2022 09/16 10:51
Category : 記録
「マグロの釧路か、釧路の鮪か」、その残照 入舟高木家船見櫓210504.
釧路川左岸の入舟岸壁を歩いていて、気が付いた。
釧路内燃機製作所の背後に見える塔屋の家構い。写真の建造物は「船見櫓」では、ないか?。
「(釧路市道)入舟臨港通」で見つけた塔屋を、「(同)入舟6線」の通りに回ってみても、明確にはわからない。
でも、どうやら「高木商店」の社屋に位置するように読める。
昭和62年頃に遡る。当時は木造3階ての建造贓物があって、改築することになった。
その7とき、3階部分は畳6畳間ほどの空間で、釧路川に面した北と西には広く窓が開かれており、河口に寄港するマグロ漁船の漁模様を確認する設備となっていた。
河口で僚船が振る旗の標識。それが暗号化されたものであったかどうかは不明ながら、その質量を理解して「電信」で相場の確認に奔走。
そうしたことを聞かされていた。解体のときには写真の撮影に追われ、解体した家屋材は「市設魚揚場」に保存するということであった。
確かに、改築後に新装なった建物に、どのような装備が施されたものか、確認しないまま職場を離れたままになっていた。
時は、30年が流れた。
令和になった20021年5月、釧路川下渡船の「入舟乗降口」を確認するべく、現地に赴いた。
旧釧路臨港鉄道線跡の桜並木に見とれていたが、目を転じて見上げた地点には、どうやら「船見櫓」。ひそかに「入舟高木家船見櫓」。かく呼称することにしている、のだが。
釧路川左岸の入舟岸壁を歩いていて、気が付いた。
釧路内燃機製作所の背後に見える塔屋の家構い。写真の建造物は「船見櫓」では、ないか?。
「(釧路市道)入舟臨港通」で見つけた塔屋を、「(同)入舟6線」の通りに回ってみても、明確にはわからない。
でも、どうやら「高木商店」の社屋に位置するように読める。
昭和62年頃に遡る。当時は木造3階ての建造贓物があって、改築することになった。
その7とき、3階部分は畳6畳間ほどの空間で、釧路川に面した北と西には広く窓が開かれており、河口に寄港するマグロ漁船の漁模様を確認する設備となっていた。
河口で僚船が振る旗の標識。それが暗号化されたものであったかどうかは不明ながら、その質量を理解して「電信」で相場の確認に奔走。
そうしたことを聞かされていた。解体のときには写真の撮影に追われ、解体した家屋材は「市設魚揚場」に保存するということであった。
確かに、改築後に新装なった建物に、どのような装備が施されたものか、確認しないまま職場を離れたままになっていた。
時は、30年が流れた。
令和になった20021年5月、釧路川下渡船の「入舟乗降口」を確認するべく、現地に赴いた。
旧釧路臨港鉄道線跡の桜並木に見とれていたが、目を転じて見上げた地点には、どうやら「船見櫓」。ひそかに「入舟高木家船見櫓」。かく呼称することにしている、のだが。