経済補完
 3月11日の大地震からほぼ2ヶ月。地震そのもの規模もさりながら、これまで見えてこなかった構造が、国民の前に示されている。

 安全といわれていた原発が、案外、脆(もろ)いものであることが明確になった。
 被災の広がりに、災害が発生後のマニュアルが明確ではなかったのか、マニュアルが役に立ちにくいものであることも白日にさらされた。
 なにより、首都圏の電力が東北でまかなわれていることなど、わかっていることではあったが、地震によってその依存度が明瞭となった。

 自動車、電気。その部品の供給地が、東北に依存していることも明らかになった。
 空気清浄器の部品は、「発注品です。1か月以上、時間をいただくかも知れません」。そういわれていた部品は、10日語に「到着しました」の電話がきた。
 が、依頼したカタログ商法のギフト品は、「目処が立ちませんが、暫くお待ちください」とハガキが来ている。

 JTは原料調達難から、70銘柄とやらを生産休止にしたという。

 気がついた。
 東北が、首都圏ばかりではなく、本邦工業の部品、材料の供給地であるらしいこと。
 言葉をかえると、それって「日本経済の補完」ということではないのか。

 「経済の補完」。北海道経済が日本経済に果たす位置をしめすものとして、用いてきた。
 どうやら明確になったことがある。それって、北海道は天然資源を軸とした素材加工型の原材料供給、東北はいくぶん加工組立型ではあるが、部品・材料の供給地。

 それぞれ、日本経済を補完しながらも、北海道では素材加工型で、東北は組立加工型。
 共通するのは、極地化が存外、脆弱(ぜいじゃく)であること、か。