2023年06月の記事


桑都・八王子から駐屯&太田屯田兵村の桑並木 <海のシルクロード>東端の到達点
  桑都・八王子から駐屯&太田屯田兵村の桑並木 <海のシルクロード>東端の到達点

 絹への強い思い入れ。そうした歴史過程で生じた<あこがれ&悲哀>を想定する事柄二題。
 寛政11年5月、兼ねて申請のあった甲州街道を守護する八王子同心の蝦夷地警備が認められた。
 蝦夷地でものちの胆振国勇払の地と、同じく釧路国白糠の地ながら、この二点を選定したのは移住を受け入れる幕政担当者であった。

 1)蝦夷地内で農耕・蚕業も可能であり、人手が多数あれば開地のうえから好適、
 2)ことに蚕業の地たる八王子からの移住は好ましく、警備の上でも従来の経験が生かされ、
 3)将来は一行の中から、蝦夷地政策を担当する者を選んで委任させることができるかも。

 『休明光附録 巻之四』書斎の「六」文書にはそうした記載がある。
 農耕に、かつ養蚕業適地で勇払、白糠を選定したわけではない。勇払は勇払川―石狩川経由で太平洋―日本海を結節。白糠は阿寒川経由、網走川で太平洋とオホーツク海を結ぶ。
 当時、政策課題であった「樺太―千島 双方向体制」を維持する、共に好適地であったのだ。

 甲州街道沿いで「江戸警備のため農耕兼業」の集団は、近代において「屯田兵」として制度と警備思想が継承されている。
 その屯田兵の一団に「太田屯田兵村」があるが、現在、兵村中心部には委嘱した「桑並木」が残されている。
 北海道開拓使の初期統計をみると、「養蚕」の統計項目に「太田」があるも、実績は空欄となっていた。

 志は尊かったが、実績を残すこともできなかった。しかし、注目すべきことがないでは、ない。
 幕末の統計に「ネモロ 鰊粕 17581貫」「ネモロ 鰯粕 5056貫」や「アッケシ 鰯粕」などの記載を読むと、横浜・兵庫開港後の「江戸地廻り経済」が<厚み>を増したことをうけ、そこに寄与した流通があったのかと、想定される。
 つまり、横浜を通じた生糸輸出に直接の関係は薄いが、間接的機能は当然あった。そうした作業仮説を用意しておく。
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中国
 8ミリカメラからの中国 佐藤憲正著『中国ファインダーのぞ記』(1985年 自費出版)

 1982年10月末から同11月初旬にかけ旅した中国。
 「香港」「広州」「成都」「重慶」「武漢」「宣昌」「西陵峡」「丘陽と洞庭湖」「広州と仙山と」と紹介される。
 「あと書きに代えて」では「行く先々の見聞や感想が中心」としつつも、「その土地の歴史や人物の略伝、それに自分の思い出などもからませ」と、続ける。

 出版舎に務めて定年退職後、橋本義夫氏が主宰する「ふだん記」とする結社の「文友」として参加した。
 「下手でもよい書こう」がモットーで、その呼びかけが「どれほど気楽に筆をもたせてくれたことか」。そう、受け止めていた。
 「橋本義夫 ふだん記」と入力するに、「自分史の先駆的な試みである「ふだん記(ぎ)運動」の理論的指導者」とヒットする。

 著者について幼児から、聴かされてきた。「憲正は中支に派遣された、南支に行った人はマラリアで苦しんだ」。著者の葉は、筆者にとっては祖母の弁であった。
 本書を通じて応召暦をみるに、次の三点がある。「昭和17年8月 応召 兵役に服す」
 「昭和19年3月 中国(無錫)に渡る」「昭和20年8月 中国江蘇州にて終戦」「昭和21年1月 福音」。

 著者にはもう一冊、『自分史』の出版があったことになる。
 ともかく「千島に派遣されることになっていたが、なぜか中止命令が出て、乗船しなかった」。
 後世に知る。昭和19年3月16日16時。中部千島得撫島にむけ釧路港を出航した日連丸ほか三隻は、港外で待機中の米軍潜水艦に襲われた。

 日連丸は釧路郡大字昆布森村沖で沈没する。「厚岸沖89キロの洋上」とされ、生存者は43名。
 遭難者の遺体は厚岸・正行寺、筑紫恋(つくしこい)や大黒島(だいこくじま)、昆布森村(こんぶもりむら)の海岸のほか、はるか東北地方沿岸にも漂着。
 派遣先変更がなければ、この4隻中に乗船していた可能性はきわめて高い。事件は承知していたが、そのことを著者に伝えた記憶はない。
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ポスト地域で付加価値を拡充するため 脱炭素、非製造物主義、AI&IoTの時代230624
 ポスト地域で付加価値を拡充するため 脱炭素、非製造物主義、AI&IoTの時代230624

 6月24日、対談のコーディネーターを担当することになった。夕映え&朝焼けの美しい<東方の重要港湾都市>。
 そう申しても戦略不足ではないか。
テーマは「釧路の<これまで>と<これから>」、と。シナリオを考察。記載してみる。

 『のぞいてみよう釧路はこんなところ』刊行記念=著者&企画者対談
 Ⅰ.対談 釧路のこれまでと、これから(要旨)         佐藤 宥紹
 (一)執筆するに至った経緯と出版の意義
 A.高校生に理解できる「釧路学」を示すことができた
 B.釧路商工会議所編『くしろ検定公式テキスト』=「優等生であった釧路を記載」、ポストテキストが不可欠であった。
 C.市民が読んでも有意義な出版となった。→「出版契機」は配布資料Ⅱ

(二)取材・執筆時のエピソード
 D.なにしろ地域からの撤退・縮小のスピードに記録即応が難しかった。
 E.短期大学側が「出前授業」を普及させた時に「いっとき入学」を実施。
 F.日本製紙㈱釧路工場抄紙部門停機反対署名を募る時、くしろ検定終了。→「石炭火力発電・抄紙停機」取り巻く背景は配布資料Ⅲ

 (三)執筆してみてあらためて気づいたこと=伊藤先生にぜひ、聞いてみたい。
 G.新学習指導要領改訂による「社会に 開かれた教育課程」を重視」の考え方。
 H.石炭、古紙&新聞新聞用紙、軌道輸送体系の機能衰退
I、<脱炭素、非製造物主義、AI&IOT>のポスト釧戦略

 (四)釧路の魅力とは
J.潜在能力の深さと幅の広さ。K.多くの市民が十分に理解し、活かそうとして居ない「伸びひろ」。
L.「魅力」は「一眼ぼれ」に似る。《意味と意義を明示》できる可能性。

(五)これからの釧路に期待すること
 M.「育てる力」「支える力」が脆弱になってしまった点を、克服したい。
 N「想像する力・創造する力」不足を、豊富な公共と外部投資が支えた。
 O「我が事」意識を高め「調べる力・考える力」を鍛えては、いかが。
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誰が聞き出すのか 聞き出す人を鍛える<編集文化>の再構築230622.
 誰が聞き出すのか 聞き出す人を鍛える<編集文化>の再構築230622.

 田中邦衛が死去居した。駆け出しの記者に追悼記事の原稿を書くように指示がでた。
 思案した若手女性記者はメモに「山田洋二」とある電話番号に電話をしたら、「山田です」。
 事務所ではなかったのだ。本人にが出た。名を告げて謝ったが電話を切った。

 締め切りは翌日に迫っていた。締め切りの当日、気を取り直して必死の思いで同じ電話番号に電話をした。
幸いに記者の希望がかなって取材に応じてくれた、と。
 『週刊朝日』は23年5月30日で休刊となった。
山田洋二監督に話を聞く。この<聞きだす人>の存在がなければ、山田監督が自らネットに書けばよい。そういうことか。

 紹介は「主役はずばり『働く人のランチ』。. サラリーマンの昼食(サラメシ)」で知られるnhkG番組での照会。
 最終ジャーナル』は随分、購入したが『週刊朝日』は子供心に難解であった。

 「芸能人のスキャンダルやエロ記事、“独占告白”や“衝撃スクープ”とは一線を画し」
 「不景気が続く中、2000年代以降にネットが一気に普及すると、右寄りの論調が俄然、勢いを持つ」
 「週刊誌斜陽の時代に、読者が被る『AERA』と『週刊朝日』の2誌がある意味は最後までわからなかった」 https://www.cyzo.com/2023/05/post_346243_entry.html 230622 15:38閲覧。

 ネットで話題になって、それから活字媒体を手にする。
 その時、「良質な記事でも“朝日”という看板があるだけで、ネットでは嫌われてしまう傾向は強かった」。
評者の論は厳しい。この時代の波は<なに>か。

 別な評論に「雑誌ジャーナリズムの置かれた深刻な状況を象徴するものとして大きな波紋」とも、ある。
事象と読者の間に、「編集者」が居る。<著名人から 「聴いておきたいこと」を聞き出してくれる層がある>。
 そこを「編集文化」と呼んではいかが。情報を手にするに、投資をして入手、情報をコストかけて創る。

 その大いに<ムダ>と見える部分を、支え、育て、創る枠組みがなくなって、次になにが来るのか。
情報の氾濫。しかし、情報のクォリティの低下は必然なのでは、ないか。
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週刊朝日
 誰が聞き出すのか 聞き出す人を鍛える<編集文化>の再構築230622.

 田中邦衛が死去居した。駆け出しの記者に追悼記事の原稿を書くように指示がでた。
 思案した若手女性記者はメモに「山田洋二」とある電話番号に電話をしたら、「山田です」。
 事務所ではなかったのだ。本人にが出た。名を告げて謝ったが電話を切った。

 締め切りは翌日に迫っていた。締め切りの当日、気を取り直して必死の思いで同じ電話番号に電話をした。
幸いに記者の希望がかなって取材に応じてくれた、と。
 『週刊朝日』は23年5月30日で休刊となった。
山田洋二監督に話を聞く。この<聞きだす人>の存在がなければ、山田監督が自らネットに書けばよい。そういうことか。

 紹介は「主役はずばり『働く人のランチ』。. サラリーマンの昼食(サラメシ)」で知られるnhkG番組での照会。
 最終ジャーナル』は随分、購入したが『週刊朝日』は子供心に難解であった。

 「芸能人のスキャンダルやエロ記事、“独占告白”や“衝撃スクープ”とは一線を画し」
 「不景気が続く中、2000年代以降にネットが一気に普及すると、右寄りの論調が俄然、勢いを持つ」
 「週刊誌斜陽の時代に、読者が被る『AERA』と『週刊朝日』の2誌がある意味は最後までわからなかった」 https://www.cyzo.com/2023/05/post_346243_entry.html 230622 15:38閲覧。

 ネットで話題になって、それから活字媒体を手にする。
 その時、「良質な記事でも“朝日”という看板があるだけで、ネットでは嫌われてしまう傾向は強かった」。
評者の論は厳しい。この時代の波は<なに>か。

 別な評論に「雑誌ジャーナリズムの置かれた深刻な状況を象徴するものとして大きな波紋」とも、ある。
事象と読者の間に、「編集者」が居る。<著名人から 「聴いておきたいこと」を聞き出してくれる層がある>。
 そこを「編集文化」と呼んではいかが。情報を手にするに、投資をして入手、情報をコストかけて創る。

 その大いに<ムダ>と見える部分を、支え、育て、創る枠組みがなくなって、次になにが来るのか。
情報の氾濫。しかし、情報のクォリティの低下は必然なのでは、ないか。
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「柿の渋さ<日光の働き>で甘みに転ずる」 相田みつお筆「21日・・・『のに』がつくと愚痴がでる」
 あんなにしてやったのに
 「のに」がつくと
 愚痴がでる。 みつを

 かくある卓上カレンダーの一枚。月の21日用に用意されている。
 題して『相田みつを作品集 トイレ用日めくり ひとりしずか』ということらしいが、拙宅では居間に据え置きの棚の上にある。
 「家族がかわった」「親子関係が昔のようではなくなった」「子が独立すると、親を置いてゆく」。悲鳴とも思える声が聞こえるようになった。

 そうではないか。 「二人に<ひとり>はお一人さま」「無縁家族」。
 いずれも天下のnhkが放送で示した用語ながら。
 そこに孤立、孤独に置かれている姿を垣間見るは、自身のみか。

 「他者を<孤独>の中に置き去りにしない」「自身を<孤独>の中に置き去りにしない」。
 そこを自身にも、そして周囲にも呼び掛けている。
 キッカケはお一人の女性。「私、日に一度、叔母の話相手に<住まい>を訪問しています」。

 「(筆者は)そうですかー、それは尊いことで」。
 爾来。高齢者学習システムの理念「百歳までの人生、なにゆえに<学ぶ>か」の中軸に据えている。
 愚痴・怒り・そねみ。生涯につきものながら、否定をするまい。

 「柿の渋さ<日光の働き>で甘みに転ずる」 相田みつお筆「21日・・・『のに』がつくと愚痴がでる」。
 上手に齢を重ねてほしい、賢く生きてほしい、知恵で地域社会を支えてほしい。
 そうでは、あるまいか。 
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日高山脈以西に<遅れ>とっていないか 狩勝峠以東の港湾都市での水素基本戦略230614
 日高山脈以西に<遅れ>とっていないか 狩勝峠以東の港湾都市での水素基本戦略230614

 政府が6年ぶりに見直しを進めたらしい水素基本戦略。
 6月14日朝、nhk解説委員が紹介を加えた。その解説。」
中から最初に「しなくても良い論議」なのかもしれないが、課題を3点。
 1)水素の価格は現状では天然ガスのおよそ5倍。
 2)現状では水素は気候変動対策にはほとんど役立っていない
 3)「燃やしてもCO2を出さない」と言っても水素の生産段階でCO2を出している。
 
 遅れとってよいのかの論は、このマチにもすでにある。そこでnhkが示したメリット3点。
 4)第一に、燃やしても二酸化炭素を出さない。
 5)第二に、再エネをためる蓄電地のような役割を大規模に担える
 6)第三に、蓄電池にはないメリットとして直接燃料や原料としても使える。

 一応、<燃やしても二酸化炭素を出さない次世代エネルギーとして注目される『水素』>と広く言われる。
 「水を電気分解して水素を作る『水電解装置』や水素を燃料として電気を生み出す『燃料電池』など9つの分野を中核となる戦略分野」にと、いうことだ。
 政府は、「水素は脱炭素、エネルギー安定供給、経済成長の“一石三鳥”をなしうる産業分野だ」(官房長官談話)との紹介もあった。

 ここまで聴いている点。
 7)室蘭港は市と会議所が提携して基地誘致を構想している。
 8)石狩新港においても大手がバックに名乗りをあげて石狩・上川圏域をカバーすることめざしている、と。
 9)然らば狩勝峠を超えた釧勝根北。北見・網走国をカバーするのは釧路港か石狩新港か。

 2021年8月の製紙会社抄紙部門停機を前に、製紙会社に営業項目に含めてほしい分野に「水素燃料」を市は持ちかけた。
 2019年秋から市内の経済団体の一部で議論の対象となった。一部に関心を寄せる識者が講演をされ、「経済界の関心事にならない、なっていない」と発言さsれている。
 石炭・新聞用紙搬出&原料の中古紙搬入。取扱貨物量の落ち込みを補てんする対象が<観光客>。

 港湾は第一義的には貨物の通年取扱。ヒト様の<瞬時利用>は本意ではあるまい。
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戦争はさまざまな<極貧生活>を国民に強要する」 高等教育機関で「釧路と戦争―暮らしの中の十五年戦争」を230620
「戦争はさまざまな<極貧生活>を国民に強要する」 高等教育機関で「釧路と戦争―暮らしの中の十五年戦争」を230620

 千田夏光氏は『従軍慰安婦』で、「戦争は人間を非人間的なものにする時間」と書いた。
 日中戦争を三期にわけて、執拗な調達を記載したのだと受け止める。
 「ミッドウェー海戦」を転機に、戦局は日本軍の敗退段階に位置するということだ。

 往時、マグロの水揚げに湧いた釧路港で、その漁業の終焉を刻する。昭和17年のこと。
 漁船の応召。つまり調達がすすみ、釧路漁業は資源温存機に入ることになった。
 国民の物資不足は極限に近づく。威勢のよかった『写真週報』の記載は「戦勝」から「代用食」を経て、「防空壕の創り方」「防空演習」へ転ずる。

 ここまで綴った、「佐藤貴之枝 1890年生まれ 厚岸町で語った-2.太平洋戦争3-」。
 語りの内容と、語りの内容を思われる=戦後、我が家に残っていた戦時の記録。
 そこをここでは、五項目。極めつけは「生命保険に入っていたが、戦後インフレで貨幣価値が、まったくなくなって・・・・・・」。

 ⑩佐藤貴之枝 1890年生まれ 厚岸町で語った-2.太平洋戦争3-
 17)(茶箪笥)残余の衣料切符&割引国庫債券証書。
 18)「復員後の義昭は部落会長に推され奔走」。
 19)「川田さんの息子さん、180529アツツ島玉砕で戦死された」。
 20) 194402日蓮丸厚岸沖89km沈没、遺体・遭難者正行寺
  収容(のち四男は「千島派遣船から除外と=理由不明)」
 21)200714尾幌国民学校空襲「(そのとき)お前、小さくなっていた」。
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千田夏光筆「戦争は人間を非人間的なものにする時間」 高等教育機関で「釧路と戦争―暮らしの中の十五年戦争」を230620
千田夏光筆「戦争は人間を非人間的なものにする時間」 高等教育機関で「釧路と戦争―暮らしの中の十五年戦争」を230620

⑦佐藤貴之枝 1890年生 厚岸町で語った-1.日中戦争-
1)「三男(1917年) は北支に応召」
 →独身男性に赤紙=臨時召集令状が出され兵隊検査後入営、大陸派遣
2)「尋常小学校に『まさい・せんがく 正井仙岳?』という漢籍博学の人物が居て」を繰り返す。
 →戦時に寄せた知識人の<じくじ 忸怩 たる>思いを伝えたかったか。
3)「紀元2600年を祝った」
4)「神社前を通るとき、戦勝祈願し礼をして通ること」
5)四男が導師を務める民家の葬儀写真が残る→三男出征中の代務。
6)「三男は北支で負傷=膝下貫通銃創、野戦病院を経て帰還」→(義昭)「戦場でのことは思い出したくない」。
7)「四男は中支に派遣」「南支に行った人はマラリヤで苦心」

 2022年2月 ロシア軍が「ウクライナ保護&ナチスとの戦い」を大義に、ウクライナに侵攻を開始した。
 「特別軍事作戦」、軍需産業と石油エネルギー産業の高利益、愛国心高揚を求める大統領の宣伝、国民の高支持率。
 初期段階の攻撃開始国の受け止め方を念頭に、「1931年 柳条湖事件」から話をはじめる。

 その時、釧路港は満州国、関東州、中国へ仕向ける貨物量が伸長、鉄道枕木材の輸出で好景気にあった。
 状況は36年二・二六事件を経て、37年7月 盧溝橋事件に。戦時泥沼化をもちろんたどる。
 推移を祖母(1890―1968年)が41歳―467歳時に遺した「回想談」で復元する意向。
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社会参画・課題解決・価値創造 平成30年学習指導要領改訂を承け230624-後-  <img
社会参画・課題解決・価値創造 平成30年学習指導要領改訂を承け230624-後-
 
 昨年6月5日のことだ。
 釧路文学館で開催「郷土史家によるトークイベント 北大通の記憶を伝える」後に、教育局の方から感想をいただいた。
 「高等学校でも<郷土を支える人材の育成>ということを検討することになった」

 どうも詳細は不明ながら、判明してきた点もある。
 「高等学校学習指導要領」が平成30年3月に告示され、それを承け令和4年度から実施される。
 特に「公民」科目で「身近な地域に関する課題を具体的に取り上げ」とモノ本にあった。

 今、「第4期香川県教育基本計画の概要」を見るに、次の項目が読める。

 4.郷土を愛し、郷土を支える人材の育成
 基本的方向① 郷土を支える教育の推進
  1. 郷土に誇りを持つ教育の推進
  2 社会に参画する力の育成
  3 キャリア教育の推進
 基本的方向② 地域を担うグローバル人材の育成
  1 グローバル人材の育成
  2 課題解決能力の育成   
   (『第4期香川県教育基本計画の概要 令和3年10月』)。

 『のぞいてみよう釧路はこんなところ 上・下』』は、高等学校教育の第一線で役立ててもらえるのではないか。
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社会参画・課題解決・価値創造 平成30年学習指導要領改訂を承け230624-前-
 社会参画・課題解決・価値創造 平成30年学習指導要領改訂を承け230624-前-

 『のぞいてみよう釧路はこんなところ 上』(伊藤竜司著 北海道釧路北陽高等学校教諭)は、「くしろ検定 第12回」を終えたばかりであった。
 その後、第13回は中止=終了となったので、「次巻の発行は意味がない」ように思えた。
 ほかにも<釧路石炭火発運転開始>や<日本製紙(株)釧路工場抄紙停機>が重なった。
 著者自身が北海道札幌東高等学校に転じた。

 今、釧路市はさまざまな課題に当面している。
 1.郷土=歴史・自然・産業・文化に誇り、関心、愛着をもつ→社会に参画
 2.課題解決能力の育成→グローバル化に対応しつつキャリア教育
 3.課題解決では間に合わない→地域に付加価値を内発的に創る。

 地域こぞって目指すは上記のまず三点ではないか。
 本年3月に『のぞいてみよう釧路はこんなところ 下』(伊藤竜司著 北海道札幌東高等学校)』出版に踏み切った背景である。
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江戸中期、石畳模様で演じた歌舞伎役者の名が由来 「市松模様」の語源。
 江戸中期、石畳模様で演じた歌舞伎役者の名が由来 「市松模様」の語源。

 「市松模様」。
 その意味は『言語由来辞典』に、「二色の四角形を互い違いに並べた碁盤の目状の格子模様」。
 でわ、その語源を抄訳するに。
 まず「江戸時代中期、歌舞伎役者が舞台で<白と紫の石畳模様>の裃を着用して演じた」。
 
 「その役者の人気ととともに江戸の女性たちの間でも流行」、「役者名=初代・佐野市松の名をとって「市松模様」と呼ばれるようになった」。そういうことか。
 6月6日朝、nhk美の壺は20年11月27日放送の「不朽のデザイン 市松模様」を再放送。

 壺、その一は「繰り返す四角の模様」・・・・縄文の古き時代から現代まで続く意匠。
 壺、その二は「平面を超えて」・・・・・・・江戸切子など新領域でも市松模様。
 壺、その三は「整然から解き放つ」・・・・・京都・東福寺<石畳苔庭苑>。

(いつものように以下、番組案内)
 スーツから靴下まで、市松模様を毎日身につける狂言師・茂山逸平さん。愛用歴20年の市松アイテム大公開!
 ▽縄文土器や埴輪にも!写楽も描いた「市松」の名の由来の人物とは?!
 ▽漆黒市松のスタイリッシュな江戸切子に、3500の四角がうごめく市松模様の九谷焼。現代にいきる、市松模様ならではの美
 ▽京都・東福寺にある重森三玲の市松模様の庭。その意図を孫が読み解く!▽古民家に輝く、市松のふすま絵!
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日中戦争 その発端370707
 中国大陸向け輸出貨物←釧路港貿易
 炭田の小ヤマ→太平洋炭礦(株)傘下
 地域に愛郷精神 史跡・天然記念物の国指定&偉人顕彰
 昭和天皇行幸 北海道大演習視察の途中

総動員体制
 南千島→資源確認調査
 臨時兵員確保→召集令状
 満蒙開拓&愛国飛行場ほか(計根別・西春別?&旧制中学生空港建設)
 釧路炭田産出量、戦前ピーク記録
 供出・援農・労力奉仕・配給制度&千人針

敗戦への後退 攻勢布陣が防戦体制へ
 英霊帰郷
 拡大の戦線、玉砕地の本土近接=アツツ島の闘い(1943年5月)
 志願兵(予科練、特攻隊志願者いたか調査中)・高齢者召集
 生存権危機&北海道綴り方連盟事件は釧根が舞台
 釧路炭田補鉱→九州へ鉱員移転
 隣組制度・物資配給・防空壕
 道東都市の空襲 釧路市立高女被災&庁立高女生徒犠牲
 その最終局面に「非戦闘員」犠牲

戦中・戦時を考察の意味&意義
 地域の歴史の一コマとして
 ・地域と時代に普遍性と特殊性を読む?
 ・本土被災を「戦いの加害者目線」で検討、社会的弱者に<ヒズミ&シワ寄せ>視角
 平和教育の重要な構成要素
(北海道教職員組合釧路支部編『釧路空襲』 発行年■?)があった筈ながら炭とするとしれば探索開始せねば)

日中戦争 その発端370707
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「釧路のこれまでとこれから」 釧路短期大学知の形成シリーズ・生活の中の教養 著者&企画者対談230624
 「釧路のこれまでとこれから」 釧路短期大学知の形成シリーズ・生活の中の教養 著者&企画者対談230624

釧路短期大学が『のぞいてみよう釧路はこんなところ 知の形成シリーズ・生活の中の教養―2-』の出版を記念して開催する催事。
 『のぞいてみよう釧路はこんなところ』刊行記念=著者&企画者対談。
 『のぞいてみよう釧路はこんなところ 上』が2020年3月に出版されたのに続き、このほど『のぞいてみよう釧路はこんなところ 下』が公刊された。

 本書は「設問に取り組みながら地元釧路への理解を深めると同時に、地域の魅力や価値を再発見することのできるツール」「釧路短期大学と城山モシリヤ学コミッションが共同出版した」。そう版元は示している。
 2008年2月から始まった「くしろ検定」普及・定着にかかわってきた二人が、その刊行を記念して、釧路が秘める可能性や、これからの釧路に期待することなど、大いに語っていただきます。
 そんな風に広報されています。
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