2009 03/05 19:49
Category : 日記
ビデオを4本。読みかけの小説の残りと新しいのを1冊。夜が明けて、まぶしいような春の光があふれ、エアコンを切り窓を開けコーヒーを淹れトーストを2枚食べ、読み終わったら昼を過ぎていた。目が覚めたら夜7時。時間を確かめてからしばらくベッドにいた。17歳の時に出逢ったひとのことをずいぶんひさしぶりに思い出した。医者の娘で5歳上の22歳。ロシアの血が1/4混じった鼻筋のとおった顔立ち。家の裏口にある駐車場の脇でバラを育てていた。出逢って2日目に訪ねていったときに、そのひとはちょうどバラを摘んでいるところだった。光あふれるまぶしいような5月の昼下がり。ウォッカと睡眠薬を飯がわりにしていた。半年ほどただれるような時間を過ごした。その頃のいくつかのシーンが暗くなった窓の向こうにフラッシュ。九段下の裏にあった旅館“むさし”。その人を宿に残したまま高校に行き、また宿に戻って不毛な時間を過ごしていた頃。街には“いいじゃないの幸せならば”が流れていた。ジュークボックスがあると必ずかけていたのがOtis Reddingの“The Dock of the Bay”とJames Brownの“It's a Man's Man's Man's World ”。新宿の螺旋階段のタバコで黄色くなった壁にはゲバラのモノクロポスター。通った店は渋谷の“ファンキー”ほかモダンジャズ。おしゃべりをすると「シーッ」と指を立てられた頃。お茶の水の医科歯科大正門前に出ていたおでの屋台にぶらがったラジオからはよく“あしたというじはあかるいひとかくのね”が流れ、連載中の“明日のジョー”は、少年院を出た直後のあたりだった。加藤賢明。辻和成。横江茂。篠田浩一郎が翻訳したポール・ニザンの「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ」という文章ではじまる“アデンアラビア”の、その1節だけを読んだ、「20歳」という年齢を想像すらできなかった頃のこと。3月5日啓蟄。あふれるような春の光の日のフラッシュバック。ひさしぶりにwebで福島泰樹を見る。「振り向けば今も喝采が聞こえる。戦っている俺が見える」ではじまる“4回戦ボーイ”の挽歌。歌はさらに「振り向けば倒れてゆくあいつが見える…あいつの美しい無念が見える」と続く。“美しい無念”という短いフレーズ戦慄した吉祥寺の嵐の夜を思い出しながら7回繰り返し見た。福島のこの歌の〆は「何ひとつ終わったわけじゃないのさ、さらば、友よ」。
http://homepage.mac.com/torum_3/love/iMovieTheater552.html
昨日の苛立ちが、嘘のように消えていた。
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昨日の苛立ちが、嘘のように消えていた。