジオで「音の風景」。

 土佐和紙を漉く音。放送の冒頭は「春といっても朝の5時に始まる水作業は、冷たさが身にしみる。その寒さをついて」。

 高知県いの町は「土佐和紙」の産地と報じられた。
 土佐和紙は壁紙や版画用紙として活用されるという。

 伝統工芸、その技術と生産を継続させるため、それぞれの時代に生きる人が少しずつ投資をしたい。

 投資した人の今を満足するだけでなく、次世代に継承させるために。
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特集「司馬遼太郎 日本のリーダーの条件」
 定期的に届けられて、そのまま置いたままであったらしい。『文藝春秋』2008年7月号に、特集「司馬遼太郎 日本のリーダーの条件」

 司馬さんは小説に歴史を書いている。学者のなかには「司馬史観」ということがあって、史上で名をなした人に肯定的である点を、「いかが」と見る。
 「批判と反省」こそ史学者の役割ということか。他方で学者には、自虐史観といわれることもあるが。

 司馬について、頼山陽・徳富蘇峰につぐ「世間に影響を与えた」人との評価(磯田道史氏)ともいう。
 司馬を熱心に読むタイプではないが、若者は幕末の志士になぜかだけは、関心をもつ。
 応えるために、本特集を読んでおこう。
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坂本 勝著「万葉集の時代」。
坂本 勝著「万葉集の時代」。万葉集には5世紀にさかのぼる短歌もあるが、それは5世紀に造られたものとは思えず「長い伝統の中で育まれたもので、5世紀の歌声をそのまま伝えるものとは思えない」とする(134p).

7世紀。舒明天皇の時代から「集団的な歌謡を母胎としながらも、人間の心を託しうる言葉として盛んに創られた」。

 以降、百数十年を4期にわける提案。
 第1期 舒明朝から壬申の乱。飛鳥で天皇中心の律令国家の体制を築き、額田王を生む。
 第2期 ~平城遷都。唐で吸収した新時代の理想が結実。柿本人麿呂らを生む。
 第3期 ~733年まで。宮廷歌人の活躍も倭歌の歴史を飾った。山部赤人らを生む。
 第4期 ~759年の万葉集終焉歌まで。藤原家の台頭。家持ちは因幡国守に。家森が歌人として活躍するがが、万葉集に藤原一族の歌は少なく、漢詩集「懐風藻」には大伴氏一族の詩は旅人作一首のみとする。

 時代区分に説得力。歌人列挙にくわえ作風の指摘があると。できればのことながら。
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2011年4月の虹。時刻は16時直前。

 午後、買い物に出かけた。徒歩で出かけた。にわか雨に降りこめられて、道筋の壁ぎわを歩いていると、それほど濡れなかった。

 しかし、さすが自宅へはいる直前は、上から落ちてきて、結構な雨。

 でも、でも。自宅でベランダから外をのぞむと、雨はあがって東の方角に虹(写真)。

 濡れた腹いせ。一枚、撮影。
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銘酒
 29日から1日。ほぼ3連休。
 
 いろいろ、動き回った。動き回ることになった。

 ためでもあるまいが、「書くほど読まず」。

 要因は「日本酒愛飲」。買い置いた「上善如水」「菊水」「大関」の、缶詰酒を、立てつづけにチビリ、チビリ。

 呑みたくなるような心境にした環境に要因と、言いたいが通じる、か。
 呑みながら読書より、呑んだ勢いで熟睡。

 かくて、9連続休暇となるべきところ、前半の3日が過ぎた。「書くほど、読まず」。
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茶舗 杉本園
老舗の杉本園は、釧路市北大通にある。ほうじ茶を自家焙煎するなど、伝統的な風味と香りにこだわる。

煎茶は頂戴することが多いので、もっぱら抹茶を世話してもらっている。抹茶は休日の朝食後に立ててもらう。

2月には茶筅を更新。抹茶とあわせて調達した。

起きて白湯。仕事の前にはクッキー2-3個を口にコーヒーを落とす。

朝食後に煎茶を淹れて区切りをつける。休日はあれば虎屋、最近は「江差 五勝手屋本舗羊羹」が、お好み。ちと贅沢かも。

茶舗 杉本園は静岡の茶をすすめる。父祖の伝統。当主は胸をはる。
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山二題 Syaraku's絵展
 山二題 Syaraku's絵展。
 
 3月に開かれた「喫茶 アロマ」に続くPartⅡ。ご案内をいただき、月曜日の24日に出かけてみたが、お店が開店前で、残念ながら今回もまた最終日。

 今回、注目は「山二題」。ハガキ大にまとめられた2点を、一枚に額装。なんともおだやかな曲線でまとめられた山容が、ホットさせてくれる。
 ハガキにしたてて、表に筆であざやかに認めた書状を頂戴したら、たまらない。

 会場の「喫茶 Bisou」。開店して3年ほどと聞かされましたが。お店は明るく、スッキリした店内。
 コーヒーは店主オススメ「東京 虎ノ門 コクテール堂」(記載したメモを散失したが)のが、よろしい、か。

 「The Sun」を掲示した近くの席で、「東京 虎ノ門 コクテール堂」を飲みながら、「夕日」の逸品でイメージを膨らませた一時。

 Syarakuさんは、「洒落」さんかと心得ていたが、刻印を拝見するに「斜楽」さんのような。

 でも惜しかった。仕事場から呼び出しがきていたので、そこそこに立ち去るの、が。
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