2004年08月の記事


閉会式、震えた。
閉会式、ひたすら凄かった。
ひさしぶりにハリス・アレクシーウを聴きたくなった。
正統もあそこまでいけば脱帽である。

それにしても室伏のションベン絡みの金メダル騒ぎ
解説が詳しくなるほどなんとも間抜けで笑った。
尿道に管を通して他人の尿を溜めてまで…
キンタマいじめたのだ。金でいいじゃん。
ドーピングは勝とうという執念そのものだろう。
室伏は辞退するとカッコよかったな。
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《フォーカス》★★★★★
スカパー
偶然見たが、いい映画だった。
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《M8》★★
高嶋哲夫著/集英社刊
東京をマグニチュード8の直下型大地震が襲う!!
若手研究者・瀬戸口が東京直下型大地震を予知。
阪神大震災を同じく体験した三人の同級生たちそれぞれの葛藤を軸に、
首都大地震を最新の研究を反映して完全シミュレーションした書き下ろし力作!

という
売り文句で読んだが、ペケ。
ちょうど住宅防災の仕事にからんでいたので
あまり信のおけない作家にも関わらず
手を付けたのが失敗だった。
週刊誌の大地震特集程度の出来だった。
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ダウンして旗本退屈男を
午前中の免震実験スタッフ打合せを欠席し
昼までギリギリ眠ったがセキと微熱で
午後の新宿での住宅防災打合せを休むことに。
六本木にいる渡辺に連絡し打ち合わせ用のDVDピックアップを頼む。

仕事をしすぎた。
もう50日くらい休みゼロだった。
数日の隙間ともいえるので、ここでインターバルをとることにした。

微熱を測りながらBSで旗本退屈男を観ていたら
熱がさらに上がった。
歌右衛門は六頭身ほどか。それにしても巨大な顔である。
動かない演技である。恐れ入った。
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朝までかかって
「住宅防災」DVDコンテンツアップ。
昨日、買った高嶋 哲夫の「M8(エムエイト)」を
読みながら寝ることにする。
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夏カゼ過労の波
そろそろプレス発表が終わる頃か。
なんとか間に合わせることができた。
相馬さんと渡辺が立ち会いで行っている。

昨夜は泥のように眠り込んだらしい。
起きてもまだ眠い。
古河のオフィスを出てあちこちが掘り起こされた敷地の
下見をした頃が猛烈な暑さと湿気でくらくらした。
わずか十日あまりで別天地のような変化。
ウエルカムホールの基礎を見ながら想像以上の大きさに驚いた。
古河の駅前で相馬さん、渡辺の三人で打合せ解散。
渡辺、ついにダウンか。頭の痛みを訴えていたがムリして帰京。
夏カゼ過労の波は、中山、夏苅だけでは終わりそうにない。
ほぼ丸2ヶ月、休みゼロである。
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[japanesque:00034] 3年前の夏の説明
件名: [japanesque:00034] 3年前の夏の説明
送信日時: 2004年 8月 22日 日曜日 1:21 PM
差出人: Toru Mashiko
宛先:

> http://homepage.mac.com/y_natsu/Serenade/iMovieTheater253.html
> 八月の夜想曲と名付け、残暑見舞いとします。
> 3年前の夏、
> 福島の森の奥で鎌のように細い三日月を眺めながら
> 「ともすれば月澄む空にあくがるる心の涯を知るよしもがな」
> という古い歌を思い浮かべたことがありました。

なんのことかわからない、という問い合わせがあったので
このときのことを書いたメールをコピーします。
福島で開かれた未来博のときのもので
映像は完成し、後は開幕を待つばかりの頃のことです。
毎日トラブルが発生し、その解決に奔走するスタッフの姿を
指をくわえて見ているしかなかった日々のことです。
会場のあったのは「むじなの森」という地名を持つ森で
毎日、夕日と月がきれいな所でした。
今年の夏と同じように梅雨明け前から連日真夏日が続く
猛夏でした。長くなりますが、来歴は以下の通り。


++++++++++3年前のメーリングから+++++++++++++++++++++++++++

Subject: [the-earth:00462] 夢の味は、格別。


 三日の予定で東京を出たのが二十二日の夕。
 二十四日の夜、米屋に向かう山道で鎌のように細い月を観ました。

 おとぎ話の宿で、ぼくに割り当てられた部屋は「浦島たろう」の間。
 いま2001年の七月七日未明。ぼくは郡山にいます。
 満ち足りた気持ちとぽっかり開いた胸の穴をこの身に抱えて。

    

 なぜ、むじなの森のあの砦にこんなにも魅かれたのか
 満月の夜になっても、かいもく見当がつきません。
 浦島たろうの部屋に泊まったことが原因だとすれば
 あの森は竜宮城ということになる。
 事務所の階段の手すりにもたれて空をみながらそんなふうに思いました。
 (笑いながら読んでください)
 あちこちで褒められて有頂天になりすぎていたのか
 隠し砦のようなジ・アース本部が醸し出す熱気と混乱が迷わせたのか
 気がついてみれば二週間近い時間が飛び去っていました。
 ぼくは現地にいて何もすることがないにも関わらず
 熱病のようにj毎日、あの森を目指しました。
 映像の仕事だけではけっして出会えなかった方たちと次々と出会い
 彼らを知っていくうちに深い安堵と共感にとらわれてしまったようです。
 西田さんにからかわれたように、アドレナリンの奔流を
 まったくコントロールできなくなっていたようです。
 こんなことは十七歳の頃に西田さんの母校の時計台ですごして以来です。

 イベントと総称しちゃいますが、ぼくにとってはじめての仕事のせいもあり、
 混乱しながらも、最後の一ヶ月はその魅力にどっぷりと浸かった気がしてい ます。
 でもぼくは「水の惑星 ジ・アース」だけでこういうタイプの仕事は
 終わろうと思います。終わるべきだと言い聞かせています。
 (仕事を依頼されるかどうかという現実的な問題はさておいて)
 長いこと自分にはもう関係がないと無視してきた種類の身の処しかたを
 抑えられそうもないから。
 きっと誰の胸にも、男であると女であるとを問わず
 奔放で無頼な、すかっと青い安達太良の空のような思いがあるはず。
 ぼくは仕事に関しては、そういう余地は無いものと考えて過ごしてきました。
 (他者からどう見られるかはまた別の問題)

 むじなの森の短くて永遠にも思えた二週間は、
 保ってきたはずのバランスを見事に崩してくれました。
 正直に言うと、自分をごまかすのが難しくなりそうなのよ。

 そのくらい刺激的な日々でした。


 虹の大地などと恥ずかしげもなく名付けられた場所で
 ほんとうに虹を見てしまったこと。
 夕日までは納得がいっていたけど、
 あの虹はどうにも処理できません。まいったよほんとうに。
 あんなシノプシス書いて持っていったら
 鼻で笑われて5分でシュレッダー行きでしょう。


 でも、虹はかかった。

 かかってしまった。よね。


    
 我にかえりたいと、痛切に思います。
 かえらなくてはと、思います。


 だから、ぼくは東京に戻るよ。
    

 最後に提案。
 あそこは元来の地名が「むじなの森」ではあるけど
 その呼び方やめましょう。
 ちょっと照れるが「虹の森」ではどうだろう。
 ストレートすぎて芸がないけど、とりあえずいかがでしょう。


 夢の味は、格別でした。


 ひとまず、さらば。
 虹の森の住民たちよ。


 七月七日七夕 am2:10  ましこ拝
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[japanesque:00033] 八月の夜想曲
件名: [japanesque:00033] 八月の夜想曲
送信日時: 2004年 8月 22日 日曜日 3:03 AM
差出人: Toru Mashiko
宛先:東京星菫派

3年前の夏、
福島の森の奥で鎌のように細い三日月を眺めながら
「ともすれば月澄む空にあくがるる心の涯を知るよしもがな」
という古い歌を思い浮かべたことがありました。

この歌は、三菱電機の3本目の冒頭に据えようとして
あちこちから反対されて三好達治の
「だから空は真っ青でだから海は真っ青だ」という
フレーズに変えたものでした。

2本目の臼田の電波望遠鏡前で菊池さん+石塚さんの
月光仮面パフォーマンスを撮ったときに
雪晴れの夜空に昇った月からはじまり
翌年トロントタワーから眺めた真っ赤な満月に至る間に
すこしずつ芽生えていった月光への憧憬のいわば原点。

石川カメラマンの月光浴をムービーでと考えたのも
ちょうどこの頃だった。倉持さん、長岡さんとは
だから14年越しの月光シリーズになるのかな。

19日に若草山で撮ってもらった三日月は
ぼくが思い描いていた鎌のような月のイメージに
限りなく近いものでした。
場所も正統なら映像も正統で
三日月についてはもう打ち止めでいいな、と思います。
金色から銀へと移ろう月の色が

暮れなずむ晩夏の空にあざやかに映えている。
近いうちにHDで編集すると
そのたたずまいのすべてを味わえることになります。


とりあえず東京星菫派音楽顧問の菊池さんの曲を仮あてしました。
コロムビアの「色の日本」シリーズのときのものです。
http://homepage.mac.com/y_natsu/Serenade/iMovieTheater253.html
八月の夜想曲と名付け、残暑見舞いとします。



月に関しては
次は東京湾の月の出を狙いたいと考えています。
撮影ポイントは海蛍。
夕日とセットで狙いましょう。
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ナガシマが泣くぞ
オリンピック野球ライブを見ながら情けなくなった。
同点で迎えた延長10回裏。先頭の高橋がヒットで出たら中畑のバカがとったのは何と城島にバント。全日本の4番にバントである。解説の星野は例によって薄ら笑いを浮かべたような小馬鹿にした言い回しで、そのバントを当然のことと言い放つ。画面の奥にはナガシマが書いたというよれよれの3の字がはいったフラッグとユニフォームが見えていた。城島、バント失敗。次は5番の中村。星野、ここでも当然バントだとのたまう。中畑采配、バントを命じる。結果、成功。最後は屁のような犠牲フライでサヨナラ。見ながら胸が悪くなった。まるで三流の高校野球のような采配に、こんなものがナガシマの旗の下で戦われていることに泣きたくなった。オランダ相手の情けない抗議で男を下げ、プライドは無いのかと嘲笑された中畑は、ここでもなりふりかまわぬうすら寂しい作戦をとって恥じることがない。その恥辱の精神を明大野球部以来の頭の悪さが脱けない星野が尻を叩いて応援する。ニッポンではなくナガシマの旗の下に戦うのだとあちこちで話ながら、こんな糞のような試合運びに恥じないニッポンプロ野球チームは、イチローとマツイの去った掃きだめなのだと、しみじみ思った。

4番と5番が犠打を命じられ勝つ。
こんなものが野球であるものか。
この国は大嫌いだが、これは国辱ものだろう。


「ここがロードスだ。ここで跳べ」
あれはアテネの近くの島の言い伝えではなかったのか。
よれよれの「3」の字を何度も何度も映す放送局の無神経さに辟易とさせられながら、ここまでやるなら最後までカッコつけろよとこっちが泣きたくなった。

さて、ナガシマは
どんな思いであの10回のサヨナラを見ていたのだろうか。
あの志のかけらもない逃亡ぶりを。
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バカ残暑のなか、
渡辺が総住研ロケに行ったので調布の鹿島技研まで電車を乗り継いで向かう。気温午前中で36℃。発熱状態の遠足のようで汗だくである。3時間の打合せ後、調布駅前でドーナツとコーヒー。ちょっと迷ったが返りもまた電車を乗り継ぐ。なんだか小学校のときに高尾山に遠足に行ったときのような一日だった。
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キタジマは荒川ではなく普天間育ちだった
としたら、コイズミは知事と会わずに帰せただろうか。
あのヘリが落ち、残がいを引っさらっていった米軍を前に
キタジマの家族や友だちがピケをはっていたら
コイズミやナイカクはどうコメントしたのか。
立川に行くと、明日は我が身だと、そう思うことはないのか。

ショクミンチニッポン。
ゴールドラッシュである。

せめて右翼よ
街宣車をもって韃靼海峡を渡れ。
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いびつでないのが
スタジオに着いて一時間もしないうちに呼吸するのが難しくなった。真夏日連続記録と同じ数だけ休んでいないので、たまった疲労があふれ出し、息をさせまいとしたのだと思う。ロビーのソファで背中を押してもらい、なんとかひと息。しかしその後も10時間、頭も目も心も最悪。夏の犬のようにあえいでた。部屋に戻りテレビをつけたらちょうど100m平泳ぎの決勝。準決勝まで逆転に次ぐ逆転で北島はもうダメなのか、と思って見ていたら、なんとも危なげない勝ちっぷりで、あっけない優勝だった。あっけなかったが、思わずテレビに向かって拍手。水泳は歪さのないところがいい。女子サッカー、女子柔道と、どこかいびつな印象の強い競技を見た後のせいか、まことに涼やかで疲れも半減。
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[tojibu3:00723] もっと。さらに。より。
件名: [tojibu3:00723] もっと。さらに。より。
送信日時: 2004年 8月 14日 土曜日 1:26 PM
差出人: Toru Mashiko
宛先:湯治部2004

倉持さん、長岡さん、森川さん
外に出た瞬間、砂漠にいるように感じました。
今日の昼前の六本木はなんだか死の町のようだったね。
ライフライン被害の撮影、おつかれさまでした。
飯でも一緒にと思ったけど、明日の編集を控え
時間がまったくなかった。また、あらためてね。


中山さん、山岡さん
CGの方、何かあれば連絡をください。飛んでいきます。
できたらウェブにアップしておいてもらうと助かりますが
予定どおりなら明日、編集室でOKです。
藤崎さんが夕方4時ごろに見えるので
そこまでにはCGの動きと、装置関係の実写分をまとめたパートを
仕上げたいと考えています。
問題があれば、手直しし、OKなら、そのあとの時間は
新聞記事、今日収録した写真素材などのパーツを整理します。
さらに免震ビデオの地震年表に使った震災ムービーを整理しておきます。
明日はあくまでパーツづくりですが
その後の推移を考えると
できるだけ寒パケ状態のパーツづくりにしていきたいので
朝一から飛ばしていきましょう。


渡辺さん、ならびに今日明日仕事をしてくれるみなさん
初盆の方には、とりわけ感謝します。
なんとか13日までに処理したかったのですが
オリンピック関係でどうすることもできず
14日15日というスケジュールになってしまいました。
それぞれの事情がありながら、顔に出さずに
取り組んでくれていること、言葉がありません。
離脱してもいいよ、とノドまでは出かかっているけれど
今日はあえて、頼みますと言わせてください。


オリンピックの本質は
「もっと」「さらに」「より」
この3つに尽きるのだとどこかのコラムにありました。
少しだけ見た開会式は、
さすがに劇の故郷ギリシア。
けれんのひとつひとつがコンセプトに裏打ちされていて
広告表現の原点を見る思いあり。
施設が間に合わなくても
このセレモニーがあれば、もう何もいらねええな、
そう感じました。

では、各位奮起せよ。
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“その男ゾルバ”★★★★★
高校の頃に見た内容で覚えていたのはラストにアンソニー・クインが踊るシーン。BS2で8時から10時30分まで、のんびり見ながら、いい映画だなあと感じつづけた。人生の折り返し地点を越えることでわかること、そんなものはクソだとずっと思っていたが…。
口惜しいことに、あるんだよな。
疲労がたまったせいか、今夜はそう思った。
この頃のアンソニー・クインは、際立つような色気があったことをあらためて知る。
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夏休みロケ、乗り切った。
出演者たち帰京組を盛岡まで送るバスが迎えに来るまでの2時間。湖畔の空気は休息に冷えていった。日暮れまでの雲が切れ、満天の星が湖面をほの白く染め、体の芯がキーンと凍えた。足踏みしながらロケバスを待った。
盛岡のホテル近くの焼き肉屋で一足先にたどり着いた撮影部、照明部と遅い晩飯。納得のいくロケができたせいか、真っ黒に山焼けし、あちこちブヨだのアブだのに刺された連中の笑顔に囲まれ、ひさしぶりに愉快な飯を食べた。
ホッとしたせいか明け方に吐き気に襲われ、そのままダウン。先発するクルマ組を見送れないまま昼近くまでダウンした。
昼過ぎのはやてこまちで帰京。東京は39日目の真夏日と駅売りの夕刊紙の見出しに。にもかかわらず、山を越えたせいか、東京の光景は秋のように見えた。おれの中では、秋。ことしの夏が過ぎたな、と思った。
小岩井で撮影部、録音部と合流しロケハンした後、松川温泉で他のスタッフと合流。総勢28人。翌日から、秋田の抱き返り渓谷、岩手の小岩井農場、八幡平松川の名も無い池、秋田田沢湖畔の潟(みずうみ)分校、岩手雫石のひまわり畑、岩手早坂高原の湖と、秋田と岩手を行き来しながらロケ。
予定したシーンを1つ削り、新たに2シーンを追加。いずれも予想以上の映像を撮ることができた。宿泊先の宿では連夜、ペルセウス座流星群の流れ星ショーを愉しんでいたが、おれは一つも発見できず、首が痛くなっただけだった。
吐き気は治まったが、気分はあまりすぐれない。
成功することだけを念頭に置く、というはじめての体験をしたが、その反動なのだろう。
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夏休みロケ用現場音楽リスト
A.気分転換用
アキラのズンドコ節/小林旭 with 東京スカパラダイスオーケストラ
ダイナマイトが150トン/小林旭 with 東京スカパラダイスオーケストラ
夏休み/吉田拓郎
旅の宿/吉田拓郎
コーヒー・ルンバ/井上陽水
十九の春/嘉手苅林昌


B.気分盛り上げ用
月/桑田佳祐
月の沙漠/井上陽水
カノン/Ensemble Planeta
Summertime/Cleo Laine
Summertime/Janis Joplin
Summertime/Sam Cooke
Summertime/Patricia Kass
Stranger In Paradise/Sarah Brightman
What A Wonderful World/Sarah Brightman
It's A Beautiful Day/Sarah Brightman
Somewhere Over The Rainbow+What A Wonderful World/Israel Kamakawiwo'ole


カメラワークの基本リズムは、
Ensemble Planetaの「カノン」あるいは
Israel Kamakawiwo'oleの「Somewhere Over The Rainbow」と
「What A Wonderful World」のremixあるいは
Sam Cookeの「Summertime」のいずれかになります。
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“ぼくたちの夏やすみ”ロケ
明日から湯治である。

八幡平松川温泉をベースに13日まで
「夏休み」シーンのロケ。
スタッフと出演者30人が明日早朝から
陸と空から八幡平温泉郷を目指す。

アブの攻撃を交わしながら
さらに暑くなったと連絡の入った温泉郷で
泣きたくなるような夏ょ撮るつもり。
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ウグイスとカルバンクライン
そういえば麓でも山頂でも
いたるところでウグイスが鳴き狂っていた。

真夏のウグイスというのがなんともおかしく
おれは素っ裸になって毒の玉川に体を浮かべたが
やはり腑に落ちなかった。

戻ってくるつもりで大岩にパンツを干してきたが
面倒くさいのでそのまま次のロケ先に移動した。
次にロケに行くのが一週間後。
おれのカルバンクラインは残っているだろうか。
毒の川のウグイスについばまれてはいないか。

急に「十九の春」を聴きたくなった。
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新玉川温泉のあほらしさ
新玉川温泉についてひとこと。
ここはアメニティとホスピタリティを大きく勘違いしている。
笑顔の陰に、入れてやっているという妙な思い上がりが
透けて見え興ざめ。
朝夕ともに屁のようなバイキングというのには腰が脱けたぞ。
さすがに初日でうんざりしたので夜は外で。朝は抜いた。
タオルも歯ブラシも前夜のまま。

お湯の良さと
大浴場の趣が迫力ものだけに
なんとも言いようが無い。

食堂の光景は避難所のようだった。
温泉つかってだらしない浴衣スタイルなので
なんとも見場の悪い避難所だが。
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踏破秘湯
八幡平・藤七温泉
玉川温泉(新玉川)
鶴の湯
後生掛温泉
松川温泉

以上5つの秘湯を踏破。
湯疲れのするロケであった。
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1992.1.13
件名: [japanesque:00029] 愛してるからね
送信日時: 2004年 8月 1日 日曜日 4:15 AM
差出人: Toru Mashiko
返信先: japanesque@sml-z4.infoseek.co.jp
宛先:東京星菫派 菊地 雅志
CC : Masa. KAWADA


1992.1.13
アバコで“風”と“色”の音楽を録音するために
東京星菫派音楽顧問・菊池雅志さんに渡した1.13付けのメモの前書きから

 「目を閉じると 
  見えてくる
  色がある
  光がある
  水がある
  風がある
  音が
  空気が
  世界がある

  あなたが
  わたしが
  無数のわたしたちが
  いつの日か
  そこにいて
  そして
  いつまでも
  夢見つづける

  まだ
  誰も 
  見たことがない
  ニッポンの 
  美しい風景が
  ここにある」

だからどうしたというわけでもないが。
要するにおれはこいつをdigitalでやりたいわけです。
12年経って、さすがに髪が薄くなり
あるいはさっぱりと坊主になってしまっている
菊池さんや石塚さんをNHKで見ながら
そう思った。
寒風と雪まじりの臼田の電波望遠鏡の前で
月光仮面もどきの格好で震える彼らの熱演に
カラダが震えるような興奮を覚えたこと。
その足で熊野に走り、熊野古道で300inchスクリーンに
宙を飛んで届いた二人の雄姿を映し出し
そいつを緋毛氈に座ったフランス女とアメリカ男と
日本人男女が呆然と観ているという
わけのわからないエンディングにしたことなど
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater180.html
猛烈に思い出されていく。


番組で最初に演奏された
「のちの思いに」は、
「光の日本」で試みた立原道造と福島泰樹という組み合わせを
あらためて福島泰樹独りの世界に再構成したもの。
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater150.html
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater151.html

二年前の大雨の夜、十年ぶりに曼荼羅でお会いしたとき
歓迎のつもりか、その旨を観客に紹介し、特別演奏をしてくれた。
予定外のことで、俺は恥ずかしくて下を向きっぱなしで
会場が暗いのを良いことに涙をぼろぼろこぼしてた。
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater555.html

これからHD900を引っさげて
レガシーとコロムビアを同時に撮った
http://homepage.mac.com/torum_3/r1118/iMovieTheater181.html
あの東北に向かえるのだと考えると
センチメンタルになって眠れねえ。
お察しください。

なお、レガシーとコロムビアはほぼ同時に仕上げられ
そののちポイントディゾルブと称するようになったエフェクトと
映像デザイナーという言葉をひねり出した記念の年。
愛する山岡は、元祖小深田の愛弟子としてまだ初々しい青年でありました。
六本木TSPA編。
酔客の声と六本木の夜風がストレートに窓から出入りし
モニターにはドアの向こうで見守る郡山青年が番人のように映っていて
できたばかりのWAVEや青山ブックセンター六本木店が光り輝いた頃のこと。
おれはまだ39歳だった(添付の証拠写真)。

いやあなんつーか、葉月八月は懐古回顧で開けちやった。


ひさしぶりの東北ロケに興奮で眠れず
引き出しの奥から古いメモを引っ張り出し
あのときの気分を思い出してます。
その1992年1月13日に書かれた
「色と風 音楽とSEに関するメモ」の最後のページには
作曲の菊池雅志さん宛にこんなメモが書いて会った。


  エピローグ
  「もう春なんだね」
  ササヤンカ村からの風を受けながら、さようなら。
  これで、この巻と、全4巻のすべてが終わる。
  挿入詩no.8「はるのしなやかな挨拶」が
  やさしげに入る。
  哀しみも喜びも、こもごも溶け合った音楽が
  スタッフのクレジットの最後まで流れていく。
  聴いているすべての人が
  いつか辿り着いてみたいと
  思いたくなるような音楽が。


そして、最後のページに
「また、いつか、
こんな仕事で逢いたいね。
ササヤンカの村からの、
誘いの風が吹くその日まで、さようなら」
と、添えてある。

pioneerのneo花鳥風月をテストケースに
六月から本格スタートしたdigitalJapanesqueシリーズが
この最後のメモの永い余白の末の一行なのだ、と思います。

手書き絵本「女鬼」をお渡ししてから
さらに月日が過ぎたけど
すべてはつながっていると、あらためて言っておきたかった。

もう、3時間もすれば
東京駅の銀の鈴でみなさんとお会いすることになりますが。


ま、そんなところであります。ご静聴感謝じゃ。


   2004.8.1 朝 T.M
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件名: [tojibu3:00702] ようそろ !
件名: [tojibu3:00702] ようそろ !
送信日時: 2004年 8月 1日 日曜日 0:07 AM
差出人: Toru Mashiko
返信先: tojibu3@sml-z1.infoseek.co.jp


荒川の花火に続き、
今夜は隅田川の花火を見てきました。
空には十四夜の月と白い雲。
水面には色とりどりの花火の灯影。
この季節には珍しく乾いた空気が気持ち良く、
さすがに江戸の花火だと感心しました。
花火師の心意気が違うんだね。
二日前の荒川のものとは別世界だった。
端正で粋。そこに尽きるのかな。


録画したNHK教育テレビ「NHK歌壇」をいま見終わったけど
『声に出して読みたい日本語』の斉藤孝は
200万部売れた本と同じ程度のバカだったので
福島さんがよく最後まで笑顔で対談しているなと
妙なところで感心させられました。

「光の日本」をTSP第2奥のMAルームで仕上げで
玄関ドアまで見送ったときに
某プロデューサーのことで
「ましこさん、よく我慢したね
俺なら一発ぶん殴ったな」
と花のように笑って帰っていったことを思い出したから。

中年ボクサーでもあった歌人福島泰樹は
知っている限りでは絶叫の言葉よりも手が先に出る
花園町文壇バーの武闘派だったから
ほんとうはもう一本も絶叫を頼んでいたけど
出演はやめてもらって短歌の引用だけに切り替え
事無きを得たけども…。
そのときのミキサーはTSPの三上さんで
某プロデューサーを帰してから二人で腹を抱えたっけ。
(井口さん、この某とは例のinoue君です)

はじめ画面に映った斉藤教授を見たとき
お天気キャスターの森田かと思ったほど場違いだった。
受け答えを聞いているうちに
声の調子も、話しの中味も
しみじみ薄っぺらい見たままなので
本気で福島さんの爆発を懸念したけど
さすがに文壇の重鎮。大人になっていたのか編集がうまかったのか。
夏の盛りに、こんなものを早朝から流すNHKは
懐が深いというか、視聴者無視というか、
あいかわらず不思議な所だった。


ひとつだけ印象に残った個所あり。

  人は一度しか生きられないのに
  叫ばずにいられるだろうか
  祈らずにいられるだろうか

と語ったところ。
江戸の花火を見た後のせいか、
このひとことが強く焼き付きました。
隅田川べりの堤に座って
連打される江戸の和火を遠くに眺めながら
ぼんやりと感じていたことが
そのひとことと同じだったから。



さて、明日から三日間
湯治部は東北ロケハンに出ます。

湯治部メンバーにとっての「東北」は
いわば「湯治部」発祥の地でもあります。

数週間にわたって折々に検討してきた
誰もみたことのないような「夏の舞台」を、
digitalhigh-definition televisionの対象として
もういちど発見できるか否か。
HDで撮りHDで編集したものをHDで上映するという
HD超推進派の湯治部としても初の試みを成功させるための
橋頭保が明日からの三日間となります。

デジβ、digitalHDと、
日本のどこよりもはやく日常的に取り組ませていただくことで、
積水ハウスの仕事を通して学んできた、
この十年間の成果を、ここで結びたいと思います。
もし、満足する成果を挙げられなかったときは
湯治部を解散します。
具体的には、
僕自身が積水ハウスの仕事から
いっさい身を引くということです。

意志としては希望としては
圧倒的な作品世界を構築し成功させたいと強く願っており
また、その自信もまったく萎えていません。

が、
信託されたことに
応えていけるのかどうか、
そのことを見直すための切所がここにある、
と考えています。

何を大げさな
おれには関係ないよ
という方もいるでしょうが
これは、益子ひとりの覚悟です。
そういう想いであるかと、お受け取りください。


隅田川の花火を見ていたときは
雲間に見えていた月も、いまは冴え冴えと輝いています。
出発まであと6時間足らず。
読み返すと照れるかも知れないので
このままメールします。

向こう三ヶ月に渡る超ハードなスケジュールが
いよいよ皮切りとなります。
まことにひさしぶりに胸が高鳴っています。


湯治部のみなさん、帆を揚げます。
ようそろ!


    2004.8.1未明 T.M
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