2024年11月の記事


何か、違う!!。三井&三菱に比べ。鈴木謙一著『住友 企業グループの動態』(中央公論新社 1966年)
 何か、違う!!。三井&三菱に比べ。鈴木謙一著『住友 企業グループの動態』(中央公論新社 1966年)
 「資源搬出型経済」。そこに終止符を打たざるをない、当地方の経済再生の鍵こそ<住友の時代観、経営展望>にヒントあり。その思いを抱いてきたからである。

 読んでみたい。その思いを持ちつづけてきた。<何か、違う!!。三井&三菱に比べて>なのだ。
 その原点は戦後の財閥解体に直面して描いた<グランドデザイン>。そう申すべきではあるまいか。
 中公新書『住友 企業グループの動態』著者の鈴木謙一氏は「はじめに」冒頭で紹介。

 「住友再建の努力」。それが「住友結束の要=本社機能をいかにして復活するか」にあったことは言をまたないが、とする。
 ある意味、財閥解体の対象となった企業に、それは共通する命題ではあった。
 しかし、住友では社内に芽生えた「結集派」と「自立進展派」とする二つのグループの流れが、「相補って住友グループを強化する方向に導いた」(i~iii p)と、まず書く。

 とりもなおさず前提は「(戦前・戦時の)膨大な軍需を失い、素材部門偏重の住友」。 それが廃墟と、さらには財閥解体の追い打ちの時に、「戦後社会に適応条件を見つける最大の課題に立ち向かう時」の、路線選択とする。

 結集派=「(住友銀行頭取 堀田庄三を頂点とする)新しい結集条件の形成に努力」のい一団。
 「自主推進派」=「戦後産業経済構造の変化の中で、いかにして自社の地位向上をはかるかに専念」の住友金属工業社長・日向芳斉、住友化学社長・長谷川周重に代表される集団

 なにやら、結集派=投資・金融、自主推進派=重化学工業。ソフト&ハードの基盤差異からのアプローチのようにも見えるが。
 そこが補完しあう。その点に<Key>が内包されている、ようだ。かく整理して、続きを読むことにしよう。
 実はここまで、著者の関心は「(64年東京五輪後の)戦後最大の不況期以来、住友が大きくクローズアップされてきた”不況の強さ”」、他方で「高度成長期には、創業型経営者や産業トラスト型ビッグビジネスの影に隠れ」て存在感が薄かった。
 そこを問いなおす。実は問題関心が、そこに示されているのだ。

 そのこととは全く別に、本書を読み、検討しようとする要素は、冒頭に「何か、違う!!。三井&三菱に比べて」にあった。
 「資源搬出型経済」。そこに終止符を打たざるをない、当地方の経済再生の鍵こそ<住友の時代観、経営展望>にヒントあり。その思いを抱いてきたからである。
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「歴史変遷で存在意義を変えた作品も音楽史を構成」 「日本のしらべ」=「六段」241128
「歴史変遷で存在意義を変えた作品も音楽史を構成」 「日本のしらべ」=「六段」241128

日頃、我が家で聴いているCDに「六段」「越天楽」「美しき天然」「荒城の月」「江差追分」「お江戸日本橋」などの楽曲がある。
 「六段」はなにやら耳になれているも、新春のTV番組&大型店のBGMでお馴染みではないか。
 改めて、その曲の由来を訪ねてみるに。CDレーベルとは別に「六段の調べ」の称があった。

 筝曲の練習曲。「八橋検校(1614~1685年)という江戸時代前期の人物の作品とされています」、と。
 https://yumenavi.info/vue/lecture.html?gnkcd=g004356  大学で究める学問発見サイト
 「箏曲『六段の調べ』は、なぜ箏の代表的な楽曲になったのか?」

 「実際のところは、それ以前から伝承されてきた曲を、八橋検校が一つの決まった形にして弟子に伝えたもののよう」とも紹介。
 次の、ある点で<意味付け&意義解説>が、秀逸と考えた。

 前提に「(箏曲『六段の調べ』が注目を浴びるワケは)明治政府によって西洋音楽の研究が始まった」「日本で重要とされている音楽に(略)、純粋な器楽曲」はほとんど無い。
 そこで『六段の調べ』は「純粋な器楽曲として注目」されたのだ、そうだ。

 記載者は「歴史の変遷の中で、存在意義を変えた作品も音楽史を構成する作品として取り上げられることもある 」と述べ、その特異性に注目する。、

 KICW 8127-8 日本のしらべ キング CD 六段 五木の子守歌 さくらさくら
 ひょっとして、気がつかぬところで見舞われる<鬱>や<神経衰弱>。陥らぬよう、あるいは陥った時に、「日本の抒情歌」と「薫香」が役立つように思うのであるが。
 これはあくまで「個人の感想」。
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「老者舞経由」or 「老者舞―尻羽口―別尺泊経由」口昆布森―仙鳳趾陸路道中241123
「老者舞経由」or 「老者舞―尻羽口―別尺泊経由」口昆布森―仙鳳趾陸路道中241123

「釧路から昆布森を通り、今の道道142号(シーサイドライン)と同じ
ルートで、セキネップあたりから、内陸に入り」、
 なるほど。
 『陸地道中絵図』に「仙鳳趾」の図面がありますねー。ご指摘のように「元仙鳳趾」と呼ばれ、今日の字名は「古番屋」です。その景観図によると、仙鳳趾旅宿はその南側にある丘陵の法面を下る道筋が記載されており、急な崖を下って旅宿に入る。そんな図になっております。
 恐縮ながら①1955年ころからの潜入観念が小生にはありまして、現在の老者舞に「大洋中学」という学校が設けられていました。近年まで「知方学小学校」がありますが、その学校、老者舞・跡永賀・汐見=セキネップの小学校卒業生が通学した学校。児童から生徒に転じた通学生は、海岸部を「波の引き際を見計らい通学」と聴いてきました。
 ②1970年頃、尻羽岬にある公衆便所のあたりから、別尺泊=べっしゃくどまり に行く道があり、NHKのディレクターと出かけてみたことがありました。③その道が2003年ころには残っておりました、ですねー。そこで①②③の記憶をつなぐと、北海道々*尾幌昆布森線とは別に「老者舞―知方学―尻羽岬分岐点=公衆便所―別尺泊入り口―古番屋)の道もあったのかと。
 そうですねー、近く、老者舞―知方学を郵便集配地区にしていた尾幌郵便局集配OBに聴いてみますわ。「別尺泊」への郵便配達どうしてましたー。

 一昨日「コンプモイ 昆布無以 昆布森」を下記に投稿。
 https://www.facebook.com/profile.php?id=100008107031694
 日野市にお住いのお方が、「クスリ」図&「コンプムイ」図ほか、『東蝦夷廻浦略絵図
』所収の図版を送ってくださった。
漸く佐藤宥紹編『釧路の近世絵図集成』(釧路市 2002年)を見つけだし、記録と記憶の差異は。
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コンブムイ=昆布森と旅宿241123
 コンブムイ=昆布森と旅宿241123

 昨日「コンプモイ 昆布無以 昆布森」を下記に投稿。
 https://www.facebook.com/profile.php?id=100008107031694
 日野市にお住いのお方が、「クスリ」図&「コンプムイ」図ほか、『北海道歴検図』所収の図版を送ってくださった。

 1)「クスリ 四里七丁 至 コンブムイ」
 2)「コンブムイ 五里二十一丁 至 センポチニ」との記載。
 照会事項があって<絵図による情報>解読が必要であった。

 用意した照会に対する、返答一案。
 (照会)「2)当時はコンブムイに旅宿があったと記述]
(提示)渋江書は明確に「旅宿」としておりますか。
 釧路、様似、厚岸など主要地点には「会所+旅宿」の設備が別棟で設置されている点が文化6年=1809年記録で明確になっています。また、「クスリ」地点のように「旅宿所」が明記された『陸地道中絵図』の例もあります。
 寛政11年=1799年正月、幕府は浦河~知床を幕府領にして、10ヶ所の旅宿所を10年ほどの期間に設置する計画を示し中に昆布森も含まれています。建築に要する部材は陸奥国下北郡大畑で刻み込み、海路輸送で現地組み立ての手順であった点も判明しています。

 昆布森について『奇勝図』や『陸地道中絵図』に番屋と旅宿の書き分けがあったか、どうか。複製写真を見てみないと不明。つまり平成4年当時に確認した記憶がないのです。
 転じて文化6年記載の幕府下僚の復命書&報告書を読んでみると、昆布森にあった施設は「番屋」「草小屋4棟(思うに伝馬用馬飼育飼料保管庫)」を確認するのみで、確かなところ判明しがたいのです。しかし確実な点は、寛政10年までは「野宿」であった。

 役人を往来させるに、野宿は認めがたく、「旅宿」の機能を確保しようとした。しかし、様似、釧路、厚岸などの要衝は先行しても、中間に位置する地点は、ひょっとすると間に合わないまま。それは考えられます。別な役人記載では「(漁業)番屋兼用」の記載でも、渋江記録が「旅宿」としているのも一つの記載。今後、その他の「記録の検討」とする、有力な根拠。そう、聴かせていただければと。読ませていただいています。
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コンプモイ 昆布無以 昆布森
●1)「昆布森が今、気になっている場所」
  江戸時代の文献に「コンプムイ」「昆布無以」などと記載されてきたと記憶していますが旧釧路郡昆布森村役場所在地、「チョロペツ川」河口の「字昆布森」と考えてきました。
 これまた記憶ながら、一に
 景観図。谷元旦 画 佐藤慶二 編著『蝦夷奇勝図巻 松浦武四郎自筆考証文付』(朝日出版 1973年)の中に一点。『国後与里箱館迄東蝦夷地陸地道中絵図』(市立函館図書館本)中に、「「昆布無以」などの集落景観図が含まれ、いずれも拙編『釧路の近世絵図集成』(1992年 釧路市)に確か収録したハズ→『集成』が手元に見当たらず不確かですが。
 二に「久寿里会所」(現 釧路市南大通八丁目 佐野碑園)からの里程距離数。6里=24キロほどの標記で現行路線とは異なるも、ほぼ推認距離かと。
 三に立地条件に照らして、資源・生活水・舟澗(ふね・ま)=本州側海洋舟の着岸に適す。などの諸点から「漁業番屋」設置の条件を備えている。また、アイヌ民族にとっても「チョロペツ川―尾幌川」経由で、厚岸湾と太平洋を結ぶ交易路の可能性が高い点。
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毎日:佐藤千矢子政治部長「あえて安倍1強と・・」 広がらず安倍政治へのメディア対応241028
毎日:佐藤千矢子政治部長「あえて安倍1強と・・」 広がらず安倍政治へのメディア対応241028

総選挙の結果がでた141028「TBSBS 1930」番組であったと記憶。
 出演の毎日新聞政治部長が「自民党政治ではなく、あえて安倍1強と・・」と発言した。
 主要メディア側からの明確な発言に、<漸く・・・・>の思いを抱いたのであるも。

 その記憶を忘れぬうちにと「安倍1強 佐藤千矢子 毎日新聞」で、検索。
 ヒットしたうち<ベスト%>を掲載。次の記事だ。
 読んでみるに、2017年頃にさかのぼる。しかし、広がらなかった。そう記憶。銘記しておきたい。

 自民総裁選:「1強」への不満直視を - 毎日新聞 https://mainichi.jp>articles 
 2018/9/20 -政治部長・佐藤千矢子 安倍晋三首相にとって苦い勝利に違いない。総裁3選を決めた顔に笑みはなかった。 昨年の衆院選で安倍自民が圧勝した時に ...

都議選:首相は謙虚さを 政治部長・佐藤千矢子 - 毎日新聞
https://mainichi.jp>articles
2017/7/3 -この国の政治をめぐって今起きていることは、「安倍1強」政権の緩みというひと言で片付けられない深刻な問題を含んでいる。 東京都議選で小池百合子 ...16:36

Mainichi Live(4)「どうなる『安倍一強』」「新聞社の校閲 ...
https://video.mainichi.jp>detail>video
毎週木曜日の午後4時から、毎日新聞フェイスブックで配信している「Mainichi Live」の第4回(10月26日)編集版を「毎日動画」にアップしました。前回に続き、司会は元村

東奔政走:「令和」効果に水差した塚田辞任 解散は年末年始 ...
https://weekly-economist.mainichi.jp>articles
2019/4/15 -4月1日に菅義偉官房長官が発表した新元号「令和」の政権浮揚効果は、安倍政権が予想していた以上のものがあったようだ。 直後の1、2両日に行われた ...

安倍首相:毎日新聞単独インタビュー 一問一答全文(1)
https://mainichi.jp>articles
2017/7/4 -毎日新聞が3日に首相官邸で行った安倍晋三首相のインタビューは次の通り。 佐藤千矢子政治部長(以下Q) まず東京都議選の結果からお聞きします。
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「持続可能な物流」は地方経済と市民生活の存続に不可欠 なんとかしましょう!!=北海道経済241124
「持続可能な物流」は地方経済と市民生活の存続に不可欠 なんとかしましょう!!=北海道経済241124

 物流ジャーナリスト。そうした領域の森田富士夫氏が記載している。
 題して「「持続可能な物流」は地方経済と市民生活の存続に不可欠 北海道名寄地区に見る物流拠点化構想」。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/5b6963d2a6829726686b4726ce9fb0915149bf50

 名寄市と言えば北海道北部。その中核都市と言うべき位置にあり。そう言えそうである。
「地方の中小都市の衰退も目立つ」「賑わった商店街も閑散としている」。
 「働く場も減少して若者が大都市圏に出ていき、高齢化も進行」「地域経済と雇用を支えていた大企業の工場などが閉鎖」
 そうなのだ。外発誘因=域外からの投資、技術、ノウハウで地域特殊資源を、採算が合う範囲で、<食いつくせるだけ食いつくした結果>なのだ。

 この事態に、物流の「2024年問題」が重なった。
 結果、「地域経済や市民生活と不可分」「商工会議所が先頭になり、自治体や国の出先機関、生産者(荷主)、運送事業者などが協働して物流拠点化構想を推進」
 そした地域として「北海道名寄地区」が名乗りをあげた、と。

 地域の経営は刮目したい。
 「資源がある、その資源を産地と消費地を結ぶ立地条件」。そこに鉄道も港湾も、労働力も集落も組み立てた政策の結果。
 市民は何と言っても、ここに視点を注ぐ。そこから全てが始まるではないか。そうではないか。
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「持続可能な物流」は地方経済と市民生活の存続に不可欠 なんとかしましょう!!=北海道経済241124
「持続可能な物流」は地方経済と市民生活の存続に不可欠 なんとかしましょう!!=北海道経済241124

 物流ジャーナリスト。そうした領域の森田富士夫氏が記載している。
 題して「「持続可能な物流」は地方経済と市民生活の存続に不可欠 北海道名寄地区に見る物流拠点化構想」。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/5b6963d2a6829726686b4726ce9fb0915149bf50

 名寄市と言えば北海道北部。その中核都市と言うべき位置にあり。そう言えそうである。
「地方の中小都市の衰退も目立つ」「賑わった商店街も閑散としている」。
 「働く場も減少して若者が大都市圏に出ていき、高齢化も進行」「地域経済と雇用を支えていた大企業の工場などが閉鎖」
 そうなのだ。外発誘因=域外からの投資、技術、ノウハウで地域特殊資源を、採算が合う範囲で、<食いつくせるだけ食いつくした結果>なのだ。

 この事態に、物流の「2024年問題」が重なった。
 結果、「地域経済や市民生活と不可分」「商工会議所が先頭になり、自治体や国の出先機関、生産者(荷主)、運送事業者などが協働して物流拠点化構想を推進」
 そした地域として「北海道名寄地区」が名乗りをあげた、と。

 地域の経営は刮目したい。
 「資源がある、その資源を産地と消費地を結ぶ立地条件」。そこに鉄道も港湾も、労働力も集落も組み立てた政策の結果。
 市民は何と言っても、ここに視点を注ぐ。そこから全てが始まるではないか。そうではないか。
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読む歩く、読み歩いたら書く 立川『柳田国男の歩いた武蔵野』2008年
読む歩く、読み歩いたら書く 立川『柳田国男の歩いた武蔵野』2008年


 これまで図書館の話で「まず読む、読んだら書く、書けるほどに読む」。
 そう若者に要請してきた。マチ中で喋る必要が生じた時には、次のキャッチフレーズを選んだ。
 「まず歩こう、歩いたら書こう、書けるほどに歩こう」。

 いま、立川柳田国男を読む会編『柳田國男の歩いた武蔵野』(2016年11月)を手に、考えを拡大せねばならぬ。
 「まず読み歩こう、読み歩いたら書こう、書けるほどに読み歩こうではないか」。
 頼もしい!!。10月12日、関係する<ぶぶる14th>が開かれた。

 時のリーダーは、桜木紫乃著『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』を丹念に読んだ.
 作品の舞台に関わる一節を丹念に抜き書き。配布して作品の記載対象を案内。
 先の『柳田國男の武蔵野』に続く二書目。記載者が在野の熱心な読書、とりわけ主婦が関わる。大きな可能性を培養しているでは、ないか。

 以下、目次。記載しておきたい。
 1 武蔵野の風景(柳田國男と国木田独歩 渋谷在住のころ 武蔵野の交通革命と武蔵野趣味 年表 柳田國男 武蔵野・その周辺)
 2 柳田國男の武蔵野散歩(注釈『野中の清水』座談會 武藏野を語る)
 3 柳田國男と武蔵野を歩く(狩りの話―棚沢 二宮神社の社宮司神 武蔵野・江戸の水運―関宿町、木下町 鹿の湯 河童駒引 ほか)。
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富士見社 ハリストス 中江学園241122 
 富士見社 ハリストス 中江学園241122  

 明治35年11月 4日 釧路ハリストス正教会の会堂が落成する。
 明治42年4月7日  私立実用裁縫伝習所が開校する。(後の釧路女子技芸学校)
 明治45年7月25日  釧路中学校の敷地・建設費寄附を町会が議決する。
 大正元8月31日 北海道庁立釧路中学校(旧制中学校)として、設立が認可される。
  【庁立釧路中学校】翌年4月、札幌二中・小樽商業と同時に開校した。
 大正2年4月 8日  庁立釧路中学校が開校し、入学式が行なわれる。
 大正8年1月 釧路中学校に校風刷新会の事件が起こる。
 大正11年7月17日 行在所の公会堂から釧路中学校視察に向かわれる摂政宮殿下
 昭和8年 鶴居芦別川流域の水産組合孵化場に創祀の社殿を富士見二丁目6番に遷営。
 昭和50年3月 中江学園釧路女子技芸学校閉校する。
 平成2年 9月  春採湖西側の高台(「湖陵」名由来)にあった旧校舎から現在地へ移転。
 平成10年3月 中江学園調理師専修学校閉校する。
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いきなりスマホ=昌彦未満世代 閲覧志向高い情報一気に集中 前川喜平筆「「学べば治る。賢くなれる」産経241121
 いきなりスマホ=昌彦未満世代 閲覧志向高い情報一気に集中 前川喜平筆「「学べば治る。賢くなれる」産経241121

 読んで、調べて、考えて育ったが、パソコンを使い始めた前川喜平世代。
 「選挙でSNS機能、結果を動かす」に、見事に反応。結果に驚く既成政党。
 ふぇーくニュースや「もう一つの真実」。そして海外からのネットシステム操作。それが「大統領選挙」に反映。本邦でも結果。

 思うに「幼くしてスマフォ&タブレットで育った世代」。情報検索の手法は大きく変化。
 プロセスデータ飛ばして、直接、求める情報にたどりつける。その便利、手軽、快適さに魅了されてしまった。
 車が無くて歩くほかなしの「マチの情報&行き交う誰ぞ彼」。転じてマイカー、車運転は誰かの操作で戸口から戸口。中間で入る情報は皆無に近い。

 前者=前川世代を「読んで、調べて、考えて育ったが、パソコンを使い始めた」階層。
 後者=「いきなりスマホ」の「昌彦未満世代」。
 その思考過程は、大きく異なる。たまたま、結論が同じでも、その論証過程は深度も領域にも「格段の差異」。

 241119投稿。「深刻な民主主義の危機は、メディアと教育の責任」と前川氏はXに投稿。
 産経のネットは伝える「20日午後6時時点で710万超閲覧され、3000超のコメントが寄せられている」、と。
 前川氏は 20日18時過ぎに、早速投稿。「学べば治る。賢くなれる。斎藤(氏)を当選させた兵庫県民も」。

 傾聴しようではないか。見つめようではないか。「聴かぬ、読まぬ、考えぬ世代」の未来を。
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いきなりスマホ=昌彦未満世代 閲覧志向高い情報一気に集中 前川喜平筆「「学べば治る。賢くなれる」産経241121
 いきなりスマホ=昌彦未満世代 閲覧志向高い情報一気に集中 前川喜平筆「「学べば治る。賢くなれる」産経241121

 読んで、調べて、考えて育ったが、パソコンを使い始めた前川喜平世代。
 「選挙でSNS機能、結果を動かす」に、見事に反応。結果に驚く既成政党。
 ふぇーくニュースや「もう一つの真実」。そして海外からのネットシステム操作。それが「大統領選挙」に反映。本邦でも結果。

 思うに「幼くしてスマフォ&タブレットで育った世代」。情報検索の手法は大きく変化。
 プロセスデータ飛ばして、直接、求める情報にたどりつける。その便利、手軽、快適さに魅了されてしまった。
 車が無くて歩くほかなしの「マチの情報&行き交う誰ぞ彼」。転じてマイカー、車運転は誰かの操作で戸口から戸口。中間で入る情報は皆無に近い。

 前者=前川世代を「読んで、調べて、考えて育ったが、パソコンを使い始めた」階層。
 後者=「いきなりスマホ」の「昌彦未満世代」。
 その思考過程は、大きく異なる。たまたま、結論が同じでも、その論証過程は深度も領域にも「格段の差異」。

 241119投稿。「深刻な民主主義の危機は、メディアと教育の責任」と前川氏はXに投稿。
 産経のネットは伝える「20日午後6時時点で710万超閲覧され、3000超のコメントが寄せられている」、と。
 前川氏は 20日18時過ぎに、早速投稿。「学べば治る。賢くなれる。斎藤(氏)を当選させた兵庫県民も」。

 傾聴しようではないか。見つめようではないか。「聴かぬ、読まぬ、考えぬ世代」の未来を。
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《読まず、聴かず、調べず・考えず・自身変えず》育てたメディア&教育
《読まず、聴かず、調べず・考えず・自身変えず》育てたメディア&教育

 元文部科学事務次官を務めた前川喜平氏が、兵庫県知事選挙結果を承け書いたらしい。
 SNSが若者の投票行動を変えた。そこを承けてアップ写真の投稿をしたらしい。
 「17日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、同日に投開票が行われた兵庫県知事選挙への思いを明かした」

 キツメに「この深刻な民主主義の危機は、メディアと教育の責任だ」と書いてある。
 紹介の「よろず~ニュース」 は、早速、記載に寄せられた投稿者に批判的な論を。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/0d5c69cd8a1af6ff6bb3f1640052371bfa01503d

 「自分達の意見が通らなければ民主主義の危機っておかしくないですか?」と疑問の声も。
 「(斎藤氏は111万票以上を獲得しての当選だけに)兵庫県の有権者を馬鹿にしすぎです。」
 「兵庫県の有権者はこのコメント見てどう思うかな?」と
 「狂気」扱いされた有権者の思いを気遣うコメントもあった。

 「2時間番組のサスペンスドラマの視聴率が上がらなくなった」→「見る、聴く」の力量減退ではないか。
 「本を読まなくても良いワケ10項目」→「読む力」の減退では。
 「(世界に類例のない産業公害の水俣で)偏見・中傷・差別、根深い対立が生じた」
 →「(その原因は)調べる力、考える力、創る力の衰退にあった」。

 「CMで消費者の欲望を刺激し、自身が持っていないと<不幸>と感じさせている」。
 前川氏の指摘。「民主主義の危機は、メディアと教育の責任」の背景に次の三点。

 1)詰め込み主義の学校教育、
 2)売り手側の消費者訓練、
 3)政権=数論理で議論封印。
 いかがであろうか。この先に浮上するコト。記載を控えておこう。
《読まず、聴かず、調べず・考えず・自身変えず》育てたメディア&教育

 元文部科学事務次官を務めた前川喜平氏が、兵庫県知事選挙結果を承け書いたらしい。
 SNSが若者の投票行動を変えた。そこを承けてアップ写真の投稿をしたらしい。
 「17日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、同日に投開票が行われた兵庫県知事選挙への思いを明かした」

 キツメに「この深刻な民主主義の危機は、メディアと教育の責任だ」と書いてある。
 紹介の「よろず~ニュース」 は、早速、記載に寄せられた投稿者に批判的な論を。
 
 「自分達の意見が通らなければ民主主義の危機っておかしくないですか?」と疑問の声も。
 「(斎藤氏は111万票以上を獲得しての当選だけに)兵庫県の有権者を馬鹿にしすぎです。」
 「兵庫県の有権者はこのコメント見てどう思うかな?」と
 「狂気」扱いされた有権者の思いを気遣うコメントもあった。

 「2時間番組のサスペンスドラマの視聴率が上がらなくなった」→「見る、聴く」の力量減退ではないか。
 「本を読まなくても良いワケ10項目」→「読む力」の減退では。
 「(世界に類例のない産業公害の水俣で)偏見・中傷・差別、根深い対立が生じた」
 →「(その原因は)調べる力、考える力、創る力の衰退にあった」。

 「CMで消費者の欲望を刺激し、自身が持っていないと<不幸>と感じさせている」。
 前川氏の指摘。「民主主義の危機は、メディアと教育の責任」の背景に次の三点。

 1)詰め込み主義の学校教育、
 2)売り手側の消費者訓練、
 3)政権=数論理で議論封印。
 いかがであろうか。この先に浮上するコト。記載を控えておこう。
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市井の読者、その読書録 立川柳田國男を読む会2003年10月
 市井の読者、その読書録 立川柳田國男を読む会2003年10月

 21世紀幕開けの歳。武蔵野の一都市で、市井の読者が民俗学者・柳田國男の武蔵野紀行録を読み上げた。
 後藤総一郎監修『柳田国男の武蔵野』。A5判198ページで(株)三交会から出版された本は市井の読者の、丹念な読書録なのだ。
 目次を紹介してみよう。

 武蔵野概説 開発の足跡  立川柳田国男を読む会代表 市職員(1954年生 男)
 柳田国男の武蔵野観 その風景論をめぐって       無職(1947年生 男)
 武蔵野の水 「野中の清水」を辿る       主婦(1938年生 女)
 武蔵野の道 鎌倉道上ツ道を歩く            主婦(1935年生 女)
 砂川村の開発と信仰の諸相               主婦(1940年生 女)
武蔵野 郷土研究をめぐる葛藤  立川民俗の会々員   市職員(1954年生 男)
 柳田国男の「民俗学」と武蔵野  病院職員(1947年生 男)
 柳田国男の「武蔵野の昔」 本文と注釈       立川柳田国男を読む会々員
 あとがき                     編者代表

 本BLOG筆者は2022年7月から市内で「ぶぶる1st~14th」に参加している。
 小生がその前月、中央図書館文学館で開催の講演会で、話をした点が発端」
 「市内に頒布の観光地図、文化財資源MAP」。「あれは観光客向けと決め込んで、市民はサッパリ日常で活用しないではないか」。

 話を聴いていた女性が立ち上がった。「でわ、MAP使って、ツアーを開く」。
 行動は早かった。「中学生対象に<マチなか>めぐり」。それが困難と知るや、すぐさま<大人有志>に切り替えた。
 釧路空襲のあった7月14日。栄町平和公園の碑を訪問。それを含めて<橋北ツアー>を計画。

 中央図書館で話のあった「ぶぶる」。「遊ぶ」の「ぶ」、「学ぶ・真似ぶ」の「部」、自身を「褒める」の「る」。
 歩くの遊ぶ、現地の考えるの学ぶ・真似ぶ。終わって、盛大に「美味を味わう=褒める」を催事名にすかさず、選んだ。
 歩く、考えるの素材は、もちろん原田康子&桜木紫乃の作品群。

 集って、歩き、考え、ご馳走を前に談笑するとき、関係者の一人として念頭に浮かぶ本。
 それが、ここに紹介。『柳田国男の武蔵野』。そしてもう一冊『柳田国男の歩いた武蔵野』なのだ。
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「重厚感ある煉瓦造り」の外装、内に「ビン・カシワ作品群」 喫茶・詩留絵燈=釧路市鳥取北
 喫茶・詩留絵燈は、釧路市北4丁目20番で「紛れもなく老舗」と知られる。

 「レトロなカフェで重厚感のある煉瓦造り」「内装もなかなかおしゃれ」。
 「 令和の新しさ」「おしゃれさもいいけど、古さを感じる重厚感もなかなか良く」
 店内にはビン・カシワ(本名 柏崎敏一)さんの作品群。その迫力も魅力的。

 故人となられた柏崎敏一さんに、令和6年度 釧路市文化賞(芸術部門ー美術)が贈られた。
 「事績」は「釧路市ホームページ」に公開されている。(別記)
 式典に来賓で出席された、松原慶子さんがInstagram: 『令和6年度 釧路市文化賞』 授賞式に。

 と、記載して下さっている。
 「『令和6年度釧路市文化賞』 授賞式に参加」。
 「故「柏崎敏一」様(雅号:ビン・カシワ) 芸術~美術…ご子息が出席」。

 「お二人のご挨拶に心から感動しました」。
 ビン・カシワご子息「困った時、どんな時も味方でいてくれた父。昨年、やり残したことはないという言葉を残し、安らかに眠りについた。」と
 釧路市文化賞の授賞 本当におめでとうございます!。
 (https://www.instagram.com>kebuosan)

 因みにその事績。
 釧路市ホームページ「令和6年度 釧路市文化賞・文化奨励賞(令和6年8月29日掲載)」のURL.
https://www.city.kushiro.lg.jp/bunkasports/shougaigakushuu/1005705/1005682/1015041.html
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「ネズミの穴」で空襲火炎、校正ゲラムシ焼き 「宮沢賢治 (2)「春」と「修羅」」241117 nhkETV


  「ネズミの穴」通じて空襲火炎、校正ゲラを茶紙セピア文字に 「宮沢賢治 (2)「春」と「修羅」」241117 nhkETV

 「防空壕を作ったお蔭で憲治の原稿類は辛うじて残った」
 「しかし、その防空壕にはわずか、ネズミが通路ろした穴があったために、火炎が侵入し<ムシ焼き>状態になってしまった」。
 語るのは、若くして逝った宮澤賢治の遺品、遺作類の保存に努めた弟=宮澤清六(せいろく)の孫にあたる和樹さん。

 「シリーズ宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる (2)『春』と『修羅』のはざまで」(初回放送日:2023年5月28日)の終末近くで、語る。
 前段にあたる、<賢治の作品、世に知られ&今日まで残る>について、以下の記載が
nhk盛岡放送局の「岩手取材ノート」のなかに、あった。
 関係部分を抄出してみたい。

 「祖父を支えてくれた人たちの1人が高村光太郎先生」。
 「『春と修羅』を読んで、「もしかしたらこの作品は自分の作品よりも後に残るものになるかもしれないな」と思って周りの人に話していた」。
 「終戦間際の花巻空襲でも、賢治の原稿を守ったのは弟の清六と高村光太郎」でした。

 「東京大空襲で、当時駒込にあった自宅兼アトリエが空襲で焼けてしまうんですよ」。
 「それを聞いた賢治の父と弟の祖父は、すぐに光太郎先生に疎開しに来てくださいと呼びました」
 「花巻にやってきた光太郎先生は祖父に、防空壕はあったほうがいい、作っといた方がいいって」ことをアドバイス。

 「光太郎先生が言うのであればということで、祖父はすぐ家の裏に防空壕を作った」。
 「本当に8月10日、終戦の5日前ですね。花巻も空襲にあい、駅前からずっと延焼してきて家も焼けちゃうんです」
 「賢治さんの蔵書とか、使ってた文房具とか、そういったものは全部焼けてしまう」。

 「着てた衣類とかもね」。「でも、祖父は残された原稿類だけは防空壕と土蔵に分けて、それで焼けないですみました」。
  https://www.nhk.or.jp/morioka/lreport/article/001/79/  盛岡放送局 岩手取材ノート
 「NHK盛岡 岩手取材ノート」=「おばんですいわて 宮沢和樹さんが語る宮沢賢治~没後90年『賢治とわたし』」。

 ただ、そこでコトは終わらなかった。
 「防空壕にはわずか、ネズミが通路にした穴があったために、火炎が侵入し<ムシ焼き>状態になってしまった」。
 そう言うことなので、あった。

 

 
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奥蝦夷地移転勤務の本州人、その精神支柱、択捉対象の地まで江戸のたたずまい敷衍 「史跡国泰寺跡」とは241114―前―
奥蝦夷地移転勤務の本州人、その精神支柱、択捉対象の地まで江戸のたたずまい敷衍 「史跡国泰寺跡」とは241114―前―

7分前2024/11/15 金曜日 08:21
奥蝦夷地移転勤務の本州人、その精神支柱、択捉対象の地まで江戸のたたずまい敷衍 「史跡国泰寺跡」とは241114―前―

 ◎史跡国泰寺跡の指定理由三項目
 1)幕府が和人の定着・慰撫を図り、蝦夷地の教化と法務活動を行なわせるために建立
 2)鎌倉・金地院 こんちいん 末寺で、東蝦夷地「境界」域が活動範囲、住職の多くは相模国・鎌倉五山から派遣
 3)建物の改修等により旧規を残すも、よく江戸時代のたたずまいを今日に伝える。

 注1「奥蝦夷」は、のちの十勝国、釧路国、根室国、千島国が対象。「ここから奥蝦夷」 は松浦武四郎筆『東蝦夷日誌』に見える。中華蛮夷思想で「中心=君主の徳およぶ地」「近隣」に接する「境界」に相当、その域外は「異域」に続く。
 注2)指定対象「江戸のたたずまい」は、「山門、東面する本堂、天保6年の石仏、天保13年建立の仏牙砂利塔、歴代住職の墓所があるほか、東方の丘上には竜王殿・馬頭観音堂・神明社跡」としている。
 注3)今日的には付随する「風除林 一〇町四方」の林相&植生を加えることで、「杜と海は<水>でつながる 往時からの漁業、水産のマチ」たるシンボルゾーンの位置あり。
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「一夜限りの華に酔う  釧路キャバレー「銀の目」復活」 ぶぶる14随想録
 「一夜限りの華に酔う  釧路キャバレー「銀の目」復活」 ぶぶる14随想録

 「銀の目のお話ありがとうございます」「私もおかげさまで元気にしております」。
 返信をいただいた。去る日、たまたま頂戴したメッセージに返して、次の点に言い及んだ。
 「(10月)12日、桜木紫乃さんの作品鑑賞で、銀の目さんの跡に立ちました」「K>Yさんが<銀の目復活>を試みられたお話で、話題になっていました」。「あの時、Kさん主役を務められました」。

 この記載を裏づけるデータはないか。「釧路 銀の目 一夜 K.Y]。
 そのキーワードでヒット。https://npxds523.blog.jp/archives/18281790.html nissiさんblog .
[2015年06月25日投稿 一夜限りの華に酔う  釧路キャバレー「銀の目」復活」

 (転載させて頂くに)
 【釧路】釧路の夜を40年近く彩り、約20年前に閉店した道東最大のキャバレー「銀の目」が24日、市内のホテルで一夜限りで復活した。生バンドや当時の専属歌手らが懐かしい音楽で盛り上げ、かつての常連客ら約550人が華やかな夜を楽しんだ。
 同店は釧路の繁華街末広で1958年に開店。客席約400、従業員約100人と道東最大規模を誇ったが、漁業不振や経済の低迷なども影響し、97年に閉店した。65年から73年まで同店にホステスとして勤務した釧路商工会議所女性会の吉田和代会長(75)の提案で、復活が実現した。
 吉田会長が「ようこそキャバレー銀の目へ」とあいさつした後、会場に生バンドの演奏が流れ、元専属歌手の藤田良子さん(84)が往時と同様の伸びやかな歌声を披露。参加者もダンスフロアで華麗に踊り、盛り上がった。

 さてさて。次なる番は青木商事さんの伝記えおお持ちのお方。文献で裏づけてくださいませ。 (写真は「ニュー東宝」店 釧路新聞社 1969年)
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「地経学」という概念 「なぜ今、日本企業に注目?」nhkG「おはBiz・・・」241111
「地経学」という概念 「なぜ今、日本企業に注目?」nhkG「おはBiz・・・」241111
「地政学」=「地理的な条件から国と国との関連性などを分析」。対して。
 「地経学」=「地理的な条件から「経済」の視点を組み合わせた学問領域」
 そういうことか。
  一つの指標は2020年2月、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長・船橋洋一氏が『地経学とは何か』(文藝春秋社 文春文庫)を出版した。

 安倍政権はすぐさま、飛びついたようだ。当該書出版紹介によると、「地経学」の定義は、次のように。
 「国家が、地政学的な目的のために、経済を手段として使うこと」。
 <もはや庶民の暮らしなどどうにでも、政治献金してくれる企業のために、便宜を>

 ともかく船橋著は、今、時代の要請=その必然性を四点の「地経学」を示す。「長期的かつ構造的な地経学的挑戦」の必要か。傾聴してみよう。
 1)第四次産業革命を牽引する技術とイノベーション
 2)グローバルサプライチェーンを握るコネクティビティ構築のための戦略的インフラ投資
 3)国際秩序を構築するためのルール・規範・標準の設定
 4)気候変動による新たなパワー変動と脱炭素化の経済社会構築による国際競争力の変化。

 ここまで読んで、さてさて。ネットで検索。再視聴も不可能ではない。
 「なぜ今『地経学』が日本企業に注目されているのか 」24.11.11(月)
 https://www3.nhk.or.jp/news/contents/ohabiz/articles/2024_1111.html
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「地経学」という概念 「なぜ今、日本企業に注目?」nhkG「おはBiz・・・」241111
「地経学」という概念 「なぜ今、日本企業に注目?」nhkG「おはBiz・・・」241111
「地政学」=「地理的な条件から国と国との関連性などを分析」。対して。
 「地経学」=「地理的な条件から「経済」の視点を組み合わせた学問領域」
 そういうことか。
  一つの指標は2020年2月、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長・船橋洋一氏が『地経学とは何か』(文藝春秋社 文春文庫)を出版した。

 安倍政権はすぐさま、飛びついたようだ。当該書出版紹介によると、「地経学」の定義は、次のように。
 「国家が、地政学的な目的のために、経済を手段として使うこと」。
 <もはや庶民の暮らしなどどうにでも、政治献金してくれる企業のために、便宜を>

 ともかく船橋著は、今、時代の要請=その必然性を四点の「地経学」を示す。「長期的かつ構造的な地経学的挑戦」の必要か。傾聴してみよう。
 1)第四次産業革命を牽引する技術とイノベーション
 2)グローバルサプライチェーンを握るコネクティビティ構築のための戦略的インフラ投資
 3)国際秩序を構築するためのルール・規範・標準の設定
 4)気候変動による新たなパワー変動と脱炭素化の経済社会構築による国際競争力の変化。

 ここまで読んで、さてさて。ネットで検索。再視聴も不可能ではない。
 「なぜ今『地経学』が日本企業に注目されているのか 」24.11.11(月)
 https://www3.nhk.or.jp/news/contents/ohabiz/articles/2024_1111.html
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ピンク→オレンジ→黄色の「明るい色」 晴天誘う朝焼け240922
ピンク→オレンジ→黄色の「明るい色」 晴天誘う朝焼け240922

241011 「 朝焼け 美」のキーワードで「朝焼け・夕焼け|au天気」が答えてくれた。
 https://weathernews.auone.jp/au/satellite/redsky_topic.html
「空が赤くなる仕組み=空が濃く鮮やかな色に染まる」は「空気中の水蒸気量が多い」が要因、と。

 でわ、地域によって「<朝焼け>の美しい&それほどでもない」が生ずるのは、なぜ?。
 「冬の季に、<晴天の日>が多い」は、その一つの答えではないか。
 写真は、北海道東部の港湾都市で<秋分の日>の撮影。

 ほかに、CAPA編集部  2019/12/30 18:15さん。
 「幻想的な『朝日・朝焼け』のおすすめ撮影スポット13選―早朝のみ出会える絶景がある!」  https://getnavi.jp/capa/special/308137/ も。

 その13選中、上位5選を拝借。<地域の美景>提示に努めようではないですかー。
 (1)霧島連山の眺望が開ける魚野テイクオフ場(鹿児島)
 撮影地の詳しい情報はこちら→ https://getnavi.jp/capa/guide/uono_takeoff/
 (2)冬の錦江湾の「けあらし」(鹿児島)
 撮影地の詳しい情報はこちら→ https://getnavi.jp/capa/guide/kinkouwan_winter/
(3)雲海から昇る美しい朝日(北海道)
 撮影地の詳しい情報はこちら→ https://getnavi.jp/capa/guide/bihorotouge_asahi/
 (4)海から姿を現した冬の風物詩「ダルマ朝日」(徳島)
 撮影地の詳しい情報はこちら→ https://getnavi.jp/capa/guide/murotomisaki_daruma/
 (5)辺戸岬から望む朝の風景(沖縄)
 撮影地の詳しい情報はこちら→ https://getnavi.jp/capa/guide/hedomisaki/
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座禅の禅僧、威神力で龍神に仏教帰依 曹洞寺院に龍王殿&漁業者<ひょう・依>聖地
 座禅の禅僧、威神力で龍神に仏教帰依 曹洞寺院に龍王殿&漁業者<ひょう・依>聖地

 曹洞宗寺院には龍王殿 りゅうおうでん が備わる。
 24年10月、善寶寺龍王講編集・発行『龍澤山 龍王講だより No54』を恵与されて、思わず、うなった。
 「大漁満足 奉願請 龍澤山善寶寺 海上安全」の臨済寺院で発する「奉牌」にお目にかかったことがあった。

 善寶寺信仰が<海に生きるなりわい>の庶民に、篤い信仰。
 その思い深めたいたが、本冊子で山形・善寶寺が曹洞宗寺院にして龍王講の法縁。
 表紙に見える龍王殿絵天井の豪華さに、注目した。

 確かに、たしかに。北海道東部の名刹・定光 じょうこう 禪寺も明治中期の龍王殿を伝承している。
 市内最古の木造建築。そうした時代もあったが、今や鉄筋コンクリート。絵天井は健在。

 「坐禅をしたお坊さんの威神力によって龍神が仏教に帰依したという点」「それによって禅と龍神信仰という民衆信仰が結びついた」「龍神講が盛んになった」。
 山形県善寶寺住職・五十嵐卓三師が対談「新春対談 2024年 辰年 龍神さまにまつわるお話」で、宗教人類学者・佐々木宏幹氏に語っている。 
   https://www.tsuruokakanko.com/course/6685

 そういうことなのか。殊に善寶寺にとっては、次の点も見逃すことが出来ないのであろいう。
 「日本海に蒙古軍の襲来があった際、羽黒山の鏡池より<九頭龍王>が日本海へ飛んでこれを撃退したのだという謂れがあるそうで」。
 確かに。恥ずかしながら『龍澤山 龍王講だより No54』を頂戴して、善寶寺が曹洞宗寺院、共通するように同派寺院に龍王殿奉祀の背景も得心。

 漁業を手広く営まれる過程に、善寶寺信仰&龍王信仰が行き渡る点も納得することに。
 「ひょう・い」。それは「憑依」と書いて、「頼りにすること。よりどころにすること」。転じて「霊などがのりうつること」とも、解する。
 聖地。別名を「パワースポット」。
 若者に「パワースポット=お手軽で効果が穏やか」。しかし、経営者にとって聖地=強烈で<あう、あわないがはっきり>してる。 暑信と浄財。その信念が異なる。
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藪そば・茶蕎麦・蘭切・蕎麦寿司・更科蕎麦 文化庁「(百年続く)百年フード」=蕎麦241101HBC
 そば・茶蕎麦・蘭切・蕎麦寿司・更科蕎麦 文化庁「(百年続く)百年フード」=蕎麦241101HBC

●札幌の30歳台♀が発問。「釧路の蕎麦は緑色、なぜか、ほかには蕎麦がないのか」。釧路には独特の食文化が根付いて、いると。
●釧路には独特の食文化が根付いて、いると。
 1)フレンチドッグ、
 2)かしわぬき、
 3)中華饅頭、
 4)ジンギスカン鍋、
 5)餃子?、→(筆者注)むしろ「ザンギ」ではないのか。
 6)藪蕎麦。

●起源=「かんだやぶそば」 新蕎麦の時期は緑色になるが、時間が経つと色が悪くなるので、緑色を保つため「そばもやし」を入れたのがはじまり。現在は「クロレラ」を用いている。(竹老園 伊藤純司社長)

●発色の差異=「茶蕎麦」の緑は濃く、「藪蕎麦」は淡い緑。「明らかに緑の濃さが違う」(HBC)
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「地域で文化を創る」に注目下さり 釧路市文化賞頂きました241103
 挨拶「地域で文化を創る」に注目下さり 釧路市文化賞頂きました241103

令和6年度 第69年次の釧路市文化賞を賜り、厳粛な思いです。
一に「地域を文化で創る」に注目し、評価くださったかと光栄に思います。生涯学習で、このマチに住んで良く、来釧の方を失望させずに、何度も足はこんでくださる。それを目指してきました。
二にこれまで縁あったお方に贈られた文化賞。代表し受け取らせていただきました。「地域で文化」を創った人に支えられ、鍛えられました。「地域で文化を創る」を目指す方に育てられ、授賞は皆様のお力です。
ご来賓、ご関係の各位にお運び頂き、最前は釧路市長、釧路市議会議長 様から懇ろなお祝辞をいただき、感動しています。
釧路短期大学の杉本学長が推薦してくださいました。形になり目にみえる事のみならず、むしろ目に映らぬ意味・意義を示されています。地域の文化財、史跡及び歴史資産の所在を明確化しは意味。著作や教育普及を通じた「文化財価値・保護の重要性」の指摘は意義にあたります。
もとより評価分かれる点を、ご理解下さった文化賞審議会委員の皆さん。その決定を「諒 ヨシ」とされた釧路市教育委員会委員のお一人、お一人に、深く敬意を申しあげます。
家族をなし半世紀あまり。地域課題に向き合う時間と自身への投資に理解を示し、支え続けた連れ合い、子ども、それに兄弟妹たちに謝意を呈することお許しくださいませ。
ここに長きにわたり見守り、支え続けてくださった、皆さん。真にありがとうございました。感謝の言葉とさせていただきます。(佐藤宥照)
◎釧路市公式ホームページ(240829 釧路市文化賞) https://www.city.kushiro.lg.jp/bunkasports/shougaigakushuu/1005705/1005682/1015041.html
◎凸凹旅行舎公式ホームページ(240829 釧路市文化賞) http://dekoboko.biz/%E5%87%B8%E5%87%B9%E6%97%A5%E8%AA%8C/%E4%BD%90%E8%97%A4%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%81%E9%87%A7%E8%B7%AF%E5%B8%82%E6%B0%91%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E/
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やはり知性と文化に期待 どうすれば戦争はやめられるのか 作家 宮内 勝典241101
 やはり知性と文化に期待 どうすれば戦争はやめられるのか 作家 宮内 勝典241101

 (末尾)わたしは長いこと異国で暮らしているうちに、宗教、人種、古歌など、アイデンティティ―に固執することが人間の根源的な病ではないかと思うようになった。
 アインシュタインとフロイトの往復書簡では、人間の知性や文化に期待すると語られていたが、たしかに音楽や思想は、すでに国境を越えて、アイデンティティ―の拡大に向かっている。現実の残酷さにくらべると歯がゆいけれど、やはり長期的には、そこに望みを託すしかないと思われる。(『北海道新聞』 24年11月1日 6面)

 ★A.アインシュタイン&S.フロイト『人はなぜ戦争をするのか』(花風社、2000年 講談社学術文庫 2016年)
 1932年、国際連盟がアインシュタインに依頼した。「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。」選んだ相手はフロイト、テーマは「戦争」だった――。宇宙と心、二つの闇に理を見出した二人が、戦争と平和、そして人間の本性について真摯に語り合う。養老孟司氏・斎藤環氏による書きおろし解説も収録。
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産卵地縮小・国際間協議 漁獲量不足のスルメイカ=身近でも視野外で危機241031
 産卵地縮小・国際間協議 漁獲量不足のスルメイカ=身近でも視野外で危機241031

 10月31日放送であったか「スルメイカ不漁 回復阻む厚いカベ」。
 身近にありながら、食卓から遠のいている寒冷地漁業の代表的漁業種目。
 要因多様。「産卵地縮小」「資源量推定難解」「漁獲量国際間協議テーブル機能せず」。

 スルメイカの産卵時季に二つの要因。
 秋生まれ群(10~12月)産卵→日本海で索餌場、主漁場とその回遊経路。
 冬生まれ群(1~3月)産卵→太平洋で索餌場、主漁場とその回遊経路。
                 (水産庁HPより)(木所ら、2008)

 函館市場で出回るスルメイカと釧根で水揚げのスルメイカは発生群を異にすると。
 故に「スルメイカの不漁が深刻」。「背景には、海の環境変化があるとみられ」
 「資源量の回復には他国との連携も必要」。「庶民の味を守るため・・・・・」する現状。

 さてさて、ご理解いただけるものか。
 241031放送、mhkG「みみより!解説 スルメイカ不漁 回復阻む厚いカベ」
 必見。https://www.nhk.jp/p/ts/X67KZLM3P6/episode/te/3MQX7587XR/。
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