鶴ケ岱
 「ひょうたん池」の造成年代 鶴ケ岱公園ひょうたん池 造成年代と意味231106

  ①大正5年8月、本多静六博士により春採公園計画が作られ、その一部として厳島神社遷宮予定地とされた。
  ②『釧路郷土史考』ではの項で「茂尻矢に敷地を選み地均に着手昭和四年八月敷地の竣功を見たり」とする(156ページ)。現在その跡地には相撲場などがある。
  ③ひょうたん池は神社敷地の前庭に位置するものとして掘られた。工事は刑務所囚人が行ったという話を聞いたことがあるような気がするも定かではない。
④忠魂碑は日露戦役の英霊を祀る(同 57ページ)。
⑤因みに春採公園計画は、男子高等小学校開校・浄水場設置のほか住宅が密集したうえに、公園設置理念に国民の体位向上が加えられたこともあって、改訂計画「春採公園改造計画」がまとめられた(昭和12年)。
⑥この計画は戦争のため実施にいたらなかったが、昭和22年になって計画区域をそのまま都市公園として決定し、
  ⑥昭和24年から同26年にかけて《ひょうたん池》を中心に約6.1ヘクタールの事業を実施し(『春採湖』232ページ)た。
⑦昭和26年7月、公園内に釧路市立郷土博物館を移転した。昭和27年発行の『講和記念市制施行三十周年写真帳』には《ひょうたん池》周辺の景に「鶴ヶ岱公園」の名称を用いている。