2015年02月の記事


なにを記載 松浦武四郞蝦夷地探検像


 なにを記載 松浦武四郞蝦夷地探検像.本像は釧路市幣舞公園にある.
 像は左手に野帖、右手に筆をもつ.でわ、なにを記載してる、か.

 像は1858年=安政5年3月の来訪時の調査がモチーフとなっている.
 阿寒川流域の人口、個数、地理、産物、河川、コタン分布のみ、ならず.

 但し、野帖一葉に書き込める記載は、限られている.阿寒川にその源流部となる阿寒湖.
 どの位置の記載かは、作者の哲学によること、か.(在 釧路市幣舞公園).
コメント (0)

上風船 秋田内陸線
 上風船 秋田内陸線.上風船といえば「富山のクスリ」が年2回の巡回ごとに、訪問サービスで提供をうけてきた、が.
 その風船は、手玉にのっかり、吸引口から個体内部に<空気>をいれて膨らませ、手のひらであやつって遊ぶ.
 それが定番であった.

 ところが放送を観ていて、まったく別な取り扱いに出くわした、
 規格が巨大、熱気であたため空に舞いあげる、夜間に照明をいれて、あがり具合を競う.
 その背後に連写が通過して、風景写真の被写体と、なる.

 観てきた上風船と実際の風土芸術とは大違い.
 体育館で<上風船>をつくり、広場であげる.
 最初にガスバーナーで空気を熱して、風船を膨らませ、「灯油をひたした綿に点火して、その燃焼熱で上風船が、舞い上がる」.

 なるほど.自家制作、造り具合の精度が<あがり方>を大きく左右、絵柄の芸術性も見る人を魅惑、なによりそのあがり方が<神々>を満足させる.
 他人のために魅せるヒト集めではないらいしい.神々のため、自分と一族のために取り組む.
 北海道で忘れられ、本州に今も生きる伝統.と、いうこと、か.
コメント (0)

医学教育 寺島実郞著「『蘭学』の再考察と杉田玄白なる存在-17世紀オランダからの視界」
医学教育 寺島実郞著「『蘭学』の再考察と杉田玄白なる存在-17世紀オランダからの視界」
石田純郞編著『蘭学の背景』(思文閣 1988年)に次の記載があるそう、で.

日本の医学部には「医史学」の講座がほとんどないそうである.調べてみると、そもそも「医学の歴史」の研究者がいないのである.

「これが医学教育の現実で」と、寺島実郞氏は書く(『世界』 2015年3月号 35p).そのうえで、

「明治期に軍医育成を急ぐためオランダやプロシアの軍医学校のプログラム導入に傾斜したからだという」と、する.
コメント (0)

双眼鏡でなにを見る 嵯峨久寿像.


双眼鏡でなにを見る 嵯峨久寿像.市内にある人物像.生前に建立された像なので「寿像」の名がある.

 この方の右手には、双眼鏡がある.「なにを見ているのですか」と、尋ねられたとき、どう答えるか.

 (できたとき)港にはいってくる、マグロ積載漁船の数を勘定しするつもりでいる.
 (でわいまは)足下をながめて、これからのマチをづしようかと、考えている.

 などなど、勝手なことをもうしております.が、各位にあってはどのように想像?.
 もっとも大切なことは、ただ<見る>だけでなく、像の主人公が考える地域のありようを考えてみてください.
コメント (0)

大阪 そぞろ歩き


大阪でマチを歩きました.正月2日、3日は大賑わい.
 帰る4日はずいぶん、ヒトの流れがかわっていたように、おもいます.

 もちろん、入り口でカウンター片手に人数をチェックしたわけではありません、が.
 なにが、たいへん?.夕食の場所取り.予約が思うようにできず、手をつくしてどうやら、一行が路頭に迷わすことは、なかったが.

 テーマパークの夜は不夜城をおもわせますよ.そのシンボル的存在を一枚.
コメント (0)

腸内で細菌と抗体の微妙バランス 科学番組「腸内フローラ」
腸内で細菌と抗体の微妙バランス 科学番組「腸内フローラ」.

 日曜日午後9時台の科学番組.まずは番組広報の案内文を提示させてもらう.
 腸内フローラ(腸内細菌の生態系)に、今注目が集まっている。
 私たちの腸内には100兆以上もの細菌が住んでいて、その菌が出す物質が全身の健康と深く関わっていることが分かってきた。
 美肌やダイエットなど身近な話から、がんや糖尿病、うつなどの病気まで。
 既存の治療だけでは限界のある病気に対する切り札として、腸内フローラが脚光を浴びているのだ。
 最先端の研究を紹介しながら、腸内細菌と人間の知られざる関係に迫る。

 ポイントは、次ぎにあるらしい.
 1)胎児は母体内で無菌状態にある.
 2)誕生の瞬間から多くの細菌が人体に取り込まれる.
 3)腸には粘膜があって、細菌のすべてが体内に繁殖するわけではない.体内にはいった細菌は、粘膜の壁を透過できず、排泄される.
 4)が、そこに抗体と組み合わされた、4種かの細菌がとりこまれ、わかりやすく申すと<免疫>になってくれる、らしい.
 5)その免疫効果というべきか、
 番組説明にある「美肌、ダイエット、がんや糖尿病、うつ」などに
 「既存の治療だけでは限界のある病気に対する切り札」と、役するという話.

 無菌状態をつくって飼育したラットに、肥満体のヒトと同じ組成の餌、スリムなヒトと同じ組成の餌を与える実験にはじまり、腸壁の粘膜の電子顕微鏡画像を解析.
 
 細菌と人類がつちかった<微妙なバランス>.そこが明らかになってきたらしい.再放送でみると、いっそう判明するかも.
コメント (0)

時代を反映 権力者の食事 豊島秀範ほか「あの人は何を食べてきたか」.


 時代を反映 権力者の食事 豊島秀範ほか「あの人は何を食べてきたか」.
 豊島秀範ほか3名が、時の権力者の食生活を紹介.

 豊島は  藤原道長 飲水病(糖尿病) 古代
 二木謙一 足利義政 中世
 青木直巳 水戸黄門 手打ちうどん 近世
 奥村彪生 鬼平   小鍋仕立て  近世

 「江戸の外食は職人の味」(84p)の話、ほかの番組でのちほどみたことがある.
 事例は寿司.寿司と言えば家庭でうけつがれた発酵の飯寿司.

 対して、握り寿司が近世にお目見得する.シャリといい、寿司ネタの切り身といい、握りといい家庭ではできない、職人の味.

 寿司・蕎麦・天ぷら.江戸のファーストフード、サービスを外部依存するハシリに位置する.
コメント (0)

造った文化 堺屋太一著『佐治敬三 良く稼ぎ良く使え』.
 
 
 創る文化 堺屋太一著『佐治敬三 良く稼ぎ良く使え』.
 
 文化は時間をかけて育てるモノ、根付くモノとかんがえてきたが.
 しかし、文化の中には、意図的・計画的・組織的に造られることも、ある.本書は、そこを示している.

 サントリー.
 京都、山崎.ウイスキー、音楽ホール、美術館。音楽ホールは音楽番組のライブ演奏で、しばしばお目にかかる。

 戦後、ハイボール、水割り、珍味のおつまみが、サラリーマン社会の支持をとりつけた。
 日本酒とはことなり、燗や肴に手がこむのを回避するばかりではなく、洋酒文化を日本で大衆化したという。
 ほかにも、ウィスキーは開封後も永く品質変化や劣化、気のぬけることが、ない.そこが「日本酒とは異なる」という.

 その戦略、洋風化、生活様式の海外化。
 開高健、山口瞳、柳原良平.ウイスキーのアルコール濃度あたりの消費量はウナギのぼりに増えて、日本酒を凌駕した。

 日本酒消費量の減退。造り酒屋の衰退。洋酒の世界の作られた需要。文化、その変化には、規制ではとめられない。思想性、哲学が必要なようだ。(2007年02月15日記載)(NHKBSETV『こだわり人物伝』 2007年3月 日本放送出版協会).
コメント (0)

海軍 ウィスキー調達
 NHK朝のテレビドラマ.海軍が余市のウィスキー工場で、一括調達の場面が出てくる.

 新製品の売れ行き不振.そこを会社の窮状を救う形で救世主となっている、が.

 海軍はヨーロッパの文化に接してということがあったろうが、洋酒が長い航海での品質維持が承知されていたか.
 将校の「どうせ味などわからぬ、この程度でよいか」が、そのあたりを物語っていた、か.
コメント (0)

NHK朝ドラマ舞台 余市町


 NHK朝ドラマ舞台 余市町.余市川が余市湾に流入するところに位置する.

 鉄道路線が、東から余市川河口に来て、ここで大きく左に旋回.

 なんと駅前に、朝のドラマの舞台「ウィスキー会社」(大きな黒丸)がある.

 昭和45年6月、この駅に降りた.モイレ山山頂にある「よいち水産博物館」(赤丸印)を訪問するため.
 先行していたこのマチの出身者のお方が、駅まで迎えてくれて、営業車で出かけたのかも.
 このウィスキー大会社の記憶がまったく、ない.

 その日は、博物館での調べ物が終わって、「林家住宅」=旧余市運上家跡(左上黒丸)まで出かけていった.
 当時はまだ整備に着手していなかったから、草藪のなかに廃屋という感じであったと、記憶している、が.(名誉のためには、かく書くべきではないかも).

 終わって駅に単身もどり、寿都行きの列車をまった.

 その待ち時間のときのことである.駅舎の前から余市湾が見えた.
 その青さが、見事であった.若山牧水 歌「白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まずただよう」を思い出した.
 日本海の青.紺碧の海は、太平洋岸に、なきものであった.
コメント (0)

牡蠣、リンゴ、銘酒 復興・陸前高田市
 牡蠣、リンゴ、銘酒 復興・陸前高田市.



 「キラリ えん旅」という番組がある.それぞれの土地を演歌歌手が訪問.
 復興の様子を紹介し、たずさわるポイント、たずさわるヒト、済む被災者を<勇気づける>.

 <一本町>のマチに、伍代夏子さんが訪れる.ポイントとは銘酒・酔仙が、<どぶろく>を復興させた話、か.
 <どぶろく>は、酒糀が発酵途中の季節、地域限定の度数20度の酒.
 津波で酒蔵が倒壊.経営は「破産」を考える.そこにユーザーが訪問、なんとか聞き出したかった、「(蔵主の)やる」の一言、という.

 復興の日、蔵元で「新酒復興祭」.大きな看板、中央に小さな神棚.目にはみえなかったが、再開をまつユーザー.

 神棚に人為を超えたモノの力に対する敬意.背後にあるユーザーと蔵元をむすぶコミュニティ.

 冒頭にあった復興をダンプカーにたよらずベルトコンベヤーで、土堤をきずく過程も力強い.

 が、<みえない力>をむすぶ<つながり>の受容.その存在も、復興をささえる.
コメント (0)

巨峰へ簡潔に誘う 姜尚中著「夏目漱石 悩む力」.
姜尚中著「夏目漱石 悩む力」.
 紹介によればマックス・ウェーバーと同世代、代表的著作「プロテシタンティズムの倫理と資本主義の精神」と「類似するところがあって、面白い」(77p).
 言われてみると、そうかもしれない.

 「坊ちゃん」「三四郎」「吾輩は猫である」の三作.後につづく「それから」「彼岸過ぎまで」「こころ」などなど.
 前者と、後者に<同じ作家>かと、おもいめぐしたことがある.

 新聞小説が、読者をひきつけ、迷路にはいるごとく奥行に誘い込まれる.読み続け、読ませつづけた<難解>.そこを、簡明に読ませてくれる.「巨峰へ簡潔に誘う」というのが、本書の存在感、か.
コメント (0)

3拍子目が強いワルツ ワルトトイフェル作曲「スケーターズ・ワルツ」.
3拍子目が強いワルツ ワルトトイフェル作曲「スケーターズ・ワルツ」.よく耳にする曲.
 紹介によると、作曲家エミール・ワルトトイフェルは、1837年生まれのフランスの作曲家、ダンス音楽の作曲家で著名と、ある.

 曲は「冬の景色の中でスケートをする人たちの微笑ましい様子が、わかりやすい明るいメロディーで表現されたワルツ」とされる.
 「雪が舞っているような情景」「調子よく滑ったり、途中で転んだり、静かに風景を眺めたり」「楽しくわかりやすい音楽で表される」とも.

 曲想は広がり、情景は明快ということ、か.小曲の楽しみ、しかし<落ち込み>を解きはなちてくれるかの、思い.(150117 NHKETV 名曲アルバム)       
コメント (1)

神戸・六甲 150103


 神戸・六甲 150103.淀川河口を目の下に見て、北をのぞむと.
 
 向こうが「山並みが六甲です」と、教えていただいた.神戸空港は気がつかなかった、が.

 地図をもってゆくと、良かった.もっとも今なら、「スマホがあるよ」と、いうことかも.

 たださー、旅に出るとき「あれも、これも、うーんそれはあらかじめ調達しておかない」と、

 「スマホひとつで、本もよめる」では、相当に「はたらかせる頭の細胞」に、影響する範囲がせまくなるよねー.そうで、ないかい?.
コメント (0)

阪神工業地帯 150103


阪神工業地帯 150103. 屋上にちかいバイキング朝食の会場から撮影.
 同行の小学生が、「日本の工業地帯に阪神、中京、京浜」と、かわいいことを.



 確かに昔、そうしたことを教えられた.手前のクレーンは、新築中のホテル工事の造作途中ながら.
コメント (1)

「高品質を求め、長期割賦販売方式の普及で消費拡大」 素晴らしき高度成長時代.
「高品質を求め、長期割賦販売方式の普及で消費拡大」 素晴らしき高度成長時代.
 『文藝春秋』 2015年2月号の特集.読者の投稿で、426通の応募の中から、35通が選定されたのだと、いう.

 投稿者はもとより60歳以上.高齢では90歳台のお方もおられる.
 「金の卵」世代や、1955年-77年を<ヒラ>で迎えたか、管理職で迎えたかで、違いはあろうがある意味<成功者>が、「良かった」と、回顧する.

 多くが<状況描写>であるなかで、<高度経済成長>の意味を書いた箇所は、山内隆一氏著「風呂敷に包んで売り歩いた炊飯器」という、一文がある.
 「思うにこの販売成果には、高度経済成長を支える要素がひそんでいるように思う」と、その結びは、次のように示される.

 「ひとつは『おいしいご飯』というより高品質をもとめての消費拡大」
 「ふたつ目は、長期割賦販売方式の普及による需要拡大であったとおもう」.

 なかに、これぞ「高度経済成長の明暗」ともいうべき、投稿もみうけられる.
 「田んぼがテレビに化けた日」(65歳 男性)、「北朝鮮へ帰ったチームメイト」(66歳 男性)

 35本の投稿中、女性の投稿は管見のおよぶところ2名、か.

 「田んぼがテレビに化けた日」に象徴されるごとく、離農、向都離村で経営から雇用労働者化が、すすんだ.
 食糧需給率は低下して外国産食糧で養われ、定年制で年金依存者が増加するもその負担を若年者負担におしつけて、「少子高齢化」と言い続ける現象への、反省も課題も顧みられていない.

 案外、以上のような見解は、表にでなかった391本のなかに、あるのかも知れないが.
 経済総合誌のある意味、制約なのかも.
コメント (0)

書けない苦しみ、書斎での苦闘 重松清著「開高健 悠々として急げ」
 開高健の語り方.そのモデルは、次の部分なのかも知れない.

 「広告業界で書き手としての産声をあげ、『サラリーマンの友』とも呼ぶべきウィスキーの広告でヒット作を連発し、もうひとつの
『サラリーマンの友』たる週刊誌でルポルタージュを連載」「痩せすぎの体で『戦後』を疾走」(64p).

 本書は 1)「鼻の巻ー飢餓から飽食の時代へ」、2)「眼の巻ーベトナムで見つめた生と死」、3)「耳の巻ー闇に聞いた内なる声」、4)「舌の巻ー無と快楽の果てに」で、構成される.

 そこに開高健の示す戦後、著者=重松は戦後を「猥雑なまでのエネルギー」、「戦争の記憶が残っているかこその、慎ましさや理想といたものが(略)、横溢していた」と、読み解こうとする.

 開高が「書けなくなった」.そこを「見る」ことに「訣別し」(58p)、「見ることにこだわり、それがゆえに苦しんできたことがよくわかります」(60p)と、する.

「(開高のいらだちは)文学だけで亡く、八〇年代という時代、さらには日本そのものにも剥いていた」のではないと、思いをはせる.

 開高の作品について、重松の論について知見はまったくないが、「庶民の視座」(9p)として首肯できるものかと、いうことか.

 重松の指摘する「(庶民の視座が)いささか欠けている」とされた、司馬遼太郎が述べた弔辞のくだり.

「(司馬遼太郎は)西欧にあって日本の風土にないもとして「絶対」を挙げ、『夏の闇』の偉大な達成は「絶対」の代わりに(プラスもなくマイナスもなき東洋的ゼロ)『空』を置いたことある」(51p)を、引用しておく.
 (『知るを楽しむ 私の人物こだわり伝』 日本放送出版協会 2007年6月).
コメント (0)

ウォーターワールド テーマパーク
ウォーターワールド テーマパーク.
 一日、テーマパークで、人、ヒト、ひとの波.承知していたことでは、あるが.



 ウォーターワールド.バリエーションの変化は、このアトラクションによる、か?.



 ストレスの解消?、ストレスの蓄積?.文化の装置化は、その先に人類のロボット化が、ありかも.
コメント (0)

テーマパーク01 2015
 テーマパーク01 2015.孫を楽しませるのか、自分たちがたのしみたいの、か.



 テーマパークへの旅が、しばしば提案されまして.「行ってみよう!!」の話は、すぐにまとまります、よ.



 1月2日.ヒトの波は続きました.さすがに多かったです.午前10時.ヒトの列は、入り口へと押しかけていました.
コメント (0)

090708 外出(携帯電話写真)、
090708 外出(携帯電話写真)、どこへ、なにをするために出かけたのでしょうか.



 詳しいことは不明なのでございます.晴れて、気にいって、撮影したのでしょうねー.



 ほかのテータをもとに、なんのために、どんな外出であったか、調べてみます.いやはや.
コメント (0)

桃二題 季節


 季節です.桃二題.頃合いもよろしいようで.
 本州ではまだ、梅ですか.これからですね.春本格的は桃にかぎります、か.

 横になっていた桃、起きました!!.

コメント (1)

影うすいリベラル派 小選挙区制 
 保守本流.そういう位置づけが政権与党にあったと、思う.

 防衛、外交、経済.
 池田勇人、福田(父)、宮沢の流れか.現在では谷垣らしい.高度経済成長に象徴される.
 岸、佐藤は外交、防衛で日米安保や日韓条約で存在感を示した.

 時代は<中選挙区制>
 今は小選挙区制.総裁公認がとれるかどうか、安定多数、おすみつきがないと、<人物>では選挙を勝てぬか.

 リベラル派は<タカ派>の<踏み絵>を踏まされて、<公認>を獲得.
 踏み絵をはかせるの0が、<保守本流>につながる谷垣幹事長というのも、不思議.

 もっとも谷垣氏も野党時代の総裁時に、<憲法改正の党議決定>.メディアは、積極的に伝えなかった.
 <衣の袖から鎧>とは、こうした流れを示す、か.
コメント (0)

「今日の話題」に「寒すぎる家」.
 『北海道新聞』夕刊 150210.「今日の話題」に「寒すぎる家」.

 むすびは次のようになっている.

 「断熱性と経済性を両立させる工夫次第だろう.『冬をむねとする』
北海道の住宅は、もっと注目されていい」.(土江富雄記者).

 東京支社勤務に発令となり、駅に近い格安物件、通気性は抜群で、
「夏は節電を心がけ冷房なしでやりすごすことができた」と、ある.
 ところが迎えた初の冬.「断熱性が乏しいため、室内外の温度には
 ほとんど差がないようだ」と、書く.

 寒いだけではない.続けて、言及する.
 「寒暖差に伴う血圧の変動などが起こす『ヒートショック』の問題も、
 初めて身近に感じられた」と、続ける.
  そのうえで、「入浴時のヒートショックで、年間一万七千人が心肺停止に
 陥ると推計されており、当然ながら、浴場や脱衣所も冷える冬季に多い」とする.

  つぎがポイントであろう.「温暖な沖縄や、屋内の暖房が行き
 届いた北海道では、発生件数が比較的少ないことも、実感を持ってうなづける」.

  毎年夏、本市に避暑で滞在される首都圏からの客人は、多い.申しあげている.
 「釧路は夏の暑さ、冬の寒さを『ガマンすることなく』、過ごすことができます」.
  旅行者のみならず、地元民にも、「なかなか、理解していただけない」、が.
コメント (0)

冬花火 煎茶


 冬華火 煎茶.
 冬まつり.2月7日、夜の花火.遠くからながめて写真に一枚.

 フトコロ手して、煎茶を飲んでいたわけではないが.
 
 茶を淹れて一杯.
 コーヒー豆なら、この一杯で呑みおさめ.
 茶ならさらに2杯.抹茶なら茶ごと飲み込む.

 世に「コーヒー通が多くなって」との嘆きがあるも、それって煎茶、抹茶の旨味が理解されていないのでは.

 コンビニで500円そこそこの茶では、どうか.茶舗で1000円ほどは投資しない、と.贅沢?.

コメント (1)

耐寒性住宅01
 耐寒性住宅01.今冬、初の靴の乾燥.採暖器材のもとで、温風にさらして、日中の汗、湿気をとりのぞく措置.

 玄関におろして足をいれると、ぬくもりがある.

 冬、室内と室外の気温に差がないと、わずかな湿気で<履き物>が.シッカリ凍結する.凍結すると足がいれにくく、歩行でむりがかかる.なにより冷たい.

 以前はそのため、毎日、夕方の内に部屋にとりこみ、暖房器の周囲に置いた.

 いまはその必要がない.家屋の内外の気温差が維持されているので、乾燥もあたためることも不要.

 耐寒性住宅の、効能のひとつ.そういうことにしておく.
コメント (0)

戦略十訓 広告代理店
 某大手広告代理店の示す、十訓.紹介されている.

 1)もっと使わせろ
 2)捨てさせろ
 3)無駄遣いさせろ
 4)季節を忘れさせろ
 5)贈物をさせろ
 6)組合わせで買わせろ
 7)きっかけを投じろ
 8)流行遅れにさせろ
 9)気安く買わせろ 
 10)返品をつくり出せ.

 示す内容に「地球温暖化を考えましょう」などのお取引は、当社のおすすめではありません.

 そうは、なならないのであろう.「電通」とかいう会社ときいたが.
コメント (0)

モノつくり文化 寝具
モノつくり文化 布団綿打ち直し.地域の中で需要があった.

空気を入れて、増量をはかる.それがなくなり、布団小売りと卸売りが残った.

現在はそのいずれもがなくなって、貸し布団機能がのこる、か.

生活の欧風化.専用寝室.ベッドに敷きっぱなしでも、布団に湿気を帯びなくなった.

生活の欧風化は、寝具の素材も綿から羽毛に転じた.すると、打ち直しの必要もなくなり、提供はメーカーに一元化されたかのようにみえる.が.
コメント (1)

寝具の文化 自己流
 田型<間取住宅>、DK,LDK住宅、耐寒性住宅.

 住宅の移行は寝具にも変化をもたらしている.丹前がなくなり、敷布団、掛け布団の枚数が減って、毛布はタオルケットにかわった.
 室内気温と室外気温に明確な差異が生じた点にありそう.

 住宅の構造は、部屋の目的が単純化、一元化した.部屋をつないだ「大広間」がなくても良い一面、部屋は「多目的」から一元化して支障がなくなった.「子ども部屋」「寝室」「神仏・床の間は不要空間」となった.

 核家族かは不要な寝具の用意を節減し、親族でも自宅に泊まってと言うことがなくなった.「プライバシーの尊重」はこんなところにも変化を生じている.

 リサイクル、リユースから「使い捨て文化」への移行も、寝具をかえた.そういうことではないだろうか.

 小林布団店、モノつくりとモシリヤ、工藤工務店、これからも、などなど.
コメント (0)

朝まで看取って、無念 粟島


 粟島 新潟県.日に二便の交通.そこの<へき地診療所>.

 永年勤務の看護師が定年を迎える.診療「所に医師は不在.テレビ電話で診察と指示がすすめられる.当然、できることと、出来ないことがある」は、ご本人の弁.

 脳卒中のうたがいの患者がはこびこまれたが、荒天で船もドクターヘリも動かない.

 「朝まで看取って、でも亡くなりました」.都市なら、「救急車がすぐに来て、助かるのに」.

 唇をかむ.地域では、感謝に「ありがとう」の人文字.NHK総合、150207夜.
コメント (0)

北海道 戦後70年(下)
 離農・離村のヒトは、どこへ?.
 その一は札幌.昭和45年=100万人を超え、大都市へのアプローチ.建設業経営&同従業者が他の政令都市を超えるシェア.
 道民は道外には出ること少なく、札幌が人口ダムの位置に.

 バブルの増加.その典型は占冠(しめかっぷ)村.
 リゾート開発.「村には一円の金もないが、法の制約をはずすなら達人の良吏がそろっている」.それで農地はリゾート地に転じ、900人の雇用確保.人口は半分以下の減少から7割強に、復帰.
 離農もあったが、若者の雇用もできた.

 学者の見解.
 「北海道は国の政策と軸をひとつにして、発展」「政策がかわると、産業の撤退、人口支持力を失う」
 「(占冠村)トマムは国にさきがけて、自分たちで考えた」.

 本州の都合、日本経済が必要とした国内資源調達.
 その必要があったとき、「投資可能地」は「投資対象地」にむけ集中的に投資、労働力が必要であった.
 国外エネルギー、資源への依存.北海道への投資は、転換した.

 住民.みんなで二階にあつめられ、ほどなくハシゴをはずされた.そういうこと、あまり意識していないようにも、見えるが.
コメント (0)

「北海道 戦後70年~第1回 「戦後史の転換期 そのとき北海道の人々は」
「北海道 戦後70年~第1回 「戦後史の転換期 そのとき北海道の人々は」.

北海道開発の戦後史.その画期をみつけ転機の要因を、読み解こうとする、らしい.
 ポイントは、北海道内市町村を個別に5年間きざみで人口推移を示し、増減率を5%きざみで示している.

 昭和20年、北海道の人口は352万人で、東京都349万人と大阪府をうわまわる人口全国一の都府県と、示す.
 草加の要因は戦後復興の投資が、戦後復員の受け入れ先として機能した.
 「石炭は国内炭という考え、それが(エネルギーの)安全保障であった」(通産局職員).

 転機は昭和40-45年.
 その一は空知の炭鉱が閉山.
 「エネルギーの需要=産業の意向で、安い国外炭、石油に」(前掲)と、あっさり「エネルギー安保」をすてて、国外エネルギーの依存に.

 次は中富良野町.
 250戸の農家を移転させ、耕地は金山ダムに水没させた.
 石狩平野に5万戸の水田農家を確保するため、農業用水供給のダムとする.
 「食糧自給」「大土地経営の農基本農政」(農協運動研究者).
 「本州の離農率は10%、本道は30%」「本州では兼業で農家は残ったが、本道は離農」.「本道には兼業を可能とする労働力市場が狭隘であった」(公共政策研究者).
コメント (0)

「冥加」 田村顕允(あきまさ
 「冥加」 田村顕允(あきまさ).

 冥加の「冥」は冥土、冥界でつかわれるらしい.「暗い」「暗くて光がない様子」ということ、か.
 冥加の「加」は加護、加算でつかわれる.「くわえる」は神仏の加護をさすとする.

 あわせて「冥加」、「隠れていて見聞できないところからうける神仏の加護をあらわす」(『語源由来辞典』)、

 亘理伊達家.当主の邦茂に家老・田村顕允が提示したとされる.「政府の冥加にも」.

 冥加金などで知られる冥加.ここでは、「賛意がえられる」とのことか.
コメント (0)

富士 110313 for Hiroshima


富士 110313 for Hiroshima. ページがにぎやかになるように、もう一枚<富士山>、

 11年3月13日に家族と別便で広島市に.
  窓際の席に一人.震災後で、前日12日の便が欠航となり、搭乗した便でした.

 大地は揺れた、山も揺れたかもしれないが、みるからに堂々.
 しばし、見入っていた、です.

  その時を回顧して、ここでもう一回.
コメント (0)

博識 目利き 美食 
 白洲正子を元総理が論ずる.白洲は先輩にあたるも、細川家とは知己の間柄と言う.
 白洲について、「骨董」「近江」「お脳」「西行」の章.

 バックボーンに、まず教養.
 古典・漢籍.古典では記紀、古今集、伊勢物語などとくに室町以前を読みこなす.「この国の美、人間の精神を読む」(6p)と博識を紹介.

 骨董ー仏像、焼き物、書画に目利き.
 お能ー本来.許されぬ女性が舞台にたつ技量.
 近江ーくわえて美食.もてなし、案内先が楽しめると、語る.
 西行-.そこを今、読んでいる.(日本放送出版協会 2007年10月).
コメント (0)

ササラ 札幌路面電車
 ササラ 札幌路面電車.電車軌道を保守するため、運行している除雪電車.
 2月4日、NHK「もういちど日本」で、5分間の放送があった.
 想ったことは「あたりまえ」「スキ間」「勤勉.努力」.

 あたりまえー定時に電車を走らせる.そのために、日本のササ、タケを材料に、手作りで除雪のしくみを考えた.
 スキ間ー自動車と軌道輸送の併存.雪を遠くにとばさず、しかし確実に軌道から排雪.路線内で余白を上手に活かす、「すきま」の利用.
 勤勉・努力ー強力な機械、加熱で融雪、化学薬品の散布.汗をながさぬつもりなら、ほかにも方法がある.

 しかし、運行のあいまに乗務外の職員が、竹を釘でうち、針金で固定して電車の前にとりつける.なにより、エコではない、か.

 
 (ササラ 札幌路面電車 解説)
 冬の除雪装置を色々研究し、大正時代の終わりに札幌で発明されたのが、今でも使われているササラ電車
 前後に取り付けたブラシ状の竹のササラを回転させて走行し、線路上に積もった雪を掃き飛ばすというもの
 冬は降雪の有無にかかわらず毎日始発前に出動するほか、降雪時は昼間でもよく見かけることが出来る.
 http://pupupukaya.sakura.ne.jp/sappo/sasara.html
コメント (0)

札幌 宮ノ森


札幌 宮ノ森.そういうことになります.10年6月15日かに訪問.



 宮ノ森といえばジャンプ台です.現在ではノーマル・ヒルの競技名.
 往時は「70メートル級ジャンプ」、札幌五輪では「日の丸飛行隊」.
 金銀銅メダル独占.そのジャンプ台です.
コメント (0)

商人道、それは智恵と信義 藤本義一著「お金で買えない商人道]」
  商人道、それは智恵と信義 藤本義一著「お金で買えない商人道」.

 商人道の紹介につづいては、大阪、京都、近江商人の個性に触れる.

 たとえて言及・
 大阪=液体.ある意味チャッカリしていて、逞しい点があるとする.
 京都=固体.カッチリしていて、互いにカンカンあたる.
 近江商人=気体.人間同士の信頼感、信義が、いちばん厚いように思える(74ー75p).

 近江商人の子弟採用.「間に合っている」は「気がきく」ということらしい.近江商人は、近江で商売をするのではなく、他所に出て商い.大阪、京都の対比が重要視点.(日本放送出版協会 2006年6月).
コメント (0)

商人道、それは智恵と信義 藤本義一著「お金で買えない商人道]
  商人道、それは智恵と信義 藤本義一著「お金で買えない商人道」.

 商人道は「商人としての在り方」と書き、「智恵、信義と言っても良いでしょう」とする(6p).
 それは、「商人道からはずれたビジネスは成功しない」と、説示される.
 「商売は自分の利益だけを追求してはダメだ、お客様の利益を考えなければダメだ」と、近江商人の家訓を紹介する(7p).

 藤本義一が大阪商人の子弟と、本書で承知.
 最初の章では、長男であった氏に、後継者のための立ち位置、事業を発展させるための職業教育の場面が、展開される.(日本放送出版協会 2006年6月).
コメント (0)

見城慶和著「夜間中学校は僕らのふるさと」
見城慶和著「夜間中学校は僕らのふるさと」.なくしようとするも、なくすわけにはゆかない.そこに、教育事情の貧困が.

 グレーゾーン.
 夜間中学は制度として認知されたものではなく、昼間中学校の「二部授業」として存在するのだと、言う.

 通学生に時代を反映.
 1950年前後、通学生とは貧困、勤労、複雑な家族に翻弄された.「ラーメン一杯の値段で、一月生活」.教員は給料をもらうと、半分は教え子の腹の足しに、と.

 次には、帰国子女.
 中国からの残留孤児を含めて.漢字の用例に、「生活基本漢字381字」を、創作.
 「基礎」「履歴書」「衣食住」「身体」〔病院」「公共施設」「標識」「交通」「自然」「地理」「職業」「学校生活」「社会生活」「個人生活」.
 「履歴書」に必要な漢字.氏名男女生年月日父母兄弟姉妹住所本籍印履歴.
 なるほど、考えている.
 
 最後は、不登校、登校拒否.
 時代はかわった.中学校の卒業証書をうけていると、入学できない.そういうことなのだ.

 「ふるさと」
 過程にあって親としての責任は果たしていなかった、らしい.
 娘一家で、孫が「母さんとの会話がないの」と申したことをうけて、「ウッカリ、親子の対話がたいせつ」、と.
 すかさず娘は申したそうな.「あなただけには、いわれたくない」.
 「親を〔あなた」は、ない」と言いながら、家庭人でなっかたことを反省するクダリが関心.

 「吉川英治文化賞」.
 勲章には恵まれたが、家庭人ではなかった.「紺屋の白袴」とまではもうしたくないが(日本放送出版協会 2006年10月).
  
コメント (0)

11歳、音が情景と重なる なかにし礼著「死こそわが友」.「知るを楽しむ 人生の歩き方」
音が情景と重なる なかにし礼著「死こそわが友」.「知るを楽しむ 人生の歩き方」

 音が情景と重なる なかにし礼著「死こそわが友」.「知るを楽しむ 人生の歩き方」.

 「赤い月」は自伝的戯曲の話.「翔べ、わが想いよ」は訳詩から作詩家に転ずる、転換期.

 「目の前に二度と戻れない満州の風景が現れた」.
 小学校5年生のときに聞いた、ベートーベン交響曲の「田園」からの、感動(37p)が紹介されている.
 楽章ごとに満州の田園風景が浮かんだのだという.「自分と他人とは違う」と、意識したのだそうで.
 音を聞いて、すぐさま情景と結合.本人は「自分と他人とはちがう」と思う.そこに才能の片鱗を示していると、申すべきか.

 3章、「黄昏に歌え」は「石狩挽歌」に代表、歌謡曲作詩の時代.
 4章、「黄金の刻」で、作詩家から作家へ.どこが異なる.
 作詩は陸上競技にたとえると短距離.作品は作曲家、歌手を通じて、人に聞かれる.
 作家は、マラソン.ヒラメキだけでは作品にならない.ヒラメキを一ひねり、思想に高める一ひねりが必要とする.かつ、作家は読者に、自ら直接、語りかける、と.

 二度にわたり、心臓の病いに襲われた、自らの健康.
 1945年8月9日まで、なに不自由なく過ごした日がソ連軍によって破綻.命からがら逃げながら、父の死、帰還後から判明した兄のいい加減さ.生涯そのものに、失うことなくなった身の燃焼を「死=わが友」にこめている、か.(日本放送出版協会 2006年10月)
コメント (0)

商人道、それは智恵と信義 藤本義一著「お金で買えない商人道」
 商人道、それは智恵と信義 藤本義一著「お金で買えない商人道」.

 商人道は「商人としての在り方」と書き、「智恵、信義と言っても良いでしょう」とする(6p).
 それは、「商人道からはずれたビジネスは成功しない」と、説示される.
 「商売は自分の利益だけを追求してはダメだ、お客様の利益を考えなければダメだ」と、近江商人の家訓を紹介する(7p).

 藤本義一が大阪商人の子弟と、本書で承知.
 最初の章では、長男であった氏に、後継者のための立ち位置、事業を発展させるための職業教育の場面が、展開される.(日本放送出版協会 2006年6月).
コメント (0)