2011年06月の記事


ダブルエクスポーズあるいはデジャブ。
いまごろだった。これは七夕に仕上げる。七夕だった。約束を書いたのおぼえてる?ヒートアップは見てのとおりのはずだった。そういうことによく気のまわるはずだった。あとで見るよ。そうだね。でもちよっとだけ。畝が三本だけ。恵比寿。屋上。見てほしい。blog。接近。携帯写真。ピンボケ。もう一度。接近。新宿のバーのカウンター。ダブルエクスポーズ。デジャブ。37℃。
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どうしたいのかしたくないのか
そこのところがまったくわからない。
そういうことに眠りにつく寸前に気づいてします。
すこし、つらい。
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次の新月は1日
sunriseシリーズの編集になっている。
命そそぐしかないんだな。
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自分にあてたメールも
発見。
誰にも出さず、自分に向けて吐き出した夜も
すでに、遠い。な。


From: 益子自宅
Date: Sat, 18 Feb 2006 03:10:42 +0900
To: "toru@mujinamori.com"
Subject: いつかはやられる

とは思っていたが、あんな姑息で卑怯な言説で外濠を埋めに来るとは、正直想定外。5mも離れれていない空間で血相かえていたという。その前後に、とろけるような笑顔を見せて話しかけていた。5年前の福島未来博まで持ち出されたとK。難癖というしかないが。退いたら確実に取り上げられることはわかっているの。かといって頭低くして時を待つほど、おれの我慢ももちそうもない。退くも退かぬもないのだ。踏み出すべき場所がどこにも見当たらず。ここに窮まった。

------ End of Forwarded Message
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たぶんその5年前にも
きっと同じようなことを書いたのだと、思う。
残っていれば、さらにその5年前も…

コロムビアの天然の日本シリーズの第1巻を「光の日本」としたとき
プロデューサーたちの懸念と反対を押し切ってトップに約5分の月の出を据えた。
そしてその冒頭に福島泰樹の
「万物は冬に雪崩れてゆくがよい追憶にのみいまはいるのだ」を添え
さらに高校時代からひっかかっていた立原道造の「のちのおもひに」で受けた。

20年前のこと。
まだ辻は元気で、賢明も今井さなえもいた。
神楽坂と小石川の日々。

あのときすでに、だったのだ。
もっとさかのぼれば
その数年前。仕事につかず無職渡世だったころに起きた
短い出逢と別れののち、ずっとこんな気分で生きてきたのだ。

変わらないといえば
おれはどみも何も、変われても
成長しても、いないのだ。

苦笑しつつ、そう実感。

熊谷で39.8℃を記録した解し三日目の夜に。
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いつも際どかったのだ
セヴァン・スズキの環境サミット、「12歳のメッセージ」関連を探していて五年前のメールにぶつかった。


> From: 益子自宅
> Date: Thu, 12 Jan 2006 05:51:59 +0900
> To: "M. K"
> Subject: 読み捨てよろしく
>
>    丸一日前、MAVが終わった夜、こんな気分になっていた。
>    なんだかわからないけど、このところ急激に厭世的になっている。
>    いまさら中年クライシスでもあるまいし、とは思うのだけど
>    ま、知っておいてもらいたくなったので…
>
>
> 2006 01/11 03:27
> ♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
>
> ちあきなおみの“ダンチョネ節”を聴きながら、メーリングを書いた。
>
> これ以上はのぞめない。
> そういう場所まで届いた、と思った。
> 熱でぼんやりしたアタマだったけど
> 伝えられるだけは伝えておきたいと思った。
> 関わった一人ひとりを抱きしめ、
> これでいい、と伝えてやりたかったけど
> 居合わせた連中に声をかけるだけで
> せいいっぱいだった。
> 崩れ落ちそうなだるさが夕方からつづいた。
> クスリと栄養剤を渡辺に買ってきてもらったが
> 効果なし。目をあけているのがやっとだった。
> 十二年。
> 百本を越えたのか、二百本を数えたのか。
> いずれにしても、到達点に達した、というのが実感。
> ここではもう何もやることがない、
> そう実感しながら脱力していった。
> いまもまだ脱力がとまらない。
> 深い沼の底に沈んでいくような気分が濃い。
> ちあきなおみの歌を聴いていると
> もういいよ、
> と言われているような気がしてならない。
> これから何をどうやって行けばいいのか
> 見当もつかない。深い霧の中にいるようだ。
> もう、ここまででいいかな、と思う。
> 生きていくのをやめてもいいかな、と思う。
> 達成感ではない。
> 達成したいことが、じつは何もないのだと
> 気づいてしまったこと。
> 索漠。
>
> 館岩で終わっていればと、痛切に思う。
> 目が回っている。
> このままどこかに落ちていければ。
> 眠ってしまい、そのまま閉じられたら。
>
>   ♪どこで散るやら 果てるやら ダンチョネ
>    友よ あの娘よ さようなら ダンチョネ
>    おれが死んだら 三途の川で 
>    鬼を相手に 相撲を取る ダンチョネ
>
> 仕事の行き先などどうでもいい。
> 誰がやろうとどうなろうと興味もない。
> 取るに足らないことにもかかわらず
> 妙な熱気でごまかしながら
> 身過ぎ世過ぎを続けすぎたのだ。
> あれもごまかしこれもごまかし。
> 嘆くだけの気力もない。
>
> 目を閉じてしまいたい。

------ End of Forwarded Message
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6/22夏至night
夏至の夜。渡辺が準備していたiMac27inchをセットしてくれた。つかって直ぐに、目の前がさっと広がった気分。
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その後のepisode展開memo 2011.6.22夏至の夜
episode10.1-11.15
スローリビング/テラスと池を使った[お月見]→7年前の月見+7年前のミニコンサー+母と娘のプラネタリウムト→現在?ミニコンサートor母と娘の[プラネタリウム]now

episode11.16-12.31
プレゼンムービー参照

episode1.1-2.15
初詣で(祈り)now→町内おもちつき大会+7年前の巨大雪だるまと7年前のスノーボード→now?

episode2.15-3.31
娘たちはお年ごろ?手づくりチョコ騒動now→7年前のチョコレートバレンタインnight+7年前のひなまつり→「ひなまつり」now?or
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明日が夏至
今日が夏至だとばかり思っていた。さっき調べたら明日だった(苦笑)

午後、新宿で構成プラン提出。40分しゃべり通してOKをもらう。
これ以後、晴れて[古河案件]にシフト。

夜、蒲田に戻り柏木、渡辺とロケスケジュールの確認。
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仮病つかったらほんとうに発熱した。まいったな
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今日は
疲れ切った。
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心はあなたのもとに
村上龍の「心はあなたのもとに」文芸春秋社刊、
一ヶ月半かけて今朝、読み終わった。

一日約10ページ見当の超スローペース。
冒頭の5行で読むのをやめようと、一週間放置。

それから
ベッドで、机にむかって、スタジオで
移動中のロケバスの中で、撮影の現場で
散歩の途中のカフェで、風呂場で、トイレで…
おそるおそるすこしずつ読み進んだ。

読み手ではなく、作家自らに向けた小説。なのだと思う。
自分がなぜ村上春樹になじめないのか、理解できた。
ひりひりとした鮮烈さにコトバがみつからない。

こういう小説を日本人が書けるのだと、あらためて。
水村美苗の「本格小説」以来の、衝撃と脱力。


装丁は関口信介。余白といい堅牢さといい、
明朝の視認性を徹底追求したデザインに脱帽。
菊地信義の端正な可読性の良さを彷彿とさせた。


“I'll always be with you.always”のサブタイトルが、
身を切るように、切ない。

2011.6.9未明
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8日ToDo
9日木曜ロケハン決定
8日/撮影プランメモ/9日用に
10日金曜SWテク打合せ用ラフメモ/8-9日
 ※なになににとって10問題?的な
  山城DのCGとのリンク
  ipad用コンテンツ化
11日土曜古河打合せ用ラフプラン/8-9日
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7日のToDo
1.クロニクル篇/構成プラン改定稿
2.家に帰れば篇/7分30秒版DVD
3.テアトル用6月撮影分のチェック
4.テーマ音楽の進行/川田&井口7日打合せ
5.ウエルカム窓の再配置と再構成
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夏至に向けて
一気に加熱していくことになりそうだ。スタンバイOK。
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ハードル設定 6/4夜のメーリング
From: 益子自宅
Date: Sat, 04 Jun 2011 22:48:58 +0900
To: 夢工場ml東京WG
Subject: [yumekoujou:03574] Re: 永井路子旧宅

許可の問題とは別に、今回はNG。
理由は、写真でチェックすると「商家」の特徴が濃すぎる。
かなり裕福な商家で、想定している素朴さとそぐわない。
それと商家ならではで、「広縁」が文字通り広すぎだね。
さらに庭が広すぎ。縁ごしの風景として風情がない。
あくまで田沢湖あたりの「潟分校」に通ったはずの家族が暮らす家で
トロッコ電車のようなポッポイの汽車が走る駅が唯一の時代との接点で
と、いうイメージを担保できないと、こんどの仕掛けは成立しない。
7年前の「記憶シーン」に出てくる階段に貼られた少年少女が
子ども時代をすごしたはずの、郷里の家。

総合公園の古民家でガマンしようか、と話したのは
つましさを演出できるだろうからです。
庭だって、永井旧宅に比べるとぐっと狭いでしょ?猫の額でしょ?
永井路子旧宅の庭だとさ、夏の田舎の家の庭に咲く花、似あわないよね。
ひまわりがぼさーっと風にゆれてたり、カンナが無自覚に咲いてたり
梅の古木に愛染葛が紅い花をかんむりのように巻き付いていたり…

そういう誰の胸にも「あぁ」と甦るDNAのような家。

軒。雨どい。縁側。土の庭。手が届きそうな雑草まじりの植え込み。
そういうものを障子も雨戸も開け放った薄暗い部屋の中から
蝉しぐれ聴きながらごろん横になって眺めているうちに眠くなる…
柱時計のチックタック音、ぶーんとうるさい蚊、近くを流れる小川の流れ
遠雷、夕立、走り回る仔犬の鳴き声…

吊られた蚊帳や、豚の蚊やりからのぼる煙が似合う、家。

庭先には大きな樹木があると、なおいい。
たとえば胡桃の木なんてね。その緑の繁りが
真夏のひざしをさえぎって、昼寝したくなるような黄金の時を担保する。

あれ? と思ったでしょ。古河のビー・サイエや観環居の2階みたいだって。

そう。「なつかしいのに新しい」をテーマにした50周年モデル。
これからの「科学の家」。

あの原型となった「古いニッポンの家」を
一目瞭然に切り取ることで、
そこから巣立っていった子世代たちの現代住宅と
しっかり通底する「本質的な継続性」を意識させ
同時に、「絆」というコトバの根底にあるものを、比喩したい。

これが「夏の楽園篇」の裏コンセプト。

ほんとうは北に行くことがベストなんだよ。
でもいろいろあって、近くで探しているわけだ。

「旧家」ではなく「旧・民家」。
パッシヴ・ソーラー・デザインというkey wordの原風景。

この人たちは、こういう空間で育ったからこそ
新しい家をつくる時に、こんな家を選んだのだろう…
なるほどなぁ…

おれが欲しいのは、思い描いているのは
そういう「おうち」です。

目を閉じて「ふるさと」とつぶやくと浮かぶ「家」。
あぁ、帰りたいなぁと、つい思う「場所」。「記憶」。

仕事は、制約があるからこそおもしろい。
ハードルが低いようなら、
自らの手で上げてみようじゃないか。

見つかるといいね(笑)
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shortmovie要素メモ
正面。シンボルツリー。散歩道。→ガーデン
タウン。俯瞰屋根zi。外灯。→ソーラー
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音楽について
未明にメモ。今夜、新月。
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