「金の卵」の中学生、集団就職 北海道ではどうであったか220916
「金の卵」の中学生、集団就職 北海道ではどうであったか220916

 「集団就職」もしくは「集団就職列車」。
耳に覚えのあるお方は、今やどれほどの年齢層になっていることになるのか。
井沢八郎さん「あゝ上野駅」や島倉千代子「東京だよおっ母さん」などの歌謡曲。その背景にあることを、思い描いておきたい。

その説明には、次のような指摘がある。
「高度経済成長期に地方の中学・高校の卒業生たちが、臨時列車に乗って大都市圏に働きに出た『集団就職』」。
「一般に『東北』から東京に向かう光景として語られてきた『集団就職』のイメージが捉え直される」。
でわ、端緒と終末。
「人手不足 を解消する雇用政 策として 行われた 『集団就職』は、1954 年 (昭和 29 年) 4 月青森駅から出発した集団就. 職列車によるものが初めて」。
「1975年3月24日、盛岡発の集団就職列車が上野駅に到着しました。これが最後の集団就職列車となり、日本の高度経済成長も終わりを迎えること」になるとも。

昭和12年生まれほどの新制中学校卒業者から、1975年3月の高卒者と申すと昭和32年生まれ。そういうことになるのであろうか。
1960年前後にこの集団集団就職列車に乗った、生徒たちはには「金の卵」の称があった。
彼、彼女たちのなかにあった、発言。
「私たちのときは仕事の選択肢がなかったのよ。生きてゆくにはこれしかなかったのよ」と「いった淡々とした語り」。
公的記録は、真に少ないのだそうだ。「集団就職」を扱った著者たちは、当時の体験者に面接し、「九州や復帰前後の沖縄から京阪神・名古屋へ向かった人々を中心に証言」を集めたのだと、申す。

ある意味、内在する制約。そこからアプローチの方法と背景を考えてゆくことにしたい。