2024 11/30 09:26
Category : 書評
何か、違う!!。三井&三菱に比べ。鈴木謙一著『住友 企業グループの動態』(中央公論新社 1966年)
「資源搬出型経済」。そこに終止符を打たざるをない、当地方の経済再生の鍵こそ<住友の時代観、経営展望>にヒントあり。その思いを抱いてきたからである。
読んでみたい。その思いを持ちつづけてきた。<何か、違う!!。三井&三菱に比べて>なのだ。
その原点は戦後の財閥解体に直面して描いた<グランドデザイン>。そう申すべきではあるまいか。
中公新書『住友 企業グループの動態』著者の鈴木謙一氏は「はじめに」冒頭で紹介。
「住友再建の努力」。それが「住友結束の要=本社機能をいかにして復活するか」にあったことは言をまたないが、とする。
ある意味、財閥解体の対象となった企業に、それは共通する命題ではあった。
しかし、住友では社内に芽生えた「結集派」と「自立進展派」とする二つのグループの流れが、「相補って住友グループを強化する方向に導いた」(i~iii p)と、まず書く。
とりもなおさず前提は「(戦前・戦時の)膨大な軍需を失い、素材部門偏重の住友」。 それが廃墟と、さらには財閥解体の追い打ちの時に、「戦後社会に適応条件を見つける最大の課題に立ち向かう時」の、路線選択とする。
結集派=「(住友銀行頭取 堀田庄三を頂点とする)新しい結集条件の形成に努力」のい一団。
「自主推進派」=「戦後産業経済構造の変化の中で、いかにして自社の地位向上をはかるかに専念」の住友金属工業社長・日向芳斉、住友化学社長・長谷川周重に代表される集団
なにやら、結集派=投資・金融、自主推進派=重化学工業。ソフト&ハードの基盤差異からのアプローチのようにも見えるが。
そこが補完しあう。その点に<Key>が内包されている、ようだ。かく整理して、続きを読むことにしよう。
実はここまで、著者の関心は「(64年東京五輪後の)戦後最大の不況期以来、住友が大きくクローズアップされてきた”不況の強さ”」、他方で「高度成長期には、創業型経営者や産業トラスト型ビッグビジネスの影に隠れ」て存在感が薄かった。
そこを問いなおす。実は問題関心が、そこに示されているのだ。
そのこととは全く別に、本書を読み、検討しようとする要素は、冒頭に「何か、違う!!。三井&三菱に比べて」にあった。
「資源搬出型経済」。そこに終止符を打たざるをない、当地方の経済再生の鍵こそ<住友の時代観、経営展望>にヒントあり。その思いを抱いてきたからである。
「資源搬出型経済」。そこに終止符を打たざるをない、当地方の経済再生の鍵こそ<住友の時代観、経営展望>にヒントあり。その思いを抱いてきたからである。
読んでみたい。その思いを持ちつづけてきた。<何か、違う!!。三井&三菱に比べて>なのだ。
その原点は戦後の財閥解体に直面して描いた<グランドデザイン>。そう申すべきではあるまいか。
中公新書『住友 企業グループの動態』著者の鈴木謙一氏は「はじめに」冒頭で紹介。
「住友再建の努力」。それが「住友結束の要=本社機能をいかにして復活するか」にあったことは言をまたないが、とする。
ある意味、財閥解体の対象となった企業に、それは共通する命題ではあった。
しかし、住友では社内に芽生えた「結集派」と「自立進展派」とする二つのグループの流れが、「相補って住友グループを強化する方向に導いた」(i~iii p)と、まず書く。
とりもなおさず前提は「(戦前・戦時の)膨大な軍需を失い、素材部門偏重の住友」。 それが廃墟と、さらには財閥解体の追い打ちの時に、「戦後社会に適応条件を見つける最大の課題に立ち向かう時」の、路線選択とする。
結集派=「(住友銀行頭取 堀田庄三を頂点とする)新しい結集条件の形成に努力」のい一団。
「自主推進派」=「戦後産業経済構造の変化の中で、いかにして自社の地位向上をはかるかに専念」の住友金属工業社長・日向芳斉、住友化学社長・長谷川周重に代表される集団
なにやら、結集派=投資・金融、自主推進派=重化学工業。ソフト&ハードの基盤差異からのアプローチのようにも見えるが。
そこが補完しあう。その点に<Key>が内包されている、ようだ。かく整理して、続きを読むことにしよう。
実はここまで、著者の関心は「(64年東京五輪後の)戦後最大の不況期以来、住友が大きくクローズアップされてきた”不況の強さ”」、他方で「高度成長期には、創業型経営者や産業トラスト型ビッグビジネスの影に隠れ」て存在感が薄かった。
そこを問いなおす。実は問題関心が、そこに示されているのだ。
そのこととは全く別に、本書を読み、検討しようとする要素は、冒頭に「何か、違う!!。三井&三菱に比べて」にあった。
「資源搬出型経済」。そこに終止符を打たざるをない、当地方の経済再生の鍵こそ<住友の時代観、経営展望>にヒントあり。その思いを抱いてきたからである。