2009年01月の記事


「牛舎④」
<<インド>>--ヴァラナシ--


牛舎で牛の世話をする少女の姿。

彼女は一体何をしているのだろうか。

牛の餌を作っているのか、それとも運の糞を丸めて団子状にして壁に貼って乾燥し、燃料にする作業をしているのか。

こうして若年者が牛舎の労働をする主役である姿は、日本では見られなくなった光景であろう。

彼女は作業をするのに、裾の長いサリーを、腰に巻いて邪魔にならないようにしているのも、生活の知恵であろう。

嫌な顔をせず、一生懸命汚れ作業に従事する彼女の姿には、胸を打たれるものがあった。
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「牛舎③」
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街の中にある牛舎の光景第三弾。

餌場に並んで餌を食む牛たちの姿。

此処にいる牛たちは、どうやら全て雌牛のようである。
牛乳を搾取するのが目的で、肉を食べるのが目的ではないから当然の事ではあるが。

牛舎の奥の方には、どうやら山羊なども飼っているようだが、こちらも山羊の乳を搾るのが目的なのであろうか。

驚いたのは、この牛舎が有るのが、街のど真ん中で、メイン通り脇なのである。

日本なら匂い公害でたちまち問題になるところだろうが、インドは流石に大らかである。

インドでこれだけ規模の大きい動物の飼育場を見たのは、この時が始めてであった。
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「牛舎」
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街の中にある牛舎の光景。

こちらは放し飼いでなく、牛舎の中で牛たちが飼育されていた。

牛乳を搾乳するのが目的で、このようにたくさんの牛が飼われているようである。
たくさんのバケツが置いてあるのは、搾った牛乳を受けるための容器である。

搾った牛乳は殺菌加工などせずに、そのまま売人が容器に入れて、街に売りに行くのである。

驚いたのは、この牛舎が有るのが、街のど真ん中で、メイン通り脇なのである。

日本なら匂い公害でたちまち問題になるところだろうが、インドは流石に大らかである。

しかも此処の仕事に従事しているのは、子供達が大半だから感心する。

しばらくはこの牛舎の模様を紹介したい。
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「談笑」
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何処の国でも、女性は立ち話が好きである。

道端でサリーの女性が二人、話に花が咲いているようである。

二人は友達なのか親子なのか知る由もないが、賑やかな街の喧騒を他所に、二人だけの世界に浸っているようである。

サリーは、インドの女性の民族衣装だと言うことは知っていたが、実際にインドに行って見て、今でもほとんどの女性がサリーを着ている事に、驚いたものである。

たぶんインド女性にとって、サリーを着ることは、インド女性の誇りであると思っているのであろうと感じたほどであった。

日本では和服を着ることが、特別の時以外稀になってしまったが、最近若者層の間で、日本古来の和服の良さを見直す傾向が出てきたと、ニュースで報じられていたが、ちょっと嬉しい話題である。
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「乗り合いタクシー」
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このオートリキシャは荷台(客室)がちょっと変わっている。

通常は後席が、縦に二列になっており、身内や知人が数人乗れるようになっているが、この車は左右に二列になっていて、どうやら知らない人同士が乗れるバス形式のタクシーのようである。

従って乗客は他人同士だから、気晴らしに外でも眺めているといった所であろうか。

勿論大型のバスもあるが、このオートリキシャは、好きな所で乗る事が出来、好きな所で降りられ、しかも乗車賃が安いから、庶民の足として便利なのに違いない。

但し、窮屈で乗り心地が悪いと言う点を除けばの話であるが・・・

しかし、このサリーの女性は降りる時に、一体どうやって降りるのか、ちょっと気になるところである。
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「川になった道」
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インドの雨季の道路は、絶えずこのような状態になるらしい。

周辺に住む人々は、それを嘆く事を諦め、むしろ川になった道を歩くのが楽しみのような感さえある。

この青年も、私がカメラを向けたらニコニコしながら裸足で水の中を歩いて来た。

後ろからやってくるサリーの女性は、裾を濡らさないように、たくし上げて歩いている。

下水道の完備の遅れは、家を建てる方が自衛の策で、絶えず水が出る場所では、家の土台に段差を付けて高くしているのである。

こんな場面は、まだまだこれからも至る所でで出てくるので、驚かないで欲しい。
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「ラッシュアワー」
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渋滞で身動きが取れなくなった自転車と人力車の群れ。

この先の道路が、雨季で冠水しているために、全ての車や自転車、通行人が徐行するためにご覧のような、ひしめきとなってしまった。

低地の道路のあちこちで水が出ているために、そこを通り抜けるのに一苦労である。

我々はこの時車に乗っていたので、膝まで浸かるほどの水の中を歩かないで済んだが、下水道が完備されていない道路は泥水が物凄い。

家の土台が、道路より高いのは、絶えず雨季には水が出るからであろう。

伝染病などが流行らないのが不思議だと、皆で話したものである。
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「視線②」
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公園で一人で遊んでいた少年の横顔。

彼の見る視線の先には、一体何が見えるのであろうか。

太陽が当り眩しそうだが、聡明そうな彼の目には力が宿っている。

今日は深夜の1時過ぎからアメリカ初代黒人大統領オバマさんの就任式をずっと見ていた。

演説の中で、彼の祖父も明日の食事にことを欠く貧民の生活をしていたと有った。

しかし今はその孫の私が、こうして国家の舵取りを任せられる人間になることが出来た、と世界の変革に対する感慨を述べていた。

その場面と重ね合わせて、この少年も今は貧しい環境の中で暮らしているが、何時かは強い意志と希望を持って、新たなインドを支える一員となることを願わずにはいられない。

彼は堪能な英語で、この公園の脇にある遺跡寺院の説明をしてくれたのである。
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「視線」
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家のドアを開いて通りの様子を眺めている男性の姿。

この家の家主であろうか、監獄のようなコンクリートの家の軋むようなドアを開けて、厳しい顔を出して辺りの様子を伺っている。

たった一つ有る窓も、鉄格子が嵌まっていて家の暖かさが伝わって来ない。

家のあちこちには黒カビがはびこって、まるで遺跡のようである。

しかし家の前には古い自転車と一緒に、真新しいバイクが置いてある。

おそらくこの家の物ではないであろうこのバイクは、誰かが駐車して行った物であろう。

こんなアンバランスな光景が存在するのもインドの現実の姿である。

そうは言っても、この男性にとってこの監獄のような頑丈な家は、掛け替えの無い彼の城なのであろう。
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「虚構と現実」
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あちこちで見掛ける街角の光景。

たくさんの映画のポスターが貼られた中を行く、人々の様子は険しいものである。

虚構の世界を描く映画と現実の生活実態とは、かなりの落差を感じる光景だ。

インドは世界でも有数の映画の製作本数を誇る国だと聞いた。

何故だか理由は分からないが、現実の世界が厳しいだけに、映画で日頃の鬱憤を晴らすのだろうか。

我々も散策をしていて、オートリキシャを運転する若者から、ムービー、ムービーと声を掛けられた。
映画館までタクシーに乗って行かないかという意味である。

昔の日本がそうであったように、映画館の中では、ヒーローが登場すると拍手喝采して、盛り上がるのだと言う。

それにしても、このたくさんのポスターを建物の上の方まで、どうやって貼るのかと疑問に感じるほどである。
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「道端で」
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この母娘は一体道端で何をしているのだろうか。

良く見ると、どうやら小麦粉を練ったようなものを、団子状にして売っているようである。

前に載せた露店のおやじが、この団子状のものを揚げて売っていたシーンが有ったように思える。

それにしても、脇に居る娘は、周囲を憚らず、あられも無い格好で、粗末なアルミの器から食べ物を手で摘んで食べている。

生きるための所業とは言え、何とも壮絶な光景である。
しかし、この娘が哀れっぽさを感ぜず、逞しくさえ思えるのが救いである。

通り掛ったサリーの女性が、母親の傍によって何かを話しかけている。

きっと頑張って生きて行ってくれと、励ましているのであろうと、勝手に善意に推測したものである。
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「繁華街」
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ヴァラナシの街の目抜き通りの光景。

繁華街と言っても、日本の銀座や新宿などとは、かなり様子が異なる。

高層ビルは無いし、道路標識も無く、オートリキシャやバイク、人間がごちゃ混ぜになって行き来している。

道の端には牛ならぬロバまで放し飼いで居るのが見て取れる。

赤い何かの広告が、ずっとはるか彼方まで続いて、否が応でも目に入ってしまう。

インドの街の昼間は、何処でも人や車でごった返しているのである。
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「驚きの光景」
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一見何の変哲も無い光景だが、此処に映し出されているものは驚愕に値する。

何が驚きかって…こちらを見る少年か少女か見分けが付かない、可愛い子供の大きな目ではない。

店先に立て掛けられている梯子らしき物である。

アラムさんが、あれは何だか分かりますかと聞いたので、即座に梯子と答えた。

しかしそれは見事に外れ、何と死者の遺体をこの梯子状の上に横たえて、ガンジス河まで担いで運ぶ道具なのだと言う。

更にその脇で売られている綺麗な布は、死者に掛ける聖布なのである。

この話を聞いた後、二件ばかり実際に遺体を運んでいる場面に遭遇したものである。

ガンジス河沿いに有る火葬場も見学したが、撮影禁止であり、その場面はお見せ出来ないが、ガンジス河が一望出来るその場所は、無蓋の広い場所で、たくさんの遺体が荼毘に付されていた。

例えようのない匂いが周囲に立ち込め、鼻を摘んで周囲を一巡したものである。

灰になった遺体は、係員がガンジス河にスコップで投げ込んでいた。

こうして人間は、聖なる河に還る事により、昇天出来るのだと言う。
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「道の真ん中で」
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この黒い牛は一帯何を瞑想しているのか。

道路の真ん中で、小用を足した後、目を半眼に開いて、モウと啼いていた。

何かを要求しているようだが、彼の気持ちは知る由も無い。

見ようによっては汚い光景だが、インドの人々には日常の事なので、何も感じないのであろうか。

このように何処へ行っても、放し飼いの牛が居るのは、我々にとっては極めて非日常の事だが、これがインドでは日常の姿なのだから、国によって習慣とは不思議なものである。

豚肉や鶏肉は平気で食べるインド人は、牛乳は飲むが、牛肉は決して食べないと言うのも、おかしな話ではある。

もっとも、どの牛も痩せているので、あまり美味そうではないが…。
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「店先④」
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ちょっと目にとまった店先の光景。

インドでも、今や世界的飲み物になったコーラが売られている。

しかし店先に山積みになったコーラのケースは、そのままケースから出して、売られるのかと疑問に思った。

40度近い酷暑の中で、壜の中の炭酸が破裂するのではないかと気になる。

それに冷やしてないホットコーラなんて、どんな味がするのかと、想像が付かなかった。

ほとんどの家庭には、冷蔵庫は無いだろうし、仮に有ったとしても、常に停電が起こるインドの電力事情では、あまり冷蔵庫に頼ることは出来ないだろう。

文化生活に慣れ切った我々には、インドで生活する事は、かなりハードなことのようである。
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「街角」
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雑然とした街角の光景。

道路を補修するのだろうか、道端には泥が山積している。

この時期、雨季だったから、アスファルトで無い道路は、雨に流されて沈下するから、そこにまた泥を敷いて固めるのであろう。

交差点に有る信号機はライトが点いていない、仮にライトが点灯していても、木の枝に遮られて良く見えないのではないだろうか。

人々は何をしているのか、皆所在無げにうろついているといった感じだ。

それでも、あくせくせずに、自分達の住む街の環境に、のんびりと適合している雰囲気が伝わってくるのである。
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「ある光景」
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一見何の変哲も無い街角の光景だが、良く見るとインドの実態が垣間見える。

石の壁一杯に貼られた映画などの広告の数々。

その端には丸裸の少年が、壁の端から家の方を覗き見ている。

破った広告紙で下半身を覆っているのは、微かな羞恥心の表れであろうか。

家の前では、青空床屋で、髪か髭を剃ってもらっている男の姿が見える。

この裸の少年は、一体何を見ているのだろうか。

見ようによっては、何か食料になるものは無いかと、探しているようにも思える。

インドでは、このような光景を随所で見掛けるから、日本の現在の不況とは、比較にならない貧しさが現存しているのが実態である。
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「運転手」
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オートリキシャを運転する男のアップ。

私の脇に来て、タクシーに乗らないかと声を掛けた所をパチリ。

人の良さそうな男なので、断ると直ぐに去って行った。

それにしても何ともおんぼろな車である。
まるで廃車場から持ってきたような有様である。

方向指示灯は壊れ、フロントガラスも破れている。

しかしこの運転手にとっては、この車が一家を支える重要な財産なのであろう。

日本では、道交法でこんな車を走らせる事は、禁じられているが、インドでは、そんな法律はとても通用しないのであろう。
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「繁華街」
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様々な目的で街を行き交う人の群れ。

目抜き通りともなると何処へ行っても人で溢れ返っている。

うかうか歩いていると、車やバイクの警笛で驚かされ、気を付けて歩かないと危険なくらいだ。

足早に歩きながらの撮影で、映像もかなりぶれてしまっている。

買い物をする人、足早に通り過ぎる人、人人人でごった返す街の中、流石に世界第二の人口を誇るインドではある。
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「孤独な子牛」
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たった一匹で、街の繁華街を彷徨う、痩せた子牛の姿。

一体この子牛はどこから来たのだろう、他に牛の姿は見当たらず、街の交差点に佇んでいる。

傍には、この子牛を見守るかのように、誰かの胸像が建っている。

我々以外は、誰もこの子牛に関心を示す人は居らず、典型的なインドの街角の様子であろう。

アラムさんの話だと、これらの牛は飼い主が必ず居て、夜には飼い主の元へ戻って行くのだと言う。

それにしても、親牛はどこに居るのかと気になったものである。
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「牛の群れ」
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沐浴場から火葬場に向かう途中で出合った、道一杯に牛歩する牛達。

いくら今年が牛年だからといって、こうたくさんの牛たちが、道を塞いでのさばられると、いささか閉口する。

放し飼いの牛達は、行動が自由だから、人に危害を加えることは無いが、それでもこれだけ図体がでかいと、人間が彼らを避けて通らなければならない。

人間よ、そこのけそこのけ、お牛が通る…と言った所だろうか。

この牛達は、一体餌をどこかで与えられているのかどうか、疑問に感じるのは、どの牛もあまり肥っておらず、絶えず餌を求めて歩き廻っているからである。

インドの食糧事情は、一部の富裕層を除き余り良くなく、当然牛達の食べ物もあまり無さそうだから、食べ物を漁るのは、仕方の無い事なのであろう。

我々旅行者は、レストランで出される料理を、とても食べ切れずに残してしまうが、人も牛も、食べるために行動している様子を見て、申し訳なく感じたものである。
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沐浴②
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「沐浴②」

ガンジス河の沐浴の光景その2。

まだ夜が明けぬ、暗い内から沐浴を開始する人々の姿は、鬼気迫るものがある。

この女性たちは、一体何処から来たのだろう。
着替えや食事を持参し、荷物だけでも相当な量である。

聞く所によると、広大なインドのはるか彼方から、何日も掛けてこのガンジス河で沐浴をするために、やって来るのだという。

周囲の目を憚らず、この場で入水するための着替えをし、河の中へと入っていくのだ。

河に繋がれている船は、本来は観光客を乗せて、船の上から沐浴風景を見せるための物であり、我々も当初は船上から見学する予定であったが、この時期雨季で河が増水しているので、危険防止のためにインド観光局より、船を出す事を禁止されていたため、残念ながら実現しなかった。

沐浴光景は、まだたくさん有るので、また機会を改めて載せる事とする。
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沐浴
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ガンジス河で沐浴をする人々の光景。

聖なるガンジスで沐浴をするのは、全てのインド人の願望であると聞く。

しかし聖なる河とは程遠く、上流から運ばれてくる土砂のために、河の水は泥水と化し、とても我々にはこの河に入る勇気は無い。

人々は河の水を口に含みうがいをし、用意してきた空のペットボトルに、この聖水を満たして持ち帰るのだという。
衛生的には極めて危険なように思えるが、免疫力のあるインド人には、大丈夫なのであろうか。

白いドレスを着た若い女性は、最初ドレスの汚れなどを気にして、躊躇していたが、やがて皆と同様、河に浸り、頭から水を被っていたものである。
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「平和への祈り」
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ガンジス河の夜明けに向かって、祈りを奉げる僧の姿。

まだ暗い内に、ガンジス河の沐浴光景を見に行った。

やがて夜が白々と明け始めた頃、この荘厳な祈りの儀式は始まった。

この高僧は祭壇で祈りを奉げた後、ガンジス河に向かい、鈴を鳴らし、灯明をかざして人類平和の実現を願って祈りを続けた。

この光景は、今回のインド旅行の中でも、深く印象に残った場面である。

虚飾を捨て、裸の質素な姿で祈るこの僧の姿は、沐浴をする信者や我々観光客にとっても、感銘を与える光景であった。
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「明けましておめでとうございます」
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今年は牛年、インドの牛君のドアップで新年のご挨拶。

前載のリンゴを失敬した牛君の、更なるアップのポートレート?である。
馬面と言うのは聞いたことが有るが、牛面もまんざらではない、と言った所だろうか。

せめて元日くらいは、ユーモラスな牛顔のアップで明るく過ごしたいものだ。

去年はあまりにも暗いニュースが多過ぎた。

今年は、牛歩でも良いから、ゆっくりと全てが右肩上がりになって欲しいものである。

牛君、よろしく頼むよ。
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「のんびりと」
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裸足で自転車を漕ぐおじさんがやって来た。

ゆっくりした調子でのどかな雰囲気だ。

道路わきに置いてあるバイクは、新品のようで結構綺麗である。

道端に生い茂る夏草は、インドの暑さを物語っているようだ。

電柱は日本の物と違い、意外と高く形状が面白い。

今年もいよいよ押し迫り、遂に大晦日を迎えた。

猫の手も借りたいほどの忙しさだが、そんな煩雑さから逃れて、こんなのんびりとした雰囲気で、年を越したいものだと、今年最後の写真を載せた。
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