2017年11月の記事


ETV特集「ロシア革命 100年後の真実」


ETV特集「ロシア革命 100年後の真実」
 極秘資料が次々に公開されているそうで。資料で判明の新しい知見.
1)亡命中のレーニンを支援したドイツ帝国の資金。=「日本の参謀本部やドイツ帝国の記録」
2)抵抗する民衆に向けた毒ガス使用の命令書。
 10月革命で権力を奪取し議会を閉鎖したレーニンは、反革命派に対するテロを容認、と.

 毒ガスで鎮圧されたタンボフの農民蜂起の現場を取材
「今もロシアで評価が分かれる」そうで、「革命の真実を新たな資料から探ってゆく」と.

 録画したつもりが、「視聴予約」だったようで、深夜にテレビが始動.録画は撮れず.(汗)
コメント (0)

日出二題 171123道東 0703


日出二題 171123道東 0703
 夕日と朝日.どちらが安定しているか.夕日の方が雲間の機会が少ないように思えるも.

 クッキリ顔を出す太陽.雲間のない阿寒岳.河口の水平線に沈む夕日.東、北、西の三代景観.

 撮影は171110につぐ.なにも明確な日出.ほかにもなかったわけでもあるまいが.
 「イヤされる」.そう思ったとき、カメラをむけることにするも.

コメント (0)

うっすらと白雪、溶けぬ1126 北海道東部


うっすらと白雪、溶けぬ1126 北海道東部.
 11月26日日曜日.朝は夜明け前に降雪.うっすらと白雪のベール.

 夜明けには雪はあがり、大地に薄い皮膜ながら、空には厚い雲が陽光を遮断.

 気温もあがらず、雪はとけることなく、午前10時25分.雲間に陽光.

 天の太陽、大地の白雪.霜月26日.太陽が天高く存在感を示すも、融雪にはもう少々.

 立冬を過ぎて、小雪の北海道東部、日曜日の午前.
コメント (0)

171127 紹介「試される大地 北海道」 No543


171127 紹介「試される大地 北海道」 No543
 平成10年10月、北海道総合政策部知事室は「試される大地 北海道」のロゴタイプ(文字デザイン)と、キャッチフレーズ「試される北海道」を発表します.

 ロゴタイプとキャッチフレーズは、全国から応募総数61,054点.その中から選定」された作品。
 背景に、「(前年、北海道拓殖銀行が)破綻し、北海道が厳しい経済状況に直面していた」ことを、払拭したいとのおもいが込められていました.

 「試される大地 北海道」、「試される北海道」の用語に、どのような意味、いかなる意義がこめられていたのでしょうか.
 (いずれも平成21年12月まで使用.その後2年間、使用する可能な時期が認められていました).
コメント (0)

日出ずる地の東方で、光彩と輝きの蝦夷太鼓!-後-​


日出ずる地の東方で、光彩と輝きの蝦夷太鼓!-後-​
 これらの足跡は我が郷土の大きな誇りとなって、
 昭和62年に釧路市文化賞、平成22年にサントリー地域文化賞を、同23年に北海道文化賞、同25年には文部科学大臣表彰を受けられました。

 「行き交う人を大事に」「太鼓は神々をよろこばせる」。
 地域発展のために、人の幸いのためにと立ち上げられた北海道くしろ蝦夷太鼓保存会。半世紀のこれまで、「芸能を芸術に」の心意気が尊いのです。来る一世紀にむけては<神々の期待に叶う>が、<志>となるのでしょうか。
(「北海道くしろ蝦夷太鼓保存会50周年記念公演プログラム」 171105).​
コメント (0)

日出ずる地の東方で、光彩と輝きの蝦夷太鼓!ー中ー


日出ずる地の東方で、光彩と輝きの蝦夷太鼓!ー中ー
 「常に新しい曲に挑戦」。「鼓の鼓舞」「ええいち」(水野修孝作曲)を世に問いました。「サルルンカムイ」(北海道くしろ蝦夷太鼓保存会 編)は「アイヌ文化と和太鼓を融合させ」、「釧路湿原に舞う鶴が悪の化身を追い払う様を表現」と、高く評価されています。

「大漁祈願太鼓」(飯田三郎作曲)、「去来現 北海の響き」「叡智天翔(えいちてんしょう)」(塚原鼓童作曲)。「打韻」「天海囃子」(細谷一郎作曲)。他に類を見ない蝦夷太鼓らしいオリジナル曲とその打法表現に努め、あいつぐ新曲の導入には「守りと同時に魅力のある新しい攻めの姿勢」(鳥居省三氏)と、評価が寄せられています。
(「北海道くしろ蝦夷太鼓保存会50周年記念公演プログラム」 171105).
コメント (0)

日いずる地の東国で光彩と輝きの<くしろ蝦夷太鼓>ー前ー


日出ずる地の東方で、光彩と輝きの蝦夷太鼓!ー前ー
 神々と共にある<惟神=かんながらの国>、麗しい<瑞穂>の大地、日本。
 その地図に宮太鼓演奏集団の拠点を添えるなら、信州・岡谷の御諏訪太鼓、能登・輪島の御陣乗太鼓が光彩を放っています。視線を東へ転ずるに<北海道くしろ蝦夷太鼓>がその一隅を照らしている点も、広く認められるに至りました。
 本年で誕生し50年、その記念するべき節目です。

 御諏訪太鼓に感銘をうけ、「文化釧路の名物を育てあげる」昭和42年、石田榮一氏(後の保存会会長)を中心とする釧路市末広歓楽街の有志は篤い決意のもと、和太鼓の演奏集団を立ち上げました。「音の響き方」「日本古来のリズム」「芸術として究めてゆく」。そのためには、「常に新しい曲に挑戦」「真実の音の追究」「日本を代表する太鼓に成る」これまでの演奏をささえてきた、高い理念です。
(「北海道くしろ蝦夷太鼓保存会50周年記念公演プログラム」 171105).
コメント (0)

1110313 富士・機内


1110313 富士・機内
 外付けハードディスクのデータ補充をつづけていますがー.
 先日、CD-ROM保存の写真データを取り込んで.

 羽田空港から広島空港にむかう便の機内から一枚.
 トリミングして、マイクロソフト社の「Picture Manager」ソフトで修正を加えてみると.

 いやいや、原画の画像も貼っておきましょう.



 東日本大震災.
 その前に帰省中の娘一家を送りながらの一景.11日の発生後一日おいて、13日搭乗便となりました.
コメント (0)

札沼線 「バス代替も」=新十津川駅区間
札沼線 「バス代替も」=北海道医療大学~新十津川駅区間の沼線、



 その終点は新十津川駅で、今、日に一往復の列車が運行.
 北海道医療大学 07:50→09:28 新十津川
 新十津川    09:40→10;57 北海道医療大学

 12分間の停車では、さしたる用事も果たせまいが.

 その新十津川町は和歌山県の十津川から移住者が開いた場所.
 なんの因果もないが、1996年11月17日に「日本版金融ビッグバン」.10日後の11月26日に第二地銀の和歌山県内「阪和銀行」が破綻.

 1998年11月17日.都市銀最下位の北海道拓殖銀行が破綻.

 金融政策と鉄道政策の大きな転換.結果、痛手をうける地域の発生.→思考京成のメモほどのことながら.



 1996年11月17日 金融ビッグバン 橋本内閣「2001年までに完成・実施」.

 「日本版金融ビッグバン コトバンク=日本大百科全書」
 欧米に遅れをとっていた日本の金融市場を活性化するため」
 「橋本龍太郎内閣が1996年(平成8)末に打ち出した金融大改革」。
 「『2001年までに東京をロンドン、ニューヨーク並みの市場に』をスローガンに」
 「銀行、証券、保険会社の業務をがんじがらめに縛ってきた規制を緩和・撤廃し、国内金融機関の国際競争力向上を目ざした」。
コメント (0)

大好きマグロ!!、北海道デビューの時―前―


大好きマグロ!!、北海道デビューの時―前― 
 マチに残る記録、釧路で活躍した人のお話に、「ヘェー、そんなことが」と、思う点がたくさん。
 釧路港がマグロの水揚げでにぎわった時があります。昭和3年から6年にかけ、「マグロの釧路、マグロ日本一」といわれた時代です。

 米町に住み、大正10=1921年に生まれた末蔵さん、10歳時の思い出。
 「五人家族の家で十銭も出したら、ハラスやトロのウマイところを、それこそ二束三文で買えた」
 「赤身のところなら百匁(約370g)で三銭。(マグロを)ネギでネリミソ汁にして食べた」。

 当時の物価はお米なら10㎏18銭です。
 「家族5人 ミソ汁で食べる」に注目し、「二束三文」のことばには「捨て売りの値段=それほど安い」という意味があります。

 日本人はマグロ好き。今や資源保護の観点で国際的関心事となっています。
 でも釧路港にマグロが水揚げされた時代は、<マグロ消費拡大>の段階。マグロがまだ家庭で知られず、価値が十分に知られていない時代です。
 (釧路のマグロは昭和4年に300万貫。1貫=3.75㎏として1125トンとなる計算です)。

コメント (0)

「期待される時代」&「試される時代」
「期待される時代」&「試される時代」

1)地域資源の陳腐化、海外資源への代替
2)本州は北海道経済の面倒をみることができなくなった.
3)経済指標の縮小、右肩下がり

北前船の情報、北海道東部への就航状態、基本文献
昭和11年の行幸、大正11年の行啓、各記録の所在.
コメント (0)

ニセコ町中央倉庫群・むかわ町甘酒・北見・農家が見える豆料理 各地が元気=NHK北海道


ニセコ町中央倉庫群・むかわ町甘酒・北見・農家が見える豆料理 各地が元気=NHK北海道
 171116 NHK北海道のニュース.道内3カ所の取り組を紹介.

 見逃した方にはネットでも紹介されているところが、ありがたい.

 地域で持続的な域内循環.口コミを通じて質保証という点が、たいせつかと.

コメント (0)

清楚=イソギク 11月17日「花言葉」 


清楚=イソギク 11月17日「花言葉」
 イソギクは、千葉県犬吠崎から静岡県の御前崎の海岸に自生する、日本固有種の野生菊です。
 栽培は江戸時代から始まっており、現在では逸失したものが自生地以外でも野生化しています。

 花期は10月~12月上旬。

 花期になると茎の頂部に、花径1.5㎝程度の頭花を散房状に咲かせます。
 頭花は筒状花のみで構成されており、花弁はありません。
 派手な花ではありませんが、花の少なくなる時期に咲くため、鮮やかな黄色が印象に残ります。
 https://shiny-garden.com/post-543/ 

コメント (0)

データ示す安定に重点投資 家事家計講習会・釧路友の会2017


データ示す安定に重点投資 家事家計講習会・釧路友の会2017
 69回目にあたるそうで.釧路友の会の家事家計講習会.活動拠点の「釧路友の会会館」で開催に、お誘いがあって.

 「家計簿をつける意味」、
 「保育報告」
 「身体に良い食事」、「バランスの良い食事」、
 「書籍紹介」、「試食」と続くプログラムの中で三名の方が、体験発表.



 1)手づくり食品のモチベーション&スキル停滞のなか、貴重な努力。
 2)実に<安定>を引き出す軌跡、高等教育投資が家計に重荷の実態。
 3)家計簿は意味をもたせた支出の勲章、自らの努力を<褒める証>に。
 
 最初の1)は、「外食はほとんどせず、朝=手造りパン、来客=家庭料理」の発表に、
 次なる2)は、「1982年以来の家計簿記録=ほぼ毎月20万円強の支出、大学通学時に35万円超」と、聞いて、
最後の3)「家計簿をパソコン操作」での発表を聞いて、思ったところ。

 写真はお顔を伏せて撮影してみたが、会のFaceBookでは、このように開示。
 「https://www.facebook.com/kushirotomonokai/ 釧路友の会」
 
コメント (0)

映画「陰陽師」 2001年作品


171113 帰宅後BS衛星放送で映画「陰陽師」。野村萬斎主演で安倍晴明役を演じたことは著明であるらしい。

きらびやかな宮中。「にょしょう」が行き交う美の中で天皇の子に異変。

鬼、怨霊・妖も出現し、<この世>と<あの世>が曖昧な時代に、邪悪な存在を鎮める役割を託される陰陽師。

特撮。相当にファンタジーな要素が多いなかに、「妖艶な魅力をもつ主人公の安倍晴明」と。

不思議な力で災いを取り除くが、そもそも<呪い>を被せるのも人間。権謀術数のはかりごとの世界に振り回される<美>と<闇>。

18時30分の放送開始、20時52分の終了。

『世界大百科事典』内の「安倍晴明」の項目。
「《今昔物語集》には,識神(式神)(しきがみ)(陰陽師が術を用いて駆使する神)を自在に駆使して老僧との術くらべに勝った話や,草の葉を投げて蛙を殺した話が載せられ」、と。
コメント (0)

試される時代の北海道 平成10年8月


試される時代の北海道 平成10年8月
 最近、「試される時代の北海道に生きる」ということを考えております。その形成プロセスは歴史学の問題ながら。
 かと申して、形成の道筋だけでは「だから、どうした?」となりますと、説得力がなくなりまして。そこで。

 1)地方分権の時代に<地域主権>を確立=本社機能の強靭化
 2)多角的、複合型経営で、マーケット縮小を生き抜く。
 3)オンリーワン=唯一非代替の附加価値を豊富化する。

 これまで、4)持続 的可能利用、
 5)域内循環、
 6)口コミで相互に品質保証=CM一元化消費に対抗のワイズユース(賢明な活用)、

 これだけでは、追いつかないなー、と。
コメント (0)

大池・薬師寺・三笠山 奈良


 五木寛之出演「百寺巡礼」.171110は「薬師寺・人吉別院・四天王寺」.

 「薬師寺」の冒頭は、大池から薬師寺の東塔、西塔に
伽藍をのぞみ、背景にある「若草山(三笠山)」を見通す景から、始まる.

 奈良を訪問した1966年2月.「新薬師寺」は訪問するも、薬師寺はこのたび映像で、初見.

 天武天皇が后のために「発願」との説明があったようで.しかし、業なかばに倒れ、事業は后だった持統天皇の手でとの説明と記憶.

 朱輪=大池、緑輪=薬師寺、黄地=若草山.棒線が寛之氏指摘の視線.
コメント (1)

子どもの時から聞くも 四天王寺


大阪の四天王寺.太子建立の寺院として小学6年生の時には耳に.

眺めたことも、訪問したこともないが171110 午後10時からは放送があるようで.

作家の五木寛之氏が巡遊する薬師寺(奈良)、人吉別院(熊本)、四天王寺(大阪)の放送.

録画で楽しむことにしているけれども、立ち寄れないところも<お目に>かかることができそうで.

http://www.shitennoji.or.jp/history.html 「四天王寺の歴史」



「推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです」
「(『日本書紀』)物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が」
「形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願.
「勝利の後その誓いを果すために、建立されました」、と.
コメント (0)

姫林檎 いただきました


 いただきました.「姫林檎の木です、秋なのに花が咲いて」と、記載が.

 季節はずれ.滅多にないことなのでしょうが.楽しませてもらっています.

 季節ハズレに咲いて、本番の折の開花はと、案じられる点でもありますが.

 リンゴなら結実も.その推移が気になります.今は、大いに楽しみたいとおもいます.
コメント (0)

バターで不足、<大砲>も アメリカの貿易赤字解消策


バターで不足、<大砲>も アメリカの貿易赤字解消策
 優子女史が申されたことあり、「戦後の給食、実は過剰農作物の解消を日本にむけた」.
 政権は申す.「アメリカは戦後の日本を救ってくれた」.

 新大統領も就任して10ヶ月.選挙で誕生して一年.
 アジア同盟国を歴訪し、「韓国、「数十億ドル」規模の米国製兵器」.ここでは記載しないが、本邦も.

 アメリカの貿易赤字.
 自動車の見返りに、余剰農産物輸入.牛肉、酪製品、粉末ミルク.酪農家は輸入飼料給餌がマニュアル化されているの、観.
 「自動車を売りつけているには、バターの購入が足らんぞー」.

 そこを、より明確に「貿易赤字補填は、米製兵器を大量に買って、よ」.消費税10%か、来年まで待てるのー?.
コメント (0)

処理の名案 漁場の拡大 マグロ漁業ー後ー


処理の名案 漁場の拡大 マグロ漁業ー後ー
 友人の紹介で、米町にお住まいの川出末蔵さん(七七歳)という方から、この時期の末広かいわいのお話を承ることができた。大正十年生まれの川出さんにとって、昭和十年といえば十四、五歳の時である。

 錦町の市場に出刃包丁もって、マグロ解体のアルバイトに行った。二人一組で身の丈ほどのマグロから、頭・尻尾・内蔵をとる作業だった。五人家族の家で十銭も出したら、ハラスやトロの美味いところを、それこそ二束三文に呉れた。赤身のところなら百匁(約三百七十グラム)で三銭。(マグロを)ネギで和えてミソ汁にして食べた。
 金輪の馬車に魚を積んで運ぶ。山盛りに積んで運ぶものだから、馬車が揺れりゃあ魚を路上に落として歩く。ババガレイ・マガレイは金だして買ったが、ほかのカレイならみな魚粕にされた。

 野坂朔五郎さんの回想録に、獲れすぎたマグロの処理に困り昭和九年の産業博覧会で良家の子女を対象に料理教室を開いた、とある。
 『三ツ鱗釧路魚市場史』によれば、昭和十一年に入舟市場を閉鎖して錦町を本場とし、大町に分場を開設したと言う。魚扱いの拠点は、とうとう釧路川をわたり錦町に移転した。
コメント (0)

漁場の拡大 マグロ漁業ー中ー


漁場の拡大
 ここで注目しておきたいのは、〝マグロ〟〝沖合から遠洋〟〝鱈・鰈・目抜鯛〟のキー・ワードである。釧路水産の紹介で、ニシン・サケ・マスは年々減少しているがマグロがあるよ、と言っている。マグロがあるけれども、タラ・カレイ・スケソだって頑張っているよ、誇っている。漁場は沿岸から沖合、沖合から遠洋へと転じているよ、とも言い及んでいる。

 ここに言われている〝沖合から遠洋〟への意味は、西は襟裳岬、東は色丹沖での釧路漁船の活躍をさす。漁船動力化の成果であり、マグロや鰈・鱈など底魚を追っての活躍が特筆される。

 マグロが釧路近海で大量に漁獲されたのは、寒流が弱まったために暖流が勢力を増し、マグロが釧路沖に接近したという調査報告を読んだことがある。
 釧路港に水揚げされるマグロは、昭和六年からは減りはじめ、昭和十七年を最後に休止するのだとされている。日中戦争が拡大し昭和十三年からは漁船が軍需品輸送に徴用されて、マグロ漁業の発展を押さえたとも言われている。
コメント (0)

漁労更生 マグロ漁業ー前ー


漁撈更生 釧路港とマグロ漁ー前ー
 昭和十年の市勢要覧『釧路市』の口絵を飾ったのは、二階から三階にかさ上げされた釧路市役所庁舎、幣舞橋北橋詰めから対岸を望んだ景、釧路港(二点)、まぐろ、それに釧路の冬の海の六点であった。冬の海の写真解説にはしらしらと氷かがやきという啄木の短歌が引用され、こんなところにも前年に歌碑の建立されたことが、影響を及ぼしていた。

 さて、口絵の一つとなったまぐろ。実はそろそろ終わりに近づいていた。最盛期は昭和四年から六年にあった。しかし、まだ漁は続いている。要覧の水産の項を眺めておこう。この年の要覧の記載は、誠に意欲的である。
 漁場の経営は過去幾百年にわたる伝統事業であるが、旧慣を踏襲することに満足し、新研究・顕著な改善の跡はみられなかった。しかし、ニシン・サケ・マスの漁獲が年々減少し、これに財界の不況が重なって、生活の脅威となるに至った。
ここへ来て局面の打開として漁撈更生が叫ばれ、沿岸漁業から沖合、さらには遠洋へと転向するに至った。ことに「鮪の港」として天下に名声を博する「漁港釧路」であり、六月より十一月まで釧路港を根拠に出漁する発動機漁船は二百隻をこえ、「帆檣林立、舷々相摩」の殷賑振りである、と。

 魚種交代、経済不況、マグロへの信頼がにじみ出た文である。文中、帆檣は「はんしょう」と読み、舷々相摩は「げんげんあいます」、殷賑は「いんしん」で、帆柱は林のように船のふちがすれあうごとき海上での激しいにぎわい、を形容する。
このあと、鱈・鰈・スケトウタラ・目抜鯛・大鮃などの漁獲もあなどりがたく、加工でもフィッシュミール・ソボロ・開き鱈・コンブについて北海道内外への移輸出が激増、と紹介している。
コメント (0)

滔々・迫力・落差 阿寒川源流


滔々・迫力・落差 阿寒川源流
 阿寒湖からほとばしる阿寒川の源流部・そういうことにはなるが、正確には阿寒川の大きく膨らんだ部分が阿寒湖の湖面と申すところであろう、が.

 この景観、いまは残念ながらお目にままることができない.
 滔々たる水量、迫力のある落差、ほとばしる水.
 
 松浦武四郞筆「久摺日誌」に登場、この場面.察するに<融雪水>が<ほとばしる>図、か.
 現地に訪問、到着の日は安政5年3月27日か.新暦によみなおすと5月10日に相当.

 連休明け.いまなら湖水の氷をわって遊覧船が就航.刊行シーズンの幕開けを伝える.
 氷.氷上の雪.山並みの融雪.皆いっせいに<水>に転じ、一気に湖面に.

 ほっておけば結氷の時季の大型連休.それもあけて一気に<融解>.
 氷もとけて水位も上昇.その時節の訪問.滔々・迫力・落差の意味.
コメント (0)

雌雄阿寒岳 松浦図


雌雄阿寒岳 松浦図
 松浦武四郎筆『久摺日誌』。その10丁目、11丁目に本図が見開きで掲載されている。
 見開きで描写、掲載されてはいるも両図は別な角度から眺めた図であると、推量される。

 右手に「雌阿寒」と記載。
 山岳の左手に「ルー・チシ」の表記があるから、足寄側から眺めた景観ということになる。
 太平洋側からの視点なら、「ルー・チシ」は右手に位置することになる。図中の「ヌー=湯」は、湖畔の湯元湧出を示すものか。

 対して左図に「雄阿寒」。
 手前に湖面が描写され、「チウルイトウ」「ホロモシリ」「ポンモシリ」などの記載。
 あきらかに阿寒湖の湖面と、湖面の諸島を示す。どうも同じ視覚で両岳を描いたというものでもないらしい。
 雄阿寒岳は湯元付近から、雌阿寒岳は釧北峠を越ええて<振り返った>後の、記載か。

 さらにジックリ考察が不可欠ながら。
コメント (0)