2023年10月の記事


自身と同環境で育つ、工業製品化せず、売る者の都合で栽培しない 地産地消の意味&意義231028―前―
 自身と同環境で育つ、工業製品化せず、売る者の都合で栽培しない 地産地消の意味&意義231028―前―

 一面記事で、「地元食材をもっと家庭料理に」「釧路 地産地消普及団体が調理教室」の報道。市内を中心に配信の『釧路新聞』が伝えた。
 地産地消くしろネットワーク(事務局 釧路市)が主催とあるが、蚕業振興室が所管ということか。

 事務局は「地場産食材を使用した調理に興味をもってほしい」。そうした談話も掲載。
 以前、「出前講座」の枠組みで、担当職員の話を聞かされたことが、あった。
 「なぜ、地元産食材?」。経済的な意味、説明意外に、「ただ、それだけか」。そう思い続けてきた。

 奈良・法隆寺は建造後1300年、世界に誇る<木造建築物>。長持ちするのはなぜか。
 「法隆寺 長持ち 理由」のワードで、ネット検索してみた。
 1)に「檜材の特性」=伐採後100―200年の間に少しずつ強度を増し、1000年までかわらずに持続。
 2)に「(日本の)木材は厳しい環境の中で生き延びてきた」「日本の風土にあった木材が一番」。

 最後の「日本の風土にあった木材」の示す、意味を記載した情報はないか。
 あった。「FOREST PEOPLE」 https://tokaimon.net/blog/2017/04/27/post3157/
 「4 日本の風土にあった木材が使用されていない」の項目。
 その理由を2点、述べる。

 1)「環境にあっていない外材を使用」、
 2)「地元の木、それも生えていた時の日の当たる方向まで確かめて、それに合わせて『この木材はここに使う』と決めている」。
 2)は説明が必要だ。同じ環境で育った木材は四季によって成長、つまり伸縮の方向が異なるうえに、日のあたる方向まで確かめて木材の使用箇所と向きを決めるので、<歪み少ない>。

 この点は「日本の木造住宅は、耐用年数が低いと言われているのでしょうか。その理由はいくつかあります」。
 その項目で使用されていた。「地産地消=厳しい環境の中で生き延びてきた、風土にあった木材、食材」として、興味深い(後に続く)
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地球温暖化の時に、生物環境を考える視点。主唱点、その一。
 放送大学「自然と環境コース」=「生物環境の科学(’16) Environmental Ecology 」

 地球温暖化の時に、生物環境を考える視点。主唱点、その一。
 「環境の構成要素として、非生物的な条件がもっぱら認識されるが、周囲にいる他の生物もまた、環境の構成要素」
 二に、「生物はほとんどの場合単独では生きておらず、同種あるいは他種の生物と密接な関係を保ちながら生きているから」
 三に、「生物の生息に影響を及ぼす環境条件について、生物的条件や景観に関わる条件なども含めて説明」。

 各回のテーマと授業内容
 第1回 生物にとって環境とは何か
 第2回 気候と生物
 第3回 地形と生物
 第4回 植生と植生遷移
 第5回 植生と動物との関係
 第6回 水域生態系における生産者と分解者
 第7回 生物的環境
 第8回 生態系における撹乱
 第9回 景観生態学的要因
 第10回 人間による環境改変1:都市化
 第11回 人間による環境改変2:農村の場合
 第12回 人間による環境改変3:河川の改変とその生物への影響
 第13回 生物多様性と進化
 第14回 生物の進化1:種分化と種間関係
 第15回 生物の進化2:孤立した生物生息場所が持つ意味 執筆担当講師名:加藤 和弘(放送大学教授)

環境の構成要素、生物間の密接な関係、生息に影響を及ぼす環境条件 放送大学「生物環境の構成要素」231006
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採炭現場生産単位、技術伝承、相互扶助 「友子」と質されて231027
採炭現場生産単位、技術伝承、相互扶助 「友子」と質されて231027、以下の三点で応じていたが。

1)採炭現場=切り羽で「先山、後山」を担う生産単位。請負採炭の生産量算定の基礎単位となる。
 2)「親分、子分」の擬制的家族関係を通じた「技術伝承」システム。
 3)組員の傷病、 その家族を含めた相互扶助活動。

 因みに「友子制度」の項で、
 ①. 徒弟制度を基礎にした、鉱夫の技能養成と、
 ②労 働力の供給調整、
 ③ 労働者による自主管理、
 ④ 相.互扶助活動であった。この相互扶助活動が鉱山労働者の共済活動であった.(永野俊雄著「企業内共済会制度の歴史(1)『友子制度』」)

 「先山」「後山」に関して、以下の記載。
 炭鉱の採炭現場(切羽(きりは))での労働者の名称。
 直接石炭の採掘に従事する労働者を先山といい、採掘した石炭の運搬に従事する労働者を後山または後向(あとむ)きといった。
 一般に先山1人と後山1人(ときには2人)で一つの労働単位を構成し、後山は先山の指揮命令に従った
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道東の四季最終章「グリーンレイク(庶路ダム)の紅葉」 釧路湿原シニア大学231024
 道東の四季最終章「グリーンレイク(庶路ダム)の紅葉」 釧路湿原シニア大学231024

 釧路湿原シニア大学(釧路市中 高齢者講座)のバスツアー2023ー2で訪問。
 快晴、気温、カメラに順光、風もなく湖面静謐。要するに申し分のない、好条件。
 参加者は38名は、その雄大な景観と雰囲気を満喫して、大満足。

 履修の氷雪、弥生3月のキタミフクジュソウとコブシ、5月のエゾヤマザクラ、10月の紅葉。
 道東の四季。そこを飾るにふさわしい光景。その第4章は、このポイントではないだろうか。
 「道東の花ごよみ」。その試みが形ウニなりますように。

 話題になった点は、「白糠十景」とは、なんだろう。
 1.パシクル沼の夕日、2.石炭岬の日出、3.茶路川砂岩脈、4,・・・・・・・。
 必ず加わる「グリーンレイク(庶路ダム)の紅葉」。

 車中、「音別八景」「鶴居十景」は聞いているが、と。さて、さて・・・・・・・・。
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鶴ケ岱
 「ひょうたん池」の造成年代 鶴ケ岱公園ひょうたん池 造成年代と意味231106

  ①大正5年8月、本多静六博士により春採公園計画が作られ、その一部として厳島神社遷宮予定地とされた。
  ②『釧路郷土史考』ではの項で「茂尻矢に敷地を選み地均に着手昭和四年八月敷地の竣功を見たり」とする(156ページ)。現在その跡地には相撲場などがある。
  ③ひょうたん池は神社敷地の前庭に位置するものとして掘られた。工事は刑務所囚人が行ったという話を聞いたことがあるような気がするも定かではない。
④忠魂碑は日露戦役の英霊を祀る(同 57ページ)。
⑤因みに春採公園計画は、男子高等小学校開校・浄水場設置のほか住宅が密集したうえに、公園設置理念に国民の体位向上が加えられたこともあって、改訂計画「春採公園改造計画」がまとめられた(昭和12年)。
⑥この計画は戦争のため実施にいたらなかったが、昭和22年になって計画区域をそのまま都市公園として決定し、
  ⑥昭和24年から同26年にかけて《ひょうたん池》を中心に約6.1ヘクタールの事業を実施し(『春採湖』232ページ)た。
⑦昭和26年7月、公園内に釧路市立郷土博物館を移転した。昭和27年発行の『講和記念市制施行三十周年写真帳』には《ひょうたん池》周辺の景に「鶴ヶ岱公園」の名称を用いている。
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国有林
 1)首都圏移住後、「東京六大学の一つに進学。地域のことを調べて記載、公刊した」との報を得た。その存否を確認中。存在するなら是非、手に入れたいもの。
 2)戦前に採掘していた「中野炭鉱」が、「(太平洋炭礦)新尾幌二坑」を経て、戦後「新八千代炭鉱」となった。
 3)上尾幌駅から尾幌駅の途中に「キラク」集落=神代川上流のあったことを記憶している。その丘頂部に「池」というか、「(木材竜操の)トメ」というか<水たまり>があった。釣りに出かけて発見した。確認してみてはどうか。
 4)「大東炭礦」住宅一区の奥のところに池があった。
 5)国有林&炭鉱の出産物輸送の<馬追>は20人くらい居た。根本さんの話では「安達蹄鉄所に来る馬追は弟子屈、標茶・尾幌からも依頼があった」と、いうことだ。

 父・良之助は「2)中野炭鉱」で帳場を務めていた、そこにはのちの忠次町長も一緒に働いていた。汽車の切符取り扱いも務めたそうで、住民から信頼されたようだ。
 戦後、「役場に来ないかの誘いもあった」「昔の同僚が(先に入所して)上司となっているのはイヤだ」。そうした思いで、郵便局に勤務することになった。のちに役場駐在所が設けられるが、のちに掛端さんが勤めた。

 国有林・石炭・鉄道で生まれた地域 戦前から戦後への移行230930
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『塩の道』理解の幾カ条 富岡儀八著『塩の道を探る』(岩波書店 1983年)
差塩 さしじお にが味のある品質の悪い塩。よく精製されていない劣等な塩
真塩 ましお  純粋な塩。煮つめて苦汁(にがり)を取り除いた上質の塩

北塩 日本海岸から入ってくる塩が「北塩」
南塩 太平洋岸からのものが「南塩」

塩のブランド性
「斎田塩 さいだしお」 阿波国撫養(むや)塩田(鳴門市)で生産される塩
「若狭塩」「三河塩」「能登塩」「竹原塩」「赤穂塩」


因みに「いわき市三和町の「差塩(さいそ)」の地名由来について知りたい」とある。
地名では別な読み方になるも。

『塩の道』理解の幾カ条 富岡儀八著『塩の道を探る』(岩波書店 1983年)
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弱っていおる
2020年6月から、「現場は弱ってきている」の論を耳にするようになった。「言ってはいる」が、「書かなかった」というわけでもなかろうに。
  1) 2020年6月 総合雑誌の報文に、
「鉄鋼業界シェアがインドなどに抜かれ」「省エネ・省資源は1973年段階で足踏み」。
2)2023年9月 若い就業者「100万人減少」の衝撃、も のづくり大国ニッポンを襲う「人口激減の深刻すぎる影響」 9/27(水) 6:49配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb7ec6a827754fa4f45bb6750b8a880cca258976 現代ビジネス
3)2023年10月 日本の研究現場は弱ってきている 国がきちんと科学分野に
https://ananweb.jp/news/511449/ an an web  2023年10月19日

 政府の使命の一つは「富の再分配」。資産を必要な領域に配分し、相対的な<底上げ><国際競争力><外貨吸引力>を深化・拡充することではないのか。
<モノつくり>の弱体化、<国際競争力>の低下、<円価値評価>の低迷。
 国民に蓄積された<含み資産>の蒸発。
 
 未来に希望を持てなくなった。「若い就業者『100万人減少』の衝撃」。
 「円安で賃金が低い」で「海外への出稼ぎ流出」。
「論文に引用される回数をカウントする注目論文の数」が、「かつては4位、日本はイランに抜かれて13位に」。

 総理!!、
 国内にノーベル賞受賞者が選ばれたとき、「にこやかに電話」すること、心されては。

 受賞はあなたの手柄ではなく、「なんとか科学研究費を注ぎこんできた時代の産物」なのだ、
 堀潤氏は申す。「クラウドファンディングは、資金集めの持続可能な方法ではありません」。
 「国がきちんと科学分野に投資できないのは問題だと思います」。

 人への投資、軽視・等閑視される国・ニッポン231019
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生態系 食物連鎖 生物多様性 生物学概念の提唱者&提唱年代231015
 ●生態系=(生態系の)考えは19世紀末ごろからあったが、1935年にイギリスの植物学者タンスレイ(A. G. Tansley 1871-1955)が生態系という概念を提唱し、広まった。
https://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&ecoword=%C0%B8%C2%D6%B7%CF 
一般財団法人環境イノベーション情報機構

 ●生物多様性=1985年、全米研究評議会による生物学的多様性フォーラムの計画中に、W.G.ローゼンによって造語された。また「Biodiversity」が初めて公式文書に使われたのは、1988年に出版された昆虫学者・生態学者エドワード・オズボーン・ウィルソンによるこのフォーラムの報告の書名。 →Wikipedia「生物多様性 」

 ●食物連鎖=Charles Sutherland Elton(1900―1991) 『動物の生態学』(1927)のなかで「食物連鎖・生態的地位・個体群動態」を示した。→日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルトン」
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内需拡大→不動産・海外投資→バブル崩壊→19971117都市銀破綻→長期デフレ 誰の都合か「アベノミクス」.
 内需拡大→不動産・海外投資→バブル崩壊→19971117都市銀破綻→長期デフレ 誰の都合か「アベノミクス」.

 日米首脳会談。その結果、求められた内需拡大。日本掲載も金融界も、ここぞチャンスとばかり技術革新、モノつくり開発、環境保全で雇用力を高めなかった。
 人材に投資するを「紆余婉曲」と知ったか、もはや受験勉強の苦しみはゴメンとばかりに、マネーゲームに走った、か。
 目に余り、国際的にも呆れられる点もあった、不動産・海外投資。

 結果はバブルがハジケて、北海道拓殖銀行ほかの破綻となった。「日銀特別融資」、つまり公的資金の融通で急場をしのいだ。
 その後の金融機関。「
 「平成―バブル崩壊の後始末とデフレ対策に追われた金融界 https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00470/」

 1)株価上昇、
 2)円高是正、
 3)失業率改善=非正規紅葉の数字も織り込み、見てくえれの失業率改善?。

 4)成長政策、国内需要拡大は機能せず、信櫃管理でも<リコール届出>が相次ぐ。モノつくり能力の低下と環境政策で欧米に後れ取る。
 5)企業はマネーゲームと買収に備え、内部留保宇の蓄積に奔走、
 6)効果の効果の顕在化しにくい経済政策はとらずに、中央銀行の金融政策でしのごうとする劇薬効果をねらう。

 「効果の顕在化しにくい」は「票にならぬ」と同義にして、「劇薬効果」は「自身を鍛え、それぞれが汗したくない」政策の選択。
 人事で「政府と中央銀行の独立性」なる「聖域侵犯に積極的な総裁」を送り込み、メディアには対立と忖度を求めて、<黙らせた>・
 舌の浮くような敵か味方かを峻別するか<軽い言葉>に載せられ、<粗相・哲学不在の総裁>を選んだ、与党の面々に長期政権を許した。そういうことではなかったか。
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選挙勝利、保守岩盤層に応える政策 退任後、やっと顕在化 メディアの「アベノミクス検証」。
ともかく投票所に行こう!!。支持政党なし主権者が、時の政治の動向で、投票先を変更する「政治に緊張感」が欠かせない。

選挙勝利、保守岩盤層に応える政策 退任後、やっと顕在化 メディアの「アベノミクス検証」。

「アベノミクス 受益 企業」と検索欄に記載すると、証券会社の投稿が上位で、次々にヒット。
1)アベノミクスを象徴する好調な日本の企業収益 - Nomura 巻頭言2017年秋号
https://www.nomuraholdings.com>zaikai>journal
2)アベノミクス効果を実感しつつある日本企業(日本) - SBI証券PDF 
https://search.sbisec.co.jp>info>fund>report 2014年6月13日
3)アベノミクス下の企業財務 - 日本証券経済研究所 PDF
https://www.jsri.or.jp>publish>research>pdf 証券経済研究 第113号(2021年3月)
4)日本経済見通し:「アベノミクスの光と影」を 検証する PDF
https://www.dir.co.jp>report>economics>outlook  2014/11/25

第二次安倍政権始動後、隠しきれなかったのか、成果を示したかった、か。

「アベノミクス 恩恵」でヒットする上位は、メディアで埋められている。
5)貧困層とお金持ち「アベノミクス恩恵」の大格差/「格差が拡大した」との通説をデータで検証する 『東洋経済』 2020/09/20 16:00
6)アベノミクス 巨額借金 恩恵は大企業、家計冷え込む 『中日新聞』 2020年8月29日 05時00分 (8月29日 05時00分更新)
7)アベノミクス 巨額借金 恩恵は大企業、家計冷え込む 『東京新聞』 2020年8月29日 05時00分 (8月29日 05時00分更新)
8)アベノミクス光と影 株でもうけた人、「蚊帳の外」の人 『朝日新聞』 安倍首相辞任へ 2020年9月1日 19時58分

公表の時期は退任後の時期に集まる。しかもその論調、なかなにシンラツ。というより、的を得てるの感。そこから、有権者はなにを考える。
ともかく投票所に行こう!!。支持政党なし主権者が、時の政治の動向で、投票先を変更する「政治に緊張感」が欠かせない。
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「阿寒の山は一個人のものにあらず」 ご神体に線引き「公有林」「民有林」231014
間伐 生育林の一部を伐して立木の密度を低くし、残余の樹木の肥大成長を促して、森林全体を活性化する。
『広辞林』 第七版 2018年の記載を翻訳すると、そうしたことか。

「観る森」に加えて「育てる森」、「創る森」の概念があるではないか。
森を育てることが水を収める。神を怒らせずに、神を楽しませて、カムイ・ミンタラ=神々が遊ぶ庭。
阿寒の秀麗。その総体が「ご神体」。文化7年「久寿里場所之図」に「阿寒祠」の記載。

それより先、寛政11年記録に「くすり乃たけごんげん」の背銘を刻した円空仏がケボロイ洞窟(現 豊浦町)からこの地に移した点が記録されている。
阿寒の山=ご神体はアイヌ民族の信仰にして、本州側移住者にも受容された信仰対象。「自然の威力」に畏怖する、「地域の知恵」として定着するに至る。
「観る森」「育てる森」「創る森」 「阿寒の山は一個人のものにあらず」 ご神体に線引き「公有林」「民有林」231014

大雪山 〜カムイミンタラ〜https://www.daisetsu-kamikawa-ainu.jp/story/daisetsuzan/
360度広がる大パノラマ。万年消えることのない大雪渓。
から落ちる優雅な滝。天空に広がる湖。百花絢爛と咲きほこる高山植物。ここにしか生息しない美しい高山蝶。一面に広がり燃えるような紅葉。

そこで神様が舞い踊ります。
アイヌの人々は、その美しい大雪山をカムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)と呼び、崇敬と畏敬の対象としました。
石狩川が向かう場所です。
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始まって四半世紀余、1996、09年、⒅年=3点の画期 スーパー・大型店の元日営業
 始まって四半世紀余、1996、09年、⒅年=3点の画期 スーパー・大型店の元日営業

 家族団らん 大型店 元日開店 このキーワードで、ネット検索をしてみた231012
 ヒットした中から、これは。
 そう思う情報の第一が「スーパーの元日営業について.どう思われますか?」(ウエッブアンケート番外編 実施日 2003年1月2日~1月12日)。

 そうか、「大型店」ではヒット数が少なく、ここは「スーパー」でなければいけないのか。
 「元日開店」でもなく「元日営業」とするのが良いらしい。しかし、2003年ころには、その是非を論ずる、何かがあったのだろう。
 手掛かりになるののは 『ウィキペディア(Wikipedia)』の「元日営業」。ここには「(定義に相当する記載」「歴史」「元日営業の自粛を求める動き」の三項目。

 そこによると、画期は3点にわかれそう。
 1)1996年にダイエーとイトーヨーカドーが大手スーパーで初めて、全国規模で元日営業を開始。
 2)2009年頃から「売上がそれほど伸びない」「従業員の福利厚生」を理由に、中小スーパーを中心に元日営業を取り止めるか、縮小する動きが広がる。
 3)2018年頃からは、働き方改革の一環として元日営業を取り止める企業も増えつつある。

 2022年にむけ、関西圏では「年始の営業見直しが定着」とnhk&日本経済新聞が報じる。
 1)nhk 関西のスーパー 元日休業など年始の営業見直しが定着 スーパー、年明け休業拡大 https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20221228/2000069548.html  関西 NEWS WEB
 2)日本経済新聞 年末年始の営業見直し スーパー、年明け休業拡大
  https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78719070T21C21A2LKB000/ 12月28日 16時49分
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壮大な金融実験、欠けた生活視点、好循環生み出せぬ背景 礼賛のなかに辛口評を三点「黒田日銀総裁 10年間」231010
 壮大な金融実験、欠けた生活視点、好循環生み出せぬ背景 礼賛のなかに辛口評を三点「黒田日銀総裁 10年間」231010

「黒田日銀総裁 10年間」のキーワードでネット検索。
 あいつぐ好意的、礼賛記載のなかで辛口評を3点。なぜか朝日、佐賀、東京の
三紙ではあるが。
 「黒田日銀10年の異次元緩和 『壮大な金融実験」の結論は・・・。これは有料記事。最後までは読めない。

 確かに。そう思わせてくれたのは『佐賀新聞」。一口に明治維新は「薩長土肥」とは申すも、ここでは薩摩・長州に一呼吸。
 女性記者の追及が話題となる『東京新聞」。こちらは「経済の好循環を生み出せなかったのはどうして?」。

 『佐賀新聞」の依拠するポイント、ここでは二点。
 超低金利と株・不動産の価格押し上げを柱とする金融政策は企業寄りで、生活者の視点に乏しく、時に応じて政策を柔軟に見直す姿勢も欠いていた
 企業にしてみれば借入金利の軽減をはじめ、保有する株や不動産が値上がりし、恩恵となったのは間違いない。その上、超低金利策が円安を誘発したため、輸出企業は為替差益で潤った。

 黒田日銀総裁 10年間。高評価の投稿は、「超低金利と株・不動産の価格押し上げを柱とする金融政策で恩恵をうけた企業」。
 それにもう一つ、低金利融資があったから資金繰りをつづけることのできた、倒産にいたらなかった企業。ネットはそこを「ゾンビ企業」などと申しているも。
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ヤッパリ 金満球団が<投手力に負担>かける要因 落合博満談「何て練習しない球団」231008
 ヤッパリ 金満球団が<投手力に負担>かける要因 落合博満談「何て練習しない球団」231008

 プロ野球。テレビの中継で眺めることがある。組織の管理術&構成員の育成能力が成果を発揮しているや、否や。
 その名をいえば、著名な老舗球団。入場料も、放送権料も<ひときわ高額>の報を聴くも、成績はそこそこのここ、数年。
 日本シリーズに出ても0勝4敗とは、いかがなものか。

 リーグ内でも特定の投手を打てない。そもそも「初物に弱い」は、このチームの伝統であったが、二度目、三度目には攻略できたではないか。
 自軍投手の「タマカズ」に比べ、相手投手に投げさせる級数との差。いつもそこに注目しながら、テレビ観戦している。
 淡白、ネバレない、諦めが早い。そこのところを、暴露した。そういうわけでもあるまいが、23年10月8日、かつて在籍の落合博満の回想談話。

 「ジャイアンツというのは、何て練習しない球団なんだろうと思ったよね」。「中日が特に練習しているというわけではないけれど、それでも中日よりかなり練習しない」。
 「我々のロッテ時代から比べれば……あのころの半分以下、3分の1ぐらいの練習量じゃないかな」(『激闘と挑戦/落合博満』・鈴木洋史/小学館)。
 あるときの日本シリーズ。「たいしたことない、ロッテよりも弱い」。3連勝のあと、そううそぶいて、反発を買った選手がいた。結果、4連勝されてシリーズを敗退したが。

 落合博満 巨人 練習 https://news.yahoo.co.jp/articles/b864ffe313362350d9d72d0d5990911b13ca5a22
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気温上昇→海水温上昇→カラフトマス俎上減少 ヒグマに極端なエサ不足231009
 気温上昇→海水温上昇→カラフトマス俎上減少 ヒグマに極端なエサ不足231009

道内配布紙の一面で大きく「知床エサ不足深刻 人里へ:「マス俎上激減、木の実不作」「気候変動影響、慢性化も」。
「内樹皮まで」の記載は「(白糠町内の国有林で)クマがトドマツの樹皮をはぎ、内樹皮を食べた跡を発見」。異常性の一つ。
「知床に生息するクマは、河川五遡上するカラフトマスなどを主食としており、エサを求めて人里に出ることは少ない」とは、言うものの。

 識者は申す、「温暖化の影響で植物の生育時期がずれている。クマの食べ物が少ない時期が長くなり、人とクマのあつれきが増えている可能性がある」、と。
 市街地、民家。それも大都市・札幌で。記事は「市街地への出没がさらに増える可能性があるとみている」。そう、結んでいる。
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漁業者 森 13ヘクタール 福岡 『毎日新聞』231005
 森里海連環学。
 それを読んだのは東北、三陸海岸の牡蠣増殖漁業家の記録。森を育てる、その営為を通じて。
 生きる悦び、生きる楽しみ、生きる力強さ&支えられている枠組み。そこに刮目したい。

 ネットで『毎日新聞』が伝えていた。023/10/5 15:53 漁業者 森 13ヘクタール 福岡 『毎日新聞』231005
 漁業者たちが海や川の上流にある森を育てることで、豊かな漁場を取り戻すきっかけに。

 福岡県八女市上陽町の森林を漁協が支流の両岸を購入。
 二つの漁協がそれぞれ7.7ヘクタールと5ヘクタール。あわせて13ヘクタール弱を購入した、と。
 ノリの養殖者らでつくる漁業者が組織する漁協。

 漁業者の信条。
 「水系から注ぐ水が豊かな有明海を育て、その恩恵を私たち漁業者が受けている」。
 「(森林に降った雨は、腐葉土などの栄養分を取り込み)ゆっくりと川や海へと流れ込む」。

 「その栄養分を植物性プランクトンや海藻が吸収し、魚はプランクトンを食べる」。
 「そのおかげで、矢部川ではアユやモクズガニ、ウナギなど、有明海では養殖ノリやアサリ、ガザミなどの漁が盛んだ」。
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江差追分
江差追分 その源流部は?。江差追分←小諸節←モンゴルの系譜があるようで。

小諸節→江差追分の系譜は、宮下正司氏が「定説はないが・・・・・・・」。
江差と小諸節保存会とは交流があるらしい。その保存会副会長が「実は小諸節には、モンゴルの・・・・・」。
そのあたりの関係を、「ミツカン水の文化史 https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no54/06.html」で、伝えていた。

記載あり。
「北国街道と北前船を経路とし、小室節→追分(現・軽井沢)節→信濃追分→越後追分→江差追分という伝播ルートがおおまかにたどれる」
「小諸市の御牧ヶ原にあった最大の牧でモンゴルからの渡来人が馬の飼育に携わり、望郷の念に駆られて歌ったのが原型ではないか、と。モンゴルの古謡『駿馬の曲』とメロディーが酷似しているんですね」=〈渡来人起源説〉
(正調小室節保存会」の中山喜重(きよしげ)会長)。

nhk4K「よみがえる新日本紀行」231007
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日蓮
天命&致命 ラジカル化した師匠に習う門弟またラジカル化 知命=50歳の決断

 南都北嶺の信仰(律、華厳、法相、俱舎、成実、三論+真言、天台)に「教判=自宗の立場から他の仏教を位置づけ」。
 教判には段階的、統一的とする、他者を肯定する思想がある。
 空海の立場では、1)真言密教、2)華厳仏教、3)法華仏教

 1268年、文永5年。蒙古は国書を本邦に届ける。時に日蓮は48歳。
 まもなく「知命=50歳」に近い日蓮は二つの思いに<かられる>。
 天命=法華信仰を弘めることにささげる。致命=余命いくばくもない今、いままで以上に法華信仰の弘通=ぐずう に捧げる。

 この決意は、「ラジカル化した師匠に習う門弟またラジカル化」に展開。
 思想的に「是一非諸 ぜいちひしょ 一を肯定し、それ以外を否定する立場」(ただし「是一非諸」は日蓮を批判し、日蓮を幕府に訴えた人々のキーワード)に傾斜。
 鎌倉新仏教の特質=「選択 せんちゃく」と「専修 せんじゅう」が「教判=段階的、統一的」から「一を選び、(他を)全部否定」の見解に。

 栄西・道元=只管打座、法然・親鸞・一遍=専修念仏、日蓮=専唱題目。訴えをうけた幕府は、日蓮とその門弟、くわえて蒙古襲来にあわせて坂東在住の反社会的=悪党的行動階層を一掃(「文永8年の法難」=佐渡流刑)。
 (高木豊談「日蓮―鎌倉仏教の諸問題ー」 国立教育会館編集『教養講座コース43 歴史を動かしたひとびと』 149~160p)
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遊歩庭園の内苑&葬場の外苑 明治神宮 森 本多静六201103
 遊歩庭園の内苑&葬場の外苑 明治神宮 森 本多静六201103

 体の弱かった昭憲皇太后のために明治天皇が遊歩庭園として整備した東京府下豊多摩郡代々幡町(よよはたまち)代々木に内苑(社殿と林苑)。
 内苑から少し離れた明治天皇葬場殿跡の敷地27.3ヘクタールに外苑を造営。
 (上原敬二)「日本には日本式庭園や神社林、陵墓などの日本独自の造園がある」
 (そこに共通するのは)「生命力を実感させる永遠性や自然性、深い奥行きを感じさせる空間性や精神性」。

 「第三、神社林は多種の樹種で構成する」
 「政治家からは伊勢神宮のようなスギ林にすべきだと強く要請された」が、
 「林学的な見地から、この土地は水分不足であり、隣接地を走る汽車のばい煙により枯死するためスギは不適である。さらに植栽樹木を自然林へと遷移させる」

 1912年7月に崩御されると、翌々日
 東京市長の阪谷芳郎(さかたに・よしろう、1863-1941)や実業家の渋沢栄一(1840-1931)らが「明治神宮の創建」を提唱。
 内苑は国の予算で、外苑は国民の寄付で実現すべきだという方向性までも明記。
 (進士 五十八「明治神宮の森: 林学者や造園家によるナショナルプロジェクト」 2020/6/10  https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00866/)

 明治神宮は二度訪問。
 一度は2002年元日の午前。山手線で訪れた。二度目は2010年のことであったか11月8日のこととおもう。
 今、「エリートの壁」に辞官した人物が、「自然の威力」と「地域の知恵」に刮目しつつ、政権を担うエリートに「イヤとは言わせず」「その通りにしないと国際的に見識が疑われる」に誘導した人物を記載している。
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田村博士の一行 摩周屈斜路調査 310628「阿寒国立公園指定前後」
 田村博士の一行 摩周屈斜路調査 310628「阿寒国立公園指定前後」

 1)大正14年8月16日 阿寒湖の風景は世界に冠絶する 厳正論の美は天下の珍宝 斯界の権威田村博士激賞
 2)昭和2年7月28日  阿寒紹介に保勝会設立 屈斜路湖摩周湖も編入運動 国立公園案内図作成
 3)昭和3 我国に於ける国立の公園問題 本多静六博士「天然公園 九 阿寒湖周辺」 田村博士のまとめた国立公園16候補地
 
 4)昭和6年6月12日  阿寒一帯国立公園期成同盟成る 市郡代表満場一致 費用分担其他スラスラ決定
 5)昭和6年7月4日   浮気は大の禁物 目標は阿寒唯一 これが大成を期する所以 大雪山抱擁は将来
 6)昭和6年6月28日  田村博士の一行 摩周屈斜路調査 絶勝大いに気に行った模様 今朝九時当別発阿寒に向ふ

 7)昭和6年7月9日   調査委員一行顔触 近く来道の国立公園 七日までの決定者は十二名 外に公園調査会幹事も加わる
    (本多静六 含まれる)
 8)釧路全市を挙げ 昨日盛大に祝賀会 阿寒国立公園指定記念 功労者百余名に感謝状 弟子屈川湯舌辛足寄も祝賀

 今年、指定90年に相当。注目される点ではあるも。
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農政
洪水防止、植樹奨励 寛文6年「諸国山川掟」。

 大石慎三郎著『江戸時代』で紹介の一節・
 一七世紀末期の江戸幕府の森林政策。時は新田開発進展期で、あいつぎ田畑の新規造成がすすむ。
 ために森林が切り開かれて洪水が現実に発生し、さらに被害が拡大する懸念があった。

 そればかりではなく新田開発が進み過ぎて、労働供給が追い付かず開発はすすむも放置されたままで荒廃地になってしまうことになった。
 幕府は掟書を出す。新田開発により三倍強の耕地面積を確保することができた。
 が、労働力不足を生じただけでなく、山川国土の荒廃と古い田畑の管理低下を結果した。

 そこで「開発至上主義政策」=開発万能主義農政に反省を加え、「本田畑中心主義」=園地的精農主義農政に方向転換する(60p)。
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鉄道開業30年、産業活動支援の機能が集積 1930年比定『釧路市街図』
 鉄道開業30年、産業活動支援の機能が集積 1930年比定『釧路市街図』。

 釧路駅が現在の位置に移転(1921年12月)、鶴屋百貨店開店(30年9月。
 上水道完成(27年7月)、幣舞橋永久橋か、防火帯としての北大通=黄線 整備。
 翌年9月には釧網本線開通と新釧路川通水が予定されていた。

 釧路駅&幣舞橋を軸にした「中心街」の形成基盤。
 駅をつうじて釧路炭田に位置する諸炭山からの購買・通学・通院乗客。
 魚菜市場、金物、鍛冶。ほかにも運送店、問屋、鉄道工場。

 橋南に発生した諸業種の多くは、住民の生活必需品を賄う民生用であった。
 しかし、橋北に定着した「魚菜市場、金物、鍛冶。ほかにも運送店、問屋、鉄道工場」は、産業活動支援の業務用むけであった。 
 なにより、鶴屋百貨店が開業し、中心街に「買い回り店機能の意味」を与えることになった。

 中心街の中心街たる所以(周辺のみならず、域内からの求心力が確立)

 釧路~白糠間鉄道開業後30年目に発行された市街図。
 新釧路川通水工事がすすみ、至る所にみられた沼が姿を消した。泥炭湿地の乾燥化。未利用地点が、利用可能となった。
 昭和7年8月。50個の行政字名と地番設定が完了し、「自然発生的に拡大した中心街の秩序・体系化」がはかられる。
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