「北海道 戦後70年~第1回 「戦後史の転換期 そのとき北海道の人々は」
「北海道 戦後70年~第1回 「戦後史の転換期 そのとき北海道の人々は」.

北海道開発の戦後史.その画期をみつけ転機の要因を、読み解こうとする、らしい.
 ポイントは、北海道内市町村を個別に5年間きざみで人口推移を示し、増減率を5%きざみで示している.

 昭和20年、北海道の人口は352万人で、東京都349万人と大阪府をうわまわる人口全国一の都府県と、示す.
 草加の要因は戦後復興の投資が、戦後復員の受け入れ先として機能した.
 「石炭は国内炭という考え、それが(エネルギーの)安全保障であった」(通産局職員).

 転機は昭和40-45年.
 その一は空知の炭鉱が閉山.
 「エネルギーの需要=産業の意向で、安い国外炭、石油に」(前掲)と、あっさり「エネルギー安保」をすてて、国外エネルギーの依存に.

 次は中富良野町.
 250戸の農家を移転させ、耕地は金山ダムに水没させた.
 石狩平野に5万戸の水田農家を確保するため、農業用水供給のダムとする.
 「食糧自給」「大土地経営の農基本農政」(農協運動研究者).
 「本州の離農率は10%、本道は30%」「本州では兼業で農家は残ったが、本道は離農」.「本道には兼業を可能とする労働力市場が狭隘であった」(公共政策研究者).