2009年07月の記事


「織物工房④」
<<インド>>--サールナート--


完成した大きな絹の織物。

実に繊細な布地である、どうしてあの粗末な機織機から、こんな細かく綺麗な模様が生まれるのか、実に不思議である。

まるで染色した図柄のような精密さだが、裏も表も同じような図柄が確認出来るから、紛れも無く織物だという事が分かる。

これだけの大きな布を織り上げるのに、一体どのくらいの日時が掛るのか、これも説明を受けたようだが、分からず仕舞いだった。

絹織物は見る角度や光線の具合によって、色が微妙に変化するから、見ていて飽きないのである。
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「織物工房③」
<<インド>>--サールナート--


若い職人の方が織った布である。

絹を主体にした綺麗な織物のこの生地は、一体何に使うのであろうか。

サリーの生地にも使えそうだが、プリント柄が主流を占める現代のインドでは、余程上流階級の女性で無い限り、こんな高価な生地をサリー用として購入する訳には行かないだろう。

それに柄もちょっと細か過ぎるような感じがする。

この生地の使用目的を彼は説明したのだろうが、撮影に一生懸命だったので、聞き漏らしてしまったのかもしれない。
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「織物工房②」
<<インド>>--サールナート--


こちらは、二人居る織物職人の内のベテランの方である。

こんな暗い裸電球の元での作業は、目を悪くするのではないかと思われるが、インド人は目が良いのか、あまり眼鏡を掛けている人を見掛けない。

彼はカメラを向けると、作業の手を休めてカメラのレンズに応えてくれた。

中々意志の強そうな、職人気質の良い顔をしている。

それにしても、こんな粗末な機織機で、どうしてあんなに綺麗な織物が出来るのかと、不思議な感じがしたものである。

次には、その作品の幾つかを紹介しようと思う。
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「織物工房」
<<インド>>--サールナート--


織物を手作業で織っている工房を見学した。

どこの国でもこのような工房は有るが、此処は薄暗い裸電球の灯る部屋の中で、職人が二人だけが作業する極めて質素な工房であった。

しかし敷物や壁掛け、サリーの衣装など絹を主体に、手作業で織り出す織物の鮮やかさに目を見張ったものである。

タイなどで職人が大勢居て大量に織物を作り出す工房と違い、ほとんど家内工業に近い状態で作業をする彼等に、見世物でない職人気質を感じて、好意を抱いたものである。

しばらくは彼等の職人技術を紹介しようと思う。
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「乗り合いタクシー②」
<<インド>>--サールナート--


こちらのオートリキシャは横置きの客席のようである。

こちらのタクシーにも、女性客が相乗りしているようだが、若い女性らしく清楚な白い花柄のサリーと、突き出ている腕に嵌められているアクセサリーが可愛らしい。

背景の店のマネキンが欧米風で、最近のインドを象徴しているような感じがする。

今は独自のカラーが色濃く残っているインドであるが、やがては先進国と同じような衣装を着るようになってしまうのだろうか。

出来れば、サリーなどのお国柄がはっきり出ている衣服などは、そのまま残しておいて欲しいものである。
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「乗り合いタクシー」
<<インド>>--サールナート--


再び街に戻り、隣に来たオートリキシャの中の光景。

何とまあ、こんな小さなオート三輪タクシーの中に、見えるだけでも7人の乗客が居る。

しかもその中の一人は女性。

よくもこんな狭い所に乗れたものだと感心する。

先日のテレビの番組でも朝のインドの通勤ラッシュの光景が出ていたが、日本のラッシュどころではない。

ドアの外にまで鈴なりになった乗客を乗せたまま、快速で走るのだから物凄い。
これで事故が起きないのかと、見ていてはらはらする。

流石に世界第二位の人口を誇る、インドの人の多さには仰天するのである。
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「菩提樹の元で」
<<インド>>--サールナート--


ブッダが悟りを開いたと言われる大きな菩提樹の下には、小さな吹き抜けの伽藍が有り、そこの壁面にはブッダの悟りの状況が描かれている。

この地の由来が、中国語、ヒンディ語、梵語などで書かれている。

いずれも馴染みの無い言葉なので、理解する事は出来なかった。

サリーを着た裸足の女性が一人、この場所を訪れていたが、西日の中にひっそりと存在するこの寺院に相応しい光景であった。
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「正門前」
<<インド>>--サールナート--


遺跡に入るには、銃を持った守衛の居る正門を通過しなければならない。

しかしこの守衛さん、暑くてやっていられないといった感じであった。

確かに何事も無く、遺跡を守るだけの見張りの仕事は退屈な作業であろう。

日本の観光地では、銃を持った守衛が居る所は無いであろうが、インドではヒンドゥー教、イスラム教、仏教などの宗教徒が、互いに宗派争いをしているから、こうした物々しい見張りも必要なのであろう。
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「夏草の中に」
<<インド>>--サールナート--


寂寥感が漂う、遺跡群が点在する人影の無い公園内の光景。

嘗ては多くの仏教徒達で栄えたであろうこの土地も、今は夏草の中にその名残りを留めるだけである。

状況は違うが、何故か「夏草や、つわもの共が、夢の跡」の有名な句が思い起こされた。

これらの礎の上に建てられていた伽藍などは、一体どんな光景だったのだろうかと、思いを馳せてみたものである。
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「ムルガンダ・クチ寺院」
<<インド>>--サールナート--


ダメーク・ストゥーパの近くに有るこの寺院は比較的新しく、1931年に建立された。

寺院内部には日本人画家の野生司香雪(のうずこうせつ)によるフレスコ画が有り、ブッダの生涯が描かれており、興味深い。

寺院の左側にある大きな菩提樹は、ブッダが悟りを開いたブッダガヤの子孫とされている。

日本人画家が、此処まで来て絵を描いたとは、不思議な縁を感じたものである
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「遺跡をバックに」
<<インド>>--サールナート--


サールナートの遺跡群を背景に記念撮影。

この時もかなり蒸し暑く、丁度今頃の日本のようであった。

午後の日差しの照り返しで、汗を掻き掻きこの遺跡公園を散策したものである。

背景のダメーク・ストゥーパは、こうして人物を配してみると、如何に大きいかがお分かりいただけるであろう。

紀元7世紀頃に、此処にたくさんの仏塔や伽藍が建ち並び、1000人の仏教徒達がブッダの説法を学んだといわれているが、今の寂寞感からは当時を偲ぶよすがもない。
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「ダメーク・ストゥーバ」
<<インド>>--サールナート--


この巨大なピラミッドようなストゥーパ(卒塔婆)は、7世紀頃建てられたのだという。

元々ストゥーパという言葉は、仏塔を意味するのだそうである。

だから、日本の墓の後ろに立てられている塔婆は、細長い板に梵字を書いたものだが、これは墓を守る塔の意味があるのかもしれない。

それにしてもこの巨大なストゥーパは、特別でありダメークと呼ばれているのだそうだ。

3世紀にアショカ王がこの地に仏教場を開設し、ブッダがこの地で、多くの仏教徒に説法をしたというから、仏教の歴史を知る上では価値の有る場所なのかもしれない。
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「ブッダ遺跡群③」
<<インド>>--サールナート--


遺跡群の前方に、仏塔と並んで巨大なストゥーパ(卒塔婆)が立っている。

日本の墓の後ろには、梵字で書かれた板の塔婆が必ず有るのを見掛けるが、何とそのルーツは、このインドにある巨大な石の塔、「ストゥーパ」である事をはじめて知った。

だから卒塔婆は、このストゥーパの言葉を、当て字で日本語にしたようである。

仏教のルーツがこんな所にも存在していたのは驚きであった。

この巨大な石を積み上げた塚のご利益にあやかる為に、長い板で作った塔婆が日本の墓に存在するとは、不思議な縁である。

日本ではお盆も間近に迫る中、お墓参りで、改めて塔婆を眺めるのも意味が有るかもしれない。
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「ブッダ遺跡群」
<<インド>>--サールナート--


紀元前三世紀頃、アショカ王はこの地を訪れ、数々の施設やストゥーパ(仏塔)、寺院、柱などを建てた。

七世紀には寺院や塔が数百にも増え、1000人以上がこの地で仏教を学んでいたと言われている。

しかし十三世紀にムスリムによってほとんどの寺院が破壊され、荒地となってしまった。

十九世紀頃から発掘が始まり、今は遺跡公園として整備されている。

何時の世も、宗教戦争は、貴重な歴史的建造物を破壊してしまうものであり、人間のおろかさを現すものである。
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「アショカ王柱」
<<インド>>--サールナート--


アショカ王が建てた巨大な石柱は、インド各地に10個以上有るが、特にサルナートに建てられた物が傑作と言われている。

これは車から撮ったものだが、出来る事なら石段を登って、塔の上まで行って見たかったものである。

柱頭には4頭の獅子、台座には象や獅子の彫り物が施されていたが、今はそれらは考古学博物館に保存されている。

残念ながら、館内は撮影禁止なので、それらの傑作を撮影する事は出来なかった。

此処を通り過ぎた後、遺跡公園に入館料を払い、広大な遺跡群を探索する事となる。
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「考古学博物館」
<<インド>>--サールナート--


ヴァラナシから北へ約10キロ、サールナートはブッダガヤで悟りを開いたブッダが、最初の説法を開いた地で知られている。

サールナートという地名は、鹿の主を意味するサーランガ・ナータが縮まって変化したとされ、今でも周辺には鹿が生息している。

この博物館には、遺跡から発掘されたたくさんの大小のブッダの木造等が展示されており、ブッダの生涯を知ることが出来る。

この博物館に隣接する広大な遺跡は、仏教のルーツを知る上で、貴重な存在であり、しばらくはその様子を載せる事とする。
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「構内」
<<インド>>--ヴァラナシ--


我々が昼食を摂ったレストランの有るショッピングモールは誰でも入れる訳ではない。

頑丈なフェンスや塀で囲まれた入り口には守衛が居り、来店の目的をチェックしている。

矢張り此処はインドでも富裕層の人しか入れないモールのようである。

人影もまばらで少ないが、構内で見掛けた若いカップルと、家族の様子を撮ってみた。

立派なバイクの青年達や、靴を履いてきちんとした身なりのパパに抱かれた子供達などの様子からして、繁華街に繰り出している人々とは、ちょっと階層が違うなと思ったものである。
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「レストランからの眺め②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


我々の居る4階のレストランの真下は、三叉路になっている。

こんな郊外の森の中に突然出来たショッピングモールは、好景気の時は富裕層の人々が車で買い物に来る事も多かっただろうが、一旦不景気になると、客足も波の引くように遠のいてしまうのだろう。

地上ではこんなモールに縁の無さそうな人々が、蟻の様に動いているのが見える。

多少色の着いた巨大な一枚ガラスの嵌まったレストランの窓からは、下界の様子がパノラマのように眺望出来る。

このレストランも、観光客などで営業は出来ているようだが、たくさんのテーブルが置かれている店内には、お昼時だというのに、我々とあと一組の客が居るだけで、店員も手持ち無沙汰のように、雑談をしているだけであった。
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「レストランからの眺め」
<<インド>>--ヴァラナシ--


昼食を摂ったレストランの窓からの眺めはすばらしい。

こんもりとした森に囲まれた下界の先には、由緒有りげな高い塔が突き出ている。

地上で見る埃っぽい街並みも、此処から眺めると綺麗な風景となる。

このレストランが有るショッピングモールは、まだ新しいビルのようだが、レストラン以外はほとんどの部屋が空き室となっており、部屋の中には嘗て店が有った時の備品などが散乱していた。

好景気の時の客を見込んで建てたモールなのだろうが、インドでも不景気風が吹き渡り、ほとんどの店が潰れてしまった様である。

矢張り郊外の豪華なモールは、インドの一般庶民には無縁の存在なのであろうか。
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「ランチタイム②」
<<インド>>--ヴァラナシ--


インド料理定番のカレーセットだが、これで一人前だから面食らう。

カレーだけでも三種類、タンドリー、野菜、魚介類のカレーと味は皆違う。

ヨーグルトが二種類、ナンとバーバル(煎餅状の物)は食べ放題だが、私は疲れている割には余り食欲が無く、専らビールとヨーグルトを飲んでいた。

カレーはそれぞれ少しずつ口を付けただけなので、夜のホテルでの晩酌用に、中の具だけとナンをテイクアウト用に容器に入れてもらった。

他の仲間も余り食欲が無く、ほとんど残してしまったが、一人で旅行に参加したおばさんだけが、美味しいと言って、ほとんどを平らげてしまったのは驚きであった。

インドにはまっているとなると、こうも全てがお気に入りなのかと、我々三人は尻尾を巻いたものである。
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「ランチタイム」
<<インド>>--ヴァラナシ--


朝の4時から起きての沐浴見学や、ヴァラナシ・ヒンドゥー大学などの見学を終え、やっとお昼となった。

インドでのランチは定番の如く、タンドリー・セットの数々のカレーである。

大きなショッピングモールの4階に有るこのレストランは、インド料理の美味い店との事であった。

広大な樹木に覆われた公園の中にあるこのモールは、実に見晴らしが良い。

先ずは冷たいビールで、火照った体を潤す事となる。

イケメンの若いホストが礼儀正しく、冷たいビールをコップに注いでくれる。

汗を掻き過ぎたせいか、余り食欲は無く、やたらと冷たいビールが美味しかった事を思い出した。
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「廃屋」
<<インド>>--ヴァラナシ--


嘗ては立派な大邸宅であったろうと思われる廃屋の光景。

この屋敷の主が栄華を誇ったのは、一体何時の頃だったのであろうか。

レンガの鮮やかな色彩には、今も往時を思わせる面影が有るが、塀は黒カビが蔓延し、庭には雑草がはびこって、人影も感じられない。

泥濘の道を行く一般市民は、こんな光景には全く関心が無いかのように、通り過ぎて行く。

嘗てインドはイギリス領だった。

その頃に、インドを支配していたイギリス人達が、インド建築の粋を尽くして建てた建物なのか、それともマハラジャの居住する住居だったのか、今にしては知る由も無い。

栄枯盛衰を現実に見るが如き光景である。
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「老骨に鞭打って」
<<インド>>--ヴァラナシ--


体格の良い女性を乗せて、重いリンタクを押す老人の姿。

生活のためには、この稼業を止める訳にはいかないのだろう。

この老人にとっては、この人力車が生きるための貴重な財産であるに違いない。

人間も、この年になると顔から険しさが消えて、この仕事で年輪を重ねてきた厳しさだけが刻まれているような感じがする。

小さくなった彼の体に比べ、リンタクのサドルがやたらに大きく感じられる。

仕事を終えて家に帰った時、温かく迎えてくれる家族が居る事を祈りつつ、シャッターを押したものである。
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「輪タク・ラッシュ」
<<インド>>--ヴァラナシ--


狭い道路に人力車や自転車がひしめいて、にっちもさっちも行かない状態である。

我々の乗る車も同様で、車の前にこれらの輪タクや自転車が入り込んで来て、車は一向に動かない。

運転手が盛んにクラクションを鳴らすが、彼等は一向に気にせず、完全に無視して先を争う。

別に急いでいる様子にも見えないのだが、それが当たり前のルールになっているといった感じだ。

我々がもし、レンタカーを借りて運転したら、何時まで経っても車を動かす事は出来ないだろう。

正にインドの交通ルールは先手必勝といった具合である。
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「険しい目」
<<インド>>--ヴァラナシ--


人が苦労して人力車を漕いでいるのに、なに写真なんか撮っているのだ、と言わんばかりの目付きである。

これは渋滞して動かなくなった車のウィンドから、直ぐ脇に来た車夫の姿を撮ったものである。

しかし彼等は私のこうした行為に、決して文句を言わない。

それはインドを旅してずっと感じていた事であった。

ある意味、このような厳しい生活の実態を、少しでも海外から来た我々に、分かってもらいたいという気持ちも有るように感じたものである。

この車夫はまだ中年の域であろうが、老いて車夫をやっている老人を見ると、思わず同情の念を抱かざるを得ない気持ちになったものだ。
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「定員オーバー?」
<<インド>>--ヴァラナシ--


小さな人力車に3人も乗られたら、車夫もさぞ大変な事だろう。

乗っているのは、母親、娘そして孫娘だろうか。

オートリキシャより人力車の方が乗車賃が安いから、節約観念が旺盛なのだろう。

此処の道路は狭くて道が悪いから、渋滞を起してしまい、オートリキシャの運転手も、エンジンを掛けず、車を押しているといった有様である。

自転車やバイクの人々が、我先にと隙間に割り込むので、益々道は渋滞の度合いを増すといった具合だ。

インドでも交通ルールが有るのだろうが、守っている人は少なそうである。
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「黙々と」
<<インド>>--ヴァラナシ--


ただひたすら、泥濘の道を自転車を漕いで目的地に向かう男女。

若い男性と女学生と思しき女性の顔からは、生活のゆとりは感じられない。

道の悪さと、交通渋滞が二人の行動に嫌気を起させているのだろうか。

男性の眼差しは、前を見据えて、こんな環境には負けないぞといった真剣さが感じ取られる。

日本でも、現在梅雨の末期の気候状況で、九州北部や中国地方は集中豪雨に見舞われているようである。

洋の東西を問わず、自然現象は、時として人間を悩ませるものである。
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「のどかな光景」
<<インド>>--ヴァラナシ--


メイン通りを横道にそれると、のんびりとした光景に変わる。

交差点の所には駐在所が有るが、お巡りさんは椅子に腰掛けて周囲の様子を看視しているが、休んでいるといった感が強い。

簡易舗装はされているが、道の真ん中に穴ぼこなどが有り、水が溜まっている。

夜間暗闇で、此処に嵌まったら難儀をするだろうなと思うが、補修する様子も無さそうである。

大通りを外れると、途端に人通りも少なくなり、落ち着いた雰囲気になるのが、地方都市の実態であろう。
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