2012年03月の記事


「アベンセラへスの間」
<<スペイン>>--グラナダ--


この部屋に入り、天井を見上げた時には、いささか唖然とさせられた。

天井一杯に燦然と輝く造形は、8017個の寄木細工を使って造られているのだという。

この絢爛豪華な天井を持つこの部屋の名は、アベンセラへスの間と呼ばれているが、その名の由来を聞いて、また驚く。

当時権勢を誇ったアベンセラへス家の騎士38人が、対抗勢力の讒言によって騙された王の命令で、全員斬首された部屋である事から、この名が付いたのだと言う。

権謀術数が渦巻く当時は、そんな凄惨な出来事も日常茶飯事であったのであろうか。
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「大使の間」
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アルハンブラ宮殿最大の部屋、約121㎡大使の間では、諸外国の大使による王への謁見や公式行事が行われていた。

壁一面に描かれた壁面の模様は、特に注目に値する物だとされている。

上の明り取りの窓には、透かし彫りの植物の模様が描かれている。

此処を訪れた大使たちは、この部屋の様子に圧倒されたのだと言う。

ぐるりと取り巻いた、大広間全体の鮮やかな壁画の様子を、写真に撮れないのが残念であった。
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「アラヤネスの中庭②」
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前出のアラヤネスの中庭を、反対側から撮った光景。

ほとんどの観光用写真は、こちら側から撮った物が多い。

理由は背景のコマレスの塔が、有名だからである。

この塔の最上階には、イスラム教の唯一神、アラーの神が鎮座するように、設計されているのだと言う。

だからこの中庭は、別名コマレスの中庭と呼ばれているのである。

背景の塔の様子が、池の水面に映し出されるように演出した設計は、インドのタージ・マハルの造営に、深く影響を与えているとの事である。
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「室内の装飾」
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アルハンブラ宮殿の、室内一杯に施されている装飾の様子。

宮殿の内外全てに、このような不思議な彫刻が一杯である。

まるで沢山の仏像が彫られているような光景だが、偶像崇拝を禁じているイスラム教では、人物の彫刻は無いから、これは植物か何かを抽象化した彫刻なのであろう。

天井や、壁面一杯に彫られているこれらの彫刻を仰ぎ見ていると、首が痛くなるほどである。

イスラム建築では、アーチ型や半円形の内部構造が非常に多いのも特長であろう。
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「アラヤネスの中庭にて」
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この有名なアルハンブラ宮殿の中庭で、相棒に記念写真を撮ってもらった。

誰でもこの場所では、記念に一枚撮りたくなるのであろうか。

私が耳に掛けているイヤフォンは実に便利な物で、これが有る限り、単独で行動していても迷う事が無い優れものだ。

胸に下げているケースのスイッチを入れると、同伴しているガイドさんの説明が流れて来て、離れた場所に居て写真などを撮っていても、遺産などの説明が良く分かる。

メンバーから離れてしまっても、ガイドさんが○○さん、何処何処に居るので早く来てくださいと、催促が掛る。

これは、これからのパックツアーには欠かす事の出来ない、必需品になりそうである。
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「アラヤネスの中庭」
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アルハンブラ宮殿を訪れた人なら、誰でもが必ず撮影する有名な中庭である。

柱廊で囲まれたこの中庭には、奥行き34.7メートル、幅7.5メートルの池が有り、薄紅色の天人花(アラヤネス)が植えられている事からこの名が付いたが、別名コマレスの中庭とも呼ばれている。

池の反対側から撮影する人が多いが、太陽が宮殿に当り、綺麗だったのでこちらから撮ったが、反対側からの光景も後日載せようと思う。

建物の蔭が、静かな池の水面に反映し、この中庭の静かさが一層強調されているようであった。

此処でも岩ツバメが沢山飛んでいるのが、お分かりいただけるであろうか。
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「ミスティリアスな空間」
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宮殿の中を見学していて、不思議な光景を見付けた。

此処がどこの間だったか記憶に無いが、何とも説明のしようの無い空間である。

暗くて狭い装飾された壁に囲まれた場所の先に、外光が入り込んでいる、別の空間が存在している。

しかしカメラを向けている場所から先は、人が歩けるような通路ではなく、深い地下になっているようだが、どんな構造になっているのか分からない。

このミスティリアスな光景を、そのままカメラに収めようと、シャッターを切ったのを覚えている。
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「岩ツバメ」
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メスアールの中庭の上空を飛び交う、岩ツバメの群れ。

此処の中庭は、残念ながら修復中とかで、ずっと庭一面に白いシートが覆ってあり、庭の状況を見ることが出来なかった。

そんな訳で、中庭の上部の建物を撮ったのだが、どう言う訳か岩ツバメが沢山、この庭の上空を飛び交っており、その様子も合わせて撮りたかったのも事実である。

この写真の中にも、6羽のツバメが写っているのだが、お分かり頂けるだろうか。

シャッター優先の高速シャッターを選択すれば良かったが、咄嗟の事でオートで撮影したら、飛んでいるツバメがはっきり分からず、失敗作であった。
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「室内装飾」
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アルハンブラ宮殿の凄い所は、宮殿の内外を問わずこのような装飾が余す所無く、施されている事だろう。

イスラム教では偶像崇拝が禁じられている事から、装飾には、幾何学模様、植物模様、コーランの一部が用いられている。

それぞれの宮殿には、王の名前が付けられていて、必ず中庭が存在している。

此処は黄金の間であり、そこを通してメスアールの中庭と呼ばれる庭を、見ることが出来る。
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「回廊からの眺め」
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アルハンブラ宮殿の、回廊の窓から眺める外の光景。

宮殿の中は実に複雑で、今も何処をどう巡ったのか定かではないほどである。

ぐるぐるとあちこちを廻り、二階のこの部分から措置の景色が清々しく感じた事だけを覚えている。

宮殿の内部は、一箇所として装飾が施されていない場所は無く、どの壁面を見ても見事な彫刻施されている。

唯一この場所の、下の部分が何も装飾が無い場所であったような気がする。

どの窓もただの楕円形でなく、このようなイスラム建築の技法に象られているのである。
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「壁面の装飾」
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アルハンブラ宮殿の、壁面一杯に彫られた装飾の光景。

何と言う精緻な彫刻であろうか。

正に、これこそイスラム芸術の極致といった情景、と言えるのではないだろうか。

幾何学模様のこの彫刻は、一体何を意味するのだろうか、そしてどんな建築家が、こんな模様を編み出したのであろうか。

凡庸な私には、考えも付かないこの装飾模様を、ただ感激して眺めるだけであった。
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「アルカサバ」
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宮殿を抜けて、王宮まで向かう途中に、西日を受けて黄金色に染まる要塞が見えた。

この要塞は勢いを増して来たキリスト教徒軍の侵攻に備えて、1230~40年頃に建てられた城塞である。

9世紀後半に要塞が基になっており、アルハンブラ宮殿の中では、最も古い建物である。

二つ有る塔の右側の塔は、ベラの塔と呼ばれ、4隅にある窓からは東西南北の街の光景を360度見渡されるという。

残念ながら今はこの城塞の中には入ることが出来ず、街を一望する事は出来なかった。
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「壁を這う蔦」
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宮殿の壁に、張り付くように伸びる蔦の様子。

部屋の中に蔦が這っている様に見えるが、実際には、手前の部屋から次の部屋までには、僅かな空間が有り、そこに地面から生えた蔦が、壁に張り付いているのである。

それを敢えて取り払わない所が、如何にも自然を愛しているように感ずるのである。

多分この蔦は、春になると青々とした葉を茂らせて、壁を覆う事であろう。

世界遺産を守るには、色々と工夫をしながら、自然と調和させなければならないのだろう。
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「見入る人々」
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宮殿を彩る、イスラム芸術の最高傑作の装飾を鑑賞する観光客の姿。

歴代の王が、増築に力を注いだ王宮の装飾は見事である。

いたる所に施された、草花をモチーフにした彫刻や漆喰の透かし彫り、色鮮やかな幾何学模様のタイルなどは、圧巻である。

それらの光景をじっと見詰める人、壁に描かれた模様を写真に撮る人、などなど。

手前のカメラを構えた若い女性は、如何にもスペイン女性を代表するような美人である。

イスラム芸術に劣らず、こちらも綺麗だと思った。
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「宮殿から外へ」
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カルロス五世の宮殿の内部から、外への出口の光景。

エンタシス形状の柱は、人の手が触る所だけ磨かれていて、色が変わっていた。

幾つもの宮殿や部屋が有り、それらの建物の中を出入りしている内に、何処が誰の宮殿だか分からなくなってしまった。

此処のアルハンブラ宮殿を案内してくれたのは、グラナダに住む若い日本人女性であった。

彼女はスペインに魅せられて、遂にスペイン人男性と結婚して、此処のガイドとして活躍しているとの事であった。

世界各地で、こうして活躍する日本人に会えるのは、驚きと感動を我々に与えてくれるのである。
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「円形の中庭」
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アルハンブラ宮殿の入り口を入ると、カルロス五世の宮殿が有る。

此処はルネッサンス様式の宮殿であり、13世紀のレコンキスタ運動(国土回復運動)完了後、カルロス一世( 神聖ローマ帝国ではカール一世)により建造された宮殿である。

正方形の建物の中には、ご覧のような円形の中庭があり、青い空に建物が映える。

一階と二階の造りが異なり、一階がドリス式、二階がイオニア式になっており、エンタシスの石柱など、ローマ帝国の色が濃い建物である。

円形の中庭全てをカメラに収めたいところだが、魚眼レンズでもなければ、とても無理であり、太陽の当る方角だけを撮影した。
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「宮殿入り口」
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アルハンブラ宮殿入り口の光景。

この門を潜ると、どんな光景が展開するのか、わくわくする瞬間である。

シルエットに映し出される、繊細なイスラム建築の模様一つにしても、見応えの有るものである。

13~14世紀に建造された建物の中には、王の居住空間や、公務の場のほか、モスクや市場、浴場なども有り、一つの小さな街のような造りになっている。

柱や天井、壁などに刻まれた精緻な彫刻は、ここをすんなり通り過ぎてしまうには、勿体無いような感じがする。
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「重厚な建物」
<<スペイン>>--グラナダ--


アルハンブラ宮殿の入り口を目指して歩く途中の建物は、歴史を感じさせる重厚さが有る。

宮殿をぐるりと取り囲むこの建物は、城壁の役目もしていたようである。

この建物の脇に沿って歩き、角を右に曲がると、宮殿に入る門が有る。

ずっと続くこの建物には、馬に跨った騎士や女神像など、様々な彫刻が刻まれている。

アルハンブラ宮殿の守り神は、ライオンとの事で、馬の手綱などを止める金具が、建物の壁の随所に有るが、全てライオンの頭の格好をしているのが面白かった。

バスを停めた駐車場から、宮殿入り口までは、約20分位歩かなければならず、かなりの道程であった。
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「プレート」
<<スペイン>>--グラナダ--


アルハンブラ宮殿の入り口脇の崖に貼られている、宮殿の案内版。

この大宮殿の案内としては、随分控え目な物だなと思いながら、記念に撮影した。

スペイン語は母音の前のHは発音しないから、日本語ではアルハンブラと言われているが、現地スペインでは、アランブラと発音する。

いくら物好きだからといって、こんな表板を記念に撮影する人間も珍しいのではないだろうか。

此処では、あまりにも沢山の写真を撮り過ぎてしまったので、この宮殿の特徴を現しているものだけを、選択して載せてみようと思う。
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「アルハンブラ宮殿」
<<スペイン>>--グラナダ--


中国西安の華清池見学を終えた、区切りの良い所で、またスペインシリーズに戻った。

此処は、グラナダを代表するアルハンブラ宮殿の、入口に位置するサンタ・マリア教会である。

イスラム芸術の粋を集めたこのアルハンブラ宮殿は、スペインの世界遺産の中でもあまりにも有名で、知らぬ人は居ないであろう。

イスラム王朝最後の砦として、12世紀前半から170年の歳月を掛けて完成したこの宮殿も、完成後間もなく、イスラム勢力はキリスト教徒に制圧され、グラナダ陥落と共に、この宮殿から王族は追放された経緯が有る。

だから、宮殿の敷地内にも、キリスト教会が存在するのである。

しかしその建物も、周囲の宮殿と調和を図るために、建築様式や壁の模様などは、イスラム建築そのものである。
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「梨園②」
<<中国>>--西安--


その昔、唐の時代が最盛期だった頃、玄宗皇帝が自ら京劇を教えた梨園は、今は博物館となっている。

此処には、京劇に出てくる沢山の隈取りをしたお面が、飾られている。

日本の歌舞伎でも、隈取りをして登場する歌舞伎役者は良く知られている所だが、そのルーツは京劇にある。

何故このような大げさなメーキャップをするのかは、登場人物を強そうに見せたりする事も有るが、昔の舞台照明は蝋燭や松明などであり、舞台が非常に暗いために、役者をはっきり見せるために、これらの隈取りをしたのだとされる説が強い。

私も北京で、始めて京劇を見たが(後日掲載)、劇が始まる前、舞台中央で、登場人物である大王のメーキャップや衣装を着せる所を披露していたが、とても見応えのあるものであった。

日本の伝統芸能である歌舞伎の面取り手法が、元々は玄宗皇帝の発案による、京劇にルーツが有る事を知ったのは、驚きであった。
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「梨園」
<<中国>>--西安--


梨園という言葉を、どこかで聞いた覚えのある方も居る事と思う。

日本では、歌舞伎界の家系図を示した言葉として知られている。

しかし元々は、唐の時代に、遣唐使が此処の華清池から持ち帰った言葉であり、此処が梨園のルーツの源なのである。

嘗て此処の周辺には、梨の畑が沢山有り、風流を愛する玄宗皇帝が、梨園と名付けたのである。

中国で唯一の女帝であった則天武后が他界した後、政略に長けた玄宗皇帝が即位し、唐の時代が最盛期を迎える。

その頃日本は奈良時代であり、中国の文化や仏教を日本に持ち帰るために、盛んに遣唐使を長安(現在の西安)に送り込んだ。

遣唐使の中には阿倍仲麻呂などが居り、その名前をご存知の方も多いことだろう。

中国の統治や政務に有能であった玄宗皇帝は、一方で芸能を愛し、此処梨園で自ら中国舞踊を教えたとされる。

そんな説明を受けながら、改めてこの建造物を見直したものである。
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「談笑」
<<中国>>--西安--


華清池を現地ガイドする、ガイド嬢達の談笑風景。

此処華清池には、此処の世界遺産だけを案内して廻るガイド嬢が居る。

彼女たちは此処の受付で、ガイドを依頼すると、一緒に廻って案内してくれようである。

我々はツアーガイドの高さんが居るから、その必要は無いが、フリーで此処を訪れた人には、好都合の案内嬢である。

こうして仕事が無い時は、若い女性たちだから、談笑して過ごすのであろう。

中国語だけでなく、日本語やその他の国の言葉が喋れるのか、気になったものである。
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「華清池」
<<中国>>--西安--


此処が、本来の華清池の名前の由来になった池である。

池の手前の方の波紋が広がっている所は、今でも温泉が湧き出ている様子である。

だからこの池は、手を差し入れると暖かいのである。

きっと冬場は、此処の池から湯気が立ち上っていることであろう。

夜は前方の池の中から、噴水があがり、ライトアップされるようである。

遠方の山には、ケーブルカーが掛っており、山の頂上から下界の様子が眺められるようになっている。
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「見学者」
<<中国>>--西安--


華清池の、様々な歴史的建造物や景観を、ガイドに連れられて、見学して歩く観光客の群れ。

観光客の大半は、西安から離れた此処まで来ると、ほとんどが中国人である。

行儀の良い日本人は、彼等の旺盛なバイタリティに気圧されて、どうしても彼等の団体が来ると、避けて歩くことになる。

声高に話し合う言葉は、まるで喧嘩でもしているのかと、びっくりするほどである。

そのバイタリティが、今の中国の牽引力になっているのであろうか。
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「高さんとのツーショット」
<<中国>>--西安--


現地ガイドの高さんと一緒に、華清池をバックに相棒に撮ってもらった。

高さんも、男二人だけの我々とは、話し易いようで、ずっと旅行中雑談をしながら同行出来たので、他のメンバーより中国の様々な事が分かって勉強になった。

ほとんどのツアーメンバーが、夫婦、母娘、親戚一同という中にあって、我々のような男だけのメンバーは珍しいようである。

恐らく彼が、ツアーメンバーと一緒に撮った写真は、我々だけであった事だろう。

いつも右肩に、撮影機材の入ったショルダーバックを下げている私は、ベストが右にずれているのも気付かず、ちょっとみっともない姿になってしまった。
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「回廊からの眺め」
<<中国>>--西安--


玄宗皇帝の湯殿の周りには回廊が有り、そこから眺めた光景。

こうして眺めると、この華聖地が如何に広いかがお分かりいただけると思う。

林の先には、大きな宮殿の数々が点在し、此処の中を探訪するだけでも、かなりの時間を要する。

矢張り中国の皇帝の保養地ともなると、その規模も壮大である。

楊貴妃の像や湯殿が有る此処の広場は、此処華清池のビューポイントの一つでは有るが、まだまだ見所は沢山有るのである。

日本の観光地のように、周辺に近代的なビルや家屋が見当たらないのが流石である。
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「高台からの景観」
<<中国>>--西安--


玄宗皇帝の湯殿の建物を出ると、華清池の広場が見渡せる高台に出る。

そこからは、木々の枝を通して、広場の様子を見下ろすことが出来る。

大理石で出来た、白い楊貴妃の大きな裸像がポイントとして、広場を目立たせている。

右手の小屋は前にも記した、今でも温泉が噴出している場所である。

此処で観光客は、手や顔を洗ったり、ペットボトルに温泉水を汲み入れたりしている。

この温泉水は飲むことが出来、体に良いとの事であった。
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