創作、地域研究の1955-70年。Golden Sixtyと言えるや210617
創作、地域研究の1955-70年。Golden Sixtyと言えるや210617。



 いろいろと案じてくださる方がおいでになって。1955年「もはや戦後ではない」からの15年を考える。

 Ⅰ.「担い手」の開花と集積
 1)「戦前・戦中の束縛・抑鬱」から解き放たれた「読まねば、書かねば」の第一世代。
  1947年2月、厚岸町の青年会が講演会を開催。「日本国憲法の奥義」に会場満杯の聴衆。
  1956年9月、太平洋炭礦(株)に企業図書館ができ、専任の図書館職員が配置されていた。
  十條製紙、釧路鉄道管理局、太平洋炭礦の職場で読書会や短歌、演劇のサークルが開設。

 2)旧制大学出身者が新制の学部教育で育てた学生が世に送り出される
  資料の不足を嘆きながらも、伝統的解釈とは別な新しい解釈が可能となった。
  農工商業専門学校教育を超える自然・人文・社会科学の研究手法が紹介された
  新制の大学、学部が地方都市でもあいつぎ設置され、研究・教育の階層が拡大。

 3)外部投資が拡大し、企業の出先勤務者が地域の文化活動に参加して質的深化を可能に。
  マスメデアが集積する成長都市。エリートを自認する階層が首都圏・道央圏で培ったノウハウを披瀝
  「誘致」がキーワードの時代、大型・近代・外来の企業が集積。
  大型・近代・外来の企業を補完する業種に多くの人材を抱え混むことができた、

 Ⅱ.「器」という発表のシステム
 Ⅲ.「紙」の町にふさわしい「本のマチ」