釧路新書
創作、地域研究の1955-70年。Golden Sixtyと言えるや210619。

 いろいろと案じてくださる方がおいでになって。1955年「もはや戦後ではない」からの15年を考える。

 Ⅰ.「担い手」の開花と集積

 Ⅱ.「器」という発表のシステム=成果発表の受け皿が用意されたということ
 1)社会教育機関が『月報』を用意した。
  市立釧路図書館『読書人』
  釧路市立郷土博物館『釧路市立郷土博物館新聞』
  催事のお知らせにとどめず、『地域百科辞典』の意味をもたせた。

 2)文学団体が同人誌を一斉に刊行した。もちろん、有料頒布。
  文学 『北海文学』
  散文 『辛夷』『新墾』『釧路歌人会誌』
  企業 『北匠』(市役所)

 3)メディアが発表の機会を装置として提示。
  PG放送合唱団、PG放送劇団
  『北海道新聞』『釧路新聞』で須磨義、曽根樫次、吉田八天象氏ら。
  『東北海道』

 Ⅲ.「紙」の町にふさわしい「本のマチ」