2015年09月の記事


帰巣 モシペツ川


 帰巣 モシペツ川.
 地点は<養老牛の滝>.標津川支流のモシペツ川に形成された滝.
 産卵のため誕生の上流に向かう、婚姻色の個体.

 二家族で小旅行.
 「主婦の留守を守る夫の会」例会 兼 「なにをしても女性に呵られる男の会」例会.
 それって「なに?」と聞かれても、説明が長くなるが、口実はいくらでも作ることが可能.

 サケ産地.
 標津川は野付水道で海洋に.サケ漁業では<町>としては、最大の水揚げ量とされる標津郡標津町.
 母体の支流の滝の前で、帰巣本能の躍動を、みた.
コメント (0)

健康的な生活 健康な生活
 健康的な生活 健康な生活.
 月曜日の夕方は、20分ほど時間できて、スーパーで商品選び.

 添加物.
 これをつかっていないなーと思う菓子.「きびだんご」「乾パン」.缶詰で「鯖の水煮」「カラフトマス水煮」.

 やや少ない.
 添加物がやや少ない.「アミノ酸」とある缶詰.「鯖味噌煮」.でも、アミノ酸は化学合成品かなー.

 老人向け宅配弁当.
 聞けば5日まとめて宅急便でおくるようだ.テレビのCM.美しい品揃えは「栄養のバランスもよく」.

 「健康的な生活」とは申されたが、「健康な生活」とは、いわなんだ.
 「食べていると弊害があります」「だから健康的な生活」なのです.そう申しているように、うけとめられたが.

 なぜなら
 「栄養バランス」は申したが、保存料・着色料・PH調整剤などなどの表示は、テレビの画面では伝えられなかった.
コメント (0)

港=見晴らしが良く 長崎
 港=見晴らしが良く 長崎.
 「ここに?」と思うほど外海からは目立たぬ位置に、ヒト・モノ・情報が、集まった.
 長崎は、そうした地点と、おもう.



 外国人・異文化・折衷(せっちゅう).
 英仏蘭中のフォーリンナー.中華街・キリスト教会・出島、ちゃんぽん・尾曲がり猫・蘭学.

 坂.
 ヒト・モノ・情報を求めて張り付いたヒトが開いた、<坂のマチ>.
 シンガポールあたりから、恐らく舟腹のネズミ防止で積まれてきたネコ、坂で必要な時間を埋め.回復するためであったか<市電>の交通.

 外国と.
 異国と接すゆえの合理性.しかし、<坂>はなんといっても<人力>.
 「(若かった時分は)この階段、スカートにハイヒールで歩きましたが、今は、とてもトテモ」.
 商品を宅配する兄ちゃんは、毎日、それぞれの坂を、90キロの荷物を背負って、50軒の配達.先に笑顔が待っておる.

 電動式移動.
 「行政はなんにもしない」.新興都市でなら生じる声に、答えた.
 わかりやすくいうと、<公衆電話のボックス>.坂道にしつらえられた鉄柱の間を移動する、昇降機.
 都市も高齢化.高齢の市民に<福音>か.

 8月9日の原爆.一本柱の鳥居が健在.空に手製の凧・タコ.
 半島に囲まれた、入り江をわたり吹き抜ける風が、タコを空に舞いあげる.(NHK『新日本風土記 長崎』 2013年6月7日放送らしいが、最近、再放送を録画で).
コメント (1)

赤城神社 上野国


 赤城神社 上野国.標高1320メートル内外.

 赤城山
 群馬県のほぼ中央部.前橋市と桐生市の境にある山ということに.
 長七山=標高1579メートル、地蔵岳=同 1674メートル、
 
 大沼
 そこをはさんで黒檜山=1828メートルなどの嶺で構成されている.
 赤城神社さんのお方と昨年、お会いすることができた.いずこに?.

どうも大沼の湖岸に位置している.地図で追いかけてみた.

 沼の南端
 「旧赤城神社」.湖面に張り出した半島地形に、赤城神社.
コメント (0)

常勝の圧力か遠い経験差か プロ野球


 常勝圧力か遠い経験差か プロ野球.
 終盤のセントラルリーグ.
 プロ野球を<組織の編成><組織力を引き出す力>として、観察することがある.

 巨人ーヤクルト戦.
 常勝球団の不振から、一位・二位の対決も、<天王山>とは申しがたい.
 二位チームが連勝しても、所詮は<並ぶ>にすぎない.敗戦すると、脱落のはじまり.首位チームが勝つと、<勢い>が.増す.

 プレッシャー.
 ここにきて、プレッシャー.というのも春以来、<低打率>側に、<跳ね返す力>がついてきた、のか.<一時の馬鹿力>か.
 ここからは<精神力>と<シブトサ>の<せめぎ合い>と、なりそうであるも.

 常勝圧力? 遠い経験の差?.
 最後.常勝を求められているチームが目をさますのか、プレッシャーに抑えられるの、か.
 断然、有利な首位チーム.忍び寄る<次チーム>の足音をバネにできるか、それとも遠い日となっている<勝ちに遠い>チームが、立ち止まるのか.

 残り試合.
 首位チームが一つ多いが、最終戦で試合が組まれている両チーム.最後の試合で決着は.営業的には一番.
 しかし、後にクライマックス・シリーズ.興ざめでは、ないか.
 所詮、順位はチーム間の営業権争い.それは、言いすぎであろうか.
コメント (0)

日本橋界隈 011230


 日本橋界隈 011230.
 東京都中央区日本橋.この界隈を歩いたのは、2012年12月30日のこと.

 本州の暮れと新年.
 それを経験と、上京.広島から上京させた子と落ち合った.
 「哀れな娘のために、衣服を一枚」.そう嘱望されて、日本橋・三越へ.
 地下鉄で降りて、橋をわたった記憶.もちろん、頭の上には首都高速道路があった、ような記憶.さだかではない.

 最近、放送でみた.
 三越と白木屋.堀をはさみ、日本橋をはさんで向き合っていた、と.

 三越.
 その名から越後商人を連想した時期もあったが、そもそも<三井越後守>の号をもつ、六角氏に仕えた在地の武士と聞いた.

 白木屋.
 「初代大村彦太郎の母方の河崎家は近江の国の材木商」にして、「京都の白木屋は材木商の傍らで木綿類や日用品の販売」、と.

 近江商人・伊勢商人.
 ここでも、向き合うか伊勢の商人と近江の商人.
 その起源は?、江戸膨張とともに商圏を東国に拡大.近世をどう、棲み分けたのか.
 関心をもつところ.
コメント (0)

随所に工夫、湖畔の草花(木)の春・夏・秋 『春採湖畔花ごよみ』
 書誌風に記載すると、
 釧路市立博物館友の会編『ガイドブック 春採湖畔花ごよみ 200選+α』(2007年 初版)ということに、なる.
 過日その第2刷(2009年発行)を、執筆者のお一人から頂戴した.



 「随所に工夫、湖畔の草花(木)の春・夏・秋」ということになる.
 春採湖は本市東部に位置する市中の湖.国指定の天然記念物生息地であり、一帯は公園.しかも、「日本の歴史公園100選」のひとつと、される.

 湖畔のお花畑は、湖面の北東部.公園を設計した本多静六博士が<襟裳岬>と命名した地点を含む位置にある.そこをA~Hの8地点に区分し、トータルで「255種類を整理し、ガイドブックを作成」と、「はじめに」で紹介している.

「随所に工夫」
 そこに注目すると、その第一.「4月~5月に開花」「6月~7月に開花」「8月から9月に開花」と、暦で最盛期の開花を追いながら紹介している.
 工夫の第二.全255種とされる2003年から同05年までに確認した個体から、市民投票で「心に残る花 200選」を選定した.
 「200選+α」のα部分55点は、いわば「選外」ということなのだ、そうだ.「市民との近接」と、巧みに親密性を高める工夫を見てとれる.
 工夫の第三.それは整理視点の明確さにある.その意味は、「(花の)芽吹き・つぼみ・開花・満開・残り花・結実・終わり」の過程を、3年間にわたり<緻密>な調査を積み重ねた点に示されている.

 「完成の満足感」
 本書は「はじめに」によると、「釧路市立博物館友の会の会員有志」によって取り組まれ、完成した.
 友の会会員として、「目的を持ち、意図的にかかわりたい」.その強い意志が、5年に及ぶ事業として結実させ、今にいう「サクセスストリー」を完成させた.紹介者に手渡してくださったお方の<満面の充実感>が、この間の<いきさつ>を物語っているように思えた.
 それは地域を、「探検、発見、放っておけん」(尾藤安弘著『まち再生の術語集』 岩波書店 2013年)の衝動に突き動かされた結果かもしれない.
 だが、努めて「繊細」「丁寧」「緻密」「繊細、丁寧、緻密、、簡潔」(原 研哉著『日本のデザイン-美意識がつくる未来-』(2011年 同)にまとめあげた点に、強く賛意と敬意を表しておく.
コメント (0)

耕地・人口 江戸時代


 耕地・人口 江戸時代.
 『地方消滅』などと言われる.
 <消滅>か<維持>かの分岐点は、「子どもを産める女性の占める割合」と、申されている、が.

 大石慎三郎著『江戸時代』.
 すでに発行されて時間がたつも、読まれている本がある.
 なかに農業用地.つまり耕地面積を、長期的に把握した表がある.
 これに、これまた長期的にみた、我が国の人口推移を重ねてみた.(長期的人口推移はネット掲載データながら).

 元禄・享保期.
 耕地・人口とも、<元禄・享保期>と呼ばれる西暦1700年前後に注目しなければいけないことを、知る.
 そこに、<急増期>から<漸増期>に転ずる、画期がありそうである.

 耕地=棒グラフ.
 表は、人口を折れ線、耕地を棒グラフで図示させてもらった.
 棒グラフが折れ線グラフを上まわる、
 古代.西暦930年&西暦1600年前後は、まだ土地生産力が低く、人口支持力が低かった.
 西暦1720年、1874年ともなると、棒グラフを超える折れ線グラフで表示され、生産力の向上を暗示する.

 今日(こんにち)
 現代のように、GDPでは示しにくい.が、時勢を反映する数値はそれなりに残されていると、言うことか.
 
コメント (0)

岩保木水門 090521


 岩保木水門 090521.
 建設する契機となった災害がある.大正9年8月9日からの<大雨>.降水量は400ミリと伝えられています.
 釧路川下流部は、一面冠水しました.



 冠水範囲.
 それはおおむね、青線の内側と整理した資料があります.
 あわせて当時、数枚の写真を絵はがきで発売して、知らしめるところがありました.



 港湾堆積土砂.
 これを港湾外に誘導する予定の釧路川切り替え計画は、この被災で急がれることになります.
 そもそも目的は、<港湾堆積土砂除去>.被災をテコに、工事はすすみ<本流治水><中心街乾燥化>を、結果しました.

 ところが、隘路も.
 そもそも本流の流れにそって設けた木材集積場に、<流路変更>で木材が届かなくなりました.
 治水と土砂堆積を排除しつつ、木材も必要な地点に.
 両様解決.そこで配慮されたのが、水門設置.

 釧網本線開通.
 実際に木材は、河川輸送から鉄道輸送に切り替えられた.
 ために水門を開いて流水を通過させたは、<一度あった>と、聞いていますよ.
コメント (0)

阿寒双岳 150921


 阿寒双岳 159921.秋、空気が澄みきるせいか、秀峰が手に取るように.
 カメラを取り出して、数枚.
 雌阿寒岳&雄阿寒岳を両方一度に眺める場所=双岳台(そうがくだい).そういう場所が、確かにある.



 背が低い.
 雄阿寒岳は向かって右手にあって、湖畔をはさみ<左大臣>.
 静かなること、山の如し.沈黙を守る.



 背が高い.
 向かって左にまします、雌阿寒岳.こちらはシバシバ噴火を起こすこともある、激しい気性.
 爆発することがあっても、庶民は<おヒス>とは、いわない.
 というより、申すと<トンデモ>ないことに.
コメント (1)

岩保木水門 090521


 岩保木水門 090521.
 釧路川から新釧路川を分水した分流点にある水門.地形図で示させていただきますよ.

 釧路湿原
 そこは微妙な傾きながら、<西高東低>.これを<冬型気圧配置>と、呼んでいます.泥炭地植生を流れる河川は、いちばん東の丘陵地にちかい、釧路川に流入するのです.



 昭和初期設置.
 その<昭和水門>に近づいてみると、なかなかの偉容です.
 扉のところで、<川の流れ>はかわっているのです.
 
 屈斜路湖
 そこから流れてきた釧路川は、扉の向こうに消えていっています.
 かわって、扉の前から<新釧路川>がはじまります.川の先には、釧路湿原が広がっています.

 土砂堆積.
 人工的に、流路変更、河口の港湾に土砂が堆積することを、<防止するため>でした.

 仕事に行き詰まったら.
 この場面で、悠久の大河の流れをジーッと見つめてもらっています.

 <川の流れに悠久><泥炭地植生に広大>.
 そこで時間を過ごしていただき、<退屈>がはじまったら、場所を離れて<家路>をめざしていただき、ます.
コメント (0)

岩保木水門 090521


 岩保木水門 090521.
 釧路川と新釧路川の分流点に設置されている.
 岩保木は「いわぽっき」と読む、釧路郡釧路町(くしろちょう)の地名.



 水門は二基ある.
 JR北海道の釧網本線に近い大型水門は新水門.
 どなたも申されないが、「平成水門」としておく.

 昭和水門
 奥の、それこそ釧路川と新釧路川の分流点に据えられたのが、旧水門.
 現在は二基の水門がある.釧網本線では季節的に、この近くを通過する列車が速度を落とす、釧路湿原ノロッコ号を運行している.
コメント (1)

年度別推移 自死
 自殺者の年度別推移.
 警察庁発表のデータがあることを知った.「年間3万人超」と言われているでは、ないか.



 放映番組から写真を撮影しようかと思案.ネットから引かせていただく、が.

 三万人.
 実は1998年からのことらしい.NHKETVはその間の背景を、拓銀・証券会社の破綻、景気の低迷、リストラと要因を説明.

 他方で「不況で自殺者が増える、とても豊かな国とは、言えません」.

 録画を見た日の深暁.安保法制が可決された.
 「自殺したくなったら、自衛隊へ」「場合によっては、公務災害が適用になります」.
 
 そう、思いたくないが.
コメント (0)

四氏の興亡 松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く―源頼朝から上杉謙信までー』


四氏の興亡 松尾剛次著『中世都市鎌倉を歩く―源頼朝から上杉謙信までー』.

 ある意味、鎌倉のイメージ革新、そこを迫る.
 鎌倉は今に連なる、首都圏の一翼.源氏の棟梁が開府したことは余りに著明.しかし源氏三代、北條一族の継承後は歴史の視野から消える.しかし源氏・北條・足利・上杉の四氏に受け継がれ、「十五世紀の半ばまでは繁栄を続けた」(「はじめに」 ⅳ).

 イメージ革新.最初は、鎌倉開府の要因
 1)海に面し、中央と房総半島をむすぶ交通の要衝 2)源氏ゆかりの地 3)東・西・北の三方を山で、南を海に面する要害の地(5~6p).
 2)、3)は注目されたが、1)は相模国以外の地では意外なのかも.
 
 都市イメージの革新.その二は、北條氏滅後の鎌倉.
 そこを考古学の成果から、「(鎌倉の遺構・遺物は)十四世紀を通じ質・量ともにそれ以前と変らない」(102p)と示す.結論を言えば「(室町幕府の)鎌倉府の都(評者注=東国経営の拠点ということか)として繁栄をとげていた」(同)とする.

武将イメージの革新.
武将イメージとは大げさかも知れないが、上杉氏が「鎌倉公方」(144p)として鎌倉に存在感をもち、関東管領の補佐役から近世大名に転じて東北・山形で存在感を示した.信州での上杉を知る人は多いが、その出自が鎌倉にあった点を示してある意味、<下克上>の豊富化を読ませる.

著者は鎌倉新仏教の思想構造も手がけ、山形に奉職しながら本書で「鎌倉」を、書いている.
「寺としての鶴岡八幡宮」(15p)や、「遁世僧たちを核として成立した教団の仏教が鎌倉新仏教と考えている」(30p)は、前者の業績によるものか.他方で、上杉謙信の登場に一章をもうけて刮目させるは、後者のなかで培った問題意識かも.(中公新書  1997年).
コメント (0)

津波注意報 150918


 津波注意報 150918.
 「日本時間17日07:54頃、南米のチリ中部沖を震源とするM8.3の地震が発生」と、ネットに.
 これにともなう津波が、本邦にも到来、と.気象庁は注意報を発した.

 【津波到達予想時刻・予想される津波の高さ】
・北海道太平洋沿岸東部  18日05:00    1m
・北海道太平洋沿岸中部  18日05:30    1m
・北海道太平洋沿岸西部  18日06:00    1m

 1960年5月かに、同じチリ沖かで地震が発生した.
 これによる津波が我が国にも押し寄せた.当時、通学した市では鉄道橋が移動.ためにバス代替輸送で目的駅まで運んでもらった.

 居住地の東のマチでは、津波による人的被害があった.
 1952年3月の十勝沖地震で深刻な被害をうけた地域でもあったので、「まさか、まさか」の被災であった.

 「地震には津波」.
 その教訓は立派にあったが、「揺れもなかったのに、津波とは」.地球の裏側で発した地震でも、「津波が来る」.「津波の被害がある」.

 新しい学習経験であったと、おもう.
コメント (0)

オオバナノエンレイソウ 080607携帯写真.


 オオバナノエンレイソウ 080607携帯写真.世に<アメフリボタン>、

 亜寒帯の森林に見かける.白の三枚の花弁がシンボル.

 陽射しがながらえ、野鳥がさえずりをます夏の季節.

 地で開花、存在感を示すも、静寂.
コメント (0)

金沢城下の奥行 山出保著『金沢を歩く』
 金沢城下の奥行 山出保著『金沢を歩く』.元金沢市長が、市政の基盤と都市計画の思想を提示.
 冒頭の、金沢の規定がまず.圧倒する.



 「金沢というまちの『顔』はなんでしょうか」.その「顔」を、以下に提示する.

 「歴史と文化です」
 「ヒューマンスケールのまち」
 「水と緑の癒やしのマチ」
 「プライドイメージを追い求める、こだわりのまち」
 「もてなしの心とおもいやりのまち」「小さな世界都市」

 矢継ぎ早に並ぶ.「まち」と表記するにも<意図>があるのかも知れない.
 刊行のタイミングは、首都圏と北陸新幹線での結合を前に、記載された.

 読後感はこれからながら、その「顔」の例示に、旧前田家城下、金沢の奥行で読者を圧倒している.

 著者には、『金沢の気骨—文化でまちづくり』(北國新聞社 2013年)がある.
 これまで日本建築学会文化賞(2000年)、日本都市計画学会石川賞(2005年)を、受賞している.(岩波新書 2014年)
コメント (0)

竣工後、半世紀 仏舎利塔


 竣工後、半世紀.釧路仏舎利塔に修復の計画がもちあがっていた.
 堅固・不朽.そのようにも見えるが、見通しのよい丘陵に風雨の半世紀は、強固な建築物にもキシミ.

 左官店さんが一念発起.簡単なことではない.衆目のあつまる地点に、補強の資材.



 釧路仏舎利塔は、地域の新しいシンボル.
 旧来のシンボルは建物の高層化で、存在感をひそめている.
 仏舎利塔の周囲には、約1キロへだてて真宗寺院.500メートルの位置に祭宮、2キロ隔てて修道院.
 点在ながらもまとめて<東方の門前町>.新名所の体系を示している.
コメント (0)

耕地 人口 石高の推移 江戸時代


 耕地 人口 石高の推移 江戸時代.
 さまざまな報告の中から耕地と石高推移をみると、耕地の伸び率と石高の推移は<正の関係>にある、らしい.
 太閤検地時点で「300歩程度(=1反)で、1石」の計算であったと、される.1ヘクタールの収量は10石=1.5トンということか.



 江戸時代の人口は?と、言うと.
 米一石で一人を養うことができたとも、言う.そうすると幕末・明治維新時で、ほぼ3000万人.

 これを短期的にみると、天明、天保の飢饉時は、人口減少がおこり、また回復して増加を繰り返している.

 戦国から統一政権.政権と政情の安定で、新田開発がすすんだ.つまり、耕地面積は確実に増えた.
 しかし1700年代にはいると耕地面積の増加は、停滞期にはいった.石高も人口増も微量となった.

 そこに飢饉.
 単位あたり収量が激減.養うなうことのできる人口も減らざるを得ない.
 「減らざるをえない」ではなく、「口減らし」を行う<貧困>があった、か.

 さて、現代.
 人口減が予測されている.これまでにも人口減のあった貴台がある.
 しかし復元したし、増加にも転じた.これからの日本はどうなるか.

 江戸時代.人口減は政権に打撃となった.将軍家・大名家の赤字財政は、大いに膨らんだ.
 今、国家の借金.国債が増加の一途.整理のメドがない.その影響はいずれに.かつ誰が、背負うのか.
コメント (0)

寄港 幣舞橋界わい


 耕地と石高、人口推移.この三項目のグラフをつくったはずで、探している.見つからない.

 記載したはずの日付を入れて検索をかけるも、なかなか発見できない.
 もどかしくもあるが、気が滅入ることでもある.

 100813,マチ中を歩いて、そちこちでパチリ.寄港 幣舞橋界わい.
 橋のたもとでサンマ舟かを発見.置籍地=HK2 AM2などで県を確認、それから母港記載をみつける.石巻・境などなど、記載もある.

 この地を訪問してくださるお方に、居住地・関係地の<風と土>をお届け.
 ホンのささやかな、気持ちの表明.
コメント (0)

朝日桜 深谷家
 朝日桜 深谷家.釧路市住吉.すばらしい跡地が健在である.

 他方、「朝日桜」は住吉2丁目11番(住吉56番地)にあって、かつて操業していた酒造会社です。
 昭和44年当時、年間3200石といいますから、1.8リットル瓶で32万本の出荷ということになります。

 ひょっとすると、福司の生産量をうわまわっていたかもしれないという量なのですが、現在は創業跡地がそのままの姿で残されています。



 酒造元は朝日酒造合資会社というところです。
 創業は昭和6年。深谷助太郎という方が初代で。1970年頃、深谷清五郎さんという方が継承されていました。
 社長とそのご家族、つまり一族で固めた会社であったとされています。

 銘柄に「大桜(おおさくら?)」(昭和39年)、「黄金摩周(おうごんましゅう)(同40年)、「春一番」「王冠摩周」といった新種をあいついで開発、世に送ったとされています。

 1969年のことです.「釧路市開基百年」という行事の行われた年でありました.
 その時点で会社のめざしたものは「やつぎ早に新酒を編み出し深谷氏らしいアイデアと味で、愛飲家(あいいんか)に迎えられた」と、紹介されています。
コメント (1)

古代天文台&墓 環状列石
 日時計、北西の日没地点、時刻と方角の明示.創り、守ることで一体感と組織力の維持・養成.古代天文台&墓 環状列石

 現在において守る民間団体.地域のボランティア組織・



 2013年放送.2015年7月29日、再放送.「損得でモノ7ごと考え.そこで何を獲得しているか」(小林達夫氏).

 まがい物、二流品、売れ筋商品、お手頃価格.

(以下、番組広報)
 主に北海道・東北地方で発見される、謎のストーンサークル。
 正確な方角を示す日時計や、土留めの技術など、高度な技術を持った人々が、一体何を思って各地にストーンサークルを作ったのか?
コメント (0)

モノ売り&モノつくり


 モノ売り&モノつくり.数値を推移でみると、変化.



 落ち込み.いささか、大きい.郊外化で他の自治体に出店も影響しているであろうが.
コメント (0)

権威 保護 装飾


 権威 保護 装飾.テレビの放送で<兜を模した帽子>が紹介されていた.

 烏帽子 兜 野球帽子.烏帽子は冠、烏帽子は兜 兜は野球帽に転じた、か.

 冠は権威、兜は権威と防備、野球帽は権威と防備と装飾.防備はヘルメットで強化された、か.
コメント (1)

ニューミュージック クラシック音楽
ニューミュージックの時代に、クラシック文化.

ネット情報主力のときに、なぜ活字文化か出版文化か.

教育テレビ「100分で名著」、太宰治著『斜陽』の紹介を視聴しながら.

贅沢、ヒマ、高い金をかけて.他方では.

「他者には自己責任」
「自己責任に対する判断材料を奪い」
「ハンドルネームで自分では、責任の所在を隠す世界」

それぞれの強靱化、か.
コメント (0)

タンチョウ飛来 標茶町釧路川左岸


 タンチョウ飛来 標茶町釧路川左岸の道道筋.ここに、10羽そこそこのタンチョウ飛来地、が.

 さらに下流部の国道筋でも、ツガイがひと組.タンチョウ飛来地は湿原内部から、周縁の牧草採取地に拡大の思い.

 開運橋をわたりきって、右折.
 五十石橋のたもとに出る道筋で、お目にかかり、車をとめてもらった.
 2015年9月5日の午後.
コメント (0)

多和平展望台 標高195.2mの丘


 多和平展望台 標高195.2mの丘.

 総面積2,128haの大規模な牧場を管理し、効率的な飼育をおこなう標茶町育成牧場。
 牛と羊の保育所.そういうことかも.
コメント (0)

記憶にうすい二葉 携帯写真


記憶にうすい二葉 携帯写真.携帯電話カメラで写真の説明.画素数がすくないために撮影機会は少ない、が.
 しかし、溜まる.

 あとから眺めて思い出せないこのニ葉.上はどうやら池らしいが.日付はカメラの自動記録.
 それでも思い出せない.



 こちらは5月15日とデータにある、雅な写真.
 日付からすると<葵まつり>の場面でもある、か.でわ、テレビの映像か.
 その時期、京都に身を置いた記憶はないが.
コメント (0)

小藩の存立・展開 増川宏一著『伊予小松藩会所日記』
 四州・伊予国.
 松山の近隣に石高一万石の小大名が配置された.
 戦国が統一されなぜにの要因はさておいて、ともかくも一城が構成される.
 伊予小松藩.その小国大名家に残された家老の公務記録.そこを読み解き、地域の課題と地域の要請を提示する.
 小藩の存立・展開 増川宏一著『伊予小松藩会所日記』.


 大名家滞納、
 象徴的とも思えることが、大名家のかかえる天明期以来の返済期滞納が、半世紀後に再燃している.

 大名家財政の破綻を、一に参勤交代の出費、二に江戸藩邸の維持.構造的なモノととらえている.

 財政改革. 
 そのうえで、家臣初任給の切り下げ、俸禄の削減、特産品開発と列挙するも、財政再建は至難.これはある意味、地域の課題.

 幕末、京都守護で小藩なりに徒、足軽の派遣、士族身分の出仕.こちらは時代の要請.「分権」とは申しながら、構造的出費に立ち向かう藩体制の内的対応が、明示される.会所日記 (集英社新書 2001年) .
コメント (0)