炭地帯の流路 尾幌川流域の4000年前の遺跡221029
 泥炭地帯の流路 尾幌川流域の4000年前の遺跡221029

 二級河川に指定されている尾幌川水系。上流部は国有林。
 中流域から泥炭地が発達し、一部は尾幌川分水を経て厚岸湾に、
下流部は別寒辺牛湿原の西部を東へ流れて厚岸湖に注ぐ。

 先史時代の遺跡及び遺物包含地の分布を掲載図で示しておいた。
 多くは下流域の河口部分に分布するも、一か所、遺物包含地が尾幌川中流域に分布する。
 しかも河口にはあるも、流域からは距離を置いた位置に分布している。そう指摘できるのではないだろうか。

 河口の遺跡に一か所、江戸時代の構築と考えられるチャシ跡が存在する。
 松浦武四郎筆「ポロチャシコツ」と記載のある遺跡は、「尾幌川川口チャシ跡」と命名された。
 厚岸湖の資源監視機能を体現。そうした位置にありそうである。

 注目されるのは「尾幌貝塚」。
 時代は「縄文(後期),続縄文,擦文,縄文(中期)」とされており、所在地の標高は「5メートル」と低い。
 そこから「土器、石器、骨角器、貝、人骨」が確認されている。「人骨」とあるからには、当然、貝を消費した集落があったはず。

 「縄文(後期),続縄文,擦文,縄文(中期)」といえば、今から4000年まえほどに始まる。
 並みの貝塚が標高20メートル内外の地にあり、時代が縄文前期とされる地球温暖化の時期に分布するのとは、やや異なる。