2017 11/19 06:12
Category : 時代
大好きマグロ!!、北海道デビューの時―前―
マチに残る記録、釧路で活躍した人のお話に、「ヘェー、そんなことが」と、思う点がたくさん。
釧路港がマグロの水揚げでにぎわった時があります。昭和3年から6年にかけ、「マグロの釧路、マグロ日本一」といわれた時代です。
米町に住み、大正10=1921年に生まれた末蔵さん、10歳時の思い出。
「五人家族の家で十銭も出したら、ハラスやトロのウマイところを、それこそ二束三文で買えた」
「赤身のところなら百匁(約370g)で三銭。(マグロを)ネギでネリミソ汁にして食べた」。
当時の物価はお米なら10㎏18銭です。
「家族5人 ミソ汁で食べる」に注目し、「二束三文」のことばには「捨て売りの値段=それほど安い」という意味があります。
日本人はマグロ好き。今や資源保護の観点で国際的関心事となっています。
でも釧路港にマグロが水揚げされた時代は、<マグロ消費拡大>の段階。マグロがまだ家庭で知られず、価値が十分に知られていない時代です。
(釧路のマグロは昭和4年に300万貫。1貫=3.75㎏として1125トンとなる計算です)。