三井&三菱とはなにか、違う!! 住友財閥=大番頭の一員 広瀬宰平の生涯学習姿勢241201
 三井&三菱とはなにか、違う!! 住友財閥=大番頭の一員 広瀬宰平の生涯学習姿勢241201

 三井&三菱とはなにか、違う!! 。その大一番は「四国別子銅山」閉山後の跡地修復。
 近隣に展開した三菱系炭礦の跡地が、荒廃のまま放置され、関係記録を地元に一切、残そうとしなかった。
 その差異はどこにあるか。このことを考えつづけてきた・・・・が。

 あるとき、広瀬宰平=&伊庭 貞剛=イバ サダタケの存在と、そのユニークな生涯学習のプロセスを知った点に始まる。
 確か愛媛の地から大坂の識者に書簡を書いて、教授をうけ、盆暮れに<使い物>して知識と知恵を学んだ。
 そうしたことではなかった、か。

 愛媛県生涯学習センターのHP記載。
 「明治維新の動乱期に住友家の事業を存亡の危機から救うため尽力し、特に土佐藩により銅山が差し押さえられそうになった際、その阻止に奔走」と書く、
 しかし、その<前段>があった。
 鈴木謙一著『住友 企業グループの動態 2 」で戦後、「結束の住友」の要因を3点。

 第一に、住友の各事業は銅を基盤とする技術連関で発展し、相互依存性が高い。
 第二に、戦前の住友では、本社一括採用で社員は住友各社に入る前に、住友財閥に入った。
 第三に、銀行を中心として信託、生保の強力な金融勢力のあったこと。

 さらに「住友の結束」と「グリーンツーリズムへの先鞭」を読み解いてみることに。