春の淡雪
予報通り、夜半過ぎて城南も雪。ぼたん雪が街を淡く染めている。タバコを買いに行き、一服しようと銀行のシャッターの前で火をつけたら、ジャンパーを着た中年男が寄ってきて「今夜そこで寝んの?」と笑いかけてきた。みじんの屈託も無いきれいな笑顔だった。一瞬、考えてから、そうか、と合点。「いや、寝ないよ。ここでは」と答える。彼はさらに屈託のない笑顔になってしっかりこちらの目を見つめ「そうかぁ、家で寝るんだね。よかったぁ」と言って歩き去った。おれがホームレスに見えたことはさておくとして、なんつー見事な男だろうと、しばらく呆然としながら感心していた。たぶん自分のねぐらを探していたのだろう。あたりをつけておいた場所に、おれがいた。声をかけた。否定が返った。でも、あいてはタバコに火をつけたばかりだった。家に帰って寝られることを祝福し、きれいな笑みを残し立ち去った。もしかしたら街をひとまわりし戻ってきて、そこをねぐらにするつもりだったのかも知れない。でも、タバコを吸っている、家に帰って寝られる相手に、彼は「よかったぁ」と言ってみせる。なんの屈託もない笑顔と視線で。世の中は、底なしだなと、打ちのめされた気分でタバコをさらに二本灰にしながら、彼を待った。戻ってきたら、おでん屋にでもつきあってもらおうと思った。ぼたん雪とはいえ、カラダの芯が凍えてきたので、あきらめた。コンビニに行きワンカップ3本とお茶、弁当とおでんを袋に入れてもらい、サインペンを買った。その場所に戻り、袋に「死ぬなよ」と書いてタバコとライターを入れ、手を合わせた。タバコがロングピースで、ニコチンが多く健康に悪いかな、と思ったが、ま、それどころじゃねえだろう、と思い直し、家に戻った。そして熱い湯をはり、風呂に入った。髪を洗い、カラダを洗い、髭を剃りながら涙が止まらなくなった。  春一番が吹くと、いいね。