2008年11月の記事


「姉妹③」
<<インド>>--ヴァラナシ--


二人の姉妹を撮影していたら、彼女たちのお父さんがやって来た。

何処から現れたのか全く気付かなかったが、妹の方が洗濯した衣服を彼に見せたら、笑顔で頷いていたので父親だと分かった。

私が彼女たちを撮った写真をモニターで見せて、あなたも一緒に写真を撮りたいと言ったら快く承諾してくれたので、早速撮った一枚だ。

あるネットフレンドが、インドの人には眼力(めぢから)が有ると教えてくれたが、目に力が有るのは生命力の現われであると痛感する。

微笑をたたえた彼の眼は、優しさと力強さを持って鋭く迫ってくるものが有った。

しかしその目は、ただの優しさだけではなく、何かを訴えているような、奥の深いものであった。

子供を見守る慈愛の眼差しと共に、目の裏に隠された彼の胸中の深層に触れたような、複雑な輝きであったような気がする。
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「姉妹②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


何と屈託の無い二人の笑顔であろうか。

彼女たちに近付いて写真を撮ってあげると言ったら、こんなポーズで応えてくれた。

姉の方は、前歯が抜けて永久歯に生えかえる頃なのであろうか。

と言う事は、まだ小学生の年中組くらいなのであろう。
しかしそれも学校に行っていればの話である。

発展著しいインドでは、更に貧富の差が大きくなっていると聞く。

今回発生したムンバイでの大規模なテロ事件の根底にも、その要因にはこの貧富格差が有るように思える。

タージ・マハルやトライデント・ホテルなどの超一流ホテルが、テログループに狙われた事がそれを証明している。

カースト制度(階級制度)の最下層に属する人々は、人間以下の生活を余儀なくされ、上流階級の人々の生活を偏見を持って育っていく事だろう。

そして彼等がやがて成人し、ある者はテログループに身を投じ、生活の糧をそこで確保しながら、上流階級に対して復讐心を増徴させる。

今回のテロの目的は、捕えられている同士の解放が目的のようだが、長くインドを支配していた西欧人が襲撃のターゲットになっている事からも、支配者への強い憎しみが感じられてならない。

この姉妹の笑顔が、彼女たちが成人する頃には、カースト制度が廃止され皆が平等なインドとなって、消える事のない世界になることを願って止まない。
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「姉妹」
<<インド>>--ヴァラナシ--


昨日載せた住家に住んでいる姉妹の姿。

姉妹で仲良く家の仕事をしているようである。

昨日の写真でお気付きだっただろうか、緑の服を着た姉が、手作りの箒で家の階段を掃いていたのを。

妹の方は、どこか水道の有る所で、洗濯をしてきたようである。
姉はそんな妹のけなげな姿を見て、温かな眼差しで迎えている。

こうして子供達だけで、家の仕事をしている姿は、インドでは随所で見掛ける。

彼女たちの姿を見て、私の小さかった頃の事を思い出した。

風呂の水汲み、洗濯、鶏舎の餌やり、家の掃除、庭の草刈と、様々な日常の仕事を兄弟でやったものである。

当時はそれが日課で、当番を決めて毎日やったものだが、今の子供達もそうした事をやるのだろうか。
この姉妹も、仲良く自分達の仕事をやっているようで、微笑ましさを感じたものだ。
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「住家」
<<インド>>--ヴァラナシ--


インドの生活臭の漂う典型的な住家の光景。

こういう写真は、じっくりと街を散策するから撮れる情景であろう。

建物が少し傾いて、地震が来たら一溜りもなく崩れてしまいそうな感じである。

まるで積み木を重ねただけのようなこの三階建ての家の中には、一体どうやって入ることが出来るのだろう。

家と家の間の石段の所で、女の子が遊んでいた。

この家に近付いて行って、女の子の写真を撮ったので、後日その写真を載せてみようと思う。

それにしても、何とも見応えのある光景ではある。
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「牛の群れ」
<<インド>>--ヴァラナシ--


我々の前方を道幅一杯に広がっていく牛の群れの光景。

一難去ってまた一難、やっと泥水の道路を通り過ぎたと思ったら、今度は牛の群れである。

我が物顔にのんびりと歩くこの牛達を、すり抜けて行くにはかなり勇気が要る。

国会で牛歩戦術と言うのがあるが、正に牛歩とはこの事を言うのだろう。

インドの牛は人間に神様扱いにされているから、スペインの牛のように荒々しくはないが、それでも放し飼いだからこの間を行くのはちょっと躊躇してしまう。

車が来て、牛が片側に寄った隙に、すばやく車の後ろに付いて、牛の群れをすり抜けたのであった。
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「泥濘の町③」
<<インド>>--ヴァラナシ--


左端を行くオレンジ色のポロシャツを着ているのは、我々の相棒である。

私は右側を歩いていて、此処まで来て身動きが取れなくなってしまった。

この泥水をどう避けようか暫し躊躇していたが、前から来る自転車や物売りの屋台が通り過ぎた時に、汚れるのを覚悟で泥水の中に足を踏み入れたであった。

後でホテルに戻った時に、泥だらけになった靴を水洗いしたものである。

綺麗なサリーを着た女性たちは、一体どのようにしてこの悪路を歩くのだろうかと想像したが、ほとんどの人が、サンダル履きであることをこの時思い当たった。

サンダルなら、平気でこの泥水の中を歩くことが出来るから、これも生活の知恵であろうと妙な納得をしたのだった。
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「泥濘の街②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


泥水を避けながら、やっと街の繁華街に差し掛かった。

しかし此処から先どう行けば良いのか、足場を探し躊躇することも暫しであった。

私の白い短パンは、オートリキシャなどに泥水を掛けられ、シミがあちこちに出来た。

こんな中でも地元の人々は、別に驚いたり嫌がったりする様子も無く、適宜に状況に対応しながら通り過ぎて行く。

我々がインドを訪れたのは、雨季の最中であったから、こんな状態は日常茶飯事なのであろう。

しかし幸いにも、私は自分でも感心するくらいの晴れ男なので、インド訪問中にほとんど雨に降られなかったのは、奇跡と言っても良いくらいの出来事であったのだ。

此処でも環境に適応して生きる、インドの人々のパワーには、驚かされたものである。
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泥濘の街
<<インド>>--ヴァラナシ--


ホテルの通路から表通りに出て驚いた。
道路はご覧のような泥濘である。

一体何処を歩けば良いのか戸惑っていると、一台の若者が運転するオートリキシャが近付いて来て、タクシー、タクシーと勧誘する。
ムービーシアター、ショッピングモールと案内する所を盛んにPRする。

こちらは街の散策が目的だから、そんな所へは行く気がないので、断るがそれでも執拗にエンジンの音をバタバタさせながら、後を付いてくる。

しまいに堪忍袋の緒を切らした私が、「用は無い、あっちへ行け」と英語で怒鳴ると、やっと諦めて離れていった。

靴の汚れるのを覚悟して、この泥道を下の硬そうなところを探りながら散策に出掛けたものである。
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「部屋からの眺め」
<<インド>>--ヴァラナシ--


ホテルの部屋から眺めた外の光景である。

左の道がホテルの玄関に通じる通路であるが、そこから出た街路は舗装がされておらず、かなり道が悪いようである。

窓から一通り外の様子を確認した後で、どちら方面を散策するか仲間と相談し、外に出ることにした。

上から眺める分には、樹木も多く綺麗な街並みに見えるのだが、実際に外に出てみて驚いたものであるが、その様子はこれからのお楽しみということにしよう。
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「寛ぐ」
<<インド>>--ヴァラナシ--


ホテルに着いて、先ずは部屋のベッドで、しばし寝転んでいる所を仲間に撮られてしまった。

この後の自由時間を利用して、ヴァラナシの街を散策しようという事になり、ポロシャツと短パンに着替えラフなスタイルになり、寛いだものである。

我々は3人であったので、部屋の中にエキストラベッドを用意してもらい、常に3人で部屋を共用したのであった。

ガイドのアラムさんは、自由時間にオプションツアーに参加したらどうかと勧めたが、私は街を散策して、街の風物や庶民と接する事が好きなので、我々だけで行動する事にしたのだ。

この後どんな触れ合いがあるのか楽しみであり、それを夢見ながらの暫しのまどろみであった。
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「ロビー②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


我々が宿泊したヒンドゥスタン・インターナショナル・ホテルのロビーの光景その2。

広々とした吹き抜けのロビーの壁面に大きく描かれた絵画。

ロビーのソファーに腰掛けていると、嫌でもこの絵画が目に飛び込んでくる。

左にガンジス川の沐浴場が描かれており、右にはブッダの坐像そしてストゥーパ(仏塔)が描かれている。

ヴァラナシから北へ10キロほど行ったサール・ナートは、ブッダガヤでブッダが最初の説法を行った地として知られており、古代遺跡がたくさんある。

ちなみに日本のお墓に建てられている卒塔婆は、このインドのストゥーパ(仏塔)を象った物であり、ストゥーパを漢字に当てたものであると聞いて、目からうろこが落ちた感じであった。

昔から墓石の後ろに、何故あんな板で出来た梵語の書かれた卒塔婆を立てるのか不思議であったが、インドから来た仏塔の変形であるとは知らなかったからである。
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「ロビー」
<<インド>>--ヴァラナシ--


我々が宿泊したヒンドゥスタン・インターナショナル・ホテルのロビーの光景。

広々とした吹き抜けのロビーの床には、豪華な大理石が一面に敷き詰められていた。

ロビーに入って直ぐに、サリーを着たインド美人に花を綴った首飾りを首に捲いてもらい、彼女とツーショットで記念写真を撮ったが、良く撮れていなかったので、掲載は遠慮する。

流石にヴァラナシまで来ると、客の中に日本人が居るかなと探してみたが、見当たらなかった。

客の大半はインドの富裕層の人らしく、はるばるガンジス川の沐浴のために、地方からやって来て宿泊するのかと勝手に想像したものである。

インド人は、一度は聖なるガンジスで、沐浴するのが一生の希望だと言われている。
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「水浴び」
<<インド>>--ヴァラナシ--


バーラト・マータ寺院の脇のつるべ井戸でこんな光景を見た。

酷暑のインドは昼間ともなると40度の暑さになる。

この男性は、寺院の境内に有るこのつるべ井戸で、水を汲み上げては頭から水を浴びていた。

人が見ていようが全くお構い無しである。
我々もこんな事が出来たら、さぞ気持ちが良いであろうと、汗を拭き吹き眺めていたものである。

この後、彼は両手に汲み上げた水をバケツに入れて、何処かに持って行ったのである。

昔、日本でも庭で行水なるものをしたことが有ったが、流石に人の面前では気が引けたものであるが…
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「バーラト・マータ寺院」
<<インド>>--ヴァラナシ--


此処はインドの独立運動を記念して1936年に建てられた寺院の入口である。

バーラト・マータとは「母なるインド」を意味している。

ヒンドゥー教の寺院だが、本尊は何と大理石で出来たインド全土の立体地図といった珍しい寺院である。

これはマハトマ・ガンジーが「国が無ければ人は居ない。国は大切なものであり、我々はこれを守っていかなければならない」と唱え、独立運動の高揚を目的にこの寺院を建立したとされている。

地図はほぼ正確に1インチが13キロの縮尺になっており、ヒマラヤ山脈などが聳えている様は圧巻である。

院内は土足厳禁で、お金を出して靴を預けなければならないが、靴下が真っ黒になってしまったのには、いささか閉口した。
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「ホテルに到着」
<<インド>>--ヴァラナシ--


我々の2日目の宿泊場所である、ヒンドゥスタン・インターナショナル・ホテルに到着した。

ヴァラナシの中では、歴史のある名門ホテルとして知られているだけあって、ご覧のようなインドの儀仗兵の格好をしたドアボーイのおじさんがお出迎えである。

早速我々メンバーと一緒に記念撮影となった。

年も考えず、茶目っ気の多い私は、おじさんと同じような敬礼のポーズをしてしまったが、カメラの方を見ず、一体何処を見ているというのだろう。

多分入り口の門の方で、我々のこの馬鹿げた仕儀を笑いながら見ていた、若いサリーを着たインド美人に、気を取らてしまったのかもしれない。

ドアボーイは、ホテルの顔と言っても良いであろう。

このように愛想の良い、おじさんにニコニコと迎えられると、これからどんなホテルライフが始まるのかと、夢が膨らむものである。

ガイドのアラムさんも、気を効かせて、ホテルの中に入る前に、こうして記念写真を撮ってくれるのだから大したものである。
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「溜まり場」
<<インド>>--ヴァラナシ--


此処は人力車の車夫達の溜まり場のようである。

仕事を終えた後や、これから仕事に出ようという男達が、思い思いに休憩時間を楽しんでいる。

テントを張っただけの店では、何か食べ物でも売っているのだろうか。

このみすぼらしい休憩所の背景には、最近の設備を凝らした眩いばかりのビルが聳えている。

貧富の差が著しく激しいのが、インドの実態と言えるであろう。

此処にたむろす彼等には、客をあのビルに運ぶことは有っても、あのビルの中で、過ごす事は決して無いであろう。

しかし彼等はこれが自分の定められた運命であり、それに不満を抱く事は無い様である。

今、インドのカースト制度(階級制度)を廃止しようという機運が高まっているようだが、皮肉な事にそれを推し進めているのは、上流階級の有識者達なのである。
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「街中の光景②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


幹線道路から外れ、ホテルが近付いてくると、街の中はまた埃っぽくなって来た。

道路の脇で、朝搾った牛乳を街に持ってきて、売買している人があちこちに居る。

市場でなく、ちょっとした街角でも、このような生活臭がするのがインドである。

私はこういう生活観に溢れた、街の様子を見るのが大好きである。

インドにもたくさんの世界遺産や景勝地が有るが、どうしても興味の対象が、人間になってしまう。

我々と同じ人間でありながら、国と場所が変わると、こんなにも生活や様子が変わる所が、興味深いからだ。
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「街中の光景」
<<インド>>--ヴァラナシ--


街の中に入ると意外とメイン通りは広くゆったりとした眺めであった。

ヴァラナシは流石にインド第三の規模を誇る都市だけに、綺麗な建物も多い。

復興目覚しいインドは、やがて近い将来にはカースト制度も無くなり、人々の生活も豊かになっていくのではないだろうか。

シン首相も欧米との外交を積極的に進め、原子力開発の承諾を得たようである。

しかしカースト制度の一番底辺に位置するシュードラ(奴隷)の身分の人々まで、国の恩恵が行き渡るには、まだかなりの歳月を必要とするかもしれない。

この街の光景を眺めながら、漠然とそんなことを考えていたものである。
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「喧騒の街③」
<<インド>>--ヴァラナシ--


いよいよ車は街の中に入った。

もう道路は渋滞でごちゃごちゃであり、喧騒はピークに達した。

人も車も一緒くたになって身動きが取れなくなる。

ちょっとした間隙をぬってバイクや自転車が入り込んでくる。

前方に、花をたくさん付けた車を発見した。

恐らくこれは結婚式を挙げたカップルの車で、新婚さんが車の中でどんな姿で居るのか見たかったが、すれ違った時は別の車に遮られて見れなかったのが残念である。

そろそろ我々の車は、ホテルの近くに来たようである。
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「喧騒の街②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


車のフロントガラスを通して見た道路の状況、その二。

左側通行なのに、右側車線が開いていると、このような状況になる。

というより、道路の中央に、分離帯や車線が無いと道路は我れ先に侵入するのである。

交差点では、交差する道路に、車が入り込んで道を塞いでしまい、走れない事さえ起こる。
そうなると、警笛の合唱が始まる

これで喧嘩や、事故が起きないのだから、不思議な国と言えるだろう。

兎にも角にも、交通事情一つ取っても、驚きの連続であった。
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「喧騒の街」
<<インド>>--ヴァラナシ--


車のフロントガラスを通して見た道路の状況。

インドも一応左側通行だが、道路の隙間さえ有れば何処にでも入ってくるからすさまじい。

アスファルトの道路は、画面の左半分なのに、対向車は右側の空き地まで入り込み、一台でも先に行こうとする。

こんな状況が一日中続くのだから、さすがに人口の多いインドである事を痛感する。

どの車も、ちょっと自分の前に入ろうとする車を敬遠して、警笛を絶えず鳴らす。

一昔前の日本も、良く警笛を鳴らしたものだが、今は運転マナーが確立されて整然と走るようになった。

こんな道路を、レンタカーを借りて走る事は、とても無理だなと仲間と話し合ったものである。

そういえば、何処の国にも必ずレンタカーの店は有るものだが、インドでは遂にその姿を見なかった。
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「オートリキシャ」
<<インド>>--ヴァラナシ--


昨日の人力車に比べて、ちょっと高級なタクシーであるオート力車の走る姿。

とは言っても、ルーフは張り替えたらしいが、車体は今にも底が抜けそうな痛みようだ。

この車に、5~9人くらい乗るのだから凄まじい。

タイヤもほとんど丸坊主で、雨季の泥濘の中ではスリップするのではないかと、はらはらする。

それでもこの車が、途中で故障してえんこしている姿を見なかったから、大したものである。

広い道では、一応歩道はあるが、大半の道は、人も人力車もオートリキシャも普通車もトラックも、ごちゃ混ぜで歩いたり走ったりしているから物凄い。

おまけに、そんな道の真ん中に、牛がうろちょろしているのだから、正にパワフルインドである。
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「人力車」
<<インド>>--ヴァラナシ--


インドで一番安い乗り物はこの人力車である。

日本でも最近観光地などで、人の足で車を引っ張る人力車を見掛けるが、それとは意味合いが違う。

日本の車屋さんは、誇りを持って、観光ガイドなどもしながら車を引くが、こちらの漕ぎ手は、何となく悲壮感が漂う。

それにインドの人力車は、あくまでも乗り物として、タクシーの一部に属するのだ。

自転車の後ろが乗客用の車台になっており、三輪車である。

庶民の乗り物であるこの人力車に乗っている観光客は、流石に見掛けなかった。

車台のサスペンションが、昔の馬車のように二枚のリーフスプリングであるのも、興味深い。

一度はこの車の乗り心地を試して見たいと思ったが、流石にこの車を漕ぐ人の身を考えると、その気にはなれなかった。
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「人も牛も②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


のんびりと立っている牛の横を、忙しそうに通り過ぎる男性の姿。

インドでは、のんびりしているのは、老人と牛だけのようである。

あとは子供から大人まで、男女を問わず、忙しそうにしている。

人口が多いから、生存競争が激しいのだろうか。

同じ忙しそうにしている日本人と違い、派手なサリーを着ている女性と比べて、男性はほとんどが質素な身なりをしている。

靴を履いている人はほとんど居らず、身なりにお金を掛ける男性はあまり居ない、これも生活状況の厳しさを示している現れなのであろうか。
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「人も牛も」
<<インド>>--ヴァラナシ--


人も牛も一緒に共存しているのがインドであろう。

それに、女性のサリーが、原色の街並みに似合う国である。

好奇心が旺盛な私は、日本では絶対に見られないこんな光景を見ると、直ぐカメラを向けたくなる。

不思議な事に、牛は広場といわず、道路や商店の前など至る所に居るが、皆のんびりとしている。

けたたましく警笛が飛び交う高速道路の真ん中にも、のんびりと牛歩しているのだから驚く。

もしこれが、スペインの牛のように、凶暴に街の中を駆け巡ったらどうなるのだろうかと心配になるが、どうやらインドの牛は、人間に大切に守られているから、我が世の春とばかり、のんびり暮らせるのかもしれない。
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「川越祭り⑰」
<<日本>>--川越--


約半月続けた祭り特集も、川越市駅の半世紀前の写真を載せて終わりとしたい。

撮影を終えて帰宅途中、広場の一角で、一昔前の川越の風景を撮った青空写真展をやっていた。

この写真はその中の一枚である。

私が中学生の頃は、まだこんな光景が見られたのだ。
まだ汽車だけで電車は無く、電車を走らせる架線などが無い。

川越には、「川越」と名の付く駅が三つある。
東武東上線の「川越駅」「川越市駅」そして西武線の「本川越駅」である。

この写真の駅は「川越市駅」で、今でも構内にはエスカレーターやエレベーターなど無く、旧態前とした面影を残している。

「川越駅」は近代的な駅ビルになってしまったが、どう言う訳か、「川越市駅」は駅前だけは新しくなったが、駅構内は古いままである。
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「川越祭り⑯」
<<日本>>--川越--


今年もあちこちに店を張っていたケバブを売る店。

このドネル・ケバブの店は、どうやら露店のチェーンのようである。

ケバブはトルコの食べ物だから、トルコ旅行の時を懐かしく感じて、カメラを向けてしまう。

月に星の模様はトルコの国旗であるから、彼等は皆トルコ人のようである。

はるばるトルコから日本にやって来て、こうして日銭を稼ぐために、ケバブの店を張っているのだろうか。

ケバブという名前に心当たりがない方も、シシカバブと言えば、分かるのではないだろうか。
トルコでは、毎日様々なケバブ料理を食べたものである。
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「川越祭り⑮」
<<日本>>--川越--


評判の焼き鳥屋の店先の光景。

此処の焼き鳥屋は美味しいので評判であるが、この日ばかりは定員総出で大忙しである。

店の中では、一杯飲みながら焼き鳥を食べる事も出来る。

大きなイカを丸ごと焼いているのも豪快だが、あゆの塩焼きも美味そうである。

この時は午後の一時ごろであったが、食事をしていなかったので、香ばしい香りがたまらなかった。
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「川越祭り⑭」
<<日本>>--川越--


川越に昔からある造り酒屋「鏡山」の横のギャラリー。

今は広い店の一部をギャラリーとして、民芸品などを展示して開放しているようである。

ギャラリーの横では、枡酒を大きな樽の中からすくって売っていた。

古い建物も、こうしてリフォームして綺麗になると郷土色が出て良いものである。

今度来た時には、ゆっくりと店の中を覗いてみる事としよう。
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「川越祭り⑬」
<<日本>>--川越--


蓮馨寺の境内には、昔懐かしいお化け屋敷が有った。

どう言う訳か、此処の境内は昔から、縁日や正月休みなどに、サーカスやお化け屋敷などが巡業してくる。

血の色を想像させる赤一色の店先では、盛んに店のおばさんが面白おかしく呼び込みに懸命であった。

私も子供の頃は、興味津々でサーカスやお化け屋敷に入ったものである。

こんな光景を見ていると、時々大道で店を張る、がまの油などの口上に騙されて、たちどころに治る薬などを買ってきては、親に怒られたのを思い出すのである。
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