相当遠慮がち=“私を変えます” 「ガイド候補生続々 釧路 要請・観光講座12人受講」(『釧路新聞)250330一面
 相当遠慮がち=“私を変えます” 「ガイド候補生続々 釧路 要請・観光講座12人受講」(『釧路新聞)250330一面

 釧路観光ガイドの会(木村浩章会長 2002年創立)が主宰の「ガイド養成・観光講座)の第2年次ガイド養成・観光講座が開かれた。
 参加者は12名。主宰者も構成会員が圧倒的に80歳台となって居るに対応、若手後継者の発掘・育成に努める、と。
 ここ3年。続けてきた「釧路の魅力発見・観光講座」の受講者の中から、さらに意欲ある市民。その参加で二年次目の講座が3日間、修了との報だ。

 取材した郷 裕策記者は「活動継続へ育成に力」と小見出しを付け、会社勤めの50歳台女性、神奈川から移住の40歳台女性の声が紹介されている。
 3年前、筆者は聞いたことがある。「全市のガイド養成を、ガイドさんの団体が主催するの?」。
 返事。「自身は官庁で開催した講座で育った、今や、役所も経済団体も開かない」。

 ために後継者供給のパイプや、育つ機会がなくなったのだ、と。続けて。
 「で、会員が受け取る日当から一部を天引きして、自前講座開催の運営経費にあてる」と。
 2002年に初めてかかわった者として、驚いた点を記載しておきたい。
 地域政策では、公共団体も経済団体も声高に「観光、観光!&観光」。
 
 しかし、おいで頂いた客人。受け入れる対策は、人材育成に始まり、貧弱。
 そうではないか。「観光=魂を揺すぶる出会いとおもてなし」。その策は、無策にといってもいかが。
 ひたすら「来い、来てよ」は、旅行代理店を潤すのみで、いや、それとても<おぼつかなくなる>のかも。

 3月30日、市内を中心に配布される紙面のトップ記事をみた。
 従事者は尊く、しかしである。その汗で支えられる階層は、いささか“努力不足”かと。
 観光=他者の努力で<フトコロ潤す>で票になる。
 その行き詰まりに<他者変えられぬ、自身がかわろうと生涯学習>。その尊さに刮目すまいか。