2015 09/12 05:50
Category : 景観
朝日桜 深谷家.釧路市住吉.すばらしい跡地が健在である.
他方、「朝日桜」は住吉2丁目11番(住吉56番地)にあって、かつて操業していた酒造会社です。
昭和44年当時、年間3200石といいますから、1.8リットル瓶で32万本の出荷ということになります。
ひょっとすると、福司の生産量をうわまわっていたかもしれないという量なのですが、現在は創業跡地がそのままの姿で残されています。
酒造元は朝日酒造合資会社というところです。
創業は昭和6年。深谷助太郎という方が初代で。1970年頃、深谷清五郎さんという方が継承されていました。
社長とそのご家族、つまり一族で固めた会社であったとされています。
銘柄に「大桜(おおさくら?)」(昭和39年)、「黄金摩周(おうごんましゅう)(同40年)、「春一番」「王冠摩周」といった新種をあいついで開発、世に送ったとされています。
1969年のことです.「釧路市開基百年」という行事の行われた年でありました.
その時点で会社のめざしたものは「やつぎ早に新酒を編み出し深谷氏らしいアイデアと味で、愛飲家(あいいんか)に迎えられた」と、紹介されています。
他方、「朝日桜」は住吉2丁目11番(住吉56番地)にあって、かつて操業していた酒造会社です。
昭和44年当時、年間3200石といいますから、1.8リットル瓶で32万本の出荷ということになります。
ひょっとすると、福司の生産量をうわまわっていたかもしれないという量なのですが、現在は創業跡地がそのままの姿で残されています。
酒造元は朝日酒造合資会社というところです。
創業は昭和6年。深谷助太郎という方が初代で。1970年頃、深谷清五郎さんという方が継承されていました。
社長とそのご家族、つまり一族で固めた会社であったとされています。
銘柄に「大桜(おおさくら?)」(昭和39年)、「黄金摩周(おうごんましゅう)(同40年)、「春一番」「王冠摩周」といった新種をあいついで開発、世に送ったとされています。
1969年のことです.「釧路市開基百年」という行事の行われた年でありました.
その時点で会社のめざしたものは「やつぎ早に新酒を編み出し深谷氏らしいアイデアと味で、愛飲家(あいいんか)に迎えられた」と、紹介されています。