漁労更生 マグロ漁業ー前ー


漁撈更生 釧路港とマグロ漁ー前ー
 昭和十年の市勢要覧『釧路市』の口絵を飾ったのは、二階から三階にかさ上げされた釧路市役所庁舎、幣舞橋北橋詰めから対岸を望んだ景、釧路港(二点)、まぐろ、それに釧路の冬の海の六点であった。冬の海の写真解説にはしらしらと氷かがやきという啄木の短歌が引用され、こんなところにも前年に歌碑の建立されたことが、影響を及ぼしていた。

 さて、口絵の一つとなったまぐろ。実はそろそろ終わりに近づいていた。最盛期は昭和四年から六年にあった。しかし、まだ漁は続いている。要覧の水産の項を眺めておこう。この年の要覧の記載は、誠に意欲的である。
 漁場の経営は過去幾百年にわたる伝統事業であるが、旧慣を踏襲することに満足し、新研究・顕著な改善の跡はみられなかった。しかし、ニシン・サケ・マスの漁獲が年々減少し、これに財界の不況が重なって、生活の脅威となるに至った。
ここへ来て局面の打開として漁撈更生が叫ばれ、沿岸漁業から沖合、さらには遠洋へと転向するに至った。ことに「鮪の港」として天下に名声を博する「漁港釧路」であり、六月より十一月まで釧路港を根拠に出漁する発動機漁船は二百隻をこえ、「帆檣林立、舷々相摩」の殷賑振りである、と。

 魚種交代、経済不況、マグロへの信頼がにじみ出た文である。文中、帆檣は「はんしょう」と読み、舷々相摩は「げんげんあいます」、殷賑は「いんしん」で、帆柱は林のように船のふちがすれあうごとき海上での激しいにぎわい、を形容する。
このあと、鱈・鰈・スケトウタラ・目抜鯛・大鮃などの漁獲もあなどりがたく、加工でもフィッシュミール・ソボロ・開き鱈・コンブについて北海道内外への移輸出が激増、と紹介している。