父に会いたい
あれは何年前だったでしょうか。

睦月に産まれ睦月に亡くなった
父の訃報を知らせる電話だった。

伯母から訃報を聞き愕然として、
命は終には消えるものだと

自分に言い聞かせるのに、
相応しい裸木と北風冷たき冬の朝だった。

父に最後に逢った時、「湿布を買って来ますね。」
それが永遠の別れになってしまった。

92才。父は大腿骨の手術後、再び転んで
足が不自由になって耳も遠くなっていた。

黒板を傍に置いて書きながら会話をし、
とっても嬉しそうな顔を見れば元気な父を思い出す。

そして介護の方と伯母に感謝しきれない程
有難さを感じ、言いようのない寂しさが胸をよぎる。

この家を離れたくない!アパート暮らしは嫌だ!
どうしても私と同居して貰えなかった。

私は我が親不孝を反省し、小さなお墓を立てた。
お墓詣りも中々行けず、数年に一回位だった。
今度はもっと立派な大きなお墓を立ててあげるね。

両親、姉に「ごめんなさい!」墓地で泣き崩れ、
涙が止まらぬ程泣いた。

肉親とは此れほど迄に大切なものだったか、
後悔ばかり。

今は毎日忘れずに両親に手を合わせ、
朝日が昇る方向を向き、成仏するように願う。

編集 freehand2007 : さすがに早い、笑顔になれます。
編集 sakura1205 : 父が商売で失敗し借金を二人で返済していた13年間.中学2年3学期からずっと働きづめ。30キロになりました。
編集 まこちゃん : 父と別れたのは昭和の終盤で大阪の単身赴任していた頃だった、享年80歳だった、口うるさい父だったので、そんなに寂しさはなかった?ですね、これって親不孝かな?。