「老者舞経由」or 「老者舞―尻羽口―別尺泊経由」口昆布森―仙鳳趾陸路道中241123
「老者舞経由」or 「老者舞―尻羽口―別尺泊経由」口昆布森―仙鳳趾陸路道中241123

「釧路から昆布森を通り、今の道道142号(シーサイドライン)と同じ
ルートで、セキネップあたりから、内陸に入り」、
 なるほど。
 『陸地道中絵図』に「仙鳳趾」の図面がありますねー。ご指摘のように「元仙鳳趾」と呼ばれ、今日の字名は「古番屋」です。その景観図によると、仙鳳趾旅宿はその南側にある丘陵の法面を下る道筋が記載されており、急な崖を下って旅宿に入る。そんな図になっております。
 恐縮ながら①1955年ころからの潜入観念が小生にはありまして、現在の老者舞に「大洋中学」という学校が設けられていました。近年まで「知方学小学校」がありますが、その学校、老者舞・跡永賀・汐見=セキネップの小学校卒業生が通学した学校。児童から生徒に転じた通学生は、海岸部を「波の引き際を見計らい通学」と聴いてきました。
 ②1970年頃、尻羽岬にある公衆便所のあたりから、別尺泊=べっしゃくどまり に行く道があり、NHKのディレクターと出かけてみたことがありました。③その道が2003年ころには残っておりました、ですねー。そこで①②③の記憶をつなぐと、北海道々*尾幌昆布森線とは別に「老者舞―知方学―尻羽岬分岐点=公衆便所―別尺泊入り口―古番屋)の道もあったのかと。
 そうですねー、近く、老者舞―知方学を郵便集配地区にしていた尾幌郵便局集配OBに聴いてみますわ。「別尺泊」への郵便配達どうしてましたー。

 一昨日「コンプモイ 昆布無以 昆布森」を下記に投稿。
 https://www.facebook.com/profile.php?id=100008107031694
 日野市にお住いのお方が、「クスリ」図&「コンプムイ」図ほか、『東蝦夷廻浦略絵図
』所収の図版を送ってくださった。
漸く佐藤宥紹編『釧路の近世絵図集成』(釧路市 2002年)を見つけだし、記録と記憶の差異は。